断ち切りたいオモイ 2

「うちの子が、うちの子がまだ帰ってないんです!」


「まさか森の方へ行ったのか!?」


「確かあの森……最近魔獣がよく出るようになったって……」



 いつもの2人だけの訓練を終え、既に日が落ちた帰り道。大人達のそんな声が聞こえたのだ。

 どんな状況なのかは分からなかったが、断片的な情報でリスカは判断した。


 あぁ、もう死んでるだろうなぁと。


 悲痛な声を漏らしている女性の娘は確か6歳くらいだったろうか? どんなことがあって夜の森にまで行ってしまったのか分からないが、最近は夜行性の魔獣が活発化していてたまに村まで降りてくることがあった。別に小型の魔獣なら村にだって魔術は使えるものはいるし、そんなモノなくても十分に倒せるが、何も持たないただの子供では一瞬で殺される。

 探しに行くにしても夜に行くのは危険過ぎる。誰もが明日の朝から捜索を始めるだろう。つまり、村のどこかに隠れていただけなんて言う優しい現実でもない限りは見つかるのは無惨な死体だけだろう。


「…………へ?」


 ぼーっと、ただそんなことを考えながら。

 先程まで隣にいた少年が走り出すのを見て声を漏らしてしまった。


 家に向かって? 

 いや違う。自分と少年の家はすぐ近くなのだから少年が素っ頓狂な方向に走り出したことくらいすぐに分かる。

 リスカは少年がどういう人間なのかを知っている。救いようがない馬鹿で、底抜けの善性を持つ、笑顔が良く似合う男の子。

そんな彼がどのような行動をするかなんて、ちょっと考えればわかる事だった。


「ちょっと! 待ちなさい!」


 森へ向かって走る少年の背中をリスカは追いかける。

 当然ながら、少年はリスカよりも足が遅い。それどころか少年が自分に優っている点なんてリスカは知らなかったし、知りたくもなかった。


 剣を振れば自分が勝つ。

 学を競えど自分が勝つ。

 何をしようとも自分の方が優れているのに、何をしようとも自分よりも劣っているはずの彼に。


 リスカ・カットバーンは追いつけなかった。


 1歩進むごとに現世と隔絶された異界のようになっていく夜の森。

 静寂が耳を犯し、暗黒が呼吸を絞るその世界で、リスカの足は前に進むことを恐れた。簡単に言ってしまえば、こんな子供が夜の森に行くのなんて怖くて当然だった。


 ああ、そうだ。怖い、怖いに決まっている。こんな暗闇を、瞬きの後に首元に獣が食らいついてもおかしくないこの状況で、なんで。なんでスピードを緩めずに走っていられるんだろう? 


「──────はぁ……はぁ……」


 誰かを追いかけて追いつけないのなんて、生まれて初めてだった。

 それどころか、膝に手を突いて肩で呼吸をするのも、追いかけた相手の背中を見失うのも、暗い夜の森で帰り道を見失う程夢中で走ったのも、何もかも初めてで、理解のできない焦燥感と苛立ちで吐いてしまいそうだった。


「……あー、クソ、アイツどこ行ったのよ」


 誰に向けるわけでもなく呟いた独り言。

 返答は獣の遠吠えと自分より小さな女の子の悲鳴、そして血の匂い。


 あぁ、間に合わなかったのかという気持ちが一瞬。鼻腔に届いた匂いでかき消された。

 血の匂い。リスカが最初思った通りの結末が起きたのならば当然ながらするであろう匂い。だが、この血の匂いは違う。リスカが想像していなかった匂い、嗅ぎたくない、ずっと嗅いでいたい匂い。



 月明かりもない夜の森の景色が一瞬で全て顕になる。

 感覚が研ぎ澄まされて、リスカ・カットバーンは燃えるような血潮を滾らせながら駆ける、跳ぶ。


 見つけたのは目に涙を浮かべて震えている女の子。それを庇うようにして立ち、腕から血を流しているアイツ、そしてその2人を獲物と見定めた血に飢えた魔獣。

 初めて見た生きている魔獣は、本当に恐ろしかった。牙も爪も、容易く人の皮膚を割いてしまえるくらい鋭く、隆起した筋肉と堅牢な毛皮が無力なヒトでは何も出来ずに噛み殺されてしまうことを伝えてくる。


 だから、リスカ・カットバーンはその場に居合わせた普通の女の子として、当たり前の行動をした。



「おい、クソ犬」



 獣が振り返る。


 目が合う。


 そして、畏れる。







「こっちが相手だ」








 気がついた時には、目の前にあったのは魔獣だった肉の塊。

 牙も爪も折れ、ひしゃげた頭部から緑と青の何かを撒き散らして、強靭だった手足をビクビクと震わせている何か。


 傷一つない少女は、獣を殴り殺した両の拳を見て、ぼんやりと少し皮が剥けたなぁと考えていた。











「んー……何か忘れているような気が……」



 一通り剣を振り、走り回ったリスカはお腹が減ったので宿に戻ることにした。

 既に自分が仲間を一人追放しようとした事実は完全に忘れ、夜に日記を綴ろうとする時まで思い出すことは無い。リスカ・カットバーンとはそういう女である。



「まぁいいや。それより出てきなよ」



 虚空に彼女が声をかけると、カーテンを開くように景色が歪みその内側から異形の者が現れる。

 全身を鎧で覆っているが、兜より突き出した角やシルエットの骨格だけでそれが人間ではないことは一目瞭然であった。


 魔族。


 魔獣の中で、人間を模倣することと魔術に長けた個体の総称とされている。

優れた知性と身体能力を持ち、時として人間と同じように魔術すら扱うこともある。


「さすがは『勇者』の一人。我が擬態に気が付くとは」


「アンタ達の獣臭さに気付かない方がおかしいよ。それで? なんでコソコソ私をつけてきたわけ?」


「それよりも、自己紹介といきましょう。我は『万解大公ベルティオ』様の遣いにして、部隊長をさせて頂いているロジンです。そちらは?」


「はぁ……知っているだろうけど、リスカだよ」


 リスカは魔族と話すのが苦手だった。

 あの日から、リスカは魔族が大嫌いだし、何より本当に腐った果実のような最悪の臭いが常にするのだ。


 それに、勇者として多くの魔族と戦ってきたからこそ、会話ということの無意味さを知っている。


「バンカイタイコー……あぁ、なんだっけ、四天王の一角にそんなのいたね」


「魔王様の気まぐれで今は八大将です。定期的に名が変わるので我らは幹部と呼んでいますが。……全く、その強さは信頼しますが、本当に困ったお方だ。魔王軍の威光である幹部をあんなにポンポンと増やしてしまうなんて……」


 頭を悩ますような仕草をするロジンは、その異形さえなければまるで本当に人間のような、人間臭さがあった。


 だからこそ、リスカは本当に心の底から気持ち悪いと感じた。


「…………人間のフリはおしまい? んじゃ、殺すね」


「おっと、人間らしい演技はヒトに効果的だと思いましたが、さすが勇者様」


 魔族はヒトを模す魔物。

 彼らなりの価値観や倫理を持つものの、基本的に魔王という存在さえ居なければ社会さえ形成しない獣の名前。

 もしも彼らに人間らしさを感じたのならば、その全ては相手を油断させるための演技である。何故ならば、それが最も獲物ニンゲンを狩るのに効果的だと知っているからだ。


「……今回の目的はあくまで小手調べです。かの『視殺のエウレア』様を殺した、人界最強の一人と言われる勇者、貴方の実力を」


「エウレア……誰だっけ? まぁいいか。とりあえず、やるんでしょ?」


 リスカは剣を抜き、片手で持って軽く構える。

 対するロジンも、虚空から大剣を取り出して人間の武術には見られない独特な構えを取った。


「…………魔族のくせに剣を主武装にしてるの?」


「ええ。強者が技を身につければ、弱者が強者に勝てる要素は万に一つもなくなりますゆえ。この剣技は、人より長い命で積み重ねた誇りでもあります」


 兜の奥でその口端が醜く釣り上がるのを、リスカは肌で感じた。

 それと同時に、ロジンの剣からなんの前触れもなく炎が吐き出され、目の前の勇者を灰にせんと殺到する。


 誇りだなんだと言った口ですぐに不意打ちをしてくる生き物。魔族をそう認識していたリスカは、当然のように身を翻して斜線上から飛び出していた。


「なるほど素早い。ですがこれはどうでしょうか?」


 飛び退いたことで体勢を崩したリスカを待ち構えていたかのようにロジンは大剣を振り下ろした。

 二倍近い体格差。その上で、全力で振り下ろされる大剣。いくらリスカが『勇者』と持て囃されていようが関係ない。咄嗟に剣で受け止めようが、その努力ごと目の前の人間を叩き切る自信が魔族にはあった。



 金属がぶつかり合う甲高い音は響かなかった。

 ただ滑らかに、なんの障害もなかったかのように魔族の剣は、勇者に向かって振り下ろされた。


「…………何故、だ?」


 疑問を口にしたのは、魔族だった。

 大剣を振り下ろし、なんの障害もないかのように滑らかに、それは振り下ろされたはずだ。事実として魔族の腕には剣が何かにぶつかったかのような感触はなかった。



 それもそのはず。

 魔族の剣は、勇者が防御の為に構えた剣と接触し、なんの抵抗もなく



「何故、我の剣が折れて、いや斬られている!?」



 理解が出来ない。

 何度見ても勇者が構えた剣は魔剣の類ではない、それどころか勇者と呼ばれる存在が持つのに相応しいとすら言えない、そこらへんに転がっている雑な作りの剣。魔族の刀匠が永い時間をかけ丁寧に作り出された自らの剣が、鍔迫り合いにすらならずに切断されるなんて「有り得ない」



「ッ!」


「有り得ない、そう思ってるんでしょ?」



 勇者が笑っている。

 楽しそうに、本当に楽しそうに。子供のように笑っている。


 ただ人間が口角を釣り上げているだけ。

 ただ人間がこちらを見ているだけ。


 それだけの事なのに、魔族は気が付けば一歩後ろに下がっていた。

 瞬時に思考を巡らせる。この勇者が『祝福』を授けられているのは間違いない。だが、その効果は不明である。それを解き明かすのが自らの役目。

 だが、このままでは殺されると直感が告げている。最低限の情報を得た今、撤退するのが正しい選択だと。



「逃がさないよ」



 氷柱で背中を抉られるかのような不快感が魔族の心臓を満たし、その足をもう一歩後ろへと下げる……ことは無かった。


 ガクン、と。

 膝から力が抜けて魔族は地面へと転がった。

 否、膝から力が抜けたのではない。膝から下がもう二度と自らの意思で力を込めることが出来なくなった、有り体に言えば、いつの間にか切断されていたのだ。



「グ、ォ、グオオォァァァァ!?」



 なんだ? 何をされた? 

 剣を振ったにしても早すぎて見えない、魔術を使った痕跡はない。足を覆っていた鎧も、自らの足も溢れ出す緑色の血液を除けば、その断面は初めからそうであったかのように綺麗なモノで、それが逆に勇者が何をしたのかの答えを遠ざけていた。



「どうしたの? ほら、ご自慢の剣を振ってみせてよ? 万に一つも負けなくなるような、ご自慢の技をさ?」


「グ、貴様ァ!」



 魔族の足の傷口に蹴りを入れながら、勇者は剣をそこら辺に放り投げて、地面に転がるその無様な姿を見下ろしていた。

 殺されていないのは慈悲などではない。単なる辱め、命を奪われるよりも辛い、尊厳を奪われる痛み。勇者はそれをよく理解していた。たとえ魔族が表面上でしかそんなものを理解していなかったとしても、勇者はその行為をやめはしない。


 わかっていた。魔族が激怒している理由は、辱められていることでは無いことに。


「──────油断したな?」


 魔族の声から苦痛に悶える色も、憤怒に染まる色も消える。

 ただ淡々と、死にかけの獲物の前に油断した敵を愚かだと思いながら、浮かび上がり、謀反でも起こしたように勇者の首へと飛んでいった。



「なーにが剣に誇りよ。これ、『自分が振る威力をそのままに剣を操れる魔術』でしょ?前にも、同じことをしてきた奴がいた」



 勇者の首に、勇者が口にした通りの魔族の魔術によって操られた勇者の剣が直撃した。

 だと言うのに、何故かその刃は勇者の首の薄皮一枚も切り裂けずに停止していた。


「…………?」


「ちょ、鬱陶しいからやめ、やめろ!!!」


 首を傾げながら、魔族は魔術を使い勇者の全身に剣を叩きつける。


 頭、髪の毛すら切れない。

 腕、切れない。

 足、切れない。

 背中、切れない。

 服、切れない。


 切れない切れない切れない切れない切れない切れない。



「物理干渉無効? いや、『祝福』ならばそこまでのモノはありえないはずだ。なんだ? 一体どのような仕掛けだ?」


「……はぁ、無理って言ってんじゃんもう諦めてよ」


 周囲を飛び回る凶器を虫でも払うかのように扱い、勇者は魔族と視線を合わせる。



「でもいい線いってるよ。私の『祝福』はそんな大層なものじゃない」


勇者が天より授けられた力『祝福』。

物理法則を捻じ曲げ、己の法則で世界を覆す力。


「硬質化? いや、それでは辻褄が合わない部分が……ではなんだ、何をしている?」


「…………つまんな。死ねよ」



 勇者が横に腕を薙ぐと、魔族の首が胴体から離れその肉体は屍となった。


 かくして魔族の襲撃は終わり、この程度のことは勇者の日記には書かれず、この日の日記の内容は『訓練をしました』とだけ綴られ、殺したことすら明日には忘れる。リスカ・カットバーンはそう言う女だ。



「……あ、『視殺のエウレア』ってアイツか。嫌なこと思い出した」


 今しがた死んだ魔族が口にしていた名前を、なんとなくこのタイミングで思い出した。


 魔王軍幹部『視殺のエウレア』。

 かつてそう名乗っていた魔族を殺した事を思い出すことを引き換えに、勇者は一つの死を完全に忘却した。

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