男の子だけど美少女な最強の幼馴染

緑川えりこ

第1話 夏休み初日

西日が射し込み、自分の部屋がオレンジ色に染まる。

窓は閉め切っているというのに、外でミンミンゼミが大声で鳴いているのが聞こえてくる。

必死さを感じるミンミンゼミの声とは対照的に、ヒグラシが今日の終わりを惜しむように切なげに鳴いた。

――――今日が終わる。

十六年間生きてきたなかで、一番長く感じた今日が終わる。そして明日からは夏休みだ。

わたしはその事実に心の底からほっとしていた。

だって、夏休みに入りさえすれば、学校の誰とも顔を合わせなくていいのだから。そう、誰とも。


ぐしゃぐしゃに脱ぎ捨てた制服も、返却しそこねた本も、もう全部どうでもいい。


わたしは、枕に顔をうずめながら泣いた。


部屋は色を無くしていくかのように黒い闇に包まれた。




下から聞こえてくる笑い声で目が覚めた。

目が覚めたと言っても、瞼は重たく、いつもの半分くらいしか目が開かない。

いつの間にか、窓からは日が射し込んでいた。わたしは、眩しさでまた眼を瞑った。

昨日、あれからずっと寝ていたのか……。


「アハハ!」という、からっとした笑い声で顔を見なくてもきょうちゃんが来たのだと一発で分かる。

五歳上の幼馴染である杏ちゃんこと五十嵐いがらしきょうは、よく連絡もなしに突然我が家にやってくる。

杏ちゃんが来ると、またたく間に家の空気が変わっていくのが分かる。

周囲を巻き込んであっという間に空気を変えてしまう突風みたいな杏ちゃんの襲来を、わたしは密かに杏ちゃん旋風と呼んでいる。


「杏ちゃん、今日も可愛いわねぇ~」

「えー、嬉しい。ありがと!そう言ってくれるユキさんも今日も綺麗!お肌なんてまるで水を浴びたばかりの朝顔のように潤ってるぅ」

「あらぁ!ほんと!?杏ちゃんに褒められると嬉しいわ」

ふふふ、と嬉しそうに笑っている母の声も一緒に聞こえてくる。


杏ちゃんは、昔からずっとわたしの家族にとってアイドル的存在だ。

少し垂れた瞳、ふさりと伸びたまつ毛、スッと通った鼻筋、艶々と色っぽい栗色のロングヘア。

その顔面偏差値の高さに加えて、すらっと伸びた手足、きゅっとくびれたウエスト、百七十を超える長身は、さながらフランス人形のようだ。

その容姿から小さい頃だってよく、杏ちゃんはフランス人形みたいね、といろんな人から言われていた。

手を繋いで歩いていても、「かわいい」と言われるのはいつも杏ちゃんの方で、幼心にわたしはではないと言われている気がして悲しかった。

桃夏ももかより、杏ちゃんの方がその服が似合うわよ」

わたしの着ているふりふりのワンピースを見て、親戚のお姉さんたちからそう言われたのを今でもよく覚えている。

泣きそうになるわたしの横で杏ちゃんは、わたしよりもさらに泣きそうな顔をしていた。

――――それから杏ちゃんは高校を卒業するまでずっと、セーラー服ではなく学生服のズボンを穿きとおした。

イケメンから、誰の目にも止まるになったのは、わずか四年前だ。



もも、上?」

「ええ、上にいるわよ」

ヤバい。杏ちゃん、やっぱり今日もわたしのところに来るつもりだ。

杏ちゃんは、家に来ると必ずわたしの部屋にやってくる。

いやだ。今日はどうしても会いたくない。

わたしは頭まですっぽりと布団を被った。

そんなわたしの想いに反して、階段を上る足音はどんどん近づいて来る。

コンコン、とドアをノックする音のあと、「ももー、入るよ」という杏ちゃんの声がした。

毎回ノックをするくせにこちらの返事を待たずにドアを開けるんだから、最初からノックなんてしなければいいのにと思う。

「いつまで寝てるのよ、もうお昼になるわよ」

風鈴のように凜とした爽やかな声が布団の向こう側から聞こえる。

「……いいの、夏休みなんだから」

そう、夏休みなのだ。別に起こされる理由がない。

「貸してた本の続きなら勝手に持って行っていいよ」

「どこ」

「そこの本棚」

わたしは布団の中から手だけを出して、ベッドから一番近い本棚を指指した。

「ありがと」


しばらく経っても、階段を下りていく音がしない。もしかして、と布団の間から少しだけ覗くと、――座って漫画を読んでいる杏ちゃんがいた。

ショートパンツからすらっとした細い足が無防備に投げ出されている。

「ちょっ、まだいたの!?」

「帰るなんて言ってないけど」

それはそうなのだが、と出しかけた言葉をグッと飲み込む。

「続きずっと気になってたの」

杏ちゃんは貸していた続きの少女漫画をわたしに向けながら、平然と言った。

「……持って帰って読めばいいじゃん」

「一刻も早く読みたかったのよ!それはそうと、桃」

杏ちゃんの明るいブラウン色の瞳が真っすぐわたしを見つめる。

しまった。昔からこの瞳に捕まると絶対に逃げられない。

杏ちゃんの声がワントーン下がる。喉仏が上下に動いた。


「失恋でもした?」

しつれん。

失恋。

「……わかん、ない」

恋だったのかどうか分からない。

ただ、こんなに胸が痛んでどうしようもないのは初めてだった。

恋だったとしても、恋じゃなかったとしても、もうわたしは高坂くんと前みたいに接することはできない。

どちらにしろ、もう――――。

「終わっちゃったのは確かだけど」

だんだんと杏ちゃんの顔が歪んでいく。

頬を温かいものが伝った。

泣いているのだと分かった。

一晩中泣いたはずなのに。全部出しきったはずだったのに。

「桃、いいよ。自分の中の感情全部出してしまいな」

杏ちゃんに抱きしめられて、わたしは声を上げて泣いた。おもちゃを取り上げられた子どものように、大事なものをなくしてしまった子どものように、声を上げてわんわんと泣いた。



桃夏ももか

途中、過呼吸になってしまいそうになりながら泣いている間も、杏ちゃんはずっと背中をさすってくれていた。何も言わずに、ただただ黙って。

わたしの目からやっと涙が止まったとき、杏ちゃんがゆっくりとわたしの名前を口にした。

「元気が出るところに連れていってあげる」

顔を上げると、杏ちゃんと目が合った。

「……元気の、出る、ところ?」

ところどころしゃくり上げながら杏ちゃんの言葉を復唱する。

「わたしの、働いてるトコ」

杏ちゃんのピンクベージュ色の唇がにんまりと弧を描いた。

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