断ち切りたいオモイ 1

 幼い頃から私はずっと『イチバン』だった。



 リスカ・カットバーンが生まれたのは小さな村。

 小さいけれど暮らしはそれなりに豊かで、彼女は学びたいことをある程度学べる環境にいた。彼女はやりたいことをある程度やれる環境にいた。そして、彼女は生まれつき多くの才能にも恵まれた。


 言われたこと、読んだことは一度で全部覚えられたし、体を動かせばその動きを一度で理解し、二度で昇華し、三度目では他者の理解の追いつかない境地へと至ることが出来る。

 多くの人が『神童』と彼女を持て囃し、彼女はそれを聞いて全くその通りだと思って、調子に乗り、傲慢に育ち、それでもなお許されるだけの力を得ていった。



「お父さん、そいつら誰?」



 ある日、父親が知らない人間3人と話しているところを彼女は見かけた。

 中肉中背の自分の両親と同じくらいの年齢のパッとしない男女。多分自分ならば秒で倒せる弱いヤツ。そしてもう一人、顔立ちからしてその男女の息子であろう自分と同じくらいの年齢の男の子。


「ああ、私の古い友人でね。色々あって引っ越してきたんだよ。はい、こちらがうちの娘のリスカです」


 父の友人、という単語に少し心がざわついた。

 父にとっての一番は自分なのに、そう語る父親の表情が自分じゃ見た事がないくらい楽しそうだったから。


 だから、男女に促されて挨拶するその男の子を見て、歪んだ幼心はこう思った。





 コイツ、邪魔だなぁと。






「勝負よ勝負!」


「しょうぶ?」


 リスカの村の子供達の間での遊びと言ったら『勇者ごっこ』だった。

 要はチャンバラごっこで一番強かった子が勝ち、負けた子は勝った子に服従。

 今にして思えばこれでは勇者ごっこと言うより侵略ごっこだったかもしれないけれど、そのルールだけが幼い彼女達の全てだった。


「私が勝ったらアンタは私の従者になるの!」


「じゅーしゃ?」


「私の命令は何でも聞く絶対服従ってこと!」


 当然ながら、リスカ・カットバーンはまだ同い年の子の多くが文字を覚えてすらいない年齢にして本気で戦えば誇張なしに大人であろうと止められないほど強かった。

 木の枝の握り方もよくわからず、へっぴり腰で構えていたその男の子が彼女に勝てる可能性は、万に一つも無かったし、事実として男の子は周りが思わず目を背けたくなるほどボコボコにされた。



 そして生まれて初めて、リスカは後悔というものをした。



 今までの『勇者ごっこ』は所詮子供の遊びだ。リスカだって、自分より遥かに弱い相手に本気を出すことなんてなかったし、いくら子供でも本気で叩かれたら痛いし、自分がされたら嫌だからと相手に加減をするのは当然の事だった。

 でも、この日のリスカは生まれて初めて相手を本気で叩いた。

 胸の中にぐちゃぐちゃと、変なものが溜まって堪らずにそれを吐き出すように、男の子を本気で叩いた。痛みに悶え、血を流すその姿を見てようやく自分が何か、とんでもないことをしてしまった事に愚かにも気がついたのだ。


「あ、えっと、え?」


 言わなければいけないことがあるはず、謝らなければいけないのに、リスカは動揺して言葉を失い、その隙に男の子はこう呟いた。




「すげぇ……なにもみえなかった」




 痛みが引いてきたからか、立ち上がった男の子は先程目の前の相手に過剰な暴力を振るわれたことも忘れたのか、それとも本当にここまでの怪我を負ってもまだ遊びだと思っているのか、目を輝かせながら近づいてきた。


「いまおれになにやったの!? え、もしかして……きみほんものの『ゆーしゃ』!?」


「はぁ、はぁ!? アンタ何言ってんの!? そんなわけ……」


「もっかいやって……うわっ! いてぇ! あたまいてぇ!?」


「ちょっと、落ち着けって! 血が凄いから!」


 その後血だらけで擦り寄ってくる男の子を引き剥がし、さっさと家に連れてって怪我を治療して、父親に今までにないくらいにすっごく怒られたにも関わらず、リスカは上機嫌だった。



 勇者、勇者かぁ。




 あんな風に言ってもらえるなら、なってみるのも悪くないかもしれない。







 …………アイツ、別に邪魔じゃないかも。






「だからさぁ、そうじゃないんだってば! もう構えから違う! 足に意識向きすぎ! そして振る時は剣に意識向きすぎ! 剣ってのは手で振るもんじゃないの! 心で敵を斬るの!」


「いやわかんないよ!? 心で敵をどうやって斬るんだよ!」


「は? 心で敵が斬れたら苦労しないでしょ」


「よし、一発殴らせろ」


 殴りかかってきた少年を返り討ちにしつつ、リスカは木剣を軽く振り回して木の幹を叩く。さすがに御伽噺の勇者みたいに、練習用の木剣で大木を切り倒すなんてことは出来はしないか、と思いそんなバカげたことを思っていた自分に苦笑する。


 男の子が越してきて早数年。既に彼は少年と言う雰囲気の年齢になり、リスカも同じように成長していた。

 リスカの神童っぷりはこの歳でも健在であり、彼女が早熟な訳ではなく本物の天才であることを周りの人間は薄々感じとり始めていた。村のみんなは彼女を『未来の勇者』と呼び、リスカは正直満更でもなかった。


「それにしてもリスカはすげぇよなぁ。聞いたぜ? この前対魔王軍の精鋭騎士に手合わせのお願いして、余裕で倒しちゃったんだろ。きっとすぐにスカウトが来るよ」


「まぁ私は未来の勇者だからね? 凡才で何やっても中途半端なアンタとは何もかも格が違うの」


「マジで言い方もうちょっとない? 事実でも傷つくぞ?」


「悔しかったら私に勝ってからものをほざきなさいな」


「くっそー! 俺もなー! リスカみたいに強かったら魔王を倒しに行くとか言えるんだけどなー!」


 魔王。

 御伽噺のそれではなく、魔獣の一種である魔族の中の特異個体。本来集団を形成する習性のない魔族を、その圧倒的な力で纏めあげてしまう存在。その発生が数年前に確認された。

 世間は今、魔王を倒すためにあれやこれやと様々な対策をしているが、集団となった魔族の対策で忙しく状況は芳しくない…………と、彼女の父が言っていた。

 何でも魔族の四天王を名乗る4体が集中的に侵攻を開始していて、既に北の地方は魔族との激戦で難民が発生しているとも。


「まーでも、魔王も可哀想だよな!」


「え、なに急に?」


「だってリスカみたいな天才と同じ時代に生まれちまったんだもん! リスカが大人になって、勇者になったら魔族なんてみんな倒して、世界の平和を取り戻しちゃうからな!」


 まるで自分の事のように、心の底から嬉しそうに少年は笑っている。

 もしもそうなったら、きっと村のみんなとは比にならない数の賞賛が世界中から自分自身に届く事になる。

 数え切れないほどの人々が、リスカ・カットバーンという個人を褒め讃える。


「…………ふーん」


 褒められるのは、讃えられるのは大好き。

 その筈なのに、何故か彼女は全く興味をそそられなかった。


 と言うか、勇者になるって事自体あんまりそそられない。

 この数年で、リスカは他の子よりも早く大人に近づいていた。色々なことを学べば学ぶほど、幼い全能感に溢れていた自分が馬鹿らしく、そして少しずつ夢を見なくなっていた。

 あと数年もしたら、自分は王都の魔術学校に通い、そこで魔術の研究をして、別に新発見とかはしなくてもそれなりに成果を出して、研究者として安定した生活を送る。多分それが一番自分にあっている。


 リスカ・カットバーンは大人になっていた。

 無邪気に棒切れを振り回し強さを誇示する事に楽しさを見いだせなくなって。

 自分よりも弱い騎士の人が、子供相手に手加減して振るった剣の一閃でも当たれば痛くて苦しい事を知って。


 正直、勇者とかしんどい。

 魔王とか怖いし、痛いのは嫌だし、生活が安定しなさそうだし。


「よし、もう動けるぜリスカ。今日こそお前から一本取ってやる」


「何度やっても無駄だってわかんないかねぇ。……アンタじゃ一生かけても、私の背中も見えないよ」


 それなのに今日もまた、勇者に憧れるこの少年との馬鹿げた特訓に付き合っている。

 リスカから見れば、少年は才能はあるが所詮は平凡の域。間違っても英雄になれるような器ではない。それでもリスカは今日も向かってくる少年と、剣を交える。正確に言えば交える前に少年は地面に倒されているが。



「──────クソー! やっぱリスカには勝てねぇや。ほんと、強いなぁ」



 少年が心からの賛辞を述べる。

 なんで負けたのに、自分を負かした相手の強さをまるで自分のことのように喜んでいるのか、わけが分からない。

 でもその賛辞は、村中の賛辞の声をかき集めたものよりも心地よい。





 そう思っていたその日。

 その記憶はリスカ・カットバーンの最初の『ズレ』であり、その幼い魂の形を決定的に変えてしまったものだ。







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