・ホリンと会えない日々 - はぁ…… -

 朝、湖で身体を清めながら、あたしは無意識にため息を吐いていた。


 パンを捏ねていても『はぁ……』

 焼き上がりを待って窓辺のイスに腰掛けていても『はぁ……』


 何をしてもため息が出てきて、そのたびに攻略本さんに笑われてしまった。


「はぁ……っ」


 東を仰ぎ見れば小さな丘がある。

 萌黄色の小麦畑と、翠色の牧草地が桃色の朝焼けに照らされている。


 光が湖の水面にチカチカと乱反射して、まだ朝なのにまぶしく感じた。


 丘の彼方には深い森が広がっている。

 森からはちょこんと魔法使いの塔が伸びていて、あたしはしばらくその塔ばかりを見つめて過ごした。


 ホリンとはもう10日も会っていなかった。

 魔法の修行が終わるまで、あたしはあとどれくらい待てばいいのだろう……。


「はぁ……」


 会いに行けばいいのにと攻略本さんは言うけれど、あたしが塔に行ったらホリンの気が緩むかもしれない。


 ホリンもがんばってるんだから、あたしもがんばらなきゃと気合いを入れ直した。


 よし、今日もがんばろう!



 ・



「やあ、お帰り」

「ただいまっ、攻略本さん」


 綺麗にして店に戻ると、温かい声があたしを迎えてくれた。


「コムギ、首を長くして君の帰りを待っていた。私の話を聞いてくれるか?」

「え、なになに? それって面白い話っ!?」


 あたしはお店のカウンターに置いておいた攻略本さんを拾い上げて、顔はないけど厨房に入りながら向かい合った。


「少し暗い未来の話だ」

「それ、アッシュヒルの未来のこと……?」


「その通りだ。魔女の塔と、魔女アルクエイビスの名を聞いて、私は1つ大切なことを思い出した」


 あたしは材料を地下倉庫に取りに行きたい気持ちを堪えて、攻略本さんの言葉を待った。


 彼には顔がない。

 長い間を作られると、こっちは考えが読めなくて少しやりにくかった。


「滅亡の日――魔物の襲撃は村の東から始まった」

「えっ、それじゃあっ、フィーちゃんと魔女さんはっ!?」


「私が知る限り、生き残ったのは勇者だけだ。ソフィアは――あの塔に籠城し、最期まで勇敢に戦った」


 そういう最悪の未来がくるってことを、あたしはもう知っていた。

 でもこうやって厳しい現実を突き付けられると、やっぱりきつい……。


 あんなにかわいくてやさしくて一生懸命なフィーちゃんが、凄く恐い思いをいっぱいして、最期に魔物に殺されてしまうだなんて……。


 そんなのってないよ……。


「落ち込むな、君の力があれば守れる」

「そうかな……」


「あのヨボヨボのヨブ村長を、君はかつての最強の拳闘士に戻したのだぞ。アイスレインとミニママイズの魔法があれば、塔に籠城したフィーも見事な戦果を上げるだろう」


「確かにあのツララの雨なら……! あっ、でもっ、あの塔が最前線ってことは変わらないじゃないっ!」


「村で暮らすよりは安全だ。事実、あそこは長く持ちこたえた」


 フィーちゃんが死んじゃう未来なんて絶対ダメ!

 成長して立派な魔法使いになったフィーちゃんをあたしは見たい!


 だって、あんなにがんばってるんだもん!

 いつか凄い魔法使いになってくれるはず!


「コムギ、敵は東から現れた。東から現れたのだ」

「だから何……? 村長さんを説得して、壁でも作れって言うの……?」


「それも手だが、君には君のやり方があるだろう」

「え、あたしのやり方……? あ、そっかっ! あたしのパンで、村の東側の人たちを凄く強くしちゃえばっ、そこで敵を跳ね返せるんだっ!」


 つい……だけど、あたしは攻略本さんを打ち台に投げ捨てた。

 声を上げる攻略本さんを背中にして、あたしは地下倉庫に駆け込んで材料一式を厨房に運んだ!


 それが終わると、厨房で冷ましておいたパンをお店に並べて、お昼から焼く分の仕込みに入った!


「やはり、人を雇うべきだ……」

「残念! そんな都合のいい労働者なんて、うちの村にはいませんっ!」


「困ったものだ……。こんな片田舎に、わざわざ移住したがる者も――」

「ちょっとっ、片田舎って何よっ! あたしたちのアッシュヒルはどこにも負けないんだからっ!」


 攻略本さんはまるでホリンみたいに、あたしの地元愛に辟易としていた。

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