第1話
召喚の儀式に忙しい神官たちの様子を遠目で見ているのは、下働きの少女と獣人の青年。
冷めた目の少女が呟いた。
『せわしない…』
きらびやかな表から見えないように林一つ隔てた塀に囲まれた宿舎の、更に内側の中庭で乾いた洗濯物をたたみ、籐かごへ入れながら愚痴る。
「…門が開いたのは誰のおかげだと思ってるんだろうな?」
精悍だが、まだ少しだけ幼い顔立ちを残した狼の獣人である青年が言うと、簡素な服をたたんでいた少年のような見た目の少女がキッパリと言った。
「神官長」
「あのなぁ…お前だろ、ユウ」
「ジェイ、違う。混ぜる、面倒だ…ん〜、面倒です」
ユウは、そんな事はどうでもいいとばかりに、言葉遣いを変えながら作業を続ける。
ジェイはため息を一つついて、シーツを物干しロープから引っ張った。
二人とも着ているものは同じで、灰色のフード付きローブに焦げ茶のズボン、茶色のくるぶしまであるすれた革の靴だ。
位を示す帯は濃い灰色、一番下。
ジェイは彼女の帯を見る。
本来ならば、神殿で…この世界で誰も身に着けられない色である金色の帯のはずだ。
(本当にアイツら最低だ…)
ある日突然、下働きを統括する監督の元へ連れてこられたユウ。
彼女がこの世界に現れたのを隠れて見ていたジェイは、ユウの世話を迷わず引き受けた。
その時の彼女は戸惑いの色を隠さず困った様子で…すぐに女性と知ってジェイは少し慌てたが、世話を投げ出すことはしなかった。
誰もが出来る事を、彼女はできない。
井戸水の汲み方も顔の洗い方もトイレも、服の種類も着る順番も、食べ物も判別がつかない。
しかも言葉が話せないのが致命的だった。
彼女が持つ色も相まって、皆が気味悪いと敬遠する中、ずっと寄り添い言葉を習慣を教えてきた。
ジェイは銀狼の獣人らしく、少しの興味と、初めて嗅ぐ匂いと、天性の勘で彼女を保護しただけだったが…今では唯一無二の相方だと思っている。
「アイツらより頭いいしさ、もっと待遇良くてもよくね?」
「私、住む場所、学校あった…ありましたから、勉強した。これ、普通。あってる?」
「あってる」
言葉は拙いが数字を教えれば計算もできたし、たまに道具も作ってしまう知識。
彼女はそれを"普通"で済ます。
頭もよく気が利くユウが言葉を覚えた途端に利用され始めた。
無断で呼び出されることのないように、今は下働きの者たちの監督兼中級神官の一人でもある、レイリアという女性の庇護を受け彼女から敬語を習っている。
「匂いが違うんだよ。絶対にお前だって」
この世界に居なかったのだから、匂いが違うのは当たり前だ。
「ジェイ、何度も言う。黒髪、黒目。言葉が話せない。聖女は、ない」
ユウが上げているのは、魔族のような黒髪と黒目、それに言葉の障害だ。
聖女は神の加護を持ち、様々な技や術を使うと同時に、言語を超越しているという。
「そうだけども…だいたい聖女に規定なんてあんのかよ?」
「必ず、美人!」
じゃないとありがたみがない、と思いつつユウは笑う。
「お前もけっこー美人だぞ?」
「ぶはっ!?」
思わず吹き出してしまった。
ユウは小柄な25歳。
かたやジェイは大柄な18歳。
だいぶ年下にお世辞で美人と言われて苦笑する。
「お世辞、ない。早く、仕事する」
「…美人なのに…」
獣人の基準では日本人も美人の部類に入るのだろうか?と考えたが、人間は絶対に違うな、とユウは思った。
(そしたら、こうなってない)
もし自分がジェイの言うとおり美人ならば、召喚されてすぐに、下働きになぞされないだろう。
奴隷として売られる可能性もあったようなので、これで良かったと前向きに思うようにしている。
(はぁーヤメヤメ。気が滅入る)
自分の外見の話題から話を逸らそうと、逆に聞いてみる事にした。
「ジェイは、素敵か?」
彼の頭は狼だ。人間とは美醜が違うだろうけども、ユウは彼を格好いいと思っている。
日本で見た事があるもので例えるなら、シベリアンハスキーが真っ先に思い浮かぶ。
エメラルド色の瞳に、美しい銀色の毛並み。
それがほぼ人間の身体の上に乗っかっている。
尻尾もあり、手や足の先も少し人よりは爪が鋭いし大きいものの、あまり変わらない。
腕の外側やふくらはぎ、それに胸に銀の毛が生えているが、それが浅黒い肌によく似合うと思う。
「オレ?格好いいぞ!!」
「うん」
胸を張るジェイに納得するユウ。
「…いや、ここは否定してくれないと恥ずかしいやつ…」
ユウはプッと吹き出した。
「私は格好いい、思う」
彼の事を周囲は少し恐れている。
こんな気がいい奴なのにと思うが、自分と同じく彼のような姿の者も、この神殿と周辺の街では見ない。
(珍しいものを怖がるのは、どこも一緒だね…)
日本と変わらないなと、照れているジェイを見ながらユウは思った。
「仕事終わると、戻る。オヤツ食いっぱぐれる」
「敬語はいいのか」
自分が教えたのでユウの言葉遣いは男っぽい。
帳簿の計算を下級神官と一緒に作業するのだが、言葉遣いが酷くたまに喧嘩になるそうだ。
ユウとしてはボキャブラリーがないのでそういうつもりは一切無いのだが「違う」「下手」と歯に衣着せぬ言いように、神官が我慢できないのだ。
喧嘩を見かねたレイリアが敬語を教えてくれているのだが、元の会話が覚束ないので中々覚えられない。
「戻りましょう。お菓子を、食べ…?」
損ねるってなんて言うんだ、と思うが分からない。
日本語ならペラペラなのにと悔やまれるが、この世界では全く役に立たない言語だ。
「後で、レイリア、教えてもらう」
「そーしてくれ。オレがもう一人いるみたいで落ち着かねー」
「ははっ!当然だ!」
ムスッとしたジェイの背中を押して、中庭から建屋へ入るとリネン庫へ行き、たたんだ洗濯物を棚へ入れる。
「はい、終わりました」
「よっしゃ、オヤツ食いに行こーぜ!」
二人はルンルンで食堂へ向かうが、オヤツと言ってもケーキやおまんじゅうのような甘くて柔らかいものではなく、固く焼きしめた、保存のきくジャムやナッツを入れたクッキーだ。
しかし、あるのとないのとでは全然違う。
下働きのやる気も上がり、作業の進捗状況が早くなるのだ。
(いやー、言ってみるもんだ)
ユウのレシピ提供とオヤツタイムの提案で、今では下働きの皆にも毎日間食が提供されるようになった。
提案を取り上げてくれたレイリアも、上級神官から仕事の質が上がったと良い評判を貰っているそうだ。
「おっ、もうみんな食ってるなー」
食堂へ行くと、皆が楽しそうに談笑しながらクッキーを食べている。
その光景はジェイにとって…いや、下働きの皆にとって穏やかで幸せな一時だった。
「今日は遅かったね。はい、君らの分だよ」
「ありがと!」
厨房の料理人から袋に入ったクッキーを受け取ると、よく冷えたハーブティーをデカンタから木のコップへ注いで適当な席につく。
「ふぅ〜…仕事終わる、飲む、美味しい〜」
本当は「一仕事あとの一杯は染みるね〜!」と言いたいが、あいにく単語が分からない。
「そーだな。…これもウメェ。今日のは杏ジャムか?…そーだ、これ、売るって言ってたぜ」
「え?これ?」
元は自分のレシピだ。それもかなり適当に作っていたモノ。
小麦粉だけの生地に片栗粉を混ぜることにより、ザクザクな食感になる硬いのが好きな人向けのクッキーだった。
しかも甘味は蜂蜜オンリー。ご家庭クオリティの物を売るなぞ、元の世界では考えられない。
「ああ。誰かが持ち出して小遣い稼ぎにしてたらしくてな」
「納得…神殿だけ、だから」
「そうそう」
どこにも売ってない、ましてや神殿内部で下級神官も…好きな者は上級神官も毎日食べていると聞いた。
売っていた子は目の付け所がいいと思うが、それを取り上げて商売にするのはどうかと思ってしまった。
(まぁいっか。私が作ってるわけじゃないし)
実際に作っているのはプロだ。
この世界の甘味の基準は分からないが、売れるということはそれほど酷いものじゃないのだろう。
「ふふっ…」
皆、嬉しそうに不揃いな形のクッキーを頬張っている。
皆が良ければそれでいいか、と思い自分もクッキーを頬張った。
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