十九歩目.逃亡先にて、少女は迫られる
そういえば、とふと抱いた疑問に口を開く。
「リーには兄弟や姉妹、いないのか?」
「おりましたわ。兄が、一人。貴族家でしたので、後継ぎと、それから政略結婚などに使うための人材が欲しかったんでしょうね。レヴィはいかがでしたの?」
「ん? 私は一人っこだぞ。ほら、国の法律で子どもは二人までしか産んではならん、というやつがあるだろう? 万が一に備えて、子どもは一人しか作らんかったんだとさ。両親が近くに住んでおった知り合いとそう話していた」
私の返答に、リーアはなるほど、と肩をすくめた。
曇天の空に、重く蠢く大気。
三の魔法師の妹が訪れて以来、どこかパッとしない天気ばかりが続いていた。
リーアの私に対する態度も、以前より優しくなっているようにも感じる。きっと……いや、ほぼ確実に、気遣われているのだろう、ということだけは、わかっていた。
「それにしましても、レヴィ、どうして急に兄弟のことをお尋ねになりまして?」
「……三の魔法師の妹について、考えていたんだ。いや、気付けば考えてしまっている、というべきかもしれんが」
「つまり、悪い思考を逸らすために、っていうことでしたのね」
「まぁ、そういうことだ」
嵐の夜に、告げられた言葉。
――縛られて生きるのって、何も考えなくていいんですよ?
今もなお、頭の中をぐるぐると占拠しては、気を緩めれば引き摺り込もうとしてくるあの時の会話。
縛られて生きることが、悪いことではなかったという、事実。
たかだか一人の意見に囚われ過ぎることが良くないことは百も承知だが、どうしても離れることが出来ないのだ。
だから時にして、思考を無理矢理別の方向へと逸らすようにしている。
そうやって、一週間を乗り切ってきた。
「……ねぇ、レヴィ」
「なんだ?」
つと視線を向けると、その先には斜め下に俯いたリーアの姿があった。
今のリーアが持ち出す話題といえば、……そうだな。
「外に貯蓄している魔力量については、さっきのものでちょうど半分くらいになるぞ。想定よりも貯める速度が遅くなっているのは、申し訳ないが……」
「遅くなっているのは、仕方がないことでしてよ。三の魔法師たちへの対処が以前までよりずっと大変になっていることくらい、今のレヴィを見ていればわかりますもの。責めたりするつもりもありませんし」
そうではなくて、とリーアは私から目を逸らしたまま続ける。
「ひとつ、提案がありますの」
先ほどまでの兄弟姉妹についての話をしていた時とは打って変わって真剣な雰囲気を纏う彼女に、私は小さく頷き先を促した。
提案。
つまり、今後の計画に関する提案、ということなのだろう。
でなければ、リーアがここまで重い面持ちをしているワケがないから。
果たしてリーアは、しかし躊躇いを含ませつつも、次なる言葉を音に乗せた。
「――一緒に、逃げませんこと?」
「逃げる、というと……その、今も逃げているではないか」
今とは違った『逃げる』が、リーアの中にはあるのだろうか?
「えぇ、レヴィの仰る通りですわ。そもそも、ワタクシたちのこの旅自体が、夜逃げという逃げから始まったものですし。ですので、今ワタクシの言った『逃げる』は、夜逃げしている現状とは別のことを指しております」
「……では、リーの言う『逃げる』とは、一体なんなのだ?」
リーアからの返答に、少しだけ、間があった。
ここまでリーアが躊躇う提案とは、本当の本当に、どのようなものなのだ……?
「…………、……逃げましょう、ということですわ」
テンプロート王国、そのものから。
いつの間にか、リーアの顔は、しっかりと私の視界を捉えていた。
「正直に申しますと、前から考えていた案ではありましたの。捻れた空間には終わりが存在し、その外側にはもしかすると人の住む世界が在るかもしれない。
……だったら別に、捻れた空間を壊してまでテンプロート王国という閉じられた世界を変えずとも、外に広がるかもしれない世界に逃げてしまえばいいんじゃないか――と、考えておりましたのよ」
「それは――」
つまるところリーアは、テンプロート王国に縛られた人間を自由にする以外の方法で、自由になりたいと言っているのか……?
「しかして、急に何故そのようなことを思いつき、なおかつ提案までもしたのだ?」
「ふふっ、やっぱりレヴィは反対するのかしら」
「反対するかどうかは、今の私の質問への返答を聞いてから考える。
リーなら分かるだろう?
ここまでたったの一つの目標――すなわち捻れの空間を壊すことを終着点に据えて行動してきたのだ。今更終着点を変えてしまっては、夜逃げしてからやってきたことが……無論全てとは言わんが、それでもいくらかは無駄となってしまう」
「わかっておりますとも」
それでも、とリーアは歪んだ笑顔を浮かべる。
「これ以上、レヴィの傷ついていく様を見たくはありませんの」
「私、の?」
どういう、ことだ?
「三の魔法師の妹が単体で現れてから一週間。計二度、三の魔法師たちからの襲撃に遭いましたわ。その度にレヴィはワタクシに抱えられて、逃げるための魔法を使っていた」
「あ、あぁ。あってはいる、が」
リーアは何が言いたいんだ?
「一回目よりも二回目。一回目の中でも、最初よりも最後。加えて、戦闘外でも日を重ねれば重ねるほど。レヴィの魔法は、キレを失っておりましたわね」
「それ、は」
「自覚はお有りでしょう? レヴィの癖である、魔法の構造を練る際の独り言が、どんどんと長くなっているのですから」
「だ、だが、私がうまく魔法を使えなくなっているからといって、なんだというのだ」
「貴女が傷ついている証に他ならないじゃありませんかっ」
ガッ、と杖を持っていない方の腕を掴まれる。
バランスを崩しふらついた私を、背後にあった木と挟み込む形で、リーアが支えた。
「レヴィが苦しむのなら、こんな国、さっさと捨ててしまいたいんですの。そりゃ、レヴィの仰る通り、無駄になってしまうことだってあるでしょう。ですけど、ワタクシは――」
「リーっ!」
「――っひゃあ⁉︎」
杖を投げ捨て、生まれた勢いを利用して腕を掴んだままのリーアを巻き込み、地べたに倒れる。
数瞬後、地に伏した私らの真上すぐ近くにある木の幹が
「なるほど、三の魔法師ですか。ったく、全くもって間の悪い……ッ」
悪態を吐くリーアの下敷きになりながらも、私は察知の魔法を発動させベく魔力を練り出した。
「空間の把握、いつものようにやれば良い。魔力残量と逃げる為に残しておくべき量を鑑みると……これくらいの魔力で良さそう、か。こんだけあれば、半径にしてこれくらい――っ、上手く魔力を魔法に変換できない……。だがゆっくりしている場合ではないから、……仕方あるまい、範囲を縮小して……これなら、ギリギリ行ける。
リー、結果が出た!」
「追手は?」
魔法を使う間に立ち上がっていたリーアの手を借りつつ、私は答える。
「三の魔法師と妹、それから数字を冠しない魔法師が二人に恐らくは武力に長けているのであろう兵士が十二人だ」
「チッ、なんでまた人数が増えてんのよ……」
杖を地面に突き立て、体勢を整え直す。
「それで、どうする?」
「いつも通り、逃げ切りますわよ。ほらレヴィ、掴まってくださいまし」
「うむ、承知した。風の向きをうまいこと……ん、と、……まぁ、こんなもんか。それで、調整を……よし」
魔法で自分の体を支えつつ、リーアが全速力を出せるよう遠慮なく首に手を回して抱えてもらった。
ここ一週間と言わず、基本的に追手から逃げる時は、私を背負ったリーアが走って逃げ、その間に私が転移の魔法の準備をする、といった手段を用いている。迎撃をしながら、かつそれなりに距離のある場所への転移準備だから、幾らかの時間はどうしてもかかってしまうのだ。
両手でリーアの邪魔にならぬよう杖を握り締める。
戦闘中は常に魔法で空間を把握し続ける必要がある故、瞼を閉ざした。
下手に視界から外界の情報を入れるよりかは、魔法を頼った方が動きやすい。
「リー、急いで右に跳んでくれ!」
「よいしょっ、と。それで、敵はどの方向におりますの?」
魔法の発動される予知に感覚を研ぎ澄ませつつ、答える。
「……囲まれて、いる」
「――っ⁉︎ ……いえ、よくよく考えてみれば、当然のことですわよね。十六人、妹を数えなくとも十五人いるんですし」
「どう、する?」
「レヴィはいつものように、ワタクシに指示を出してくださいまし。今回は、避けることに専念いたしますわ。ですので、その間に転移の準備を」
「分かった。だがこんだけ人数がいると。魔封じやらなんやらの妨害が入る可能性も」
「そちらはワタクシが対処いたします。どうせこの状況じゃ、ワタクシの有り余った魔力なんて、使い道、ありませんもの」
「……そ、うか。なら私は、迎撃体制と、転移魔法に注力する」
「ええ。お願い致しますわね」
三の魔法師以外の魔法師とて、恐らくは手練ればかりであることは、保有魔力量から察することが出来た。
……今後をどうするかはさておき、ひとまずは必要である外部への魔力保管もまだ終わっていないのだ。
こんなところで負けるワケには、いかない。
…………――ああ、けれど。
「っ、リー、しゃがむんだっ」
「はいっ、と」
こうやって、逃げるため必死になることすら。
「転移用の魔法構築、開始。魔法の同時使用は、キツイが……察知の魔法は発動しっぱなしにしとけばそこまで気を使わんで良い、か。むしろ視界の代わりになるからな。む、これは、火系の魔法を使って」
縛られることを受け入れさえすれば、必要のない努力と化してしまうのか。
「……ん、なんか上手くいかんな……。ぇ、ッと――水、いやここは温度を下げた方が効率的か」
「ぃつ」
「リーっ⁉︎」
「大丈夫、ワタクシのことはお気になさらないでくださいまし」
「すまない、そうだよな、効率を気にしている場合ではないものな。だがそれでは転移の魔法が」
どうするべきか、と自問する。
今までなら、この程度の魔法くらい傍らでこなしつつ、転移の魔法とてしっかり練れていた。
自分もそうだが、リーアを傷付けたことすらない。
三の魔法師相手に苦戦することはあったも、主な難点と言えばそれくらいだったはずなのだ。
「……ッはぁ、ハァ……、右、左上、斜め二十度方向、あとは上方五十度前後あたりと、後ろの火球、……転移の、魔法の制御、り、リーっ」
「なんですのッ」
えと、この場合は、
「前――じゃなくて」
「ぅ、あ、」
ぐわ、っと真横に振れる。
下からブレた重心は、どうしようもないミスをしでかしたという事実を物語っていた。
波状の攻撃であったことなど、今更分かったところで意味はない。
――ガシリ、掴まれる。
右腕の骨がミシッと音を立てる前に、今度は前方寄り上へと放り出された。
「ごめ、なっッッ」
気付けば、視界いっぱいに、灰色澱むキャンバスが映り込んでいた。
「リー……、あ?」
当の本人によって上へと投げ出された私には、付けっ放しにしたままの空間を察知する魔法でリーアが乱れ打ちにされるのを、ただただ観ている他に、やれることはなかった。
ああ。
そうか。
これが『自由になる』の、代償か。
――一の魔法師様方が対捻れの体制から抜けられたことによる限界が、もうすぐそこまで迫ってきておりますこと、お忘れになさらないようにしてくださいね?
見知らぬ誰かだけでなく、目の前で知る人をも、傷付けるのか。
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