第42話:天ヶ瀬邸①

 世那の実家に行くまでの一週間は、二人で残った課題をすることにした。

 リビングでコーヒーを飲みながらやっていくが、奏多は分からないところを世那に聞くことが多かった。


「世那、ここの問題なんだが」

「どこですか?」


 隣に座っていた世那が体を寄せてくる。

 ふんわりとほのかに甘い香りが鼻をくすぐる。内心ドキドキしている奏多に世那は気付かない。


「良く見えないですね」


 そう言ってさらに体を寄せてきたことで腕に柔らかな触感があった。感触だけでそれが何なのかを当てた奏多はチラッと世那を見た。

 世那は奏多の視線に気付かず丁寧に教えてくれている。


「~なのでこのようになって……奏多さん、聞いてますか?」


 奏多を見てくる世那は当たっていることに気付いていない。


「その、あ、当た……」


 言い淀む奏多だが意を決して胸が当たっていることを言うことにした。


「当たってる……」

「え? 何が――っ⁉」


 遅れて気付いた世那は一瞬で顔を真っ赤に染め上げて素早く奏多から離れ、両手で胸を隠した。


「は、早く言ってください!」

「あまりにも真剣に教えてくれていたから言い出すタイミングがなくて……ごめん」


 謝る奏多を見て世那は「うぅ……」と涙目になり。


「奏多さんのバカっ!」


 そう言って自室へと逃げるように駆け込んだ。その後、夕飯まで出てくることはなく、奏多は「どうしたものか」と頭を悩ます。お詫びとして、夕飯にハンバーグを作ると少し恥ずかしそうにしながらも満足そうな表情を浮かべるのだった。


 ――一週間が経った。

課題も三日ほどで終わり、残りの四日で準備を済ませていた。

奏多と世那が部屋を見渡す。


「電気よし、ガスよし」

「大丈夫そうですね」


 消えていることを確認した奏多と世那は部屋の鍵を閉めてマンションを降りて駅へと向かう。

 夏の強い日差しが肌を焼くように照らしている。

 奏多は隣を歩く世那を見る。

 白いワンピースが世那をより一層美しく魅せており、通りを歩く人の視線が集まる。


「なんだか見られている気がします」

「まあ、仕方ないだろ」

「え? どうしてですか?」


 視線が集まる理由が自分だとは気付かない世那はきょとんと奏多を見る。

 そっぽを向いて頭を掻く奏多は恥ずかしそうに答える。


「それは世那が可愛いからだよ」

「――ふぇ?」


 驚いた表情をする世那だが次第にその顔は紅く、紅葉のように染め上げられていく。

 顔を赤くする世那を見て思わず可愛いと思ってしまう。


「わ、私が可愛い、ですか⁉」


 驚く世那だが、清楚で可愛いのは事実なのだ。男だけではなく、女性すらも目を奪われるような可愛さとプロポーションを持っている。


「そうだよ」


 それだけ言うと奏多は世那を視線から隠すような位置へと移動する。奏多の行動を見て世那は小さく「ありがとうございます」とお礼をする。

 それから駅に向かう途中で手土産を買うことにした。どのような物が喜ぶのか分からなかった奏多は世那に尋ねると。


「そうですね。案外なんでも喜ぶと思いますよ」

「た、高いお菓子とか?」


 あまり高いものは買いえない。すると奏多は駅前でコーヒーの専門店を見つけた。


「ならコーヒー豆とかはどうかな? 嫌いな人はいる?」

「みんな飲めますよ。というよりは、父が自分で淹れて飲ませてくるくらいです」

「なるほど」


 奏多は以前会ったときに呑んだコーヒー味を思い出す。


「ならコーヒーでも買っていこうか」

「はい」


 世那と奏多はお店に入る。お店の中はコーヒーの焙煎された豆の匂いが広がっていた。

 店内にはお洒落な椅子やテーブルなどが置かれており、ゆっくりとくつろげるスペースが確保されていた。


「いいお店ですね」

「入ってすぐに気に入ったよ。まさか近くにこんないいお店があるとは思わなかった」

「そですね。こんなにたくさん豆があると選ぶのに迷っちゃいますね」


 ずらっと並ぶ豆を見て苦笑いを浮かべる。


「だな。俺は選んでいるからゆっくりしていてくれ」

「わかりました」


 じっくり豆を見ているとカウンターから初老の男性が近づき奏多に声をかけた。


「お困りですか?」

「え? あ、はい。手土産に持っていく豆を選んでいました。こんなにあると迷っちゃいますね」

「そうですね。普段は飲まれるのですか?」

「はい。コクが深いのと苦みの強いのが個人的には好きで」

「私はちょうど真ん中暗いが好きですね」


 すると初老の男性は話が逸れたことに対する謝罪をする。


「すみません。私としたことが」

「いえ。普段、ここはカフェとしても?」

「そうです。自分で選んだ豆をここで挽いて飲むことが出来ますよ。おっと、遅れました。私はここのマスターをしております。気軽にマスターとお呼びください」

「分かりました。ところでマスター、珍しいコーヒーとかはありますか?」


 するとマスターは「ありますよ」と言って豆を取り出して見せた。


「バレルエイジドコーヒーです」


 匂いを嗅いでみるように割れたので嗅いでみると、また何とも言えない匂いがした。

 不思議そうに見る奏多にマスターは説明する。


「このコーヒー、実は製法の名前なんです。ウイスキーの樽の中で寝かせたもので、シングルモルトウイスキーの風味が豆に染み込んで奥深い味わいになるんですよ。一杯試し飲みされますか? そちらのお嬢さんもご一緒に」


 世那は振り返り「いいのですか?」と聞き返すがマスターは笑顔で頷いた。

 少ししてマスターがカップに入れて持ってきてくれた。

 ウイスキーの匂いがほのかにし、しかし深みのある匂いをしていた。

 二人が一口飲み、思わず目を見開いた。


「少し苦手でしたか?」

「いえ。ウイスキーの香りと酸味、個性の強いコーヒーですね。俺は意外と好きかも」

「それは良かったです。お嬢さんの方はいかがですか?」

「そうですね。私も好きな方です」

「良かったです」


 飲み終わり、奏多はバレルエイジドコーヒーを買っていくことにした。

 会計を済ませて店を出る間際に奏多と世那は、今度飲みに来ることをマスターに約束した。

 そして店を出て駅に向かい、電車に乗って天ヶ瀬邸の最寄りの駅へと向かうのだった。

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