三十歩目.地下牢にて、少女は手を伸ばす



 空間を察知する魔法を発動する。


「ゲホッ、ここは――王宮から遠い。

 化け物……まだ生み出されているのか? とりあえず今出ている分は対処してから行動を開始する。使う魔法は即時型。実体の無いヤツらには圧力、実体のあるヤツらには一点突破で倒そうか。……最近じゃあ、今の魔力量だとほとんど持ってかれてしまうが」


 落ち着け。


 魔法の構築から発動まで、これまで何度も何度も何度も繰り返してきた作業じゃないか。


「現魔力量の半分で抑えよう。すれば、転移分も足りる」


 これまで――リーと引き離されるまでは、現魔力量の半分で十分だったのだ。


 今更出来ない道理はない……ッ!


「構築完了。発動の為の魔力を切り離して……これをそのまま魔法へ変換」

 何故だか、これまでで一番くっきりと魔力の流れを追えている気がした。


「――発動ッ」


 イメージは、雲間から急に顔を見せた太陽の鋭さの如く。

 そして魔法は敵を穿つ。


 察知の魔法で、今この空間に出てきた化け物を殺し尽くせたことを確かめる。

 背後に車椅子の柄を掴んだまま呆けている三の魔法師がいた。

 視線の方向からして、私の魔法を見てだろうか。



 流れた時は瞬き二回分。

 左足だけで保てなくなったバランスが、ここにきて私の体を押し倒そうとしてくる。



「魔法の構築を開始」


 地に倒れ伏す、その前に。


「経路を確認。脳内の地図より直線距離の測定を完了。転移先の座標を固定」


 逃げ切って、みせる――ッ!


「構築完了。

 現魔力量で足りるか、いや、足らせるのだ。

 魔力の変換を開始。転移の魔法なら、ここに注意すれば失敗しない。……よし」


 我に返ったらしい三の魔法師が、こちらに焦点を合わせる。

 何かを叫ぼうと、口を開いた。

 けれどその前に魔法を使うべきだと判断したのか、妹の方へと視界をズラす。既に彼の妹は虚ろに笑っているようだった。


 転移の魔法を発動させるには、十分過ぎる時間が流れて。


「待て、一の魔法師ッ」

「転移‼︎」


 叫んだ拍子に腹の傷がずきり疼く。


 その痛みを理性で抑え、私の視界が切り替わる。

 転移した先は、昨夜来たばかりの場所。

 急に現れた私に驚愕を示す兵士の意識を、残った魔力を使い刈り取った。



「やぁ、リー。昨日振りだな」

「……レ、ヴィ?」



 倒れそうな体を鉄格子で支える。

 それでも完全にバランスを取り切ることは出来なくて、私と鉄の棒がぶつかりガシャンと大きな音を立ててしまった。


「ぃ、ッつつ」

「だ、大丈夫ではありませんよね……。あの、今治癒を――枷で魔法が使えない。えと、その」

「大丈夫だ、辛くはない」


 痛みが回り出した頭が熱に浮かされたように悲鳴を上げていた。

 冷えた金属がリーと私を隔てている。

 あまり時間はない。

 先ほどの音は、多分、地上の兵士らにも届いているだろうから。

 増援が来て捕まってしまう前に、リーを逃す必要があった。


「辛く……そのレヴィ、貴女はなぜここに」

「リーを助けに来た。それ以外に、理由など無いだろう?」


 格子の隙間から手を伸ばす。

 揺れる灯りの中で、一筋の涙が零れ落ちた。


「昨夜、オマエは言っていたな。私の笑顔を見たかったと。その為に、私を救いたかったのだと」

「ええ、言いましたわ。……やっぱり、信用できないかしら」



 ああ。

 いつの間に私は。


 彼女にこんな苦しい顔をさせてしまうようになってしまっていたのか。



「一つだけ、今のリーに答えてほしいことがあるんだ」



 彼女を助けたいと思ったことは確かなことだ。


 だが、今の私に。

 ここまで彼女を傷付け続けた私に、彼女がそれでも私と一緒にいたいと望んでくれるかが、分からないから。



「もし今ここで、私がリーの束縛を解いたとして――リーは、どうする?」



 ずっと己の言葉を信用してくれなかった人間に愛想を尽かすなんてこと、よくよく考えてみれば当たり前のことだ。


 ……私が笑うにはリーが必要だ、なんて。


 都合が良過ぎる。


「リーは王宮から逃れたいとは言っていたよな。

 その思いが今でも変わらぬなら、せめてもの贖罪として私にその手助けをさせて欲しいんだ。捻れの外へ行きたいというなら、私が絶対に行かせてやる」


 リーも私も笑える世界を作りたい。


 だから、今のリーが私のそばにいたくないと言うのなら。

 せめて彼女の見えないどこかで、笑顔で暮らす彼女の手伝いくらいはさせて欲しい。


 私にリーを救わせて欲しい。



「なぁリー」

 オマエはどうしたい?



 問いかけの言葉に、少女は顔を曇らせ肩を震わす。

 ひくりと嗚咽を呑み込むと、密かに唇を動かした。


「ひどいですわ、レヴィ。今のワタクシにそのようなことをお尋ねなさるなんて」



 だって今のワタクシは、貴女を従わせてでもそばに置くことができない。



「そば、に?」


「ワタクシ、今でも貴女と一緒にいたいと想っているのよ?

 だからレヴィがこの束縛を解いてくれるというのなら、きっとワタクシは貴女から離れられなくなる」


 リーは今も、私と共に在りたいと、思ってくれている……?


「どうして貴女がワタクシの元へ来たのか、来れたのかはわかりませんけれど、王宮に命じられているのなら一思いにやってくださいまし。

 ……貴女に殺されるなら、ワタクシ、構わないわ」


「そんなこと、するワケがないだろうっ――ぃつ」


 儚く笑った彼女に思わず声を荒げてしまった。

 拍子に痛んだ腹を、今は庇うことも出来やしない。己の体を支えるので精一杯だ。



 それでも。



「言っただろう。私はオマエを助けに来たのだ」


 伝えないと。


 これ以上リーを傷付ける前にっ。



「今でもオマエが、リーが望んでくれるなら、……どうか私に、リーを救わせて欲しい」



 腹が熱い。

 なのに、手足が冷たい。



「なん、で? だってレヴィは、ワタクシが貴女を傷付けるために隷属させたと思っていらっしゃるのでしょう? 隷属の解けた今、わざわざワタクシを助けだす必要なんてないのに。そもそも、命じてすらいないのだから」


「違う」

 腹に刺したままのナイフと肉の間から血が伝う。


「私は私が助けたいと、救いたいと想ったから、ここにいる」


「だからなんで――」



「私はもう、オマエが本当に私のことを救う為に動いていたのだと、理解しているからだッ」



「――え?」



 私には、リーのように考えられる頭脳を持っていない。


 故にこそ、言葉を連ねる以外に方法はないということは重々承知しているから。


 溢れてくる己の死の足音から目を背けて、今はリーだけを見ている。



「すまなかった。何度も何度も連ねてくれたオマエの言葉を信じれなくて、本当にすまなかった」


「そ、んなわけ……」



 ほろほろと、少女の瞳からは涙が落ちていた。


「だってレヴィは、隷属していたからワタクシと一緒にいてくれていたはずで」


「……正直に言うと、最初はその面もあった。

 オマエの、たとえ私を隷属させてでも私と夜逃げをしたいと言ってくれたオマエの想いの強さに押されていた面は、確かにあった」


「なら」

「でも今は違う」


 息が苦しい。


 失い続けている血は、きっと体力も奪っている。


 軽い眩暈に倒れてしまいそうで。



「……王宮から、ワタクシをたぶらかすよう命じられたのかしら。

 たとえば、そうね。

 レヴィの回復が間に合っていないから、ワタクシから枷を外したとしても逃げないようにするために、とか」


 嗤うリーの言葉は、きっと以前までの私が彼女に吐いてきたものと似ているのだろうと、思う。



 ――ああ。


 己の心を正しく相手に届けることは。


 これほどまでに、難しいものだったのか。



 それでもリーは、諦めずに、私に想いを届けようとしてくれていたのか。


「いいわよ。レヴィのためなら、別に枷を外されたって逃げやしないわ。

 ……だからせめて、本当のことを言ってくれないかしら」


 本当の、こと。


 きっと今の彼女が欲している『本当のこと』とは、私がまだリーすら信じられずに己が生きる為に王宮に従っているという言葉なのだろう。


 私がそうだったから。


 かつて、リーの言葉を信じることが出来なかった私が求めていたのも、そういう類のものだったから。


 『貴女を救いたい』という幻想を信じ、実は嘘でしたとバラされ傷付くことを恐れていた。

 恐れていたから、本当のリーの言葉を信じることが出来なかった。


「私は」



 今のリーもきっと同じだ。


 でもそれは、私が諦める理由にはならない。



「オマエを救う為に、ここに来た」


「嘘を仰らないでっ」


「じゃあ何故、私は傷を負っている?」


 ここで諦めたら、リーの心は救われないままだ。


 むしろ、より私の言葉が届かなくなる。



 時が流れるとは、諦めた想いを強固にしていくものなのだから。



「王宮から、命じられたからでしょう?」


「違う。オマエを助けるには、私が助かるには、それ以外に方法が無かったからだ」


 自ら己を傷付けることは、正直、今だって怖い。


 そんなことを望んでやろうとは思えない。



 けれど。

「私の想いを突き通すために、私が私を傷付ける決意を固めたからだ」


 怖いからと立ち止まることは、もう、止めた。



「……、……そんな、でも」


「本当のことだ。これまでオマエのことを信じることの出来なかった私が言うのが間違っているのは分かっている。だけど、頼む」



 ――私の想いを、信じてはくれないか?



 地下牢に響く、私の紡いだ想いの言葉。

 はくはくと、リーは何かを言おうとして口を開いては閉ざしている。



 やがて反響していた声が消えた頃、少女は空気を呑み込んだ。




「…………本当の本当にワタクシは、騙されている訳じゃ、無いのね?」


「ああ」



「ワタクシは、貴女を、信じてもいいのね?」


「信じてくれると、嬉しい」




「……もう。レヴィはいつも、自分に自信のない物言いをなさるのだから」


 そう言ってリーは、ふふっと笑い声を上げた。



 ようやく。

 笑って、くれた……のか。


「――ははっ、そうか?」

「ええそうよ。もっと自信を持ってくださってもいいのに」

「少しずつ、自信も持てるよう、頑張ってみるよ」


 痛いはずなのに。


 今にも倒れそうなほど眩暈がしているはずなのに。



 リーが笑うと私も自然と笑えてしまうのは、一体何故なんだろうな。



「ああそうだ、リー」

「なんですか?」

「魔封じの枷を外したいから、こっちに来てくれないか?」

「わかりました。よいしょ……っと」


 壁と縛られた両手を上手いこと使い立ち上がったリーは、バランス良く歩いてこちらに来る。

 そのまま、私に背を向けた。

 これでよろしいですか? と聞くリーに、私は手を伸ばしつつ答える。


「ああ、今外してやるから――」



「見つけたぞ、一の魔法師ぃッッ」



「――っ、」

 この、声は。


 なんとなく危険に思い魔力量にモノを言わせ無理して張った防壁がガキンと音を立てる。


「……レヴィ?」


 心配そうに、――それから多分、もしかすると本当は騙されていたのではないかという恐怖に震えたリーの声音が、小さく響いた。



 リーの枷を外しながら戦闘を行うには、流石に今の魔力じゃ足りない。

 いくらリーと話している間に自然と、それから腹の傷で幾らかは回復しているとは言ってもだ。

 それに、この状況で三の魔法師が手加減をしてくるとも考えにくい。



 逃げるか?


 リーを抱えて、転移の魔法で何処かへ退避するか?


 私が思考を回している間にも、背後の防壁が鈍い悲鳴を上げている。感覚からして、長くは持たない。



「リー」

「なん、でしょう」

「リーも私も笑える世界を作る為に、ここで逃げることで生じるデメリットはあるか?」


 思わずといった様子で振り返ったリーの瞳は見開かれていた。

「レヴィが、ワタクシを……」


「どうした?」

「……いいえ。感傷に浸るのは後でにしますわ。それで、デメリットですわよね。


 一つ確認なのですが、レヴィの今日の補佐は三の魔法師でして?」


 リーからの問いに、私は頷いて返す。


「すると、彼がすぐに追ってこなかったのはおかしいですわね。何か理由があるはずですわ」

 そうすると、とリーは続ける。



「もしかすると、ここでは逃げださずに乗り切った方がいいかもしれません。

 逃げることで時間を使ってしまったら、ワタクシたちにも悪影響を及ぼす可能性もありますし」



 何かを見通しているらしいリーからの返答。


 どういうことかを尋ね返したい気持ちはある。

 納得してからの方が安心して事を為せる自分も、確かにいる。



 けれど、リーがそう言うのなら。


「分かった」


 信じない理由はない。



「ならここで、三の魔法師を打ち倒す」

 厳しいことは承知で、私は腹を決めた。


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