・香ばしいふわふわの経験値のバターロール - 時速500mの村長さん -

「こんにちは……」


 攻略本に見せられたその記憶は、恐怖のあまりに目を開けていられないほどに恐ろしかった。


 けれどもふいにしゃがれた声が響いた。

 あたしはその声のおかげで、やっと我に返ることができた。


「何かぁ……困っていることはぁ……ひぃ、ふぅ、はぁぁ……。ないかのぅ……?」

「……ぁ」


 固く閉じた目を恐る恐る開ける。

 すると目の前に、小刻みに震えるお爺さんがいた。


 頭のてっぺんがはげ上がっていて、今は杖に両手でしがみついて足をカクカクさせていた。


「ひぃ、ふぅ、はぁぁ……。大丈夫、かの、ムギちゃんや……?」


 この人はホリンのお爺ちゃんのヨブさんだ。

 昔は大工をしていたけど、働けなくなってからはこの村の村長さんをしてくれている。


「あ、ありがと、村長さん……。ヤ、ヤバかった……」

「むぅ……」


 あれが、この村の未来……?

 あれは、この村を旅立つ前の、勇者の記憶……?

 あの記憶の中で、このヨブお爺ちゃんも、怪物に、斬られて……。


「ムギちゃんや……ふぅ、ふぅ……。少しくらい、仕事を休んでも……ふぅぅ、いいんだよぉ……?」

「えっ?」


「顔色がよくない……」

「あ、これ違うのっ、さっき変な夢見ちゃって……っ」


 そう弁解すると、村長さんがますます心配そうにあたしを見た。


 このお爺さんはこういう人。

 気配り屋でいつだって親切だった。


「休みなさい……」

「ううん、そういうわけにもいかないよ! だってこの村のパン屋は、あたし1人なんだからっ!」


「ぅっ、ぅぅ……っ?!」


 大丈夫だって男の子みたいに自分の胸を叩いて見せた。

 すると村長さんが苦しみだして、あたしは当然慌てた……っ!


「そ、村長さんっ、どうしたのっ!?」

「ワシが……ワシが、もう少し、若けりゃなぁ……ふぅ、ふぅぅ……。ワシァ、お前さんが不憫で、不憫で、うっ、ゲホッゲホッゲホッ……?!」


「大丈夫っ、村長さんっ!?」


 村長さんの背中をやさしく叩いてあげた。

 そうしていると、あたしの方もなんだか落ち着いてきた。


 ここは滅びが約束された村アッシュヒル。

 勇者の故郷。


 でも、まだ終わってなんかいない。

 こうしてみんな生きている。


「ムギ、お前さんは本当に良い子だ……」

「えへへ……ありがと、村長さん!」


「お、おお、そうだ、ホリン……。ホリンが迷惑がかけていたりは……ひぃ、ふぅ……。しないかの……?」

「え……っっ。あっ、ううんっ、ホリンとは仲良くやってるよ、大丈夫っ!」


「本当かの……?」

「ほ、本当だよーっ!? 今日も――今日もちゃんと、風車で働いてたし……」


 風車の仕事をサボってましたなんて言ったら、ホリンはともかく、騎士のロランさんに迷惑がかかるかな……。

 あの時は言いつけてやるって言っちゃったけど、言わない方がいいよね……。


「おお……そうじゃった、大事な用事を……ふぅふぅ……忘れとった」


 尊重さんは懐からメモ帳を取り出した。

 それをゆっくりと、お年寄りらしいお構いなしのペースで読んでいった。


「今から一仕事、頼めるかの……?」

「え、注文っ!? うん、それなら大歓迎っ!」


「旅の商人さんたちが、宿にきてくれていての……ふぅ、ふぅ……っ。いつものをバターロールを、2ダース欲しいと……ひぃ、ふぅ……」

「わかった、宿屋のゲルタさんからの注文ってことだね!」


 あたしがそう返事を返すと、村長はビッシリと文字が敷き詰められたメモ帳に鉛筆を走らせた。


 これがヨブ村長さんの仕事。

 あちこちにご用聞きに行っては、伝言を運んだり、問題があったら相談を持ちかける。


 そんな働き者の村長さんをみんなが尊敬していた。

 こういう豆なところが、ホリンに遺伝すればよかったのに……。


「じゃあ、ワシは行くよ。ひぃ、ふぅ……」

「えっ、少し休んでいかなくてもいいの……?」


「ムギちゃんの笑顔が、ワシの元気の秘訣……ひぃ、ふぅ……っ」

「あはは……ありがと、村長さん! お疲れさま!」


 先回りして店のドアを開けて、時速500mくらいの超スローペースで杖を突く村長さんを見送った。

 それに満足すると、さああたしもがんばらなきゃと倉庫に駆け込んだ。


 すると――


「あ、あれ……やっぱり、疲れてるのかな……。目が……あれ……っ?」


 目が霞んだ。

 そう思って目を擦っても、視界の違和感は消えなかった。


 というより、それは霞ではなく小さな文字だと遅れて気づいた。


――――――――――――――――――

【アッシュヒルの小麦粉】

 【特性】[香ばしい][かちかち]

 【LV】2

【アッシュヒルの小麦粉】

 【特性】[ぼそぼそ]

 【LV】1

【アッシュヒルの小麦粉】

 【特性】[ふわふわ][もりもり]

 【LV】4

――――――――――――――――――


 あたしは首を傾げたまましばらく固まった。

 それからだいぶ遅れて、あの攻略本と攻略本さんが見せてくれた真実を思い出した。


 あの攻略本にもLV(レベル)という項目が随所にあった。

 よくわからないけど、LVは高ければ高い方がいいものらしい。


「[ふわふわ]はわかるけど……[もりもり]ってなんだろう……。あ、そんなことより急がなきゃ!」


 この村にはお客様なんて滅多にこない。

 村の外は魔物でいっぱいで、町から町へと巡るのはとても危険なことだった。


 その危険を承知で村に商品を運んでくれるのが、商人たちだ。


 あたしはふわふわでもりもりでLV4の小麦粉袋を抱えて、それを調理場に運んだ。

 よくわからないけど、もうわかったからいいと心に描くと、視界から文字が消えるみたいだった。


「うわ、また見える……。なんなんだろう、これ……」


 それから地下の冷蔵庫から、バターとパン酵母を取りに行った。

 パターの詰まった小さな壷を抱えて、代々育ててきたパン酵母も小袋に詰めた。


 近くに寄ると、あの不思議な文字がクッキリと読み取れた。


――――――――――――――――――

【アッシュヒルの山羊バター】

 【特性】[濃厚][牧草の香り]

 【LV】3


【パン酵母】

 【特性】[よく膨らむ][魔法の力]

 【LV】29

――――――――――――――――――


「えっ、凄……っっ!? うちの酵母、凄くないっっ!?」


 わぁぁ……うちの酵母って、こんなに凄い物だったんだ……。

 お母さんの真似をして作っているだけなのに、どうりでみんなが美味しい言ってくれるわけだ……。


「そうなんだ……そうだったんだ……。よーっし、がんばるぞーっ!!」 


 あたしは厨房に駆け込んだ。

 危険を冒してやってきてくれたお客様のために、バターロールの生地を夢中で捏ねていった。


 お母さんが残してくれたパン酵母は凄い物なんだって、この不思議な現象はあたしに教えてくれた。


 もうお母さんはあたしを隣から見守ってはくれないけど、このお店と道具とパン酵母は当時と変わらずにここにある。


 そう思うと、あたしのやる気は元気いっぱいだった!

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