第10話 多城可奈は菱沼エミルのアレだけは許せない

「……ただいま」


「可奈ちゃん、おかえりー。おやつすぐ食べる?」


 多城たしろ可奈かなが帰宅すると、母親が笑顔で出迎えた。


「今日はおやついらない。ちょっとゆっくりお風呂に入りたいから」


「あら。お疲れさまー?」


 母親はすぐに浴室へ湯を張りに向かった。


 可奈は手洗いうがいをすませると、すぐに二階にある自分の部屋に入った。


 可奈の部屋には、シングルベッド、学習机、本棚、タンス、飾り棚、今はたたんでいる折りたたみの小さなピンク色のちゃぶ台がある。


 窓には明るい色のカーテンがひらひら揺れ、床にはふわふわラグの上に、お気に入りのクッションがふたつ、よりそっている。


 母親がマメに換気や掃除をしているので、部屋の空気がよどむこともなく、いつでも清潔だ。


 のろのろ制服を脱いで、しわにならないようにハンガーへかけていた可奈の手が止まった。


(自分の部屋がなかったら、私の物はどこに置くんだろ? リビング?)


 可奈はひとりっ子だ。

 タンスや本棚などは昔からある物だが、学習机は小学校入学前に親と一緒に選んだ。カーテンは中学校入学時に可奈好みに新調してもらったし、ラグは高校合格記念に可奈が厳選した一品を親に買ってもらった。


 小さい頃は、本棚に絵本とおもちゃがつまっていて、この部屋ではよく、友達と人形遊びやお泊まり会をした。


 大きくなってからは、お菓子をつまみながら友達とおしゃべりする空間で、一人でスマホ片手にだらだら過ごせもするし、夜中まで集中して勉強できる場所でもある。


 自分の部屋に入ると、より「帰ってきた」と感じるし、なによりほっとできる大事な空間だ。


 入浴準備をして階段を降りる途中、階段の壁に掛けている、家族で仕上げた大きなジグソーパズルが目に入った。


 高校受験が始まるまでは、よく家族そろってパズルを埋めていた。

 今思えば、パズルを完成させる過程が好きなのももちろんながら、みんなでピースを探しつつ他愛ないことを話すのが楽しかったのかもしれない。


 父親は名画好きだが、本物の名画はおいそれとは買えない。母親と可奈は動物好きだが、アレルギー持ちなので飼えない。


 だから多城家にはジグソーパズルがちょうど良かった。

 パズルを埋める時間は、父親が名画のうんちくを、母親と可奈が動物愛を、それぞれ他愛ない日常の小ネタを家族で披露し合う場でもあったのだ。


 可奈が浴室のドアを開くとあざやかな香りが広がった。


(あ、これお高い方のバスボムだ)


 母親が特別なときに使うからと、普段は使わず大事に置いているブランドのバスボム。


 可奈は、まだたまりきっていない湯船に半身浴状態につかった。

 早くて三十分、長ければ二時間近く、最近の可奈は浴室に籠もる。


 可奈が中学生になってからはジグソーパズルをすることが減り、高校に入学してからは新しいパズルを買うこともなくなった。


 両親と話す機会があるとはいえ、朝は忙しいし、おやつも最近の可奈はスマホ片手で食べるか、自分の部屋に持って上がるようにしていた。


 クラスで仲間外れにされるようになってからは、なにもないフリをするので精一杯なのだ。


 どうしても両親と顔を合わせる夕飯中は「お腹痛いから」「テスト近いから」「宿題多いから」と理由をつけて、事務的な会話だけをして短く切り上げている。


 ヘタに長く話せば、前振りなく涙をこぼしてしまいそうなのだ。両親に心配をかけたくない可奈は、顔を合わせる時間を最小限にして、隠しているつもりだった。


 母親は、最近ずっと元気のない可奈に気づいてはいたものの、それとなく聞いてもはぐらかされ、やきもきしていた。

 せめて少しでも元気になってほしいと、特別なバスボムを使ったのだ。

 

(そういえば「可奈ちゃんいいなー」ってよく言われてたな。遊びに行く近所の友達はみんな一戸建てに住んでて自分の部屋も持ってた。「うちは狭いからうちでは集まれないよ〜」っていう子の家には入ったこともなかったから、私は「うちのなにがそんなにいいの? 他の子の家とそこまで違わないよね」としか思ってなかった。もしかしたら、あの子たちも、自分だけの部屋がなかったのかな)


 完成させるまで何日も広げた状態で置いておくジクソーパズルは場所をとる。小さい子がいたらすぐバラバラにしてしまうだろうし、そもそもゆっくりパズルを触る時間さえとれないんじゃないか、と可奈は今さら思う。


 お風呂にしても、父親が入るのは帰宅してすぐ、母親は眠る前と、使用時間がずれているから、いま可奈が浴室を長時間占領できるのだ。


 もし可奈に姉妹がいれば、お風呂に一緒に入るか、順番に入るかになり、今みたいに一人でのんびり入浴することはできないだろう。


 可奈がお風呂から上がるまでに母親が夕飯を作り終わるので、可奈が夕飯作りを手伝うのは、せいぜいカトラリーを並べたり、配膳したり、飲み物をいれて運んだりするくらい。


 夕飯後は食器を洗うこともあるが、テスト期間中やSNSが忙しいと言えば、「勉強がんばってね」「こじれる前に返信したほうが良いよ」と、免除される。


 それが可奈にとっての普通だった。


 塾に通っていた中学生時分、自習室を使う子がいるのは知っていたし、友達に誘われて使ったこともあるけれど、可奈は自分の部屋で勉強する方が好きだったので、自分からわざわざ自習室を使う意味がわからなかった。


(もし私の部屋がなかったら、どこで予習や宿題をしよう? 学校や図書館の自習室より、家のリビングか台所の方がマシかなぁ。でも、親の気配がある中で集中できるかは微妙かも)


 可奈は帰る途中も、ずっと菱沼の家庭環境について考えていた。


 可奈が小学生の頃は「兄弟がいる方が楽しそう」と思っていた。


(だってみんな、口では「きらい!」って言うけど、なんだかんだで最終的にかばうんだもん)


 両親の他にも絶対的な味方がいるみたいで、可奈はうらやましいと感じていた。


 大きくなるにつれて「ガチでマジムカつく!」になるんだと聞いても、「私なら仲良くするのになぁ」と架空のやりとりを妄想するくらいには、可奈は兄弟に夢を見ていた。


 そんな可奈だが、菱沼の身の上話を聞いて一番気になったのは、菱沼の家が絶対人数に対して狭そうなことでもなく、兄弟が多いことでもなかった。


「あの髪だけはゆるせない!」

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