第11話

 早速、廊下の片隅に設置されていた掃除道具が入っている木製のロッカーを開くと、これまた酷い匂いがした。

『掃除道具…洗って乾かしてから入れようよ…』

 下働きにここの掃除が任せた訳が分かった。きっとこの状況を知っていたのだろう。

 掃除道具の掃除から開始するという事実にゲンナリしつつ、書庫に鍵を掛ける。

 廊下のすぐ奥にある扉を出ると、手押しポンプの井戸があった。

(手押しでマジ良かった〜)

 神殿の敷地内には、つるべ落としの井戸がまだ残っているのだ。

 それに当たると本当に嫌になる。今はジェイがいないから水を汲むだけで疲れてしまうだろう。

 ホッとしつつガッコンガッコン押して水を呼び出すと、モップから掃除をする。

(香油持ってきてよかった)

 掃除の達人である先輩に教えてもらったものだ。

 ミントのようなさっぱりとした香りがするオイルだがスースーしない。

 石鹸と香油をバケツに突っ込んで、モップを軽く流す。

 カビだかドロだかよく分からないものが染み出してきた。

(ヤバいコレ、時間かかるぅ〜)

 レイリアが数日掛かっても良いと言った理由が分かった瞬間だった。

 無心状態で洗濯すること1時間半、真っ白とまではいかないが、ようやく掃除道具の掃除が終わる。

『うぐぐ…肩凝った…腰いてぇ』

 一度立ち上がり伸びをする。

 こういう作業中は日本語が出てしまう。

 いつもはこちらの言葉に直すようにするが、今は”話せない”ほうが都合がいいので、書庫の掃除中は日本語で通すことに決めた。

(さーて、と)

 3つあるモップの柄は腐っていて全滅だったため、床掃除は明日になりそうだ。

 ひとまず持ってきた雑巾と水を入れたバケツを持って、書庫へ戻る。

 そーっと歩いてもホコリが舞うし、床にはクッキリと足跡がついた。

『椅子と机と、本棚の側を拭くか』

 換気をしたいところだが、当然の如く書庫には窓がない。

 これからやる事には好都合なのだが、自分の肺には絶対に良くない。

 念の為と思い持ってきた布巾を鼻と口を覆うように着ける。

 頭も布巾をつけているので、まるで怪しい人だ。

『くっさ〜…マジでヤバイよコレ…』

 誰も来ないことを幸いに、愚痴を言いつつテーブルと椅子を拭き、本には触れないように本棚を拭きあげる。

 汚れが酷く、何度も井戸を往復する羽目になり仕事を引き受けたことを少し後悔した。

 しかし、その間にもホコリまみれの本からタイトルを読み取り、読む物の目星をつけておく。

 あまり濡らすと乾かなくなるので、本棚を半分水拭きしたところで、乾いた布を追加で持ってきて丁寧に拭き上げる。

 初日はそれだけで終わってしまった。

 カビ臭い匂いを外で落としてから部屋へ戻り、肩を揉んでいると、レイリアが訪ねてきて評価は上々よ、と伝えてくれる。

 どうやら自分が退室したあとにチェックが入ったようだ。

(セコい)

 そう思うが、書庫があんな状態だったから心配になるのもわかる。

 その日ユウは、泥のように疲れて帰ってきたジェイを出迎えて早々に寝た。

 そして次の日も書庫へ通う。場所は覚えているので、今日は一人だ。

 渡り廊下をしずしずと隠密で歩いていると、前方に神官同士が話しているのが目につく。

(私のことか…?)

 聖女をたぶらかした、という言葉が聞こえてくるのできっとそうだろう。

 もしかしたら自分を待ち構えていたのかも、と思いつつ若草色のフードを被りすっと気配を消す。


「帰りたいなどとおっしゃられたら大変だ」

「そうならないよう、あの魔族は監視せねばならない」

「そうだ、近づけてはならぬ」


 アンタの言う魔族は横にいますよ、と思うが彼らは自分たちが正しくてユウがおかしいやつだ、という話を止めずに、横を素通りする彼女に全く気が付かなかった。

 書庫まで来ると、鍵を開けて中へ入る。

『ふぅ。隠密っていいな』

 もちろん万能ではないだろうが、二流、いや先程のような三流の神官程度なら、気付かれないまま通り過ぎる事ができる。

(それにしても…)

 神官の話していたことが気になる。

(帰りたいと言われたら困るって…?)

 既にホームシックにかかっていたはずだが。

 首を傾げつつ掃除道具の様子を見に外へ行くと、幸いモップは乾いてくれていた。

『良かった!匂いも消えたね』

 今日も香油を持ってきている。

 バケツに水を汲み、新しく持ってきた柄を使いモップを組み立てて書庫へ戻ると、内側から鍵を掛けて掃除を始める。

 レイリアに「女の子だから一人での掃除中は危険だし鍵を掛けてね」と言われたためだ。

(ま、建前だけども)

 こんな見た目の自分を襲う奴が居るとは思えないが、ここの本を読む前に邪魔はされたくない。

『さーて、今日は床だな!』

 床には大量の足跡がついている。もちろんカビもありそうだ。

 ユウはテーブルを端に寄せてその上に椅子を逆さに上げると、床を掃除し始める。



(うーん、昼飯食えなくなりそう…)

 布でマスクをしているものの、匂いが酷い。

 頑張って往復しながら掃除をしていると、腰を伸ばすために顔を上げた際、壁に何かつなぎ目が在ることに気が付いた。

 よく見ると、蓋のように何かが被さっている。

『お??』

 少し回して引っ張ると、それはゴルフボール大の、通気孔を塞ぐ蓋だった。

 見れば、壁に等間隔に三つ程度ある。

『あるじゃん!!!』

 ユウは喜んで全て開けると、風が通り室内の匂いが薄れる。

 反対側の扉は閉まっているが、この世界に密封などない。隙間から風が出ていっているようだ。

(良かった…カビ臭で死ぬかと思った…)

 床を拭き上げ、香油を少し垂らして乾いた布で拭いて磨く。

 本棚が失われた輝きを放つようになったが、それだけで午前中が終わってしまう。

 昼食はジェイに会えなかったので食事を手早く済ませて戻ってくると、次は、と目星をつける。

「手強い。が、やりがいはある」

 今朝、ジェイが言った言葉である。

 いつも真っ直ぐな彼は、時たまクサイ台詞を堂々と言う。

 今では慣れたが、最初は本気なのかキザなのか分からず悩んだものだ。

 世話を焼かれて彼を知るうちに、それは素直な言葉だと知った。

(そこが好きなんだよなぁ)

 真剣な目に惚れ直すなーと思ったものだ。

『よっしゃ午後も頑張ろう』

 書庫のカビ臭が減っただけでもやる気はアップしていた。

 それにようやく、本にも手をつけられそうである。

 触るな、と言われたが無理だ。

 それならば触った形跡がわからないように、綺麗にすればいい。

『えーっと、気になってたやつは、と』

 棚の一角には聖女に関する書物もたくさんある。

 しかしそこから手を付けると何か言われそうだな、と思ったので後ろ髪を引かれつつも、ものすごく気になっていた本がある場所へ掃除道具と共に移動する。

 幸いそこは一番隅の本棚。

 他とカテゴリが違うらしく、大きさのまちまちな本が詰め込まれていた。

 ここから作業すれば、ど真ん中にある聖女の史実系へ先に手を付けるより不自然ではないだろう。

(それにこれは…誰にも読めない)

 ユウは手袋を嵌めて、端にあった薄く小さな本を手に取る。

 背表紙には手書きでこう書かれていた。


 ”聖女ノススメ”


『日本の人…だよね?』

 疑問形なのは、平仮名部分がカタカナの為だ。

 昔、小学校の時に教えてもらった手での製本方法のような、黒い紐を通した物。

 上にはホコリが積もっていたので、丁寧に乾いた布で取り去りゴミ袋へ入れる。

 虫食いはなさそうでホッとした。

 ドキドキしながら表紙をめくり、中を読み始める。

 少ししてユウは顔を上げた。

『……聖女だけども…』

 この本を書いたのは聖女だ。そしてやはり日本人。明治大正、または昭和初期くらいの人のようだ。

 だがしかし。

(…なんつーか…お転婆…?)

 半分日記のような感じで、脱走した話が山程書いてある。

 そして昔から神官どもはウザかったらしい。愚痴も山程書かれていた。

(!)

 ペラペラと脱走日記を読んでいると、魔法の事が書いてある。

 隠匿、姿変化など様々な魔法を駆使して、神殿を抜け出していたようだ。

 使い方もちゃんと書いてある。

(さすがご先祖様!)

 ウキウキしながら先を読む。


 ”魔力を言霊で思った通りに具現化する”


(ふむ、なるほど。イメージはあってるんだな。言葉か)

 RPGゲームのように、決められた言葉が在るわけではないらしい。

 確かに以前試した時は厨二病かと心でツッコミ、恥ずかしくて言葉には出さなかった。

(てことは)

 昨日、腐ったモップの柄を持った時に傷を負った手の平を見た。

 今はジェイの看護により包帯でグルグル巻きだ。

 本を棚に戻して、怪我をした手にもう片方の手を添える。

(魔力は、解る)

 エマがこの世界に顕現した際に、感じた波動。

 あれに反発して揺れる力が、自分の中に在るのを知った。

(手のひらに魔力を誘導して、傷が塞がるイメージで…)

 そして、言葉。

(なんだろうな。うーん…ヒールとか?)

 勇気を出して言葉にしてみる。

「ヒール」

 ほわん、と手の平がほのかに光り、すぐに消える。

(マジで!!!)

 巻いた包帯を急いで取りながら、じんじんした熱い痛みが消えている事に気が付いていた。

『治ってる…!』

 ザックリと5センチ位あった傷は跡形もなく、消えていた。

(すごいよ、ご先祖様!!)

 思わず本に向かって拝んでしまう。

 これで自分が怪我をしても治せる。もちろんジェイが最近こさえてくる傷も。

(よしよし。という事は)

 本の上に積もる分厚いホコリを見やると、風で浮き上がらせて火でジュッと燃やすというのはどうだろう?という方法を思いつく。

(言霊は…)

『コンベアー焼却!』

 実践してみればそれはたやすく、風も思った通りに誘導出来る。

(魔法少女…いや、魔法おばさん爆誕!!)

 思わず静かにガッツポーズを取ってしまった。

『でも、これで触らずに掃除が出来るな』

 本はなるべく水で濡らしたくない。油も染みてしまうので駄目だ。

 この方法なら、虫を見つけても一瞬で始末出来る。

(その前に)

 浮き立つ心をなんとか沈ませて、脱走聖女の本を再び読む。

 "魔法は人間よりも自分を助けてくれる"と書いてあり、苦労したんだなぁという事が分かった。

(という事は、エマも使えるんだ)

 あのおっさんどもの事だから、聖女の固有技である浄化しか教えてなさそうだが。

 脱走聖女の本を読み終えると、棚へ戻して再度拝む。

(ありがとうございます。マジ助かりました…)

 魔力切れというのもあるらしいので、ゆっくりと風を操作してホコリを集め燃やす。

 そうやって目についた本を読みつつ、棚一つを丁寧に綺麗に仕上げてその日は終わった。

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