遠足の行方
成康は少し考えスマホを取り出し電話をかけた。
仄聞すると友人らしい。成康は四角い場所に心当たりがないかと聞いているが、当然ながら要領を得ない。友人からの問い返しにうまく答えられないのだ。なにせ不確かな夢の場所を特定しようとしているのだから。
「よろしければスピーカーにして頂けますか?」
「え、ああ」
「はじめまして、私、円城と申しまして、雑誌のライターをしております。先程から櫟井さんとお話しておりまして、夢の中に出てくる場所が気になっているのです」
「本当に夢の場所……ですか?」
電話口から困惑げな声が響く。
「ええ。お伺いするところ、大きな建物の出入り口か洞窟のようなところだと思うのです。暗い所からとても明るい外に出る。そのような場所に記憶はございませんか?」
「記憶?」
「ええ。例えば幼少の頃の強い記憶が、櫟井さんの深層心理に影響しているのかもしれません」
しばらく話し合った結果、環と成康は場所を変えることにした。その友人の家には小学校のアルバムがあるらしい。インターフォンに現れた友人は環の姿を見て固まり、ライターの名刺を渡してようやく、キョドキョドしながら2人を自宅に招き入れた。押し入れの中から数冊の分厚いアルバムが取り出される。顧みられることもないようで、埃にまみれていた。
「ほら、この辺が3年の時位だな」
「懐かしいな。意外と覚えているもんだな。でも暗いところか……」
「お2人は
逆城は
「俺は逆城生まれの逆城育ち。櫟井も転校するまではここに住んでたよな。こいつの実家はもともと寺なんですよ」
「お寺。古い家なのでしょうか。それでしたらそのご実家に大きな建物や洞穴はありますか。あるいは蔵とか」
環は寺や古くからある家にありそうなものとして蔵を思い浮かべた。蔵であればその扉は四角く、閉じればその中は真っ暗だ。
けれども成康は苦笑で答えた。
「うちは小さな寺でした。それに蔵だと逃げるほど広くないでしょう?」
「普通はそうですが、子供の頃の記録であれば相対的に大きく遠く感じることもあります。印象だけ残って実際は異なることもある。それに夢は色々ねじ曲がりますから」
「ねじ曲がる?」
「ええ。走っても走っても前に進めない夢、見たことがあるでしょう?」
しかし最初は光が見えない程に真っ暗なのなら、やはり違うのかもしれないと思い直す。
それであればよほど長大な建物の出入り口か、洞窟のようなもの。その出口は横長の四角に切り取られているというから、洞窟というのとも何か印象が異なる。今のところ、環のイメージに一番合致するのは洞窟だ。けれども思い当たったその話には3つの四角というものは出て来ない。
だからそもそも成康か環自身が大きな勘違いをしているのか、おそらく記憶か夢に何かが混ざっているか、あるいは無関係なのだ。それを前提に環は検証をし直す。
「どうだったかなぁ。町中の寺だったから、やっぱりそんなに大きな建物も蔵もなかったと思います。洞窟なんてあるはずがない」
「今から確認しに行っても?」
成康は一瞬固まり、頭をかく。
「それがもうないんですよね。俺の爺さんが住職だったけど、俺たちが引っ越す直前に死んで廃寺になっちゃったから。今はマンションが建ってます」
「うん? 待ってください。廃寺になったんですか? どこかに引き継いだりすることもなく?」
「ええ。普通は予め引き継ぐものなのですか?」
成康の表情に疑問は浮かばない。けれども環にとって、それは通常の手続きではなかった。
寺というのは様々な理由によって廃されることはある。
けれども寺を廃するというのは、それなりに手間なのだ。仏や墓を移さなければならないし、役所への届け出や近隣の諸寺への連絡等、諸々の手配が必要だ。
跡継ぎがいない場合は従前より入念に手回しをするものだが、この寺には成康の一家がいる。亡くなった直後に引っ越しをするなど、夜逃げに等しい。なにか妙だ。
「最近は跡継ぎ問題もありますし、必ずしもそうではないのですが、長患いをされていたわけではないのですね」
「ええ。夏休みはピンピンしてて一緒に海水浴に行ったような……あれ? 爺さんはなんで死んだんだっけ?」
「俺は風邪をひいたからって聞いたぞ」
「風邪で死ぬようなタイプじゃ」
成康は急に心配そうに環を見た。
寺、突然の死、そして出口を塞ぐ3つの四角。
寺にまつわる言い伝え。環の頭の中では様々な可能性が交錯する。
「……あの円城さん、これひょっとしてヤバい奴なんですか?」
「背中からやってくる息遣い、というのは多くの伝承のパターンで悪いものです。なんといいますか、私が最初に話を聞いた時点で想像したのは
「黄泉? それって
友人は首を傾げた。
「そうです。真っ暗な黄泉の国から逃げてくる。けれどもこれは神道の神話で仏寺に直接関係ありません」
「それは……そうですね。それにそもそも黄泉平坂なんてこの辺にないでしょう?」
「この逆城には黄泉に繋がる道の噂がいくつかあるんです」
急に友人は慌てふためく。
「え、あれ? 逆城の黄泉路ってマジな話なんですか?」
「さぁ、どうでしょう。私はライターなのでそういう話はよく聞くんですよ」
その問に、環はわずかに首を傾げて答えた。
日本神話に連なる多くの説話では、黄泉平坂というのは
けれどもあの世への入り口は、実際はわりとどこにでもある。山や海というものは古くから日本全国で彼岸と此岸の境目とされて祀られている。そしてこの逆城には黄泉に繋がる7本の路がある、というのが何年か前に都市伝説として騒がれてたのは記憶に新しい。全部知ったら死ぬというよくある噂とともに。
その中で最も有名なものと言えば、そう思って環は丁度開いていたアルバムの中に写っていた池を差す。
「そうですね。たとえばこの
「本当かどうかは知らないが、
「なんだそれ?」
「ああ、櫟井は引っ越したから知らないか? うーん、引っ越した直後くらい? あそこの池の色が赤くなったっていう噂があってさ」
「赤く?」
「公にはプランクトンの繁殖っていうことになっていますけどね」
「うん、でも子どもなんてそんなの信じないじゃん?」
友人は訳知り顔で頷く。
「それと同じ頃、学校でさ、誰かが咽び泣く声が何日も響き渡ったとかいう噂が流れたの」
「それで咽び池? 気持ち悪いな」
成康の顔が陰る。部屋の温度がじわりと下がったように感じたのは気の所為ではないのかもしれない。
湖沼は富栄養化によって池が赤くなる、いわゆる淡水赤潮という現象が発生することがある。そういうことになっている。
当時の子どもはそれを信じず、誰かが泣くような声が聞こえたというさらに古い噂に乗ったのだろう。咽び池の更に古い噂はより酷い。結び池の北東、逆城の西には江戸時代に古い刑場跡があった。そこで打首になった刀を洗ったのが結び池で、親類縁者がそこで咽び泣いたことに由来する、という噂が昭和初期に出ている。
その当時の噂では、結び池の中に刑死した者がそのまま投げ入れられ、池が赤く染まって地獄と繋がったという噂もある。事実、近辺に刑場は存在していた。
けれども環は死体を投げ入れたという噂は恐らく事実ではないだろうとは思っている。湖沼を死体の捨て場にすれば疫病が流行りかねない。流石にそんな対処はしないだろう。燃やすか埋めるはずだ。
それにそもそも環の知識では、黄泉と繋がっているのは結び池ではない。
「まぁそんなわけで結び池は黄泉路に繋がっていると言われています」
「そういや櫟井、お前この遠足の時に行方不明になっただろ」
「え、そうだったかな」
「その話、詳しく覚えていますか?」
「ほら、この写真、奥で先生が集まってるだろ?」
その指し示す写真の手前には敷物を敷いて弁当を広げた小学生が何人か笑っていたが、その奥の柿のような木の下では、教師と思しい人間が集まっていた。小さくてよくわからないが、なにやら深刻そうな雰囲気が見て取れる。
「そんなニュースありましたっけ。子どもが行方不明になれば大事件でしょう?」
「わりとすぐに見つかったんですよ。それで友達がいなくなったのに何故見てなかったんだとかめっちゃ理不尽に怒られた。だからよく覚えてるよ」
「どこで見つかったんです?」
「トンネルの前だって言ってたな。そんな危ないところにいたら、そりゃ怒られるだろ。だからその後に俺らめっちゃ注意されたもん。勝手にどっかいくなって。櫟井、お前覚えてないの?」
「そういやめっちゃ怒られたような気がするけど、うーん」
「ひでぇ」
そんな呑気なやり取りを目の前に、環の頭の中では様々な情報が錯綜していた。
結び池のあたりでトンネルといえば通常は神津新道トンネルだ。それは比較的新しい、辻切ヒルズの直下と貫く幹線道路のトンネル。交通量が多く、子どもが歩くのは極めて危険。だからトンネルと聞いて新道トンネルと結びつけるのは当然といえば当然だ。
けれども見つかったのは本当に新道トンネルなのか?
辻切ヒルズのには3本のトンネルがある。新道トンネル、既に存在しない旧道トンネル、そして逆城の黄泉路。
「それは本当に新道トンネルでしたか?」
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