最終話 去り行く人(その3)
「変わったことですか。……いえ、とくに何もなかったと思いますけど?」
ギルダが一体何を言い出したものかと、彼女は首を傾げながらも回答する。
「ヴィクトル医師がこのウェルデハッテに赴任してきてもう半年ほどになるが、上手くやっているか。診療院の皆と諍いなど起こしていないか」
「前のカルロ先生よりもむしろしっかりしているかも。カルロ先生、腕は確かだけど時々肝心なところで忘れっぽくて、大変だったから……」
「まあ、カルロはそうだったな」
「どうしたんですか、ギルダ様」
「うむ……例えばの話だが、私がまた王都かどこかへ行くなどして、ひと月とかふた月とか、村を空けても問題はないか」
「何かご予定があるんですか? アルマルク商会の方から何か呼ばれたりしているんですか?」
「いや、そういうわけではないが……例えば、それが半年とかでも大丈夫であろうか」
仮定の条件がそのように順々に延びていくに至って、さすがのコレットも不審に思いながらも、訊かれたことには律儀に答えた。
「ヴィクトル先生は不安に思うかも、ですけど。商会の方も薬を届けてくださったりしてますし、もし何かあれば王都のカルロ先生にも駆け付けていただけると思いますし、たぶん大丈夫じゃないですかね」
「そうか」
「……本当に、どうしたんです?」
「いや、ちょっと聞いてみただけだ。今の話は忘れてくれ」
忘れてくれと言われても、一体何の意図があってそのような質問をするのかコレット・ポーには釈然としないものが多分にあったが、とにかくその話題についてはギルダから一方的に会話を断ち切られ、それで終わりだった。
そんな事があってから、どのくらいが経過しただろうか。
まずギルダに必要なのは新しい足に慣れる事だった。かかとが出来てから、つま先のようなものが生えそろうまでが意外と長く感じられた。つま先がそろうまでは、それでも左右の足の形が違えば立って歩くのも不慣れには違いなく、そもそも義足の時のような片足を引きずるような歩き癖をまずは修正する必要があった。
昨日今日慌ててという話ではおそらくコレットもいぶかしんで普段と違う行動には目ざといであろうから、一月待って、二月待って、いつが頃良いと言えるのかじっくりと待って過ごすギルダだった。国境から向こうの様子は誰かに聞けば必ず状況が分かるというものでもなし、どのみちギルダは三たび王都を訪れた以外は何十年と村からろくに出た事はない。方角だけは見失わぬように、あとは出たとこ任せになってしまうのは致し方無かったかも知れない。誰にも告げないままにこっそりと旅の準備をしつらえ、ついにある日朝暗いうちに起き出して身支度を整えたのだった。
去り行くにあたって各々の者どもにどのように言づけたものか少し見当に困ったが、どうせいなくなるのであれば後の事は後の者たちに任せるままにするしかなかっただろう。いくさの折にハイネマン医師とアンナマリアで切り盛りしていた頃から比べれば人手も物資も充分に揃っており、今さらギルダがいないとどうにもならない事などは特段何も無いはずだった。
だから、黙って出て行く事にしたのだった。
払暁の頃合いに、自身の宿舎からとぼとぼと歩き出す。田畑を耕す者や獣を狩りに山に入るものなどはこのくらいの頃合いから起き出して一日を始めていたかも知れないが、ギルダが歩く道の途上では誰とも行き合うことはなかった。
まず目指したのは村の墓地だった。リアンの墓石の前に立ち、簡単に別れの言葉を告げる。隣に立つメルセルの墓に一言、リアンのことを頼んだぞ、と告げ、さらに去り際にアンナマリアの墓を一瞥したのち、その足で診療院を目指す。
裏手から厩舎の方に向かい、馬に鞍を乗せると、そのままくつわを引いて、長く世話になった僧院をあとにするのだった。
そのまま村の目抜き通りを目指していく。かつて視察行に訪れたユーライカの旅団が華々しく駆けていったように、その表通りが旧街道の一部であった。
このまま誰にも見咎められることが無ければ。
そのように思ったギルダだが、途中で足を止めざるを得なかった。
見れば彼女の行く手を遮るように、目抜き通りの村の広場に幾人かの村人たちが寄り集まっているのが見受けられたのだった。
朝も早くから畑仕事へ行く者達、という風には見えなかった。農具も狩りの装具も持たず、彼らは無言で立ち尽くしたまま何かを待っていた。
そう、彼らは明らかに旅立つギルダの行く手を遮るべく、示し合わせてその場所に集っていたのだった。
左へ行けば街道は王都へと向かう。右に行けば東回りに森林地帯をしばらく行き、やがて国境の方へと街道は分岐していく。そのいずれへ向かうとしても、群れなして集う彼らと行き合わぬわけには行かなかった。
一体どうしたものか、とさすがのギルダも立ち止まったまま途方に暮れた。
遥か遠い日に戦場にいたギルダであったならば、行く手を遮る者どもは皆、敵と見なして薙ぎ倒していただろう。だがそこにいるのは有象無象の曲者たちではない。日頃から見知った村の者たちが、不安そうな表情のまま、馬を引いてここまで歩いてきたギルダをすがるような眼差しでじっと見返しているのだった。
そんな人垣の中に、ギルダはことさらに見知った小さな影を見つけた。
「……コレット・ポー。お前の企みだな?」
「たくらみだなんてとんでもない」
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