第4話 まあレット・イット・ビーですよな
「ほい、学長のお話終わり~」
考え事をしている間に、学長の話は終わっていたようだ。雪堂先生が邪魔そうにスクリーンの前に立った。
「今日はこれで終わりにするが、学生生活は助け合いだ~。今の内からクラスに友達をつくったりして、有意義な学生生活を送れるようにする事。決してダラケたりしちゃいかんぞ~」
雪堂先生は「終わり終わり~」と言って教卓に戻っていった。今だからこそわかるが、彼女は学生が気軽に相談しやすいよう、講義の時間が終わってもああしてあえて教室に残っているのだ。
俺が大人になってもできなかった事を、彼女はあの歳でさらりとやってのけている。人間としての出来が根本的に違うのかもしれない。
教師なんて、ただでさえクソガキの相手を真面目にしなくちゃならないストレスフルな仕事のはずなのに、一体全体どこにガキの相手をする余裕があるのだろうか。
「嵐君、お昼ご飯どーする?」
俺が雪堂先生の人間性に感心していると、円香がぴょこっと現れた。
「あー、さっき食べたばっかだからあんま腹減ってないんだよな。円香腹減ってるんだったら先に食べてきたら?」
「やだよー。広い食堂でポツンと一人ぼっちでご飯なんて食べたくないよ」
そうだった……社会人生活も長くなると、昼飯は一人で食べるものだという概念が構築されるが、学生にとっての昼飯とはすなわち会話時間であり、友人との友誼を深める儀式なのだ。
いかん。いかんぞ。別に隠すつもりはないが、8年前からタイムリープしてきたんだ、なんていうビッグバン級の事実を開けっ広げにはしたくない。
人の噂も七十五日なんていうが、それは社会に入ってからの話だ。学生達の間に広まってしまった噂は決して七十五日なんかでは消えない。
自称タイムリープ系男子なんて称号、俺は嫌だ。あまりにイタい。イタすぎていたたまれない。アイタタタ、だ。
「んー、じゃあこうしようか。俺は軽食かなんかを食べるよ。それなら食堂一緒できるし、いいだろ?」
「うんうん。そうしようそうしよう。私朝ごはんちょっとしか食べなかったからお腹ペコペコだよー」
「珍しいな、円香が朝ちょっとしか食べないなんて。ダイエットでもしてるのか?」
そう聞くと、円香は恥ずかしそうに小さく頷いた。当てずっぽうで言ったのだが、まさか当たるとは。しかし、一体どこのダイエットをしようというのだろうか。特に太っているようには見えないが……
「昨日体重測ったら増えてて……」
さもありなん。彼女の胸は今も成長中なのだ。他のところが変わっていなくても、そこが増えていれば必然体重は増えるだろう。
「食事制限をするダイエットって身体に悪いらしいぞ。ちゃんと食べて、しっかり運動するのが一番健康的だ」
「ランニングでもしようかなぁ……嵐君付き合ってくれる?」
「やだよ。俺は根っからのインドアだ」
そんな事を話しながら歩いていると、食堂についた。大学含め総学生数千を優に超える周防学園の胃袋を一手に担うここは、実に様々な人種が食事を楽しんでいる。
赤いかつらにピエロのメイクをした学生がカツ丼をかき込んでいたり、和服にブーツという大正時代の文豪も真っ青な格好をした学生がパフェを食べていたりもする。
そんな多種多様な学生達の胃袋を満たすため、食堂のおばちゃん達は忙しなく働いてくれている。ありがとう、おばちゃん。
「昼時外れてるとはいえ今日も食堂は大盛況だな。食券買ったか?」
「うん。私はねえ、日替わりランチにしたよ。嵐君は?」
「コーヒーセット。俺が受け取ってくるから円香は席取っといてくれ」
「アイコピー」
と、どこぞの空軍映画の真似をした円香はトコトコと空いている席を探しに行った。
「さて……あの群れに入っていくのも懐かしいな」
食堂は戦場である、とは誰の言葉だったか。きっとあの、おばちゃんに食券を渡す群衆を見た誰かが呟いて広まっていったのだろう。それほどまでに、食券をおばちゃんに渡すというタスクは一大任務なのだ。
「チッ、クソ! おばちゃあん! 日替わりランチとコーヒーセット!」
人にもみくちゃにされながらも必死に手を伸ばし、おばちゃんに食券を渡す。
「あいよ!」
食券を受け取ったおばちゃんから半券を受け取る事ができればタスクの大半は完了だ。食事の受け取り口は半券の番号で管理されているので、食券受け渡し口とは違い、人でもみくちゃになるという事はないのだ。後は受け取り口に行って差し出される食事のトレーを持って席に戻ればいいだけだ。
5分ほど立って待っていると、頭上のモニタに俺の半券に書かれている番号が表示された。円香の日替わりランチとコーヒーセットを持った俺は、彼女の待つ席を探した。
「嵐君、こっちこっちー」
探し人はすぐに見つかった。運のいい事に、4人がけのテーブル席を取れたようだった。しかも窓際という絶好の位置。円香が窓側に座っていたので、俺は対面の席に腰を下ろした。
「ほれ、日替わりランチ」
「ありがとー。いただきまーす」
もぐもぐと美味しそうに食べる円香の姿を見ながら、俺はフォークでショートケーキの先を崩した。
学食とはいえ400円でケーキとコーヒーがセットで出てくるというのお財布に有り難い。
このショートケーキの甘さをブラックコーヒーの苦味で中和するのがなんとも――
「っ! っ!?」
そう思い、ブラックコーヒーを口に含んだ瞬間だった。俺の舌がコーヒーの苦味を拒絶してきたのだ。一体なぜ……?
「やっぱりー。嵐君コーヒー飲めないって自分で言ってたじゃん」
そんなはずは……いや、思い返せばコーヒーを飲みだしたのは大人になってからだったような気がする。くそう。お子様舌が憎いがここは砂糖をドバドバ入れるしかない。そう思っていると、
「私のお茶と交換しよ?」
「いいのか?」
「いいよ。私はコーヒー飲めるし。これに懲りたら今度からはお茶にする事。いいですか?」
「おう。すまん」
受け取ったお茶で口の苦味を中和してから気づいた。これ、間接キスでは?
チラッと円香の様子を伺うと、彼女は一切気にした様子もなくコーヒーを飲んでいた。なんだ、この敗北感は。おませさんめ。俺は負けないよ。
謎の対抗心を抱いた俺がグビグビと交換したお茶を飲んでいると、いよいよ食堂が混み始めてきた。もう少しすれば昼時だ。そうなれば人でごった返すだろう。
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