第6話 メリーの真実


 メリーは二重人格である。いや、正確には『メアリー』が二重人格である。メリーとはメアリーが生んだもう一人の人格なのである。


 美帆はしゃべった。隠すことなくその全てを。つい先ほどまで青春に溢れていたはずの体育館裏は秘密を暴露する陰湿な空気に変わっていた。語る美帆、見守る薫、睨みつける直哉、怯えるメリー。


 メリーという人格が生まれたのは突然のことだった。急に性格も変わったメアリーに皆が困惑している中、先生は言った。


 『皆さんも気づいていると思いますがメアリーさんは解離性同一症という病気、えー二重人格になりました。医者がいうには過度のストレスからくるもので一時的なものらしいです。皆さん困惑するかもしれませんが、メアリーさんをサポートしてあげてください。あとそれから、…このことをもう一つの人格に伝えるのは禁止します。別人格の方は自分が二重人格だと気づいていません。もし彼女がそのことに気が付いたらストレスを抱えるでしょう。その分治りが遅くなります。なので彼女と接する場合は気を付けてください』


 それからだった。クラスの皆は自然と彼女を『メリー』と呼んで区別するようになった。幸いにもメリーは自分が記憶が飛ぶ病と勘違いしているようで、隠すのは簡単だった。『二人はメアリーとよく一緒にいるでしょう。彼女に対してもサポートお願いできる?』そう先生に言われて美帆たちはメリーを見守った。


 人格が入れ替わっている間の記憶はない。その不便さをサポートする。また、お転婆なメリーが事件を引き起こさないか見守る。そんな日々が続きながらいつメアリーが元に戻るものかと待った。


 ―――そして、今に至る。

 

 「嘘…。信じられない」


 メリーは目を丸くし震えながら首を横に振った。美帆は「…確かにメリーちゃんには信じられないかもしれないけど」と怯えた猫を見守るような目をしている。その後ろで直哉が「嘘じゃねえ!お前に替わっている間記憶がないからメアリーが困ってんだろ!」と叫び、「お前は黙ってろ」と一蹴する薫。


 分からない。わからない。信じられない。


 戸惑うメリーに美帆が「大丈夫?」と歩み寄る。しかしメリーは逃げるように後ずさった。自分でもどうして後ろに引いたか分からない。ただどうしようもなく体が逃げたがっている。


 「あ、ああ…」メリーはうめき声とともに頭を押さえる。目の奥が締め付けられるように痛み始めた。眩暈がする。自分がまともに立っているか分からない。


 頭痛のなか、メリーは今までの記憶を思い返した。


 時々、みんなは私の事をメリーかどうか確かめるような言葉を発していたことを。『もしかしてメリーちゃんか?』『メリー?』『メリーだよな?』『メリーなんだな?』『メリーなのね?』『おお、メリーか』『メリーちゃん?』


 思えばずっと。美帆と薫だけではない。皆が自分をどっちなのか確認していたのだ。あの夏祭りの時も、遊園地の時も。そして学校でもずっと。


 ちらりと美帆を見る。『私実はね、花火一緒に見たい人がいるのよ』あのとき言った一緒に見たい人はきっともう一人の私だったのだ。メアリーだったのだ。


 記憶が飛ぶなんて不可思議なこと、どうして今まで普通に受け入れていたんだろう。考えればおかしなことだよ。なんで今頃その理由に気づいたの。


 違う。信じられない。そんなはずはない。


 顔をゆっくり上げた。そこには三人がメリーを見ている。とても心配そうな目をした友人二人と、威圧的な目をした直哉。そのすべてがまるで他人を見るような目だ。


 信じたくない、二重人格をではない。美帆と薫が私を友達と思っていないかもしれないことがあまりにも怖いのだ、信じたくないのだ、認めたくないのだ。


 でも、記憶が飛ぶこともみんなのぎこちなさも全てにつじつまが合う。二人が直哉のもとに行くのを止めたのは直哉が好きなのはメアリーだと知っていたから。夏祭りで迷子になったとき、二人は「メアリー!」と叫んで駆け寄ったこと。全てが真実を物語っている。


 嫌だ。今まで過ごしたすべてが否定される気がする。今この場から逃げ出したくて仕方ない。


 「メリーちゃん、隠しててごめん。でも…」

 「メリー、一回落ち着けな」


 ―――いや!こっちに来ないで!



~~~



 気が付けばメリーは走っていた。川辺沿い、夕日に照らされた知らぬ街並み。突如変わった風景を目にしてメリーは徐々にスピードを落として立ち止まる。


 「時間が飛んだ――いや」息を切らしながらメリーは首を振る。「もう一人の私に替わってたんだ…」そう言葉にして周りを見渡した。


 どこか分からない。携帯で時間と日付けを確認すると、さっき体育館裏にいたころから30分ほどしか経っていない。


 「そっか…もう一人の私が逃げ出したんだ」


 どうして。そう考えようとしてすぐに答えは出た。告白されるとまるわかりのあのメールだ。私は直哉とメールアドレスを交換した覚えはないのだからきっとメアリーが交換したのだ。どっちから言い出したかは分からないが二人は私の知らない間に仲が良かったのかもしれない。その二人の告白の場に私が現れたのだ。最悪の状況になった場にメアリーに替わる。ああ、逃げ出したくもなる。


 直哉の言葉を思い出す。


 「私は邪魔者…メアリーの迷惑……」


 どうしようもなく涙が溢れてきた。突然自分の存在を否定された気持ちになる。涙を拭おうと頬を触ると、すでにびしょびしょになっていることに気づいた。


 「…もう一人の私も泣いてたんだね」


 逃げ出したい。その気持ちに呼応するように時間は飛んだ。正確には人格が入れ替わった。でもだからといって物事がいい方に傾いたわけでもない。これからどうしようもない困難が待ち受けている。


 それでも一難は去った。あの場にいたら疑心暗鬼になった私は二人とどう接したらいいか分からなかった。直哉になんて言い返せばいいか分からなかった。


 ほっとすると力が抜けた。さっきまで走っていたせいもあるのだろう。ぼーっとしてメリーは右肩にかけていた鞄を落とした。その落とした鞄は開いていた。急いでいたから鞄が開いていることに気が付かなかったのか、走っている途中で開いてしまったのかは定かではない。結果として開いた鞄が落ちるのと同じくして中に入っていた教科書や筆箱が地面に転がった。


 「……もう最悪」


 急いで拾う気力もないメリーは腰を曲げて一つ一つゆっくりと鞄に入れていく。ひとつ、ひとつ。その途中メリーは持っているはずのない、しかし見覚えのあるものを手にしては動きを止めた。


 キラキラしたユニコーンのキーホルダー。


 「遊園地のやつ…でも薫がとったはずじゃあ」そこまで口にしてメリーは気が付いた。「ああそう…またもう一人の私なんだね。もう一人の私が…二人はメリーじゃなくてメアリーに渡したかったんだね…」


 また涙が溢れだす。と同時に、頭痛がメリーを襲った。「……っ!」頭の奥の奥、キーホルダーを見てメリーは自分の知らない記憶を思い出し始めた…。



――――



 「はっ!ここは?」


 夢から覚めたようにメアリーがあたりを見渡す。周りには学生やスーツを着た人やおしゃれをした人、様々な人で溢れている。遠くで電車のブレーキ音と風を切る音が聞こえてメアリーは自分が駅のホームにいるのだと気が付いた。


 「おっメアリー、おかえり。今は遊園地の帰りで電車に乗るとこ」人格が入れ替わったことに気が付いた薫が教えてくれる。


 「そっか、私また迷惑かけたのね。ごめんね」

 「謝ることはないって。仕方ないことだろ」

 「でも……」


 「そうだよ、メアリーは何も悪くないよ」と美帆もメアリーを慰める。

 「うん…」しかしメアリーは下を向いて元気がないままだ。


 「せっかく遊園地来たのに、私がこんなんだからまともに遊べないでしょ」

 「そんなことないってば。今日は超楽しかったって。メリーもジェットコースターで超叫んで面白かったし」

 「その名前私の前で呼ばないで」

 「……あ、ごめん」


 『メリー』その名前を聞いてメアリーが不機嫌になる。それからため息をついて「はあ、私もジェットコースター怖かったわよ」と思い返す。気が付いたらジェットコースターの席に座っていて心の準備もすることも出来ずに動きだす。あの恐怖ったらない。「なんとか急降下の前にあいつに替われたからいいけど」


 「怖かった?」

 「怖かったに決まってるでしょ。気づいたら乗ってるのよ?心構えもくそもないじゃない」

 「まあまあ、そのあとにもう一回乗れたからいいじゃない」

 「私乗りたいって言った覚えない。気づいたら列にいたの」

 「心構え出来ないアトラクションもそれはそれでスリルあって楽しそうだけどな」

 「…そう、代われるものなら代わってあげたいわ」

 「はは、冗談だってば」


 薫がメアリーを軽くつついて笑った。それに対してメアリーもどついてやり返す。


 ――知らない。私はこんな風に笑う薫ちゃんを知らない。


 メアリーたちは電車に乗り込む。人がいっぱいの中、三人で談笑して今日を思い返す。そして自分の街に近づくにつれてだんだん電車の中がすいて三人は席に座った。


 「そうだ、メアリーに渡すものがあったんだった」

 「渡すもの?」


 「あ、あれね。ほら、お土産屋さんの前にいたでしょ。その時に渡すつもりだったんだけどね」

 「ああちょうどあいつに替わっちゃってさ、焦ったよ」


 苦笑しながら薫は鞄からユニコーンのキーホルダーを取り出した。


 「これ、私たちからのプレゼント」とメアリーに手渡す。

 「おお、ユニコーンだ」


 「しかもお揃いです!」と美帆と薫は同じユニコーンのキーホルダーを鞄から出して見せた。「色違い、メアリーは赤のユニコーン、私は黄色、薫は白」「赤っつーかピンクだけどな」「細かいことはいいでしょ」「それもそうだな」


 「二人ともありがと…」メアリーはキーホルダーを大事そうに握りしめた。


 「私たちはメアリーがどんなになっても友達だからな。このキーホルダーはその証」

 「うん。絶対大事にするね…」


 メアリーはつい涙ぐんでいた。



――――



 ……記憶を見た。知らない私と、知らない私の友達。メリーは記憶を見ては涙をぼろぼろこぼしていた。ゆっくりと首を振っては信じたくないと現実逃避しようとするが目の前にあるキーホルダーがそれすらさせてくれない。


 「そっかぁ、もう一人なのはメリーのほうなんだね…」


 声が漏れた。口にすると認めざるを得なくなる、その真実を改めて突き付けられてまた涙がこぼれる。


 キーホルダーを強く握りしめる。と、急にメリーは衝動に駆られて川にキーホルダーを投げ捨てようと立ち上がって構えた。


 「……っ」


 構えたまま、その手は止まった。そしてさっき見た記憶を思い返す。幸せそうな薫と美帆の顔。このキーホルダーには思いが込められている。


 「出来ない…出来るわけないよぉ…」


 メリーは崩れるように膝をついた。そして泣き叫んだ。泣いては泣いて、泣きまくった。どこにも向けられない自分の感情を抑えられず、言葉にすることも出来ず、ただ泣き叫んだ。


 「うわあああああああああああああんん!!」


 夕方、夕日が照り付ける街、ここは浦々丘。人々が一日の活動を終える中、少女は一日の終わりにどうしようもなくただ河川敷で泣いていた。少女は嗚咽に鼻水を交えて涙をこぼし、そこへ縛られていないロングの髪が冷えた風に吹かれて揺れている。


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