第4話

「もうすぐだ」

 初老の男の低い声が小さな部屋に響く。

 神官長のアンガスは自分のために特別に造らせた祈りの間で薄笑いを浮かべた。

 手の甲には薄く光る、召喚士の紋章。

 円に蔦が絡むような形で、真ん中には星十字が描かれている。

「あれから20年か…」

 召喚士を探していると神官が雇い主の元へ訪れていたようだが、自分たちは全く知らされずに畑を耕していた。

 その手に光とともに現れた紋章。

 神官は聖気を察知してすぐにアンガスの元へ駆け付けたが、彼を連れて行こうとした神官を雇い主である豪族は退けた。

 金の卵であるアンガスを養子にした豪族は、彼に教師をつけ丸5年かけて貴族のように仕立て上げ、満を持してスーベニアへ連れて行ったのである。

(あの時のやつらの顔は、いつ思い出しても酒が飲める…)

 彼は、渋い顔をして膝を折り出迎えた貴族の神官たちを見て、優越感を持ってしまった。

 最初はその感情を恥じて、神官たちと仲良くとまではいかないが、会話が出来るように頑張ったりもした。

 スーベニアへ来た当初は世界を救いたいと…瘴穴が現れて不作となり同僚たちが次々に倒れた故郷をなんとかしたい、という一心で祈っていたのだが、10年も聖女を召喚出来ずにいれば、まっさらな心も焦りとともに妙な色に染まってしまった。

 最近では、聖女を召喚して貴族たちに一泡吹かせたいと思うようになってきている。

(だがこんな私でも、召喚出来る)

 手の甲を愛しげに撫でる。

 これのお陰で今まで殺されず、裕福な生活が出来ていた。

 ジリアン神のお膝元であるスーベニア大神殿の戒律は特に厳しくなく、酒も女性も選び放題だった。

 しかしそれはアンガスを堕落させるべく…召喚士の印を消すべく上級神官が提供したものだったが、貴重な献金を消費し、更にはアンガスを金と権力の亡者にさせただけだった。

(奴等はコレの価値を分かっていない)

 唯一無二の紋章は聖女に匹敵する。

 いや、それ以上だとも彼は思う。

(聖女ではない、私こそがこの世界の救世主なのだ…!)

 アンガスは自分に暗示をかけるように強く思うと、立ち上がる。

「時は来た。祈りは満ちた…私の名を史実に残すのだ」

 そう呟くと、ひっそりと祈りの間を出ていった。


◆◆◆


「今日は…空気が、緊張してる」

「だな。やっとか?」

 食堂でユウとジェイはお昼ごはんを食べながら話す。

 周囲でも、さわさわと同じような会話がされていた。

 聖女召喚の必要性を聞いた3日後、神殿が異様な緊張感に包まれたのが分かった。

 レイリアは朝から下働きを集め、静かに作業するように、極力今日の作業分はお昼前に済ませて下さい、と伝えていた。

 そしてユウには上級神官から一言、”本殿へ近寄るな”と紙で伝言があった。

(バカバカしい)

 そもそも自分は下働きだ。召喚が行われる場所になんて近寄れないし場所も覚えてない。

 神殿内部は下級神官が仕事をする場所だから、自分の仕事もない。

 万が一を考えているのだろうが、どういった事件を考えているんだろう?とも思う。

(私が考えるとしたら同情だ。呼び出される人の)

 恐らく自分よりは待遇が遥かにいいだろうし、伝承が本当なら言葉にも不自由しないはずだ。

 いきなり下働きになるような事は無いだろう。

(と、思いたい)

 というのも、貴族で固められた上級神官だけは考えている事がわからないためだ。

 下級と中級神官くらいまでなら、仲良くやれる自信がある。

 上級神官…貴族たちは自分の利になる事しか考えてないのだろうと思われるが、それにしてもやり方がまだるっこしい。

 裏でコソコソと手を握ったり外したり。

 日本の政治家よりも露骨だ、とも思う。

「おわ!?」

「っ!!」

 ドン!という音と共に、床が…建物が揺れる。

 ジェイが慌ててユウの肩を抱え、床へ伏せた。

 周囲からも叫び声が上がっている。

(地震??)

「すげぇ揺れんな!」

「う、うん」

 ジェイの腕を掴み身体を支えつつ、神殿が見える窓を見れば、光の柱が天に登っていた。

 キラキラと、辺りには小さな星が舞っている。

 自分の時は無かった光だ。

 皆、その美しい光景に吸い込まれるように魅入っていた。

 いよいよ聖女が召喚されたらしい、と食堂にいる者たちもざわつき始めた。

 ジェイを見ると、彼も頷いた。

「…すげぇ聖気」

 ジェイは耳と尻尾をピンとたてていたが、毛が膨れている。

 何かの力を肌で感じ取っているようだ。

「あ…これ…」

 波打つように何かが身体にぶつかり、駆け抜けていっている。

 自分が池の中の小石で、池に投げかけられた衝撃から発する波紋に当たっているような感覚。

「あったかくて、やわらかい?」

 ジェイは頷く。

 それは確かに瘴気を浄化しそうな、柔らかな魔力の波動だった。

「こりゃ凄いやつが来たぞ!」

「…あれは、聖女。戦わない」

 わくわくすっぞ!みたいに言われても、とジェイの腕をぽんぽんと叩いて立ち上がる。

「ほら、食事。さっさと食べる。きっと、客が来る」

「客??」

「うん。貴族、巡礼者。休憩しよう」

 年配の下働きもユウと同じ意見なのか、手早く食事を済ませて食堂を出て行っている。

 ユウたちも食事を済ませると、ジェイを連れて部屋に戻った。

 こういう時に下手に出歩いていると、気が立ったり浮かれたりしている神官に、何を言われるかわからない。

「寝るのか??全然寝れねーんだけど!?」

「明日、きついぞ。早く寝ろ」

 小さな部屋に押し込まれた二段ベッドの上下で会話をする。

 ちなみに上がユウで下がジェイだ。

 少しの間ジェイは騒がしかったが、聖気の穏やかな魔力に晒されたせいか、途中で声が聞こえなくなった。

(よし、寝たな)

 ユウも薄い布切れのような布団を被り直す。

 今頃、未だ見たこともないスーベニアの外は大騒ぎだろう。

(関係ないけどね…)

 何も出来ないし、その権限もない。

 自分はレイリアの招集が掛かるまで、部屋で待機していればいい。

(どんな人だろう…)

 考えているうちに、ユウも暖かい聖気に撫でられるように眠りに落ちる。

 聖女が召喚され、その余波がまだ来ない宿舎は表面上は落ち着いていた。

 が、離れた街や都市、王都では飛んできた強力な聖気に大騒ぎになっていた。

 明らかに少なくなった瘴気に、誰もが浮かれ出す。

 そして聖女をひと目見ようと、スーベニアに向かって大移動が始まった。

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