【DAY・2 / 永禄二年(1559年)七月上旬・国峯城】その一


【DAY・2 / 永禄二年(1559年)七月上旬・国峯城】その一




 早朝から蜜柑に揺り起こされたからには、夢オチではなかったようだ。


 どうしても結婚のあいさつをしたい人がいるからと連れ出された俺は、徒歩で小一時間ほどの八幡八幡宮やわたはちまんぐう近くにある道場の前にいた。


 朝の光の中で来意を告げた蜜柑は、すぐさま祝賀ムードの中に放り込まれていた。一門で愛されている女性剣士の結婚は、彼らにとっても大ニュースだったようだ。


 剣術の師匠だというから、この地の道場主くらいに捉えていたのだが、そこにいた洒脱なおじさま剣士のステータス表示には、上泉秀綱かみいずみひでつなの名があった。


 剣聖の? 無刀取りの? と思わずつぶやいてしまったために、無刀取りとはなんだとなかなかの勢いで問い詰められた。いや、後のあんたが考案する技だと喉元まで出かかったのだが、概要を話すと感心して聞いている。うーむ。


 まあ、この状況でタイム・パラドックスかどうかとかは、考えても無意味だろう。


 著名な剣豪である彼は、この上州出身で、上泉は前橋の地名だったはず。史実的には長野業正に仕えていて、武田の侵攻による主家滅亡後に本格的に京都に出たんだったか。


 ゲームの「戦国統一」では、剣豪はランダムで出現する季節イベント扱いだった。飢饉や一揆、鉱山発見や南蛮船渡来と同じ、確率出現の存在である。だが、この世界では実存しており、しかも頭上に浮かぶ赤い▽印からして、武将として扱われているようだ。


 年齢は、四十五歳と表示されている。この時代では高齢の域に達しているのかもしれないが、ダンディーな剣士といった雰囲気である。武力はAで、剣術系のスキルが山盛りである。


 武力は、基本的には軍勢を指揮した際のステータスなのだろうが、個人技も含んでいそうだ。統率もBなので、武将としても凄い能力である。


 甥っ子の疋田文五郎ひきたぶんごろうと紹介された、表示名は疋田景兼ひきたかげともとなっている剣士もいて、二十三歳だそうだ。立派な体格だが、やや堅苦しそうな人物に見えた。他にもうひとり高弟らしき人物が同席している。


 出されたお茶は、紅茶のような色合いだが、煎茶だとの話だった。茶の湯で使う抹茶は高級品で、とても日常使いはできないが、こちらは庶民的な値段で手に入るのだそうだ。この近くでは、和田城の辺りで作られているらしい。


 馴れ初めを問うて、蜜柑姫によって前日の戦いの話を聞かされた剣豪は、ひどく苦々しい表情を浮かべた。


「実は、一報は受けていた。襲撃された村の跡地で、ご夫君が泣かれたと耳にしたが」


「昨日の今日で、もう伝わっているのか……」


「ふっ、道場の情報網を舐めてもらっては困る」


 敵味方に門弟がいたということなのだろうか。


「旅人の自分を明るく迎えてくれた村人たちが、撫で斬りにあったんだ。隣の村と城下が同様な惨状になるのは防げたが、寄せ手からしてみれば、特に雑兵らにとっては、とんだ災難だっただろうな」


「鬼幡も弟子だった。なんとも痛ましいことだ。止められず、助力もできずに済まない」


「いや、敵対しないでもらえるだけでも、とてもありがたい」


「箕輪衆同士で奇襲して村人を惨殺し、返り討ちに遭うような奴に味方はできない。……だが、なぜ急にこんなことに」


 ゲーム的な説明としては、シナリオ開始によるランダム配置で、蜜柑の親父さんがあまりにも弱かったのでつい、って感じだったのかもしれない。だが、そう言ってももちろん通じないだろう。蜜柑や鬼幡某が上泉秀綱の弟子として交流を積み重ねてきたというからには、過去もまた現実であるようだ。


「この地の事情に疎くて申し訳ないのだが、鬼幡氏や堂山氏は、箕輪長野氏と婚姻関係にはなかったのかな?」


「話は聞いておらんな。南の和田氏の当主は、業正殿の妹の息子で、さらに娘が嫁いでいるはずだが」


 モブ豪族、モブ武将のランダム生成結果と辻褄が合うように過去が改変されたが、ゲーム上でのデータとして存在する婚姻関係までは、その対象ではない、くらいの状態だろうか。


「まあ、しかし、蜜柑の結婚はめでたい。しかも、どこぞの武家に嫁ぐよりは、婿を迎える方がいいだろうしな」


「迎えられたのは、どこの者とも知れぬ馬の骨だがな」


 思わず漏らした俺の毒に、応じたのは蜜柑だった。


「馬の骨でも、我が領地を、いや、我が領民を守ってくれたのじゃ。新たな当主の条件として、それ以上のものなどないぞ」


「さっそく惚気けてるな」


「ええ、まったく」


 謹厳な表情の疋田文五郎が沈黙を守る中、もうひとりの弟子がにこやかに応じた。


「うーん。まあ、蜜柑の今後の成長次第では、一番弟子扱いとしてもよかったんだがなあ」


 言いながら、剣豪の視線はちらりと甥の方に向けられ、まったく気づかない様子にため息をつく。どうやら、二人を夫婦にさせる計画が存在していたようだ。その流れに、もうひとりの弟子、神後宗治じんごむねはると紹介された人物は苦笑していた。


 跡取りの話から、上泉秀綱殿の息子の話が出たが、剣の腕はさほどでもないらしい。現状では上方に視察に出ているそうだ。……確か、史実では北条家臣として討ち死にしていたような。


「ところで、新田姓となると、義貞公の子孫なのか?」


「いや……、信じてもらえるかわからないんだが、俺はいつかの時代に神隠しに遭ったんだ」


「神隠し?」


「ああ。それで、神隠しから戻ったら、国峯城近くの崖を滑り落ちててな。なので、俺は本来この時代の住人ではないんだと思う。ただ、新田義貞公については知っているし、その末裔ではない。源氏ではない別の新田なんだ」


 嘘は言っていないが、総てを明かしたわけでもない。三人の剣士はそれぞれの表情で受け取ったのだが、肝心の蜜柑が、そうじゃったのかと感心したもので、彼らを呆れさせた。


「素性を知らぬ男を夫にしたのか」


「先にも申しました通り、我が領民を守ってくれました。それだけで充分ですじゃ」


 見つめられて照れていると、秀綱殿がにたりと笑って口笛を吹いた。


 ちなみに元時代での出自的には、先祖が新田しんでん村の出身で、明治に入った際にそこから姓を取ったのだそうだ。だもんで、新田しんでん一族であったはずなのに、祖父が引っ越しをした際に役所の窓口の人に「にった」と仮名を振られたのを、まあいいかと受け入れてしまったのが、俺が新田にった姓である理由の総てとなる。


 その結果、親戚はみんな「しんでん」で、うちだけ「にった」となってしまったのだった。


 ややこしいのもそうだが、日本の戸籍制度は読みについてはだいぶ緩いものだったわけだ。まあ、近年には住民票の読みがながベースになっているので、なかなか意図的に変えるのはむずかしいようだが。




 上泉道場の居心地はとてもよく、交流を深めたい思いも生じた。だが、本拠が手薄な状態であるからには、早めに戻るべきだろう。


 英五郎どんが堂山勢の面々と共同で守りを固めて、澪が警戒に当たってくれているものの、人数の不足は明らかだった。


 それでも、鬼幡勢の居城の様子を見たいと話したら、神後宗治を案内につけてくれるとの話になった。妻となった少女剣士を先に返して、俺が向かう形とする。蜜柑はこの辺りで知られた顔だが、俺の正体が気取られるとは考えづらいためである。


 神後宗治というこの剣士は、疋田文五郎と並ぶ上泉一門の高弟のはずだ。ステータス表示は二十四歳となっていて、剣聖上泉秀綱にとって、息子のような愛弟子二人なのだろう。


 そうそう、剣豪殿は上泉信綱の名が有名だが、その「信」の字は、主家が滅亡後、京都への剣術行脚に出る前に武田に世話になった時期に偏諱を受けたものなので、この時点では上泉秀綱なのだろう。さて、信綱への改名は起こるのかどうか。


 新たに知り合った師弟三人の頭上には赤の▽が浮かび、長野業正の家臣と表示されていた。そして、この神後も軍事はAである。長野業正の優遇ぶりは、いったい何なのだろう。


 ただ、「戦国統一」シリーズでの彼らは長野業正の家臣ではなく、ランダムで発生し、対象地域にいる武将の軍事能力を上昇させる剣豪イベントを起こす役割を担っていたので、その点は異なっているようだ。そして、師弟のうちの神後宗治だけに、水軍系スキルの<水上戦闘>や<海流読み>がついていた。


 道連れとなった若い剣士は気のいい人物で、年若な俺を侮る素振りもなく、雑談に花が咲いた。


 洒脱な師匠、まじめ一方の甥っ子、話のわかるもうひとりの弟子という関係性からして、いい一門なのだろう。そんな中で、息子はどういう立ち位置なのか。


 水軍系のスキルについては聞いてみたが、船に乗ったこともなく、心当たりがないそうだ。


 八幡八幡宮からほど近い、鬼幡勢の本拠だという安中城はひっそりと静まり返っていた。まあ、主将が討たれて、兵たちも潰走状態だったから無理もない。松井田城には城代が健在かも知れないが、そこまで足を延ばすのは見合わせることにした。


「攻略すべきかな」


 独り言めいた俺のつぶやきに、神後宗治が応じた。


「攻め落としちゃってもいいと思うよ。……まあ、蜜柑の父親が箕輪衆だったことを考えると、本来は箕輪の殿の判断を仰ぐ流れかなあ。でも、売られた喧嘩だし、やっちゃっていいって」


「あんたらは、長野の家臣なんだよな?」


「いや、実際には師匠が客将みたいな立場だから、成り行きでそうなっているだけさ。正直、暑苦しいのは苦手でね」


 口振りからすると、忠誠度が危機的な状態だろうか。まあ、師匠への心服度合いは高そうだし、なによりこの人物にはどこか食わせ者的な雰囲気が漂っている。言葉を文字通りに受け取るのは危険かもしれない。


 若い剣士殿と別れた俺は、国峯城へと向かう。山道を越えればほぼ一本道だとの説明はその通りで、これなら多少方向音痴でも迷いはしないだろう。道中の村々は、昨日の戦さが夢だったかのように、のどかな風景を維持している。


 さて、今後はどうなるか……。来春から夏にかけて生じそうな一連の事象を考えれば、この辺りに平和な状態を早期に招き寄せられる可能性はゼロではない。いずれ上杉氏になる越後長尾家を頼る手もあれば、早い段階で武田家に降る選択肢もある。


 一方で、いきなり攻め込まれる可能性もまた存在する。ともかく、今は自衛の態勢を固めるのが重要だった。


 夏の時期だけに、早朝からの歩き詰めはややきついが、それほど暑くもない。この時代は、小氷河期だったらしく、飢饉が重なる原因となったとの説も耳にしていたが、さて実情はどうなのだろう。


 そんなことを考えながら帰路を急いでいると、なにやら遠方に不穏な気配が感じられた。息をついた俺は、居城へ向かって駆け出した。



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