第7話 メリーの居場所


 学校へ行きたくなかった。そこへ行けば嫌でも薫や美帆たちに出会うからだ。それだけじゃない。今まで接していたすべての人の反応が違うかもしれない。隣の席の人や先生までもが『メリー』と『メアリー』を区別しているのだろう。それを目で確かめたくなかった。


 目が覚めても布団にうずくまったまま動けない。外では鳥の鳴き声が聞こえてくる。そろそろ学校へ向かわないといけない、がしかし体を動かしたくない。


 昨日は泣いた。泣きに泣いた。あの後自分がどう家に帰ったかも覚えていない。しかしそれでも鞄の中にはあのユニコーンのキーホルダーが入っていることだけはなぜか確かめるわけでもなく知っている。


 「……友達だよね? 薫ちゃん?美帆ちゃん?」


 確かめるように天井に言葉を発するがそれにこたえるものはいない。


 「友達だよね?」


 メリーの声だけが部屋に響く。



~~~



 学校へは行きたくなかった。しかし、それでもメリーは気が付けば教室の席に座っていた。寝間着から制服に着替えていては、目の前には薫と美帆が喋っている。


 「で、今日その美帆が見つけたカフェ行ってさ、たくさん食べようぜ。奢るからさ」

 「そうそう、だから嫌な気持ちをいったんリセットさせよう!」

 「好きなもの食べたら気分良くなるって」

 「そうそう!」


 二人越しに時計を確認する。2校時が終わった休み時間ごろ、か。学校へ行きたくなかったがそんな気持ちはメリーには関係ないらしい。知らずのうちに人格が入れ替わればメアリーが学校へ行ってしまうからだ。いつもの事だ。いつもの、しかし今日違うことと言えば自分がメアリーの存在を知ってしまっていることだろう。


 目の前にいる二人は覗き込むようにメリーを見ている。


 いや、ちがうんだ。二人が見ているのはきっとメアリーなんだ。メリーじゃない。だって私はもう一人の方なんだから。


 メリーは視線を逸らした。そして確かめるように教室を見回した。本を読んだりトイレに行ったり他の教室へと遊びに行く人、運動場が見える窓、列になって並んでいる机。その目に入るすべては見慣れたものであるはずなのになぜだか教室が知らない場所のように感じた。


 皆メリーを知っているんだよね。今までメリーと話したときもその裏腹には接し方を演じていたのかな。メリーじゃなくてメアリーを見ていたのかな。


 不安が募る。確かめたくもない考えにメリーは震えた。いつもだったらすぐに薫や美帆に話しかけるのに今は露骨に目を避けている。そんな様子を見て薫は「メリー?」とすぐに気が付いた。


 「……。」メリーは答えずに目を下に向けたままだった。

 「メリーなんだな」薫は続けた。


 「昨日は悪かった。…昨日だけじゃなくて今までのことも。私たちにとって隠すのが当たり前になっていたから、メリーがそんなにショックを受けるなんて思ってなかった…。ごめん」

 「わ、私も! 本当にごめんなさい。不安にさせるつもりはなかったの。本当に…今まで隠してごめんなさい。で、でも、本当に意地悪するつもりだったわけじゃないの。本当、ただ…」

 「言い訳するようになるけど騙そうと思ってたわけじゃないんだ。嫌な気持ちにさせてごめんな。直哉には私からきつく言っといたからさ」

 「そ、そう! あいつみたいにね、メリーちゃんが嫌いってやつはいないから。私たちは友達だし、クラスの皆もメリーちゃん好きなんだよ」

 「そーだよ、お前の元気な姿見てたらこっちまで元気になるってさ」

 「だから、メリーちゃん」

 「だからさ、メリー」


 二人はメリーに懺悔のように語り掛ける。しかしメリーにはその言葉が偽りで作ったものにしか聞こえなかった。なにせメリーは知っているのだ。あのユニコーンのキーホルダーの事を。


 …でも、また友達でいたい。二人と一緒にいたい。もしその言葉が作り物だとしても、一緒にいたいよぉ。


 これから一緒にいればきっと見る目が変わってしまうだろう。どこかで二人がぼろを出し、それに気づいてしまうだろう。たとえそうだとしても、メリーにとって二人が大切な人には変わりなかった。二人といて楽しかったことに変わりなかった。


 だからメリーは思った。たとえメリーはメアリーのついでの友達だとしても、メリーの事はなんとも思ってなくても、それでも二人と一緒にいれるなら、メリーはそれでいい。そんな希望に縋ろうと思った。


 「これからも友達だからね」

 「ずっと友達だぜ」


 「……薫ちゃん、美帆ちゃん」


 希望に縋りたかった。今目の前で見せる二人の顔がメアリーの記憶に見た笑顔と違ったとしても、今目の前で保護者の見守るような眼をしていたとしても。その一線を越えることが出来なくても。それでも一緒にいられるなら、希望に縋りたかった。


 でも。突然メリーに頭痛が走った。目の奥が揺れるように痛み始めた。「んっ!

あぁ…」知っている痛み。これは昨日メアリーの記憶を思い出した時と同じ痛みだ。


 目の前の光景。薫に美帆、周りにそれぞれの活動をするクラスメイト。並ぶ机に揺れるカーテン。もし昨日と同じなら、きっと思い出すのは学校の記憶。


 頭を押さえてうつぶせになるメリーに薫と美帆は「大丈夫か!?」と声をかけた。



――――



 メアリーの記憶。目の前には薫と美帆がいる。時期的には夏休み前の出来事だろうか。メアリーは二人と話していた。


 「いつになったら私はいつも通り生活できるのよ」不満そうにメアリーがぼやく。

 「まあそんなカリカリすんなよ。ストレスからくるやつなんだろ? それじゃあ長引くぜ」

 「じゃあどうしろっての!」

 「それをやめろって」

 「イライラするものはイライラするでしょ!」


 だいぶ不機嫌だ。その反応に二人は困っている。


 「やれやれ、どーする美帆」

 「私に言われても。ストレスなら発散させるしかないんじゃない?」

 「こいつのイライラ消えそうか?」

 「うーん」美帆がぶすーっとした顔のメアリーをみる。「厳しいわね」

 「だろ」


 少し悩んで薫は思い出したように「…あ、そーいえば、メリーのやつさ、この前学校が楽しいなんて言ってたぜ」といった。

 「はあ!? なんですって!?」それを聞いて激怒するメアリー。


 「ちょっ、なんで今そんなこというの薫ちゃん…」

 「だってストレスは発散させた方がいいって」

 「与えてるだけだよ!」

 「そう?」


 美帆の心配通りメアリーの口からは文句が止まらなくなった。


 「なんでっ…! 私がこんなに苦しんでるのに。あいつだけのうのうと楽しんでるのよ。こっちはずっと勉強勉強して成績よくしようと頑張ってたのに、あいつが現れてからまともに授業も受けられない。私がっ!私がどれだけ苦労してるっての。なんで私だけ苦しんであいつは楽しんでるの?あり得ない!」


 「ほ、ほら止めなきゃ」

 「えー、でも吐き出させた方が楽になるって」

 「ち、違くて皆見てるし、去年みたいになったらどうするのよ!」

 「…そん時は止めるよ。だって友達だし。ただメアリーが楽になる方法が分からないなら色々試すしかないだろ。…大丈夫、去年みたいなことにはさせないよ。私だって後悔してるし」


 薫と美帆の心配するさまにメアリーは気づかず続けて文句をたれている。


 「最近、周りからあいつの方が元気だねって言われるし、なんなのあいつ! …みんなもしかして私よりあいつの方がいいっていうの?」

 

 「「それは違う(よ)!」」


 メアリーの言葉を二人が遮った。


 「メ、メアリーちゃんがいいに決まってるじゃない!」

 「メアリー、私たちの友達はお前なんだから」


 「二人とも。……でも」


 メアリーは下を向いた。


 「不安になるの。私って明るいタイプじゃないでしょ。いつか私の居場所がなくなるんじゃないかって不安なの。知らない人から声を掛けられるたびに私より社交的なんだ、私より人付き合いいいのかな、ってね気が付くの。そしたら……そしたらね、私じゃない方がいいんじゃないかって。そう、そう思ったりするとね…」


 メアリーの頬に涙がこぼれる。「ご、ごめん」とすぐにメアリーは涙をぬぐいとる。


 「何を謝ることがあるんだよ。泣きたいならなけばいいだろ。我慢する必要なんてないって、ほら、ストレス解消になるしな」

 「私たちはね、メアリーちゃんがどうなっても友達のままだからね!」


 「うん…うん…」


 何度もうなずくメアリー。その背中をさする薫と美帆…。



――――



 メアリーの記憶を見た。頭を押さえながらメリーは顔を上げて二人の顔を覗いた。


 「大丈夫か?」

 「メリーちゃん大丈夫?」


 二人が心配そうに顔を覗きこんでいる。


 「なんで泣いてるんだ? なんかあったのか?」

 「ご、ごめんね。私たちまた何か傷つくこといっちゃたの?」


 まるで他人だ。もう、二人の顔は他人のようにしか見えない。メアリーの記憶を見るほど二人が遠ざかってしまう。


 「…大丈夫」


 メリーは元気なく答えて目を逸らした。二人の顔を見るのがきつかった。今すぐにでも前の関係に戻りたいのに、メリーの気持ちがそうさせてくれない。二人は友達であろうとしてくれているのに、メリー自身がそうなれないと感じている。


 「本当に大丈夫なのかメリー。どこか痛むんだったら保健室行こうか」

 「大丈夫?我慢しないでいいからね」


 「……。」


 …やめて。心配しないで。今メリーの近くにいないで。今は何も信じられそうにないの。だってね、メリーは邪魔者なんでしょ? メリーがいると二人も、メアリーも困るんでしょ? メリーがいない方が良かったんでしょ。


 どうしても考え方が卑屈になってしまう。そんなメリーに二人は「大丈夫?」と声をかけ続けていた。


 「大丈夫って言ってるでしょ!」


 つい、叫んだ。


 もうどうしようもなくて叫んだ。二人が嫌だったんじゃない、好きじゃなくなるのが嫌だった。今は近くにいてほしくなかっただけ。怒鳴るつもりなんてなかった。


 しかし、時すでに遅し。はっとした時には空気は固まっていた。薫と美帆は目を丸くして、クラスの皆もメリーの大声に振り返った。そんなつもりじゃなかったのに、まるでメリー自身で二人との関係を断ち切ろうとしているような場面になっていてメリーは焦った。


 しかし「……今はひとりにして」と冷たい声が出た。いつも元気だと言われた姿ではいられない。演じることも出来なかった。その言葉を二人に投げかけてメリーは逃げるように教室を飛び出した。


 行き場所はどこにもない。どうしてあんな態度をとってしまったかなんてわからない。本当だったら「一人で考える時間が欲しいの」と優しく言えばそうしてくれただろう。なんで。その後悔が今更付きまとう。


 薫と美帆は今は何を思っているんだろう。メリーのこと嫌いになったかな? 私のバカバカ!あほ! なんで、どうして…。


 取り合えずチャイムが鳴るまでトイレで過ごした。


 時間が経ち、教室に戻っても二人と目を合わせるのは気まずいままだった。クラスの皆も薫たちから事情を説明されたのか詳しく聞こうとする野次馬はいなかった。ただ一声かけたくてたまらないソワソワしている様子だけは伝わった。



~~~



 三回ほど時間は飛んだ。気が付いたら給食だったり午後の授業が始まったりしていた。給食の時間はいつものように薫と美帆と机をくっつけてご飯を食べたがその間会話が生まれることはなかった。


 ずっと黙ったまま、気まずい空気が続いた。


 そして掃除の時間が訪れる。メリーが理科室の机を拭いている最中、直哉が現れた。直哉の掃除の担当はここじゃない。一目でメリーに用事があるとまるわかりだった。


 「メリー、ちょっといいか」


 もとはといえばこいつが何も言わなければこんな風に悩むこともなかったのに。だけど直哉が言わなければメリーはずっと隠し事の中に生きていたのかな。


 複雑な感情の中、メリーは「なに?」と手を止める。


 「あ、あのさ。…昨日はごめん。ついカッとなっちゃってさ」

 「薫ちゃんに謝りに行けって言われたの?」

 「違うよ! むしろあいつはもうお前に近づくなって言われてんだ。…だからさ、掃除の時間ぐらいしかお前あいつらと離れてないから今、ちょっと…」


 何を言おうか言葉が詰まってあたふたする直哉。そして思い出したようにポケットから手紙を取り出しては「こ、これ」とメリーに手渡した。


 「なにこれ」


 白い封筒には『メアリーへ』と書いている。


 「あのさ、俺がメアリーの事を想ってることは知ってるだろ。…それで昨日の事で謝りたかったんだけど、どうしても気まずくてさ。お願い、その手紙をメアリーに渡してくれないか」


 なにを言ってんだこいつは。一瞬そう思った。結局はメリーに謝りに来たんじゃなくてメアリーに謝りたいだけじゃん。


 「お前にも悪いと思ってるからさ」


 絶対嘘だ。ただメアリーに対して後悔しているだけなんだ。メリーを通してメアリーを見ている。みんな、みんな。


 そう思った時再び頭痛がメリーを襲った。ああ、記憶だ。もう三度目となれば心構えするのは簡単だった。



――――



 休み時間。メアリーは机にノートを開いて勉強していた。


 そこへ直哉が来た。


 「なあメアリー。お、お前確か携帯持ってたよな」

 「? うん持ってるけど」

 「あーそうなんだ、あーそうか。んで、出来ればでいいんだけどさ、メアド交換しない? メアドだったらいつ送っても後から確認できるから便利だし、あいつがいても邪魔されることはないだろうし、どう?」


 少し照れながら説明する直哉を見て「ふふっ、なにそれ」と苦笑するメアリー。一言メアド交換しようといえばするのに、なんて思いながら「いいよ」と携帯を取り出す。


 お互いに携帯を介して連絡先を交換する。


 「あーうん、勉強の邪魔して悪かったな」

 「別に、平気よ」

 「平気なんてことはないだろ。授業だってまともに受けられないんだろ」

 「……。」


 それは『メリー』のせい。そこまで言葉にしないがメアリーはむすっとして黙り込む。


 「…悪い。気ぃ悪くさせた?」

 「別にぃ。ふふ、冗談よ」


 悪戯に笑うメアリー。


 「取り合えず私が平気って言ってるんだから平気なの」

 「ならいいけど」


 そしてメアドを交換した携帯を握りしめて立ち去ろうとして、直哉は思い出したように振り返った。


 「そーいえば、祭りのとき、浴衣似合ってたぜ。…髪型も」

 「はぁ!? え、いつ?」

 「見かけたんだよ。…見かけただけな」


 そう言って動揺するメアリーから逃げるように直哉は立ち去った。直哉的には褒めたかっただけだったのだが、あの時出会ったのはメリーであったのを思い出しぼろが出ないように立ち去ったのだ。


 そんなことも知らずメアリーは顔を赤くして再びノートにペンを乗せる。しかしその手は動かない。


 「集中できないじゃない…」


 そうぼそりと呟いた。



――――



 「おい、なに泣いてんだよ」


 直哉に言われてメリーははっと気が付く。「ごめん」と言いながら涙をぬぐい、「わかった、手紙渡しとくね」と笑顔で返す。


 「本当に大丈夫だろうな」と直哉が聞くと同時に掃除終わりのチャイムが鳴った。「ちゃんと渡すよ」と言いつつメリーは直哉を置いて教室に戻っていった。


 メリーはもうなんとなくわかっていたのだ。自分の居場所などないことに。誰からも求められていないことに。気が付いていたのだ。



~~~



 気が付けば家にいた。いつからかは分からない。ただ、ゴミ箱の中に直哉から渡された手紙がくしゃくしゃにされて入っていたことに気付いた。


 メリーがやったわけじゃない。気が付いたらそうだった。つまりはメアリーがやったのだろうが、果たして彼女は手紙を読んだのだろうか疑問に思う。


 くしゃくしゃにされた手紙。それが開封されているかどうか、メリーには確かめる気はなかった。手紙の内容を知ろうとも思わなかった。自分が知る権利なんてなにもないのだから。


 手紙の存在を忘れるようにメリーは布団にくるまった。

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