第2話

「お久しぶり、杏子ー!」

「うん、会うのは久しぶりだね……」

 杏子の好きなシャンパンと僕が杏子にカッコつけるために頑張って好きになったワインを買って杏子のアパートに行くと、いつもよりだいぶ元気のない杏子が出てきた。目には隈ができていて、全体的にだいぶやつれている。心ここに在らずって感じだ。

「杏子、やっぱり元気ないね」

「そう? いつもと変わらないと思うけど」

 先日やりとりしたメールの内容から察するに、やっと僕のターンが来たはずなのに、元気のない杏子を見ると素直に喜べない。今だって、本当は動揺してるくせに、すぐに感情を押し殺して返答してくる。昔から杏子は変わらない。なんか悔しい。

「僕ね、杏子の好きなシャンパン買ってきたよ!」

 シャンパンとワインを取り出そうとすると、「実は私もなの」と杏子も僕がいつも飲んでるワインと杏子のお気に入りのシャンパンを取り出した。

「あ。被ったね」

「うわ、被った」

 言葉までハモる。複雑そうな表情の杏子に「でも、こっちは被ってないと思うよ。杏子が大好きなだし巻き玉子。だって僕しか作れないでしょ?」

とだし巻き玉子を持ってくると、杏子はちょっと照れた表情になる。なんか嬉しそう。

「へぇ、意外と気が利くじゃない」

 素直じゃない言葉しか出てこない口とは裏腹に、表情は嘘をつけない。ちょっと元気になったみたいでよかった。

「ちょっと待ってて、今お皿用意するから」

「いい、僕がやるよ。杏子疲れてるでしょ」

 こんな時にも無理をしようとする杏子を止めようとすると、「でも……」と食い下がる杏子。「脚立探すね」の一言で「ありがとう」と諦めてくれた。


「ねえ、今日、お酒進むの早くない?」

 テーブルにお酒とご飯を並べて飲んで30分、僕は異変に気づいた。杏子の様子がおかしい。いや、会った時におかしいのはすでに気づいていたけれど。でも、飲み始めて確信した。いつもより、明らかにお酒のペースが早いのだ。

「そんなことないと思うけど?」

 曖昧な返事をしながら、また一口。絶対におかしい。杏子はいつもゆっくり飲むスタイルなのに、今日は気づけばシャンパン1瓶がなくなろうとしている。

「そ、そう? 気にしすぎかな?」

「うん、気にしすぎだよ」

 淡々と飲み進める杏子。

「無理はしないでね」

「知ってる」

 本当にわかってるのかな、なんて思っていたら、杏子は突然呟いた。

「あのさ、琉希って失恋したことある?」

 うん、杏子に彼氏ができる度にしてるよなんて言えるはずがなく。「あるよ」とだけ返しておく。

「っていうか、琉希って好きな子いるんじゃなかったっけ? いいの? 私とメールしたり電話したりだけじゃなくて、週末まで一緒に過ごしてて。好きな子に誤解されるんじゃないの?」

 うん、今まさに誤解されてるんだけどなあとも言えず。「僕は杏子と飲めて嬉しいよ」とだけ返しておく。「答えになってない」と拗ねる杏子。十分すぎるほどの愛情表現なのに、伝わってないとは悲しすぎる。

「なに、失恋でもしたの?」

「うん。彼氏と別れた」

 探りを入れてみると、意外にもすんなりと答えてくれた。

「そうなんだ……」

 残念がる素振りを見せるけど、内心嬉しさが込み上げてくる。ごめん、杏子。杏子には申し訳ないけど、めちゃくちゃ嬉しい。

「そう。琉希は? 最近どうなわけ?」

 不満げに杏子は探りを入れてくる。

「ずっと片想いで失恋しかしてなかったけど、その子がようやくフリーになったらしくてようやくチャンスが到来したかもしれない」

 事実をそのまま伝えると、「そう、良かったね……」と何とも複雑そうな反応を返してくる。

「でもさ、その子フリーになったんでしょ? 私なんかと週末過ごしてていいわけ?」

 あー、そういうことか。完全に誤解されている。誤解は残念だけど、逆にチャンスかもしれない。

「杏子、僕の恋愛に興味あるの?」

「うん、まあ……」

 ふーん。絶対興味ないって言うと思ったのに。

「何で?」

「え、何でって?」

「何で僕の恋愛に興味あるの?って聞いてるの」

「幼馴染、だからかなあ……」

「そう、幼馴染だから、ね……」

 そう返されると、埒が開かないんだよなあ。次の言葉を必死に探す。

「じゃあ、例えばさ。恵実と秋斗が離婚したら、杏子は秋斗を家に呼んで2人でお酒飲んだりする?」

「はあ?」

 旧友のカップルの名前を出して様子を見ると、杏子は非常に不愉快そうな顔をした。

「あの2人が離婚するわけないでしょ?! 何言ってんの?!」

「確かにそうなんだけど、例えば。例えばだよ、あんまり怒らないで」

「するわけないじゃん」

「何で?」

「何でって……私、秋斗とはそこまで仲良くないし」

「じゃあ、仲のいい男の人だったら誰でも家に上げて2人きりでお酒飲むんだ?」

 僕が白い目で杏子を見ると、か細い声で「……なことない」と返してきた。

「え? もう一度言って。聞こえなかった」

「だから、そんなことない、男の人とか琉希しか家にあげたことないし、他の人と一緒にお酒飲んだこともないよ!って言ってんの!」

 何故かキレ気味に返された。

「え?」

「え?って何よ。自分から聞いておいて」

 杏子が呆れたように言葉を返す。心なしか拗ねているようにも見える。え、これってもしかして。

「じゃあさ、杏子は僕に彼女ができたらどうする?」

「どうするって、どうしようもないでしょ」

「彼女できたら、杏子の家で2人でお酒飲んだりできないと思うんだ」

「それはそうでしょ。彼女に悪すぎるでしょ。私だって彼氏いた時は琉希を家に上げたりしなかったよ」

「それに、たぶん電話もメールもなかなかできなくなると思う」

「そっか、そうなるのか」

 杏子は微妙な顔をするけど、もう少し反応して欲しかったなあ。

「杏子のこと、名前で呼ぶのもやめるかも」

「あ、それはちょっと、寂しいかも」

 あ、それは寂しいんだ。

「何で、寂しいの?」

「何でって……。今日の琉希、どうしたの?しつこいし、らしくないよ?」

 話を逸らされた。しつこいって? そりゃそうだ。今日は絶対に関係性を進めるって決めて来たんだから。今の段階で好きなんて言われるわけがないって分かってる。でもどうにかして関係性を進展させたい。

「そういえば。秋斗が恵実に告白する時、試しに付き合ってみない?って秋斗が提案してたような気がするんだよね」

「え、そうだっけ? あの2人誰がどう見ても両想いだったから、くっつくのも時間の問題だと思ってたけど。秋斗から恵実に告白したのね」

 杏子が遠い目をしている。秋斗と恵実は初等部から高等部まで一緒だった旧友だ。初等部時代から両想いだったけれど、ライバルが多かったからなのか、秋斗の病気が重かったのか、なかなか交際には至らなかった。それが高校生になってようやく付き合い始め、大学時代の遠距離恋愛を経て2年前に結婚した、それはそれはもうピュアピュアなカップルだ。

「秋斗と恵実も幼馴染だったよね、たしか」

「確かに、そうだけども?」

「あと、夏紀と乃亜も、大学時代に乃亜が夏紀に試しでいいので、付き合ってください!って告白して、夏紀が折れて、付き合い始めたら案外ラブラブカップルになってるし」

 乃亜は夏紀に初等部時代から片想いしていたけれど、残念なことに夏紀は亡くなった幼馴染のことがまだ好きで、しかも彼女の命日と誕生日が同じ乃亜にいい感情を持っていなかった。一時期、恵実に想いを寄せていたこともあったけれど、それは幼馴染への叶わない想いからの現実逃避だと夏紀は自覚し、中学生ごろに恵実のことを諦める。逆に、諦めた方が楽になれるよと周りがあれだけ言っていたのにめげなくて、それが大学時代にようやく実った乃亜はある意味勇者だ。しかも今では、夏紀の方が惚れているらしく、会う度に惚気話をしてくる。その度に、こんなラブラブになるんなら、もっと前に付き合っとけばよかったのに、とみんなで茶々を入れるけども。

「それはそうだけども」

「僕たち、付き合ったら杏子が思ってるより意外と上手くいくと思うよ?」

 その発言を聞いて、杏子の目が点になる。

「え、でも琉希、好きな人いるって……」

「うん、そうだけど?」

「好きな人いるのに、私と付き合うの?」

 あー、やっぱりまだ気づかないんだ。

「杏子、僕が好きな人ってどんな人か知ってる?」

「えっと、名前は知らないけど。歳の割には落ち着いてて、学生時代とかは委員長とかやるタイプで、周りの人のことが放っておけなくて、なのに自分のことには無頓着で、年下からしか好かれず、好きになった年上の彼氏にはいつも可愛い女の子が好きだからって振られるけど本人の前では泣かないから琉希の前でばかりお酒飲んだ弾みに泣いちゃう、本人はめんどくさいタイプだって思ってるけどちょっと乙女チックな昔馴染みだっけ?」

「うん、まあまあ正解」

 やっぱり、名前までは把握されてなかったみたいだ。残念。

「ところでさ、僕と杏子って仲良いよね? 少なくとも杏子が警戒心を持たずに家に上げて2人きりで一緒にお酒飲んじゃうくらいには」

 家、2人きり、お酒、にわざとアクセントを置いて言ってみる。

「ん? 琉希の好きな人の話してなかったっけ?」

「それは、今は、いいから」

「え、いいの……?」

 杏子の当惑した顔を無視して、半ば強引に話を持っていく。ごめん、杏子。あともう少しだから。

「とにかく、僕たちは仲いいよね? なのにさ、僕のほぼ全部の人間関係を把握してる杏子が唯一把握できていない、その条件に当てはまる人って誰だろうね?」

「ん? 待って。琉希の好きな人って、私の知ってる人?」

 恐る恐る訊ねる杏子に、「知ってるどころじゃないよ、めちゃくちゃ身近な人だよ」と返す。

「え、琉音ちゃんは妹だから違うし、夏架ちゃんとか?」

「外れ。確かに夏架もしっかりしてるけど」

「え、他に思いつかないんだけど。本当に誰?」

「ねぇ、本当にわからない?」

 僕はそう言って、杏子の目を覗き込む。きょとんとした顔の杏子が瞳ごしに、苦虫を噛み締めているのを耐えているような顔をした僕が映る。




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