影の正体

「どういうことです?」

「辻切ヒルズ下のトンネルというと新道トンネル以外にもあるんです」

「えっと、旧道トンネル?」

「そちらはもう崩れていて通れません。もう1つ、逆城の黄泉路があります」

 友人は疑わしげに環を見つめた。なぜならそれは、今まで小学生の噂話として話していたものだからだ。

「結び池じゃなくて?」

「結び池は池であって、道ではありません」

「まぁ道では、ないような」

「道というものはどこかに至るからこそ道なんです」

 入って溺れ死ぬようなものは道ではない。行き止まっているものも道ではない。必ずどこかに、この場合は黄泉に繋がっているからこそ黄泉路なのだ。


「逆城の黄泉路は辻切下から黄泉に繋がる。その先には池があり、四季の花が咲き誇ると聞きます。芳しく甘く、そして幻想的に明るい」

「夢は明るくはないですよ。真っ暗だ。けれども池……、いや、花……そういわれるとそんな光景を見たことがあるような、ないような」

 成康は慌てるように付け加えたけれど、その語尾は小さくしぼんだ。

「おい櫟井、大丈夫なのかよお前」

「そうだお守り」

「お守り?」

「ええ。結び池に行くなら持って行けと言われて爺さんにお守りを渡された気がします。それで……それでどうしたんだっけ」

 小学生といえばもう10年以上は前だから、覚えていなくても仕方はない。けれども環は成康を見つめた。その過去は、今の成康につながっている。

「ひょっとしてご実家は古いお寺でしたか?」

「ええ、確か平安時代からあると聞いたような」

 ということは、あの廃仏毀釈を潜り抜けたのだ。ますます軽々に廃寺になるものではない。

 逆城の黄泉路については正確なことは全くわからないし、噂も広まらないことを環は知っている。

 なぜならそこは真に黄泉に繋がる道だらだ。入れば戻れないからだ。戻らない以上、つまり帰還者がいない以上、語り部としての物語や都市伝説に繋がることもない。本当にヤバいことを知る数少ない者は、噂が独り歩きして二次被害を引き起こすことを恐れて口をつぐむものなのだ。


 けれども今、その噂の種がひっそりと撒かれている。

 そうすると、ひょっとして成康の実家の寺こそが、辻切下の黄泉路の管理寺だったのだろうか。それぞれ黄泉路は人が迂闊に立ち入らないよう、どこかが管理しているはずだ。けれども伊弉諾山の伊弉諾いざなぎ神社は廃されて、そのために環の耳にもそこに黄泉路があるという話が入るようになった。辻切下の黄泉路も同じで、成康の実家の管理寺が存在しなくなったから噂が広がっていたとするならば。

 環の背筋に短い汗が垂れる。よくない流れだ。

 ひょっとしたら今後も黄泉路に立ち入る者がいるかもしれない。辻切下の黄泉路の上は辻切ヒルズ、大型商業地になっている。

 そんな危険な場所は、この神津には何箇所もある。神津はそれこそ太古の昔から続く胡乱な土地だ。誰にも知られず、ぽっかりと忘れ去られた落とし穴のように、唐突に口を開けている罠が多くある。

 けれども今はこの成康のことが先決だろうと環は思索を打ち切る。


「もし本当に迷い込んだのが黄泉路であれば、普通は二度と出てこれません」

「えっ?」

「秘された非常用の脱出路をみつけるか、なにかの守りによって黄泉を遮断する必要があります。そのお守りについてもう少し、何か記憶はありませんか」

 お守りお守りと呟きながら成康は天を仰ぐ。

 そうして突然、何かを思い出したかのように目を見開く。

「そうだお札」

「お札?」

「爺さんにヤバいことがあったらお守りを開けろといわれた、気がする。開けると三枚の紙が入っていた。それを途中で投げて……どうしたんだっけ?」

「なんかそれ、『三枚のお札』みたいだな。ハハ」

「そういえばそうだな。なぜだろ、すっかり忘れていた。その遠足の日にさ、大丈夫かって言われて爺さんの家に泊まったんだった」

「そして遠足のすぐ後に引っ越されたんですね」

 環の鋭い声に、二人は顔を見合わせた。

「そうです。遠足は確か二学期入ってすぐで、引っ越したのはその後だったな」

「本当に急だったよな」

「でしたらそれは、本当に『三枚のお札』です」

 二人は目を丸くする。環の中で話が1本に繋がった。

 そして成康が迷い込んだのは本当に黄泉平坂で、助かったのは三枚のお札のおかげなのだ。


 三枚のお札はその話に複数のバリエーションがあるが、おおよそはこのような話だ。

 寺に済む小僧が柿の実を取りに行きたいと言うが、師匠は危険だから止める。けれども小僧はどうしても行くというので師匠は何かあったら投げるようにと三枚の札を渡す。

 案の定、小僧が気づけば日が暮れており、鬼婆が現れて小僧を取って食おうとする。

 逃げる小僧が一枚目を投げると大山となって山姥の足を止め、二枚目は大河となって足を止め、三枚目は大火となって足を止めた。そして主人公の小僧は師匠の家に逃げ帰り、師匠は小僧を引き渡せという山姥に、引き渡す代わりに大入道になれといい、次に小豆になれと言い、小豆になったところを箸で摘んで食べてお仕舞。


 けれども三枚のお札には神道に関連する話がある。

 黄泉平坂で逃げる伊弉諾いざなぎを捕えるため、伊弉冉いざなみ黄泉醜女よもつしこめを放った。黄泉醜女は一飛で千里4000kmを走る化け物だ。伊弉諾は逃げるために三つのものを投げつける。蔓草の髪飾りを投げれば山葡萄の実が生えて足を止め、角髪みずな湯津津間櫛ゆつつなくしの歯を投げると筍が生えて足を止め、最後に桃の木の実を投げて退散させた。

 この話と三枚のお札が違う所は、三枚のお札では山姥を撃退できないことだ。

 だから最終的に山姥を倒せるかどうかは、師匠の力量に任されている。だから伝承のうち、いくつかでは失敗して師匠は食い殺されている。


「あの、環さん、どうされました?」

「え、ああ。本当に『三枚のお札』なんだな、と思いまして」

 環は自分が考えにふけり、その結論にため息をついたことに気がついた。

 成康の祖父は黄泉からいでた悪しきもの、仮に山姥として、それを退治するのに失敗したのだ。成康がまんまと光の外に逃げた後、山姥はおそらく夜半、再び闇が世界を埋めつくしてから黄泉路から居出て成康の実家の寺に向かい、その祖父を食ったのだ。

 昔話の失敗したその後など考えてはいなかったが、そもそも山姥は小僧を食うために追ってきた。とすれば物語では語られはしなかったが、小僧も食われてしまったのだろう。つまり小僧は食われる運命だ。

 けれども成康の話にはまだ救いがある。

 何らかの理由で山姥は成康を食べなかった。成康の祖父と戦い手傷を負ったのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。

 成康の一家が神津から離れて山姥は成康を見失ったのだろう。怪異にはその住処、つまりテリトリーというものがある。成康それを外れるほどに逃げた、そして逃げ切ったのだ。

 その後に目印の寺は廃され、成康はそこにいない。そしてどういうものだかはわからないが、三枚の札はまだ生きている。おそらく札が、夢の中で黄泉路を駆ける山姥から成康の位置を秘匿し、遮断しているのだろう。けれども山姥の息遣いが近づいている。だからその守りはおそらくそれほど長くは持たない。


「そういえば『三枚のお札』の季節も秋でしたっけ」

「はい?」

「確か『三枚のお札』では小僧が柿を食いたいといってだだをこねるのです。さて、どうしましょうか」

「どう、とは」

「一つはこのまま何もしない。その三枚のお札はきっと夢の中に出てくる三つの四角です。きっと今も守ってくれているのでしょう」

「守って」

「だから放って置いても夢見が悪いだけで何も起こらないかもしれない。もう一つは抜本的解決を図る。その場合、料金が発生します。そしてお受けするなら一週間以内です。それを超えれば、私は受けません」

「抜本的解決? 料金?」

「ええ。櫟井さんがこの件にどの程度の危機感をお持ちかどうかによるのですが」


 環は懐の名刺入れから一番目の仕切りに入った名刺を取り出す。

 『呪術師 円城環』


「理屈がわかりましたから、祓うことはできると思います」

「あの、え、本当に?」

 成康の表情は未だ半信半疑だ。

「私の本業はライターと自己認識していますが、収入としてはこれが一番大きいんです。けれどもあまりに胡散臭い話ですから強制はいたしません。もし必要であればご連絡下さい。いつもあの喫茶店にいますので。それでは失礼いたします」

 ぽかんとした二人を残して早々に環は席をたつ。

 こういうことは言葉を重ねれば重ねるだけ、誤謬が交じり信じられなくなるものなのだ。だから検討に必要な情報を伝えた後は、決断は自らがしないといけない。

 けれどもおそらく成康はやってくるだろう。夢の中で山姥は近づいている。その吐息を真後ろに感じるほどに。

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