第2話 喫茶PERCH

わたしは、腫れてしまった瞼のまま、杏ちゃんに連れられて外へと出た。フード付きのパーカーを深めに被って。

本当は外になんて出る気分ではなかった。

でも杏ちゃんが働いているところというのは興味があった。

だって、イケメン五十嵐杏を、誰もが振り向く美女五十嵐杏に変えた場所でもあったからだ。


毎日使っている駅からいつものように電車に乗り込む。

ただいつもと違うことは、制服じゃないことと、電車が学校と反対方向なことと、なにもかもが色を無くして見えてしまうこと。

涙腺が崩壊してしまっているのか、駅が到着するときに流れるメロディを聞いただけですぐに泣きそうになってしまう。

電車の中で流れていく景色を見るとも見ないともしているうちに、いつの間にか目的の駅に着いていたようで、「桃、降りるよ」と杏ちゃんに手を引かれて降りた。

その駅は、一度も降りたことのない駅だった。


夏の太陽が容赦なくギラギラと照り付ける。ぶわぁっと汗が噴き出し、額には絶え間なく汗が滲んでくる。

それでもなんとか歩くと住宅街に出た。

「……まだ?」

恐る恐る杏ちゃんに尋ねると、「もう、まだ十分くらいしか歩いてないでしょ。ここの路地を入った先に並木道があるから、そこを抜けたらすぐよ」と眉を困ったように寄せながら、ふはっと小さく笑った。


小さな路地を抜けると、すぐに並木道が現れた。

重たいくらいに葉を茂らせた並木道は心地の良い涼しさだった。

たびたび、緑の匂いのする風が通り過ぎていく。

歩いた方が、考えたくないことを考えなくていいから楽かもしれない、と先を行く杏ちゃんの背中を見ながら、連れ出してくれた杏ちゃんに少しだけ感謝した。


並木道を木がなくなるまで歩いた先に小さなお城は突然姿を現した。

絵本の中に入り込んだかのようなファンタジックな風景に、わたしは思わず声を上げそうになった。

並木道の入り口は、住宅街だったはずだったのに、出口を抜けるとまるで違う世界にワープしたみたいだ。

もしかして、通って来た並木道は、知らない国に続いている魔法の道だったりするのだろうか。

なんだか不思議の国のアリスになった気持ちだ。

わたしがアリスだとすると、杏ちゃんは、不思議な道に誘い込む白うさぎに違いない。

いや、容姿的には杏ちゃんの方がアリスだけれど。

「お城みたいでしょ」

美人すぎる白うさぎは、唇の端をにっと持ちを上げながら言った。

「うん、お城みたい」

小さなお城みたいだと思った建物は、にっこりと笑ったおばあさんが出てきそうな可愛らしい西洋風の家だった。

ざらざらとしていそうな茶色の外壁と、茶色の三角屋根に温かみを感じる。なんだかその建物全体が、歴史ある樹木のようだ。

「わたしが働かせてもらっているところよ」

小さなお城の扉のところには、手作りらしき木の看板がぶら下げてあり、そこには「喫茶・PERCH」と書いてあった。

「ここはね、喫茶店よ。だけど、ただの喫茶店じゃないの」

確かに、ただの喫茶店には見えない。まさか本当に不思議の国のアリスみたいにハートの女王とか住んでいるのだろうか。

わたしが少しだけ身構えていると、杏ちゃんは「おいで」と優しくわたしの手を握り、PERCHという名のついたお城の扉を開けた。



「あら、お客さんかと思ったら杏じゃない」

わたしは店の中へ入った瞬間、ぎょっとしてしまった。

杏ちゃんに声をかけた人物が本当に不思議の国のアリスのようなおとぎ話に出てきそうな人物だったからだ。

ハートの女王みたいな意地悪そうな顔はしていないけれど、かなりのインパクトだ。

眉の上でパツッと切り揃えられた前髪と肩のラインに合わせて前下がりにストンと切り揃えられた漆黒のボブヘア。

しっかりと引かれた太めの黒のアイラインと濃いめのブルーのアイシャドウが、エキゾチックな雰囲気を強調している。

わたしがさらに驚いたのは、その人物の身長だった。

杏ちゃんの身長は百七十を超えているはずだ。だが、この人はその杏ちゃん以上に大きい。


わたしが杏ちゃんの陰に隠れていると、その高身長な美人はわたしに声をかけてきた。

「杏、その後ろの子、だぁれ?」

「幼馴染です!果物の桃に、夏と書いて桃夏ですっ!」

杏ちゃんは、グイッとわたしの腕を掴み、横に立たせながら元気百パーセントで紹介した。

わたしは咄嗟に地面に顔を向ける。

泣きはらしたと言わんばかりに腫れた瞼、そばかす、にきび……。整った人物たちの中にいる自分が恥ずかしくなった。

「桃夏ちゃんね!歓迎するわ!」

「……あ、ありがとうございます」

なんとか、声は出たが顔を上げることはできない。

「わたしは店長のかおる。よろしくね」

「よろしく、お願いしま」

お願いします、と言いかけたところで急に視界が高身長美人でいっぱいになった。

両手で頬を挟まれ、無理矢理上を向かされたのだ。被っていたフードがぱさりと外れる。

「桃夏ちゃん」

「は、はい」

「あなたには、アイス・カフェ・ナポリターノね」

すごい迫力に加えて急に意味不明のカタカナを並べられ、なんと返事していいのか分からない。

「好きな席に座って待ってて」

そう言うと、薫さんは黒の着物の上に着たふりふりの白いエプロンの裾を翻してカウンターの奥の方へ入っていった。

呆然とするわたしの横で杏ちゃんは相変わらず「あはははは」と豪快に笑っていた。

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