第5話

 アンガスは目を見開いた。

 己の手の甲の紋章を疑う訳ではなかったが、16年の間、全く感じなかった強大な聖気を目の前にして、言葉を失っていた。

「……」

 それは周囲の神官たちも同じようで、大神殿の礼拝堂の裏に作られた、召喚用魔法陣の中央に座り込む女性を、皆が食い入るように見つめている。

 俯いていた女性が顔を上げた。

 淡い赤みがかった茶色の髪に、緑と金が混じる瞳。

 ほっそりとした白い首がふわりと落ちた髪からのぞく。

「あの…ここはどこでしょうか…?」

「!」

 はっきりと聞こえた言葉。

 それはハープの美しい音色のように、落ち着いた心地よい声音。

(やはり、伝承は本当だった。聖女は言葉を解する)

 一瞬浮かんだのは、言葉を理解しない魔族のような少年の姿。

 アンガスは小さく頭を振ると膝を折り、聖女の手を取った。

「ここはジリアン神を祀る大神殿が据えられたスーベニア。ようこそ、聖女様」

 そうして頭を垂れると、周囲の神官たちも倣い膝を折り目線を床へ下げる。

 誰もが興奮していた。

 その初々しい、美しい姿に。強大な聖気に。

 アンガスを筆頭に、自分たちこそが正義だったのだ、と間違った心を持つ者も多くいた。

 その心が、何を招くかも知らずに。

「聖女様、お部屋へご案内致しましょう」

 少女は彼女のために用意されていた居室へ案内され、神官長が彼女へこの世界のことを説明をするために護衛とともにそれに続いた。

 そして分厚い扉が閉まると、ほうぼうで叫び声が上がる。

「やったぞ!!」

「本当にいらしてくれた、聖女様が」

「なんとお美しい…警備を厳重にせねば」

「王都の父上へ連絡だ。誰か伝令鳥を…!」

 各々勝手に騒ぎ、それは中級・下級神官にも仕事という名目で伝えられる。

 ある者は伝令を飛ばし、ある者は町へ出ていく。

 様々な憶測と伝令が飛び交う中、ユウたち下働きの者が招集されたのは予想通り翌日のことだった。

 いつもの食堂でレイリアが朝礼をする。

 普段と違うのは、聖女が本当に召喚された、という話だった。

「しかし、あなた方の仕事はいつも通りです。…ただ、量は増えます」

 誰かが「どうしてですか?」と尋ねた。

 神官は一定以上の教養や資格と地位が必要で、そうそう増えないためだ。

 レイリアは柔らかく微笑みつつ伝える。

「聖女様の降臨をお聞きになり、周辺の領などからお祝いを持って、使者がいらっしゃるそうです」

 質問した女性は頷いた。

 それに、とレイリアは真剣な顔をする。

「もしかしたら、ですが…王都から賓客がいらっしゃいます。その方々の衣服のお洗濯は我々では出来ませんが、その従者の方たちの洗濯は手伝わねばならないかもしれません」

 ユウとジェイは顔を見合わせる。

 王様でも来るの?とこっそり聞けば、それはないだろ、と返ってくる。

(じゃあ誰が来るのかな?)

 この国は王政だと聞いた。王子様でもいるのか、とユウは少しワクワクした。

 朝礼が終わり、今日の担当場所は林のゴミ掃除ということで、ジェイと作業していると上級神官が目の端に映った。

(滅多にこっちへ来ないのに…)

 賓客とやらの部屋の用意でもするのだろうか、でもそういう人が泊まる場所は神殿のすぐ裏の建物の内部にある。

 その建物と宿舎を隔てる林の中で上級神官と話しているのは中級神官だ。

 ユウは掃除をしながらこっそり近づいた。

(隠密〜隠密〜私は見えません〜)

 頭の中だけで気の抜けるでたらめな歌を歌っていると、声が聞こえてきた。

(ふむ。取り入る、もしくは、奪い取る。…物騒だなぁ)

 そこまで聞いてさっさと離れる。気付かれたら物理的に首が飛ぶ。

(顔は覚えたぞ)

 上級神官は、神官としては罪人へ傷をつけるような断罪は不可能だが、貴族の面ではそういう権限も持ち合わせていた。

(聖女も可哀想に。日本人かなぁ)

 自分は日本から来たが、異世界転移をネタにする小説のように、日本固定ではないかもしれない。

 むしろ、外国の人のほうが聖女らしい人は山程いるだろう。

(ま、とりあえず美人は確定だね。攫おうとするくらいだし)

 しゃがんでチマチマと葉っぱと言う名のゴミを拾いながら思う。

 そこへジェイが来た。

「終わったかー?」

「もーちょい。袋、貸せ…貸して」

 そこで初めて神官は掃除をする二人に目を留めたが、すぐにどうでもいいと話に夢中になる。

 上級神官は自分を毛嫌いしているはずだが、今は隠密を発動していて認識し辛い上に、彼らはユウが未だに会話がまともに出来ないと思っている。

 レイリアが先日、異世界人…つまりユウの事を聞きにきた上級神官の使者に、そう質問されて憤慨したそうだ。

 なんと答えたのか聞いてみると「ちゃんと話せますしとても頭がいいのですよ!」と返したとか。

 余計な情報を流さなくてもいいのに、と思ったが、ユウがそこそこ話せる事は、一緒に仕事をした下級神官と繋がりのある中級神官にも知られている。

(今更だ)

 手にしたゴミをジェイの差し出す袋に入れると、立ち上がる。

「渡り廊下、の、向こう?」

「ああ。やっぱ洗濯が多くなってるみたいだ。人が足りねーって」

 ジェイは肩をすくめると、重たい麻袋で出来たゴミ袋を担ぐ。

 こういう時、身体強化というスキルをデフォルトで持っている獣人はいいなと思う。

「身体強化、私も、覚える?」

 歩きながら聞くと、ジェイは首を捻る。

「うーーーん、身体強化は…生まれつきが多いって聞くなぁ。鍛錬で出来るもんかな?」

「…わかった。運動、苦手」

 25歳…もうそろそろ26歳になるかもしれないが、今まで運動らしい運動をしたことがない。

 学生時代も天文部だった。

 その知識もここでは意味をなさない。

「でも、筋肉は付けたほうがいいぜ」

「女だぞ?」

「でも、俺のカーチャンはムキムキだったし」

「銀狼ない!」

 ジェイはゲラゲラ笑っている。

 一応は日々の炊事洗濯掃除で日本にいた時よりは筋肉がついているし、身体も引き締まった。

 そのせいで余計に少年のような扱いも受けてしまうのだが、自分よりもジェイがその事を気にしていた。

「あっ」

 髪を結っていた紐が解ける。

 ゴムはないので、紐で結ぶには少し難しい長さの髪なのだ。

「髪は伸ばすのか?」

「短い、長い、どっちいい?」

 誰に切ってもらえばいいか分からずに、伸ばしっぱなしになっているだけだ。

 一年前はボブに近いショートカットだったが、今は肩を過ぎるまで伸びている。

 ここではシャンプーやリンスがなく石鹸で髪を洗うので、毛先はかなり傷んでいた。

「伸ばせよ。長いのも見てみたい」

「うん」

 この世界に染料はないのだろうか、いやアルコールがあれば脱色くらいは出来るかと思いつつ、解けた髪を四苦八苦して再び結わえると、反対側の林へ向かう。

 この日は掃除をしているだけで日が暮れた。

 次の日も、その次の日も。

 王都からはやんごとなき誰かが来たらしいが、箝口令が敷かれているらしく正体不明…と思いきや、人の噂に戸が立てられぬのはこの世界でも同じらしい。

 どうやら王太子が来た、という噂が下働きの間に瞬く間に広まった。

 誰もが見たがったが、当然、神殿で底辺の仕事をしている彼らが殿上人を見ることはできない。

 ユウはリアル王子に興味はあったが、そのうち神殿を出たら見れるだろうと思っただけ。

 その日もジェイとセットで、宿舎の裏手にある焼却炉でゴミを燃やしていた。

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