第3話

 綺麗に白い牙が並んだそこへクッキーを放り込む。

「もがっ!?」

 ジェイは慌ててクッキーを噛み砕いて飲み込むと、ユウの肩をがっしと掴んだ。

「知らねーのか!?」

「聞いてない。声、分からなかった」

「ああ…そりゃそーか…」

 ここへ来た当初はヒアリングも一切出来なかった。

 真顔で言うユウにジェイはため息を一つついて、キョロキョロと食堂を見回す。

「お、いたいた」

 何かと思えばレイリアを探していた。

 彼女もちょうど休憩をしていた所で、ジェイの視線に気がつく。

 彼は立ち上がりレイリアの元へ行くと、二つ三つ言葉を交わしただけでレイリアがすっ飛んできた。

(大げさだな…)

 決して大げさではない。

 聖女召喚のテストで呼ばれその後すぐに放置された事を、ユウは他人事のように考えていた。

「ユウ、ごめんなさいね。今まで説明をしていなくて…てっきり神官長様が説明したものだと…」

「声、分からなかった」

 レイリアはそうだったわね、と悲しそうに微笑む。

 気を遣わなくていいのにと思うが、この世界の人は日本人よりも表情豊かだ。

 そのため、無表情を気取っているわけではないが、そう見えてしまうユウは、"いつも冷静で得体が知れない"と神官たちに噂されていた。

「とにかく説明をしなくてはね。…この世界は神様…ジリアン様が創った世界と言われているわ」

 ジリアンという男神は、もちろん神殿の最奥ど真ん中に祀られているがユウは見たことがない。

 宿舎にはところどころ壁に小さな凹みが彫られていて、そこに顔が判別できないくらいすり減った神像が置かれていたから、神様はいるんだな、と思っていたが。

(男神…女神だと思ってた)

 とても長いウェーブした髪にひらひらしたトーガを纏った神様だからだ。

 髪や目の色はわからないらしい。

「ジリアン様にはハーマン様という弟がいらして、自分も何かしたいと魔族をお造りになったの」

 人の世界になんと迷惑な。しかもだ。

「…力に、差、あるよ?」

「ええ。だからジリアン様は慌てて、魔族の住む大陸と人と亜人の住む大陸を離したの」

 そんな理由で別大陸になっているとは思わなかった。

 人と魔族が喧嘩したらすぐに人が負けて、魔族だけの大陸になっていたかもしれない。

「ジリアン様とハーマン様は、その事でちょっと…喧嘩をしてしまったの」

(いや神の喧嘩ってどんなだよ)

 それに小さい子に読み聞かせる口調はなんとかならないのか、と思いつつ先を聞く。

「二人の諍いから良くない気持ち…負の魔力を持つ瘴気が生まれ、どちらの大陸にも瘴穴が開き、そこからモンスターが出てくるようになったわ」

「すげぇつえーよ、あれ」

「へ〜。もんすたー、か」

(モンスターってことかな?)

 初めて聞く単語を自分なりに変換する。

 ユウは見たことは無いが、この世界には人々を脅かすモンスターがいるらしい。

 冒険者ギルドがあると聞いてそうなのかな、と思ってはいたが、改めて聞くと少し怖い。

「魔大陸の方はとても強いから問題はないのだけど、こちらの大陸の人はそうではなかったの」

 瘴穴から漏れる負の魔力は、周辺の植物や動物を狂わせ、更には人も亜人も狂わせた。

 そして大小様々なモンスターも出てくる。

 人々は武器を持って戦ったが瘴穴を塞ぐことが出来ず、年々増えていく瘴穴により人口がみるみる減っていった。 

「それを見て弟のハーマン様は申し訳なくなり、魔大陸の神としてご自身は人の世界に手を出さないと誓いました」

「うん」

(まぁ、元は兄の創った世界だしね)

 弟は後から手を出しただけだ。しかも厄介事を持ち込んでいる。

「そしてジリアン様はハーマン様の魔力も少し貰い、自分の魔力も合わせて…人の大陸に浄化の力を持つ神の使いを遣わしました」

 その使いにより瘴穴は浄化され、勢いを取り戻した人々はモンスターを駆逐し、大陸は平和になったという。

「神の使い、女性?」

「初代は不明ですが…数代前からはずっと女性ですね。ですから聖女と呼ばれています」

 男の可能性もあるらしい。

 少し見てみたいユウだった。

「代々の聖女は役目を終えられると王宮へ迎えられ、王族となる人がほとんどです。…聖女は非常に美しく、今の王族が見目好いのはそのためと言われているわね」

「へぇぇ…可哀相」

 思わず聖女の行く末の感想を漏らすと、レイリアが困ったように微笑む。

「…確かに、望んで王族となったかは…分からないわね」

 異世界から呼び出されてコキ使われた挙げ句、子供を産む道具にされるとはとんでもない人生だ。

 本当に自分が聖女でなくて良かったと思う。

「それでね、なぜ今になって聖女を召喚するのか?…それは各地に強いモンスターを生み出す瘴穴が現れたからよ」

 聖女がいなければ瘴穴は浄化出来ない。

 だから聖女が没した後は、少しずつ瘴穴は増えていくのだそう。

 でも、聖女がこの世に現れ…生活するだけで、溜まりに溜まった世界の瘴気が極限まで薄まる。

 聖女が没したあとも、しばらくは強いモンスターは現れないし、モンスターから取れる素材は希少なものも多いから、瘴穴は言わば産業の要にもなっているとか。

(それで冒険者って職業が出来るわけか…)

 ただ退治するだけではないし、冒険者がいれば取引が生まれ、衣食住を提供するために町が造られ、領地は儲かる。

 人々は瘴穴を恐れつつ共存しており、聖女が没し数百年経った今、その一線が超えられようとしている事が分かった。

「弱いモンスターも数が多くなっているし、冒険者ギルドや各領地の騎士、傭兵達は大忙しだそうよ」

 その話にジェイは身を乗り出す。

 ユウは彼の身体を押さえながら、レイリアに質問した。

「瘴気…強くなる…年数の、期間?…ある?」

 周期という単語が分からなかったが、レイリアは理解してくれたようだ。

「さすがね、ユウ。最も早い時で50年から…数百年周期と言われているわ」

 随分とばらつきがある。

 だが、瘴気の源は負の感情だと聞いたから、何故なのかは自分でも想像ができた。

「戦争が起きる、周期が早い?」

「…ええ、正解よ」

 レイリアは悲しそうに微笑む。

「今は、250年ほど聖女が現れた記録がないの。忘れた頃にやって来るから、皆慌てているのね」

 250年も経てば、この素朴な世界の伝承は薄れてしまうだろう。

 神殿にはもちろん過去の記録はあるが、聖女召喚をした者は当然生きていないし、本当に聖女を召喚出来る者が現れるのかも謎だった。

「昨今、瘴穴が各地で発生し…そうね、町の近郊でも見つかって人の犯罪も増えているわ」

「えっ」

 人を狂わせると聞いて精神を病むのかと思っていたら、犯罪に走るとは。

 それはかなり面倒だ。完全に瘴気が理由なのか、内面に密かに野心を抱えた人がそうなるのか、分からない。

「植物は、不作になる?」

「ええ。だから怖いのよ。…皆、聖女様が来られる事を望んでいる。王都からも使者が来るほど」

(他人をアテにしすぎだと思うけど…聖女しか浄化できないのなら、仕方ないのか?)

 とは思うが、モヤモヤする。

 何故自分の世界で閉じないのだろうか。

 そんな事を考えていると、レイリアは少し声を落とす。

「最近は…その事が利用されてしまっているの。神官長様も、昔はあのような方では無かったのに…」

「…うん」

 ありがちな話だとユウは思う。

 最初は草や虫しか召喚出来なかった己が、人を召喚出来るようになった。

 今まで静観してた貴族も、美味そうな話に乗ってくるだろう。

「神官長って農民だっけ?」

 ジェイの言葉にレイリアは頷く。

 本当のところは農奴だ。その彼の手に召喚士の紋章が現れた。

 それは奇しくも召喚士を探していた神官が村に訪れた日。

 天啓だと神官は喜び、彼をすぐさまスーベニアの大神殿へ招待した…と言われているが、実際の所はどういう経緯で連れてこられたのかは分かっていない。

 レイリアも含む中級神官と対話をしていた当初は、世界を救いたいと…瘴穴が現れて不作となった故郷を救いたいという一心で、心を込めて祈っていたと言う。

 ”草”を召喚出来たのはそれから10年後。

 神官長はその間にすっかり心が変化してしまい、中級以下の神官とは対話もしなくなった。

「なんかなー、瘴穴が増えたのそいつらのせいじゃねぇの?」

「ジェイ、シーッ」

 レイリアは口に人差し指を立てた。

 しかしユウも同じ意見だった。

(神殿の環境が既に悪かったのかも。諸悪の根源は上級神官かな?)

 神に近い者がそんなんでいいのだろうかと思う。

「…聖女が、来る、危ないよ」

「ええ」

 彼女はその先を言わないが、なんとなく想像はつく。

 上級神官どもが、平民上がりの神官長に頭を下げ続けるとは思えない。

 聖女を攫い王都に逃げ込めば自分の手柄だ。

 良くも悪くも、この世界は実力主義。やったもん勝ちなのである。

 少なくとも1年近くここで過ごしてきて、貴族に対してはそういう印象を得た。

(毎日熱心にお参りに来てる人もいるっていうのになぁ)

 神殿は聖女召喚が間近という噂を聞きつけ、毎日、沢山の人が礼拝に来ている。

 当然、その人達はお金も寄付している。

 神官たちが笑顔で接しているのは表向きだ。

「人を救う場所、ですが、クソばっかり」

 レイリアはめっ!という顔をする。

「残念な方、くらいにしなさい」

 その言葉を教えたジェイが肩で笑っている。

(私たちも、うかうかしてられないなぁ)

 そんな者たちが管理する建物に居るのだ、危機感を持った方がいいかもしれない。

 自分も、異世界人なのだ。

「ちなみに。召喚のやり方、教えて?」

 町へ行くと下働きの服だと分かっていながら、どうなの?と探りを入れられるのだ。

 そんなもの直接聞いてくれと思うが、神官たちは口が堅いらしい。

「ええと…祈りの力を使うそうよ」

 今まで召喚の術を行使してきた神官長が言うには、神に聖女を請う際に、たくさんの信者の祈りを捧げる必要があるとか。

 その祈りが少ないと人以外を召喚してしまうため、ユウを召喚するのに3年程度の月日が必要だったらしい。

 しかし、初めて人が召喚されたと噂に聞いて祈りに来る人が爆発的に増え、祈りの力は満ちたという。

 ユウが召喚されてから1年ほど経過した今、ようやく本番を迎えられると、聖女を召喚出来ると神殿内がざわついている…となったようだ。

「人々の…祈りは、純粋。呼ぶ人、性格わりー、いい?」

 相変わらず言葉をオブラートに包まないユウに、レイリアもあっさりと言う。

「そうでないと、大陸が滅んでしまうわ」

「だな!」

 ジェイも同意して3人はひっそりと笑う。

 そんな噂をほうぼうで立てられている事を知らずに、神官長以下、上級神官たちは聖女召喚の準備と己の野望の手回しに奔走するのだった。

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