八歩目.森にて、少女は諦める



 私の転移魔法は、別次元の空間を経由することで遠距離の移動時間を短縮している。

 私の、というより、特殊な方法を生み出していない限りはこの方法が主流であろう。なにせ人間唯一の国であるテンプロート王国の初等学校で教えられるのがこれなのだから。


 別次元の空間は、生身では通れない。

 魔力を用いて体の周りを保護することで、初めて通過する時の死亡確率を下げることができる。

 逆を言えば、保護無しには踏み入れるだけで即死と同値である、ということだ。

 私自身、実際に試したことは無い為、あくまで他人が別次元に生身で触れてしまい壊れたところしか知り得ないのだが。


 それも、見たのは、転移関連での死亡ではない。


「テンプロート王国と真っ向から敵対している状況にいるんだぞ、私ら二人は。そりゃあ今にでも王宮へ戻れば、あちらは喜んで迎い入れてくれようぞ? しかし、私、そして恐らくリーも、そんなことは望まんだろ?」

「ええ、もちろん。望むのなら、わざわざ危険であることを承知で夜逃げなど致しません」

「な?

 だからといって、王宮と敵対したままにこの王国内にいたところで、永遠に見つからずにいることなど、どれほど楽観的に考えても不可能だ。ヤツらは死ぬ気で私らのことを嗅ぎ分けてくるに違いない」


 じゃあ、王国外に逃げるか? 自分の発した答えのわかっている問いかけに、思わず笑いが込み上げてきた。

 ああ、無理さ。

 無理に決まっている。


 私が見てきた他人の死は、全てが狂った次元に生身で触れてしまったことが原因なのだから。


「無理だよな? 王国の外の次元が捻れ狂っているのは、リーも知っているだろう? 生身では一瞬にして、言葉の通りほどけてしまう場所だ。

 無論、私らのように魔法が使えるなら、いくらかは保たせることもできよう。しかしそれも、いくらか、だ。常時魔法を使い続けねばならん以上、いずれは限界を迎える。体内の魔力回復量を上回る速度で魔力が消費されていくのだから」

「……やめてください」

「ああもちろん、一つだけ、確実に生き残れる方法はあるぞ?」

「やめてくださいっ!!」


 ギッと歯を食いしばるリーアの迫力に引かれ、つと、立ち止まる。

 口を動かすのを止めるべきかと逡巡し、やはり最後まで言うべきかと、自虐にみながら続けた。


「私が永遠に、死ぬまで傷を負っては回復してを繰り返せば良い。さすれば、魔力不足の問題なぞ、一瞬で解決する」


 やはりボロ布を着ているだけでは、どうにも寒さを防げないようだ。


 私の体は、ずっと、細かく震えているのだから。


「今ここでリーが私にそう命令すれば、まぁ、その通りに人生を終えれるだろうな。通常時の私の最大保有魔力量は逆立ちしてもリーに敵わないワケだし、傷を負って私の魔力量が上回ろうと、どうせテンプロート王国内に戻ってくれば元に戻るんだ。私は己を己自身で傷つけることなどできやしないし、リーは治癒の魔法を使える。

 痛みの元凶が無くなれば少しもしない内に痛いと感じることも無くなるし、すると保有できる魔力量もグッと抑えられてしまうだろ?」


 結局はやはり、無理だったのか。

 そう思わずにはいられない。


 私が王国に反旗を翻していたのは、私の意見を無視して私の才を使っていたことに対してだ。

 私が私の自由意志――精神的な辛さを抱えている時には出撃を取り止めてくれるような指示を出してくれるなら、正直、良かったのだ。

 私が傷を負って、痛みに苦しもうとも、それと同等程度に心をケアしてくれていたのなら。


 私が王国に、ひいては人の住める地域で生きていく以上、才能を有する者が他のヤツらの平穏を守ることは為すべき義務であることくらい、理解している。

 次元の捻れ狂った空間は、私らの住む三次元空間をも呑み込まんと日々魔の手を差し出している。

 質量のあるものなら何の変哲もないただの剣でも対応できようが、魔力のように触れられないものの場合、特別な力を付与された武器か、あるいは私ら魔法師でもなければ立ち向かう術すらないのだから。


 人類存亡の危機と隣合わせで在り続ける時代に生まれておいて、今さら時代そのものを否定する気はさらさらない。


「…………そ、う……ですわね。ワタクシがレヴィに命令すれば、少なくともワタクシ一人は、何にも縛られず、生きていけますわ。

 ええ勿論、わかっていましたとも。このワタクシに、そのような手段が思いつかないとでも、お思いで!?」


 もしリーアが私に命令を下すのならば、私に自由意志など存在しないこととなる。


 王宮のヤツらよりかはマシな対応をしてくれるのやもしれんが、どちらにせよ、私が痛みを感じたくないと心底願おうと、私は痛みにさらされ続ける。


 状況としては、結局、変わらない。


「もう良いよ、リー。どうせ牢では一度諦めたんだ。淡く儚い幻想に浮かれた私を嘲笑いでもしながら、どうか一思いに命令してくれないか?」


 一時の夢を、この私でも自由に生きられるかもしれないと胸を高鳴らせられただけ、良かったと思おうではないか。

 一の魔法師であった時には、夢を見ることすら赦されなかった。そのことを考えれば、久方ぶりに未来に光を感じられたのは、良かったことなのだ。


 きっと。


「私はもう疲れたよ。

 ……ああそうか、リーは私に明日以降の予定を決めろと言っていたな。なら今すぐにでも、これ以上在りもしない幻想と、どうにもならない現実の狭間でさらなる苦しみを感じる前に、さっさと『げんそう』を殺してくれないか?」


 この震えが、小刻みに揺れる私の体が、論理思考を主軸に置くリーアの決断を鈍らせることなどないのだろうな、とほんの僅かでも期待して浮き上がりそうになる心を、無理やり抑えつける。

 どうせ期待しようと、どれだけ私が嫌だと叫ぼうと、私の願いが叶う日はやって来ないのだから。


 夜風が木々を揺らす音を、鼓膜が拾う。

 寒いのか暑いのかさえ、もはやわからなくなっていた。



「――あら、そう」


 やがてリーアは、たんと落ち着き払った口調で言葉を吐き出す。


「レヴィって、とぉっッてもお利口さんよね。ワタクシより後に王宮での教育が始まったってのに? ちゃんと王国の教えが身に染み付いちゃってんの? んで? 王国に刃向かうっつうワタクシの言葉を心底信じ切っちゃってた? 今の今までヒッドイ扱いばかり受けてきたってんのに?

 え? マジ? 頭湧いちゃってんですの??」


 ……………………、――ん?


「馬鹿なんじゃあなくって? …………、えっ、もしやその反応、ガチで信じちゃってた系? あ、あぁ……ないわー…………。

 いや、レヴィが一の魔法師になっちゃったのって、初等学校で教えられてきた国直属の魔法師像信じて王宮行っちゃって、そのまんま囲われたってことでしょう? ……いやいやいや、あんね、普通の人なら、そこで人を疑うことを覚えましてよ。んで、貴女が牢屋にツッコまれた状況下で夜逃げしようとかほざいてる人間をとりあえず利用して、外に出たらとっとと逃げるか何かするってのが定石でしょうに。

 まぁさか、この状況下で、『私、もう、諦めたんだ(キリッ)』とか言い出すとは思いもしま――いや、ナイでしょ」


「っ……と、それ、は」

 なぜだ、なぜ私は責められているんだ……?


「だ、だがしかし、なればなおさら、オマエが私を連れ出した理由がわからなくなるではないかっ。痛みを伴わない私の使い道なぞ、どこにある。

 ああそうさ、たしかに今の私は、通常時でもそこらの国直属の魔法師程度の力はあるだろうな。……で? たったそれだけしか利点がないというのに、危険を冒してまで罪人の私を連れ出す? いや、それこそバカのすることだろう」


 リーアは三の魔法師と親しくしていたという。

 しからば、他の数字を冠した魔法師との交流があってもおかしくはないし、その中からリーアの欠点を補うような人材を選んで連れ出せば良かったはずなのだ。

 この王国内にて、普段時の魔力量はリーアが一番多いのだから、場合によっては隷属させてしまいさえすれば良い。


 その状況下において、わざわざ私を選んだということは、私を選ぶメリットがあるはずなのだ。


 私の思い当たる限り、私にしかできないことなど、やはり一つしかない。


「え、ソコ? 今ツッコむとこ、ソコ? え、えっ、えぇ? あー、はぁ〜、そう、なるほど、……え、やぁ、…………あぁ、まぁ、レヴィですものねぇ……」


 そこ、とは?

「どういう意味だ……?」


 私の問いかけに、なぜだかリーアは重く深い溜め息を吐いた。


「あのねぇ……、……はぁ…………っと、すみません。

 なんか呆れすぎて、貴女の体のことが脳からすっぽり抜けとりましたわ。えぇえぇ、貴女がワタクシの支え無しには自力で立つことすらままならないことを、すっかり」

「と、あ、ぶない、っと。……い、いや、気にしないでくれ」


 唐突に手を離されてフラついた私を、リーアはどこか気の抜けた声音のままに支えてくれる。


「で……ワタクシ、言いましたよね。夜逃げする相方をレヴィにした理由。

 ――ええ、ちゃんと言っておりますわ。ええ、ええっ!」


 言って……?

 いや、言っていないだろう。


 唯一他にできない私だけの使い道といえば、外の捻れ切った空間へ逃げ込む際の防護膜しかなくないか……?



「まぁですけど、レヴィの言う通りでしてよ」


 真横から視線を絡め取るように、リーアはフッと表情を変える。

 私にとっては三度目の、艶やかな笑みだった。


「そして? どうやらレヴィさんはワタクシに命令して欲しくってたまらないそうですので? 寛大なるワタクシが、こき使って差し上げますわ。感謝なさい?」

「だ、だから、私はこき使われることがぅぐ!?」


「黙らっしゃい」

 苛立ち紛れに、リーアは私の口を手で押さえつけた。


「まったく……。――さて、レヴィーディス」


 やはり無理だったのかと、結局私の運命は変えられなかったのかと、悲鳴を上げる心から逃げる為に、ギュッと目を瞑る。


 そしてリーアの言葉が響く。




「ワタクシたちを取り囲んでいる獣共を蹴散らしなさい」




 …………、……、………………ん?


「あ、痛みは一切覚えずに、ですわよ」


 ん?


 ……んん?


「あー、っと、敵数把握。一番効率が良いのはぁ……やはり、全体攻撃の魔法…………うむ、どうにか足りそう違う違う違う違う! 違わないが、違う!!」


 頭も体も勝手に動き始める。

 ああそうさ、私はリーアに隷属された身。いくら残り魔力が枯渇寸前だからといって、命令されたらその通りに動かねばならない。


 出来得る限り無駄のないよう魔力を操りつつ、私は叫ぶ。


「なぁ? 今する命令、それじゃないよな!!?」


 おいコラ、『はて、言ってる意味がわかりませんわ』風に首をかしげるなッ!?


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