第2話 七瀬りりかはギャル子の宮森千鶴を誤解していた

「これ無理ゲーじゃん」


 放課後、私は小説サイトにアップしていた自分の小説へのPVをスマホで確認して、ぱったりと教室の机につっぷした。


 文学オタクでもない私がなんで小説サイトに投稿してるのかっていうと、同じ学年にいる子がそこに小説を投稿してるって噂を聞いたから。


 噂を聞いて、すぐさま誰が書いてんのか確かめに行った。


 え? あのネクラそうな子? マジで?


 伸ばしっぱなしの髪で顔がハッキリ見えない、あんまり関わりたくない見た目の子だった。

 あんな子がスゴいPVとか、ありえないんだけど。

 あぁ、だから噂どまりなのか。


 私は、小説はどうでもよくて、PVがうらやましい。だって、それだけ注目されてるってことだから。

 

 中学校時代の自分は『勉強のできる特別な子』で、いつでも注目をあびていた。

 でも、この高校に入ってからは『勉強はできて普通』なのだ。


 だから、部活必須のこの学校では、多くの子が部活で自分をアピールしている。

 部活動は控えめなクラスメイトも、コスメオタクとか映画オタクとか、漫画、ドラマ、アイドル、ゲーム、イラスト、歴史……。

 とにかく、みんななにかのオタクで、勉強だけしかしていない子はいない。


 そうしないと『自分』が『その他大勢』になっちゃうから。

 私だって『普通のその他大勢の自分』より『特別な自分』でいたい。


 アメリカの心理学者マズローの学説に『欲求階層』がある。


 お腹が満たされ(①生理的欲求)、安全に暮らせたら(②安全欲求)、どこかに所属して誰かと関わりたくなって(③親和欲求)、誰かから価値ある存在と認められながら(④承認欲求)、自分の能力で創造的なことをしたくなる(⑤自己実現)、というものだ。


 最初のひとつが満たされると、自然と次のことを満たしたくなるらしい。


 それを知った時、私は最初のみっつまでは満たされているから、次の『誰かから認められたい』という『承認欲求』が強くなっているのだと思った。


 でも、この学校で誰かに認められることは難しい。

 オタクになるしかないんだってわかったものの、私はずっと勉強ばっかりで無趣味だったから。いざオタクになろうとしても、どうしていいかさえわからなくて困った。


 そんなとき、部活の課題に『みんなの好きなものを調べる』が出た。

 ちょうどいい。「部活で趣味を調べてるから参考にさせて」と、あちこちすでにできあがっているクラスメイトのグループから、取材がてら話を聞かせてもらった。


 うん。無理。 

 延々とわけのわからない話をされるのは苦痛でしかない。

 あの話の輪に入るには予備知識がいる。

 かといって、話に入るためだけに興味もないことを調べるのもツラい。


 もっと簡単に手っ取り早い方法ないの?


 そう考えているときにあの噂を聞いて、ひらめいた。

 別に学校で認められなくてもいいんだ! 今はネットがある!


 もちろん、動画の世界が厳しいのは知っている。

 すでにやりつくされていて、新しいネタなんか思い浮かばない。浮かぶくらいならもうやってる。

 楽器も絵も歌も特別うまいわけじゃないけど、作文なら得意だから小説も書けるはず。

 あんな子がスゴいPV出せるんだったら余裕でしょ。

 

 一日目…………0PV

 二日目…………0PV

  ・

  ・

 一週間目………1PV


 これ、おかしくない? 私のとこだけバグってんじゃないの?

 

 そんなことないってわかってるけど、恥ずかしいから誰かにグチるわけにもいかない。

 仕方なく作品数だけ増やしていたら、ちょっとだけ増えた。

 それでもフタケタ止まりとか……泣ける。

 

「あーーもーー」


 机の向こうに伸ばした手が通りすがりの誰かに当たった。

 バサバサッと紙類が落ちる音が聞こえて、慌てて顔を上げる。


「ごめん!」


「や、いーけど」


 げ。ギャル子こと宮森みやもり千鶴ちづるだ。

 宮森は今時ガングロメイクで放課後になると制服着崩してる問題児。

 なんか絶対いかがわしいことしてそうで関わりたくない。


 おかたい進学校にそんな子いるとは思ってなかったのは私だけじゃなかったみたいで。「あのコ、放課後ナニやってんだろ」って、みんな遠巻きにしてて、宮森が用事以外で誰かと話してるところを見たことがない。

 ちゃんと宮森とは無関係だってアピッとかないと、こっちの身もヤバい。


「ほんとごめんね! 拾うの手伝うから」


「あ」

「これって」


 教室の床に落としてしまった、宮森が図書室から借りたらしい本を拾い上げていると、私も読んだことのある心理学の本があった。

 だから手渡す時にポロッと口からこぼれていた。

 

「心理学に興味があるんだ」


「あー、興味っていうか、人を殺す時の気持ちがわからなくて」


「え」


 コワッ! いやそれ、知ってたらヤバいでしょ!


「あ、違うし! サイコホラーの主人公の気持ちがわからないってだけだし!」


「あ、ああー。うん。サイコホラーね。サイコホラー、確かに最近多いみたいだね」


 私はこの間、聞きかじったばかりの知識を思い出した。

 

「多いってことは流行はやってるんだと思って読んでみた。けど、理解できなくって」


 私が話を聞いたのは映画好きなグループからだったけど、確か最近人気だったサイコホラー映画の原作は小説だったはずだ。


「小説が好きなんだ?」


「んー? 好きなのは絶叫マシンとか、お化け屋敷とか?」


「……叫ぶのが好きなんだ?」


「叫ばなくてもいーよ。ブランコとか」


 いやいやブランコどこから来たよ?

 共通項がわかんないんだけど!


「お腹がゾワゾワするってゆーの? あーゆー感じが好き」


「なるほど。あーゆーのね」


「でも、このナリでブランコとか恥ずいし。絶叫マシンもお化け屋敷もこのへんにないし」


 ないね。観覧車はあるし、夏になればお化け屋敷イベントが開かれる時もあるけど、ずっとはやってない。


「たまたまあった小説読んだらゾワゾワして。それからホラー読んでんの」


 意外な出発点だったけど、言われてみれば同じ感じがするのかも?

 私はそういう視点で本を読んだことなかったな。


「でも、サイコホラーだけは読んでもよくわかんなくて」


「ふぅん。ホラーも色々あるんだね。私なんか、ホラーとミステリーの違いもわかってないかも」


「んー、ミステリーはパズルが埋まっていく感じで、ホラーはゾワゾワが下からたまっていく感じ? アタシはホラーのが好きかなー」


「へぇえ」


 そう説明されると、なんとなく違いがわかった気がした。

 

「古い建物とか、いにしえのなにかが絡んでるのがいーんだけど、なかなか好みの見つけらんなくて」


「古代遺跡を舞台にしたアクション映画のホラー版みたいな?」

 

 そういや遺跡が舞台の映画話も聞いたな、と思い出して言っただけなんだけど。


「そう! それ! スゴい読みたい! 知ってんの?」


「知らない」


 だから私はホラーって、あんま読んだことないんだってば!


「そっかー。部活にいる子にも聞いたんだけど、あんまホラー読んでる子いなくて」


「なに部だっけ?」


「文芸部」


「えぇ意外! あ、いや、ほら、宮森、運動できる系だから。てっきり体を動かす系だと思ってた」


「んー? もっと気軽な運動部だったら体操に入りたかったかな」


 お世辞じゃなく、私から見ても宮森はスタイルも運動神経もいい。普通の部活でなら選手に選ばれるレベルなのに、ウチの運動部、そっちで就職とか世界選手権とかオリンピックとか狙うガチ勢の巣窟だ。


「そいや、アンタは部活、どこ?」


「英語部。あ、ESSの方ね」


 ウチの英語部はESS(交流重視)、TOEIC特化(勉強重視)、ディベート(討論重視)に別れていて、英語部で花形なのはディベート大会出場者で、有名なのはTOEICの成績なんだよね。

 

「海外の大学か移住ねらってんの?」


「さすがにそこまでは。せいぜい留学かワーホリだよ。ちょっと長い海外旅行な生活してみたかったからESSに入ったんだけど。コロナで旅行感ゼロがツラい」


「あー。今は仕方ないねー」


「現地に行って、海外の人と話したりふれあったりしたかったんだけどね」


 PCを通して海外との交流はあっても、直接じゃないからテンションは下がる。

 海外に行って、違う土地の風を感じながら、違う人種と直接顔を見て言葉を交わしたいのは、私のどうしようもない欲求だ。

 こればっかりは理屈じゃない。

 

「あのさ……これ」


 宮森はぺったんカバンから薄い紙束を出した。


「良かったら読んで」


「え?」


「もう時間だし。じゃねー」


 いつの間にか誰もいなくなっていた放課後の教室に取り残された私は、席に座り直して紙束に目を落とした。


 今の話の流れから海外に関するものだと思ったんだけど、紙束には日本語が書かれている。

 縦書きに印刷されたもので、タイトルも筆名もない。

 筆跡もわからないから、誰の作品かまったくわからない。

 まぁ筆者がわかったところで、私が知ってるとは限らないんだけど。


 数行を目で追うと、短い文章が並んでいる。

 けっこうかたい文章だから論文? ううん、この感じは紀行文かな?


 短そうだし、内容が気になったしで、読むことにした。


   ※


 翌朝、宮森が教室に入るなり声をかけた。


「あれ読んだよ! あれの舞台ってアイルランドだよね?」


「わかるとか、スゴすぎ」


「地名出てたから。昔どこかで人なつっこい国民性って聞いて、いつか行きたくて調べてたんだよ。でも、あんな怖いこと起こるんだったら、考え直そうかと」


「ちょ、待って! あれただのお話だし!」


「あ、実話じゃないんだ。良かった~」


 平和で自然豊かな田舎村に妖精伝説とか出てきて、うーんメルヘンとか思ってたら血みどろの惨劇とか、マジ勘弁。


「怖かった?」


「怖かったよ!」


「ゾワゾワ、した?」


 なんでそんな期待するような目で……って、あ!


「もしかして、あれ書いたのって」


「アタシ」

 

 マジでぇ?

 端的で男性ぽい文章だったから、数少ない男性教諭の文芸部顧問か、誰かのリアル旅行記かなんかかと思ってたよ。

 

 目を丸くする私に、宮森はもっと驚くことを口にした。


「その知識を見込んで、お願い! アタシに海外のこと教えて!」


「え?」


「アタシが読みたいホラー自分で書きたいから、詳しい海外の話を知りたい。話すのメンドかったら、資料だけでも教えてもらえたら、助かる。自分一人で一から調べるの思ってたよりも大変で」


 目の前できゅっと真剣な顔をして言う宮森を、私は初めてちゃんと見た気がした。


 至近距離でじっくり見たら、浅黒いのは地肌みたいで、化粧は全然してなかった。

 うわぁバシバシまつげ天然モノだったんだ。マスクで隠されててもわかる顔の彫りの深さだから、クォーターとか海外の血が入ってるのかもしれない。


 朝だからか制服も着崩してなくて、普通の、私と同じ女子高生だった。


「……なんで制服、放課後、着崩してんの?」


 つい口から出た質問に、宮森は「今そこ気にするとこ?」と不思議そうにしながらもすぐに答えてくれた。


「そうしないと集中できないから。入学時に頼みこんで、私のユニフォーム扱いにしてもらってる。なかなか許可でなくて、粘りにねばって、最終的には校門出る前にちゃんと直すことで同意してもらった」


 そうだったんだ。

 放課後だけじゃなくて、授業中とかテスト中とかも着崩していたらしいけど、気づかなかった。


 確かに冷静になって考えたら、先生方から許可が出てなければ、制服を着崩したままでいることさえできないのに。

 私はなにを勝手に妄想たくましくしてたんだろう。


 妄想といえば、宮森が書いていたアイルランドは素敵だった。

 それこそ本当にその地に立っているみたいに感じた。


「海外のこと教えたら、また小説、読ませてくれる?」


「! もちろん!!」


 それから、宮森は私と一緒に話すことが多くなって、クラスにも馴染んだ。

 私の説明だけじゃ足りなくなって英語部に連れて行ったら、英語部のみんなも喜んでそれぞれの好きな海外の話をしてくれた。

 ESSに入るだけあって、みんなにも憧れの土地があり、旅行気分を味わいたかったようだ。


 チーヅ(宮森千鶴なのと小説内容がいつも出血多量だから。ちなみに私、七瀬ななせりりかはナリナリになった……)はとても感謝してくれて、それぞれの地を舞台に、血湧き肉躍る(チーヅ談)ホラーを書いてくれた。


「ぎゃー! また死んだ!」

「記録更新じゃん!」

「ちょ、まだ序盤なのに」

「待って! みんなお口チャック! ネタバレ禁止!」


 英語部のみんなは、強烈なチーヅホラー小説のおかげで、旅行気分を味わえ、海外知識と英語も忘れられなくてちょうどいいと絶賛した。


 そうこうしているうちに、私からはすっかり「自分で小説を書いてPVを集めたい」という気持ちがなくなっていた。


 もしかしたら、欲求階層の『お腹が満たされ(①生理的欲求)、安全に暮らせたら(②安全欲求)、どこかに所属して誰かと関わりたくなって(③親和欲求)、誰かから価値ある存在と認められながら(④承認欲求)、自分の能力で創造的なことをしたくなる(⑤自己実現)』のうち、私は親和欲求まで満たされていると思っていたけれども、そこがまだ足りていなかったのかもしれない。


 でもなぜか、親和欲求が満たされた今の自分も、「PVがないと特別な自分になれない」とは思わないのだ。

 

「ナリナリたちのおかげで今回もいー感じに書けたよ、読む?」


「読むよむ! あー、あそこがどういう風に書かれているか楽しみだな」


 ぱらり、と印刷された紙をめくる私に、チーヅは言った。


「いつかさ、一緒に海外取材旅行に行こーよ」


「いいね! それまでにお金ためて英語もバッチリにしとくよ!」


 きっとチーヅは二人でまわった土地を舞台にすごいホラーを書いてくれるだろう。

 そんな遠くない未来が待ち遠しい。

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