第14話:天ヶ瀬邸②

 天ヶ瀬邸にやって来た奏多は世那の父、宗司を前に緊張していた。

 奏多の前にお茶が置かれる。


「世那から奏多君はコーヒーが好きだと聞いてね。インドネシアのトラジャコーヒーだ」

「あの幻と名高いコーヒーじゃないですか」


 インドネシアのスラウェシ島にあるトラジャ地方で栽培されるコーヒーのことを言い、戦禍で一度なくなったが日本企業の支援により復活したのだ。

 生産量は多くなく、名品と謳われた幻のコーヒーであるトラジャコーヒーは、アラビカ種でも最高峰のコーヒーに位置する。


「物知りだね」

「色々な種類のコーヒーを飲みますので。ですがトラジャコーヒーは飲んだことがないので楽しみです」

「そうかそうか。私のお気に入りなんだ。君の口に合えばいいのだが」


 奏多はカップを持ち鼻へと近づけまずは香りを楽しんだ。スモーキーでクリーミーな独特で芳醇な香りが広がりそのまま口へと運んだ。

 フルーティーでさっぱりとした甘みと同時に、軽やかな酸味と強いコクを感じた。

 飲んだ後の余韻が口の中に残る。


「とても美味しいです」

「良かった。気に入ってくれたようで何よりだ」


 微笑む宗司を見て奏多は思わず、このコーヒーが欲しいと言いそうになり口を噤んだ。


「ふふ。帰りに豆を持たせよう」

「ありがとうございます!」


 素直に嬉しかった。

 少し雑談をして、宗司が切り込んできた。


「ところで、世那には手を出していないな?」


 ギラッと怪しく光る宗司の目を見て息を飲む。変なことを言ったら殺されるような、そんな鋭い目つきを奏多に向けていた。

 だが、奏多が答えるより前に世那が顔を赤く染めつつも口を開いた。


「ちょっ、お父様⁉ 急に何を言っているんですか!」

「どうしたそんなに顔を赤くして」

「べ、別になんでもありません。ですが、そのようなことを聞くのは失礼では?」

「失礼だとは思うが、一緒に暮らしているのだ。同性ならいざ知らず相手は男だ。とにかく落ち着きなさい。私は奏多君とお話をしているのだ」

「はい、すみません」


 シュンと俯く世那はなんとも可愛らしい。

 奏多は宗司の質問に目を見ながら答える。


「私と世那にそのような関係は一切ありません」


 ジーッと見つめられること数分。宗司は一つ頷いた。


「本当のようだな。それを聞いて安心した。まだ高校生なのにそのようなことは早いからな。結婚までは正しいお付き合いをするように」

「ちょっ、お父様! 私と奏多さんはお付き合いなどしていません!」

「む?」


 まるで「違うのか?」とでも言いたげな表情で奏多を見てきたので肯定した。


「私と世那は付き合ってなどいません」


 それを聞いて宗司は「ここまでしてまだ付き合っていなかったのか……」と小さく呟いた。その呟きは二人の耳には届いていなかった。


「世那。少し奏多君と二人きりにさせてほしい」

「ほえ?」


 奏多の口から間の抜けた声が漏れ出た。


「分かりましたが、一体何を話すのでしょうか?」

「何。ちょっとした男同士の積もる話だよ」

「はい。では私は部屋に戻ってますね」

「ああ。ご飯になったら呼ぼう」


 世那は奏多の方を見る。その目は「本当に大丈夫ですか?」と言いたげにしていた。だがここで逃げるわけにはいかず、奏多は笑みを浮かべた。


「俺も話し終わったら部屋に行くよ」

「はい。ではまた後で」


 世那が出ていき部屋の扉がガチャッと閉まった。今部屋にいるのは奏多と世那の父である宗司の二人きりだ。

 静かな時間が流れ、先に口を開いたのは宗司からだった。ゴホンというわざとらしい咳払いをして奏多に尋ねた。


「私を殴らないのかな?」


 奏多の顔が一気に青くなる。


「あ、あの。もしかして世那から聞きましたか……?」


 恐る恐る尋ねる奏多に宗司は笑顔で頷いた。


「ああ。世那がお見合いを逃げ出した次の日にね」

「すみませんでしたぁぁぁ!」


 立ち上がって腰を九十度に曲げて深々と謝罪する。

 だが聞こえてきたのは笑い声だった。


「あ、あの?」

「いや、ごめんね。君が謝ることじゃないよ。むしろ君には感謝しているんだ」

「感謝ですか?」


 恐る恐る顔を上げた宗司は奏多に座るように促し、コーヒーを一口飲んでから続きを話す。


「あの時は会社のことばかり考えてきて、家族のことなんて二の次だった。お見合いの相手は取引先の社長の息子でね。懇意にしていて世那も顔を合わせてはいるんだ。向こうのご子息が世那に興味があるようでお見合いをさせることで話が進んだが」

「家出したと」

「そう。私は焦ったよ。大事な一人娘が悪い人に連れて行かれるんじゃないかと。結果、奏多君に助けてもらったわけだ。帰って来た娘を怒ろうとして、逆にお見合いが嫌で、好きな人と結婚したいと言ってきた。何度も言い合いをした。でも、世那は聞く耳を持たなかった。それで世那が本気でそう望んでいるんだと理解した」


 言葉を区切り、再びコーヒーを一口飲む。カップを置く音が部屋に響く。


「世那の想いを受け、私はついに折れたよ。そこでどこにいたのかを聞いて、君の名前が出たんだ。君の祖父は良いことを言ったね。『自分の人生くらい自分で決めなさい。真摯に向き合い、心からぶつかって伝えないと分からないことだってある。他人に左右される人生なんて何も楽しくない』。たしかにその通りだった。私は世那のことを何一つ理解できなかったダメな父親だ」


 そんなことない、と奏多は思った。彼が娘を大切にしたいという想いはあるのだ。


「そんなことないですよ」


 そんな奏多の言葉に宗司が顔を上げた。


「今までがダメだったと思うなら、これから良い父になればいいんです。人間誰しも完璧じゃありませんから」

「ふふっ、そうだね。まさか君にこんなことを言われるとはね」

「生意気言ってすみません」

「いいや。その通りだよ。人間誰しも完璧じゃないものだ。君に殴られなくて良かったよ」

「本当に殴るつもりないですよ……だけど、世那が真摯に伝えても伝わらなければ、俺が宗司さんに話に行くところでした」

「優しいね」

「そんなことないですよ。俺も昔は両親に言われるがままの人形でしたから。祖父には感謝してもしきれません」

「私も君の祖父には感謝しないとね。機会があればお墓参りに行かせてもらおう」

「はい」


 それから少しの間、一緒に暮らしていて世那はどうなのかや、家でのポンコツな場面を話したりと盛り上がるのだった。

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