第8話 メリーの心の拠り所


 あれから一週間が経っていた。その間、メリーが美帆と薫と会話を交わすことはなかった。ただ空間にいるだけ。食べるときは向かいの席に座るけど、それはいつもの習慣に従っているだけで特に話す内容もない。いや、話すべきことはたくさんあるはずなのだがメリーは極端に二人を避けるようになっていた。薫たちも話しかけるタイミングを伺っていたが、元気を失った彼女がメリーなのかメアリーなのか区別できずにそれが声をかけるきっかけをなくしていた。


 帰り道もバラバラになった。帰りの会が終わってお互いに目を合わしてはそむける、それが一日の終わりの挨拶になっていた。


 仲直りしたい。


 始めはそう思っていた。しかし、あの日以降メアリーの記憶を時々思いだす。そのたびにメリーは自分の存在意義を見失い、二人を見るだけで辛くなってしまっていた。二人を見るだけで自分のみじめさが分かる様になっていた。二人だけじゃない、クラスの誰も信用できない。誰も私を求めていない。


 消えたい。


 一週間が経つ頃メリーはそう思うようになっていた。


 友だと思っていたはずの二人は友ではない。クラスの中に私の居場所はない。先生さえも早くこの厄介者が消えればいいと思っているだろう。その中で一体誰が私を求めているんだろう。


 メリーの心の拠り所はどこなんだろう。


 誰も自分を求めていないということは自分が求めれる人がいないということでもあって、悩むメリーが相談する人もいないということでもあった。


 自分は独りぼっちなのだと。世界にただ一人なのだと。その悩みを一人で抱え、解決できない深刻さを知る。ただ一つみなが求める解決方法は私が消えることである。


 どうやったら消えれるの?


 メリーの目は死に、見るものすべてが暗くて仕方がない。黒板に叩きつけられるチョークの音が耳に入るが、先生の説明はみじんも頭に残らない。そんな中、再びメリーはメアリーの記憶を思い出す。



――――



 夏祭りの時。ちょうどメリーからメアリーに変わったとき。といえば、メリーが薫と美帆に出会って祭り会場に入ってから間もないころだろう。


 メアリーは周りを見回して状況を把握する。たくさんの人の波に目を回しながらその浴衣の恰好や焼きそばの屋台などを見て「祭りか…」と自分が祭りの会場にいることに気が付いた。


 「おい、なに立ち止まってんだメリー。危ないぞ」

 「メリーちゃん早く~」


 薫がメアリーの手を引っ張る。


 「そうだ…、二人と一緒に祭りに行くって約束してたんだ…」


 メアリーがぼそっと呟くとそれに気づいた薫が「もしかしてメアリー?」と振り返った。メアリーが頷くと薫は「はは、ちょうどよかったよ。今さっき会場に入ったばっかりでさ、まじいいタイミングだわ」と嬉しそうに喋った。


 「みほみほ、メアリー」と薫がメアリーを指さす。

 「ホント!やった!」と喜ぶ美帆。

 

 しかしそんな二人に対してメアリーは「ごめん…」と呟いては俯いた。


 「なんで謝んだよ」

 「だって、せっかく前々から計画してたのに、私がこんなだから二人に迷惑かかって」

 「そんなことないって。気にしすぎだろ。別にすでに祭りが終わってたとかじゃないんだしさ、前向きに行こうぜ」

 「…でも」


 メアリーは自分の恰好を見る。気づいたら浴衣も着てて髪型も変わってて、それに私が知る最後の記憶は昨日だ。気づいたら日付けが経ってるなんて心の準備も出来やしない。すでに整ったこの状況がまるで他人の居場所のように感じて心地が悪いのだ。


 なにより、二人に迷惑じゃないかと心配だ。前々から楽しみにしていただけあって、メアリーは自分がこの日なんとか一日中自分であり続けたい、メリーになりたくないと願っていたのだ。なのに…いとも簡単にメリーになっていた。それがショックで仕方がなかった。


 しょぼくれるメアリーに薫と美帆は励まそうと必死になった。


 「ちょうどさ、かき氷食べに行こうとしてたんだ、行こうぜ」

 「そうそう、せっかくの祭りなんだし楽しもうよ」

 「今だけでも嫌なことは忘れようぜ」

 「気にする必要ないよ。私たちは平気だからね」


 「私が気にするの!」


 メアリーは言葉を返した。


 「二人が良くても、私が。私は二人のお荷物になんてなりたくない。私がいるせいで負担になんかさせたくない」

 「だからならないって」

 「なるの!」


 今までなんど二人に助けてもらってきたか。だからこそメアリーにはわかる。ずっと二人には心配かけてもらってばかりだ。でも本当は違うのだ。本当は普通に遊びたいのだ。なんの気兼ねすることもなく三人で笑っていたいのだ。二人は気にするなというけどそういわれるほど二人の優しさが目に入って心が苦しい。


 友達とはそういうもんじゃないはずだ。一方的に支えられるものじゃなくてお互いに支え合うから友達なんだ。でも私は、二人に助けてもらってしかない。こんなんじゃいつか友達と呼べない。二人がそう言ってくれても私がそう呼ぶのを許せない。


 「私はまたメリーになるよ。きっと祭りの途中でまた。それで気にしないわけないじゃない」

 「大丈夫だって」

 「だから!それで大丈夫でも、私は二人と一緒にいれないじゃない! 二人と…三人で一緒に祭りに行くって約束したのに」


 「それは仕方ないじゃない」

 「仕方なくないでしょ!」


 感情が暴走する。言葉を出せば出すほど嫌な言葉が出てくる。二人を傷つけるつもりはないのに二人に怒鳴っている。やめて、そう自分に言い聞かせるが止まらない。


 (やばいな。思ったより祭りを楽しみにしていたんだな)薫は事態の重さを軽く見ていたことを後悔する。(どうする、でもこれ以上なにいっても逆効果だよな)


 「私は二人の邪魔をしたくない。だから私抜きで遊んできて」


 「メアリーちゃんがいないと楽しくないよ」

 「それこそなんで一緒に祭りに来たのか分からないだろ」


 「でもっ!」


 メアリーには二人がどうしてこんなに平然を保っていられるのか分からなかった。メアリーにとって今日は楽しみにして仕方がなくてショックを受けているのにどうして二人は平気そうに祭りを楽しもうと言えるのだろうか。


 普通に考えればそれは二人がメアリーを大切に思っているからで、今いるこの時間を大切にしたいと思っているからに他ならない。


 しかし冷静さを見失っているメアリーには別に見えた。


 どうしてメリーになってしまう私とそんなに一緒にいてくれるのだろう。どうして、私が私じゃなくなるのに気にしないっていうのだろう。


 「…メリーがいいの?」

 「え…?」

 「私じゃなくても楽しいから、気にしないってこと?」

 「おい、一回落ち着け。変な考え持つなよ、そんなわけないだろ」

 「メリーの方が一緒にいて楽しいから二人は――」


 「メアリー!!!」薫がメアリーの肩をつかんだ。


 「…お前はさ、パニックになってるだけだよ。私たちがお前じゃなくていいなんて思うわけないだろ。な?」

 「そうだよメアリーちゃん。私たちあなたと一緒に祭り回りたくて仕方なかったんだよ」


 二人がメアリーを覗き込む。


 「…ごめん。わかってる、二人がそんなこと思わないってわかってる。わかってたのに…私二人の事を疑うようなこと言って…」

 「そりゃ仕方ないって。な?」


 反省するように俯くメアリー。これではせっかくの祭りが台無しになると薫は「ほら、そんな暗い気持ちにならないで、はやくかき氷でも食いに行こうぜ」と明るくふるまう。


 メアリーを導くように薫と美帆は歩き出す。そして屋台の前に来て「メアリーはどの味食べたい?」と振り返った時だ。


 そこにメアリーはいなかった。


 「メアリー?」


 その声は人混みにかき消えていく。薫が美帆を見ると同じようにあたりをキョロキョロと探している。そしてお互い目が合うと「どっかいっちゃった…」と美帆は泣きそうな声で呟いた。


 一方その時、メアリーは二人に背を向けて人ごみの中を駆けていた。


 はき慣れない下駄と立ちはだかる人の壁で思うように走れなくても、それでもなんとか二人から離れた場所へと逃げた。


 「二人とも、ごめん、ごめんなさい」


 目的地もなく、ただひたすらに駆けた。どこへ行っても楽しそうな人達で溢れかえっていて、それが自分の姿を辱めているような気がして落ち着かずまた場所を移す。


 「私最低だ…」


 『メリーがいいの?』なんて言葉をいったことを後悔する。優しい二人がそういうことを口にするはずもないのに、それでも疑うような真似をしてしまった。そんな自分が信じられなかった。


 二人が冷静だったのは記憶が飛んだりしないからだ。メアリーは時間が飛んだように目の前の状況を把握してからじゃないと判断を下せないのだ。きっとその温度差が薫たちの間にあったのだ。それが私と比べてなんで焦っていないのかと疑いの目を向けてしまう原因だったんだ。


 ごちゃごちゃした祭りの騒音の中、ようやく気持ちの整理が付いたメアリーは頭の中を整理する。そして逃げてしまったことで余計に事態が悪化しただろうと思い、さらに後悔した。


 どのくらい歩いたのだろう。下駄なんてはき慣れないもので走ったせいで指先がズキズキ痛んでいた。


 「最悪の祭りだ…」


 普通の人ならきっと楽しんでいるはずだ。友達とわたあめを買ったり、射的をしたり、最後には花火を見て笑い合うんだ。でも、私にはそれすらできない。私が二重人格だから。いや、それだけじゃない。


 「私が最低な性格だから…」


 そう落ち込んでいるときだった。地面を見つめながら歩くメアリーは急に顔を上げては元気よく手を振り始めた。そして明るい声でのんきな声を出す。


 「シロップは何にしようかな~。やっぱりイチゴに練乳かな。あ、そういえばシロップの味って全部一緒って聞いたけど本当かな?」


 ――メリーになった。そこからはすべて知っている物語だ。


 メリーに変わった彼女は自分が二重人格などとつゆ知らず、無知にも記憶が飛んだのだと「もう神様のバカバカバカぁ!!」と阿呆のように叫んでいるのである。


 そのあと直哉に会って――


 「…てかメリーなんだな?」

 「? ああそうね。浴衣姿だと誰だかわかんないでしょ」


 さらにそのあと薫たちと合流して――


 「メアリー!」

 「探したんだからね」


 「……メリーなのね?」

 「メリーだよぉ」


 そして花火の後に満面の笑みで無知な少女は「うん!だってとっっっっっても楽しかったんだもん!!!!!」と元気に飛び跳ねるのだ。


 何も知らずに、何も。



――――



 あの日もメリーはだれからも求められていなかったんだ。


 メアリーの記憶をみた。もう何度記憶を覗いたか分からない。しかしそのたびに自分の孤独を実感するのだ。記憶を思い出すたびに自分が世界に一人なのだと何度も何度も言われるのだ。


 「助けて」


 誰にも聞こえない声でメリーは呟く。それを伝えるべき人は存在しない。伝えても助けてくれる人は存在しない。それを知っているからメリーは漏れた口を押えるようにしてうつぶせになった。


 支えてくれるのは友達で、その権利があるのはメリーじゃなくてメアリーなんだ。私が相談できる人はどこにもいないんだ。


 胸の奥で取れない鉛が痛みを発している。取りたいのに触ることも出来ずにメリーの体を縛っている。


 「苦しいよぉ」


 ちらりと薫と美帆をみる。薫と一度目が合い、逸らされる。美帆にいたっては気づいてすらいなかった。


 「……。」


 苦しい気持ちがいっぱいで仕方ない。消えたい。そう思うのはこの鉛を消す方法がそれしか思い浮かばないからである。でも消えることなんてできない。それはきっと死ぬことであり、自分だけが死ぬ方法も分からない。


 悩みに悩むメリーは一つきづいた。


 それは自分を救ってくれるかもしれないというたった一つしかない希望の道。


 「おかあさん……」


 思い出してすぐに記憶をたどる。しかし自分がお母さんと話した記憶がない。これはとてもおかしなことだった。母の顔を知らないわけじゃない。はっきりと顔は出てくるものの喋った記憶が一つもないのだ。


 母といるとき、ずっとメアリーだった。考える結論はそれだった。そして次に思うことは―――お母さんに会いたい、だった。


 「お母さんなら、メリーのこと助けてくれるかもしれない」


 まさに最後の希望だった。そう思った瞬間自分の体に力がみなぎってきたのが分かった。今まさに欲しいものが目の前にある感じだ。喉から手が出るほど欲しく求めたものだ。


 どうして自分は母とあった記憶がないのだろう。その疑問が霞むほど、母の温かさを求めていた。今すぐにでも会いたい。


 お母さん、お母さん。


 学校が終わり、メリーはすぐに教室を出て帰り道を駆けた。久々に走った。そのスピードでしか感じない風を体に受けながら息を切らしながらメリーは家へ向かった。


 「お願い、今日だけはメリーをお母さんに会わせて」


 そう願いながら玄関を開けた。


 「ただいま」


 少し緊張しながらそろりそろりとあがる。返事がない、もしかしたら仕事中でいないのかと思った時、奥から「あら、お帰りメアリー」と母が現れた。


 「お母さん!」メリーは母を見て「よかった」と安心した。記憶通りの母の姿、いや少しだけ痩せているような気がしないでもない。それでも正真正銘の母だ。


 母はいつもと違う態度のメリーに「どうしたの?…あ、母さんが今の時間いるの珍しいからでしょ。ふふ、ちょうどあと少しで仕事なの。今日は朝の仕事が早く終わってね」と説明した。


 「ほら、まずは鞄置いて手を洗ってきなさい」


 お母さんだ。私のお母さん。どこにもないと思っていた、たった一つの繋がり。これだけは何が起きようと変わらないはずだ。


 「あのね、お母さん。わ、私ねメリーなの」

 「…え?」


 メリーは母に告げた。お母さんならきっと自分の頼れる存在であると思って。


 「メリー? あなたがいつも言ってるもうひとつの人格のほうの?」


 いつも言っているかどうかはメリーには分からない。しかしメリーは久々に会話する実感、それも母との会話に浮かれて「うん、メリーなの!」と頷いた。


 「メアリー、冗談ならやめなさい。もう一度聞くわよ。本当にメリーなの?」

 「?うん、メリー…だよ?」


 母の声に威圧が含まれていることに気が付いてメリーは戸惑った。嫌な予感が頭をよぎりそれを振り払う。


 「あ、あのね、メリーお母さんに会いたくて。メリー二重人格みたいで、それで皆に迷惑ばっかりかけちゃって、友達とも話せなくなっちゃって、あの、あのね…。メリーずっと一人でなんで私二重人格なんだろうってずっと悩んでて、メリーって誰にも求められていないんだってずっと、ずっと悩んでて」


 ――――やめて。


 「お母さんならメリーの事助けてくれるって思ったらメリーすごく嬉しくって、急いで家に帰ってきたの。もうこれから一人なんだって思ってたけど、けど…」


 ――――メリーをそんな怖い顔で見ないで。


 メリーの嫌な予感は当たった。それが嫌で急いで母を説得するように語り掛けたが、その言葉はまるで自分が二重人格になったみたいな喋り方をしていることに気が付いて止まった。二重人格になったのは自分じゃなくてメアリーの方じゃないか。メリーは、メリーはただの邪魔者で…。


 「そう、あなたがメリーなのね」


 母がメリーに近づいた。メリーは怯えて「ご、ごめんなさい」と無意識に謝っていた。


 「あなたがメリーなのね!」突然、母はそう叫びながらメリーをビンタした。「あっ!」メリーは頬を押さえながら床に倒れた。見下ろすように母は立っている。


 「ねえ、また嘘なの?それとも本当にメリーなの?」母が聞く。

 「め、メリーだよ」


 バシンっ。メリーが答えると同時に母は叩いた。


 「じゃあメリーちゃんに聞くわね、どうして今頃私の前に現れたの、ねえ?」

 「……い、いたいよぉ」


 バシっ!


 「わ、わかんないよぉ!」


 バシっ!


 「ねえメアリー。お母さん今更信じられると思う?もう二重人格になったって聞いてからどのくらい経つの?あなたが言うにはいつメリーになるか分からないっていうけどお母さんそもそもメリーの事一回も見たことないのよ?それなのに今ごろメリーですって言われて――」


 ゴンっ!


 「はいそうですかで信じれっていうの?」


 バンっ!


 「ストレスが溜まってるっていうから母さん女手ひとつだけどなんとか仕事も早く終わって家にいるように努力したりしてるのに、あんたは努力の一つもしたの?ねえ」


 母がメリーの顔を覗きこむ。「それでも本当にメリーだっていうの?」と首をかしげる。メリーは怯えながらも「ほ、本当にメリー…です」と頷いた。「そう」母はにっこりと笑って立ち上がる。


 「なら出てけ!」


 ドス! 叫ぶと同時に母はメリーを蹴った。


 「私の娘はメアリーひとりなの。あんたがメリーなら出てって!私はそんなやつしらないわ!」


 ドス! また蹴った。


 「痛い…いたいよぉ。やめて、ごめんなさい、メリーが悪かったから…ごめんなさい…お母さん…」


 バン!


 何も信じたくなかった。ただ体に痛みが走る。叩かれては息が出来ない。罵声しか聞こえない。


 「そうだったんだ。メリーの居場所は本当にどこにもなかったんだね」


 ドス!


 メリーの悲痛な声は届かない。


 なんでメリーは生きてるのかな? そう自分の存在する意味が分からなくなるメリーは視界が暗くなるとともに再びメアリーの記憶を思い出す――――

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