第2話 ママだろ! おい! 舐めてんの? 役割を完遂しろよ
円香に一時退室を願った俺は壁にかけてあった制服に着替えて、歯磨き粉をしっかり塗った歯ブラシを口に咥えた上で再び円香を我が家に迎え入れた。口臭ケアに余念がない!
「まったく、起きてたんなら返事してよね」
そう言う円香に「ひゅまんひゅまん」と歯ブラシを咥えたまま返事をした。
しかし、円香の姿を見ると改めて8年前に戻ったのだと強く実感した。
濡羽色のミディアムボブに155センチくらいの身長、よく見れば可愛いという、男にとって実に都合のいい美人さの顔。美人すぎると男はビビっちゃうからね、仕方ない。
そして何より、推定Eカップはあるだろう胸部装甲。俺は知っている。この胸が今でも成長中だという事を。大学になる頃にはもっとデカくなっているのだ。
円香には悪いが、俺は彼女の胸で今が8年前であると確信した。だって俺の知ってる円香の乳はもっとデカい。
「その様子だと、朝ごはんもまだだよね? 私なんか作ろうか? まだ時間あるし」
「すまんけど頼む」
歯も磨いてスッキリした俺だが、いかんせん前日の俺が今日の準備をしていたのかどうか定かではないため、朝食の準備をしている余裕はない。
さっきは嫌な事を思い出して胸が痛んだが、こういう時幼馴染という存在は実に有り難い。結婚しよ♡
「とはいったものの、だ……」
8年も前になると我が家であって我が家ではない他人の家感が否めない。どこに何があるのかをさっぱり覚えていない。
通学に必要なカバンは床に置かれていたのでなんとかなったが、肝心の中身が空っぽだった。おのれ8年前の俺、ちゃんと前日に準備しておけよ。
「円香、今日って何が必要なんだっけ? 書類なくしちまった」
「書類? 今日は別に必要な書類とかなかったはずだけど」
しまった……学生に書類なんて言っても通じなくて当たり前だ。学生にとっての書類とは願書などの類で、それも親が書いて出してくれるケースがほとんどだ。
「あ、いや、プリントだよ。今日の持ち物が書いてるやつ」
「ああ、んとね、今日は筆記用具とお昼を食べる用のお金だけだよ」
「そか、せんきゅ」
「ううん、どーいたしまして。それにしても、プリントの事急に書類なんて言うなんてどうしたの? あ、わかった! 昨日のドラマに影響されてるんでしょ? わかりやすいなあ」
「ああーまあ、そんなところ」
昨日やっていたドラマなぞまったく覚えていないが、とりあえず今はその名も知れぬドラマに感謝しなければ。ありがとう、ドラマさん。こんなどうでもいいところで怪しまれてたまるかってんだ。
「あれ面白かったよねえ。ね、嵐君は犯人誰だと思う?」
バカ野郎クソドラマが! こちとら犯人もクソもドラマのタイトルすら知らねえんだよ。
「あ、ああ……そうだなあ……円香は誰だと思うんだ?」
「私? 私はねえ、やっぱり小和田さんが怪しいと思うんだよね。横沢さんに恨みを持ってそうだし」
小和田……横沢……そうか! わかったぞ! この時期にやっていた人気ドラマとは「横沢直樹」だ。
ふふふ……なんて聡明なんだ、俺の頭脳は。よくもまあ8年も前に放送されていたドラマのタイトルを思い出せるものだ。
しかし確かあれの犯人は小和田ではなかったような……いや、ネタバレはよくない。楽しみにしている人に「その作品の犯人はね」、なんてネタバレするような輩は滅ぶべきだ。クリエイターの鑑!
「俺もそう思うよ。続きが気になるよな」
「ね、おかげで毎週月曜日は寝不足だよ~。もっと早い時間にやってくれたらいいんだけど」
そういえば円香は毎日22時には布団に入っているという健康優良児も真っ青な健康的な睡眠サイクルだったはずだ。
なぜこんな事ばかり覚えているのか。もっと他に大事な事があるでしょう。大事な事が!
なんて話をしていると、朝食が出来上がったらしく、テーブルにトーストと目玉焼き、サラダが並んだ。ちなみに円香はすでに食べたのか、俺の分しかなかった。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
もぐもぐと口にトーストを放り込んで咀嚼する。味も、匂いも、食感も、全部が全部本物であると主張しすぎなほど主張してくる。
まだぼんやりとこれは夢なのでは? と思っていたが、どうやらそんな事はないらしい。なんなら、先程まで俺が過ごしてきた8年間が夢だった、という方が納得できる。
それほどまでに、円香と過ごしているこの日常は現実だと触れるもの全てが教えてくる。
「ごちそうさまでした」
せっかく作ってくれた彼女には悪いが、どうにも夢見心地な俺は、食事をしっかり味わう事なく完食してしまった。ごちそうさまは作ってくれた彼女に対するせめてもの礼だ。
「お粗末さまでした。それじゃ、行こっか。いくら寮が近いとはいっても、あんまりボヤボヤしてたら遅刻しちゃう」
「そうだな、行こうか」
だんだんと思い出してきた。俺が住んでいる「アザミ寮」は、その花言葉が指すように、独立をモチーフに運営がなされている。
すなわち、料理を始めとして掃除なども全て自分達で行わなければならないのだ。他の寮では寮母さんが掃除や料理をやってくれるが、アザミ寮にそんな事は望むべくもなく。
学園創立と共に建てられた寮という事もあり、見た目は崩壊寸前なほどにボロい。中身も当然それ相応なのである。
住めば都というが、実際のところはその荒廃具合に耐えきれずいなくなる人が後を絶たない。退寮、転寮は日常茶飯事だ。
特に、入寮一ヶ月未満の者は必ずといっていいほど風邪に似た諸症状を発症する。通称「アザミ風邪」と呼ばれるそれを乗り越えし者のみが、アザミ寮で生活できるのだ。
「しかし、改めて見ても酷いな。とても人が住んでいるとは思えない」
寮を出て、暫く歩いた辺りで後ろを振り返り、我がアザミ寮を見て出た感想がそれだ。
「外観くらい直せばいいのにねー。今年は何人残るのかなあ」
「一人も残らないんじゃないか」
今年で二回生となる俺と円香は、アザミ風邪を乗り越えし者だが、俺に限っていえば体感昨日まで綺麗な部屋で過ごしていたので、今からアザミ風邪が再発しないかビクビクものだった。
とまあ、ここまで散々アザミ寮をディスってきたが、メリットもある。それは、周防学園創立と共に建てられた寮なので、寮が学園の敷地内にあるという点だ。
通学終了まで驚きの5分。おかげで、朝を時間いっぱいまで布団で過ごす事ができる。今日のような不測の事態にもバッチリ対応できるのだ。そもそもそんな事態起こるなって話だが。
「さーちゃん印のワッペンですよ~。今ならなんと、驚きの0円! もらってくださ~い」
正門にたどり着くと、道行く人に一生懸命何かを渡そうとしている少女がいた。
「……サークルの勧誘ってもう解禁されてたっけ?」
記憶が確かなら入学に関する諸々の説明を学園側が終えてからだったような気がするのだが。
「まだなはずだよ」
となると、あの子がやっている事は何にせよ違反行為だ。そんな行為を生徒会が黙って見過ごすはずもない。
「ああ、噂をすれば、だな」
ワッペンを配っていたらしい少女が、生徒会の腕章をつけた生徒達に囲まれている。どうやら口頭注意では済まなかったようで、連行されていってしまった。
「可哀想に。きっとあの子、新入生だよ。解禁前の勧誘はご法度って知らなかったんだね」
「だとしてもだ。右も左もわからない新入生の身分で勧誘活動をするなんて、相当肝が座った子だ。将来有望だな」
しかし、ふむ……連行されていく少女の面影に、どこか見覚えがあるような……駄目だ、思い出せない。
覚えていないという事は、過去の俺とは関わりがなかったのだろう。そう思い、俺は周防学園の門をくぐった。
国内でも1、2を争う敷地面積を誇る周防学園は、目的の教室までたどり着くのが実は一番大変だったりする。
それは高等部においても例外ではなく、端から端までの移動教室だったりすると、移動だけで10分くらいなら飛んでしまう。だから、周防学園では各中休みの時間が20分用意されている。
「あ、今年もクラス一緒だね」
掲示板に張り出してあるクラス分けの紙を見た円香が嬉しそうにそう言った。
クラスが一緒でなぜ喜ぶ。俺にはわかるぞ、お前のそういうところが男子を勘違いさせるんだ。この勘違い量産機め♡
あ、優しくされたから俺の事好きだと勘違いして告白したら「君の事そういう対象に思ってなかった」ってフラれた小学生の頃の記憶が蘇るぅ!
「お、そうだな」
俺達のクラスは2―Cらしい。記憶が確かなら1号館の二階だったはずだ。ここからはそう離れていないので、時間的には余裕だろう。
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