最終話 去り行く人(その2)

「会えはしなかったが、後で手紙をもらった」

 ギルダの言葉に、若い衛兵は、そりゃよかったですね、と気安く返事を返したのだった。

 それでも正門から動こうとしないギルダに、門番は不意に脇の通用口に退いていったかと思うと、回り込んだ鉄柵の向こう側から、そっと柵を押し開けたのだった。

「……どういうつもりだ?」

「入りたいんでしょう? 一歩踏み入れるくらいなら、別にいいですよ」

「そなたのお役目から言えば、それはまずかろう」

「そこに突っ立っていられるのも困りますよ。任務の事を言うなら、不審者として取り押さえるのに理由としては充分なんですけどね」

 そのように言われてギルダは思わず兵士の顔をまじまじと見た。取り押さえると話には出たがそんなつもりもさらさら無いようではあった。どうしたものかと思ったが、その申し出を素直に受け入れる事にした。

「そうか。では、厚意に甘えさせていただくとしよう」

 済まないな、と一言告げてギルダは正門から一歩足を踏み入れる。門扉の有無があるだけでわずか数歩の距離の違いではあったが、真正面に立つ建物をあらためてまっすぐに見やると、その胸に言い知れぬ思いが去来するのだった。

「今更、と申されるであろうが……あまりにも遅くなってしまいましたが、このギルダ、あの日のお約束どおり確かに帰参いたしました」

 誰に聞かせるでもなく、彼女はそう呟いた。後ろに立つ衛兵が怪訝な顔をしていたが、彼がどう思ったかを気にかけても仕方がない。

 どれほどの間そうやって佇んでいただろうか。ギルダは衛兵に短く礼を告げ、その場をあとにした。退屈な門番仕事に飽き飽きしていた若者にとっては、彼女の相手は一時の暇つぶしくらいにはなっただろうか。

 そこから取って返して……足を運ぶべきか少し迷いはしたが、彼女は王宮に向かって歩き出した。王宮前の広場はあの裁判の日のように大群衆が群れ集っているということは無かったが、それでもどこから集まったのかというくらいの大勢の人々が思い思いに行き交っていた。中には田舎から出てきて物見遊山に訪れたものもいるのだろう、王宮の壮麗な佇まいを目にしてはしゃいでいる者、そんなものは見慣れたと涼しい顔で通り過ぎていく者、それぞれであった。

 その広場を過ぎてギルダが向かったのは、あの北の塔であった。これも現地についてみれば、無骨な石積みの外観は昔と変わらぬままにそこに立っていた。こちらは今も牢獄として使われているという話で、入口には幾人かの衛兵がこちらは険しい表情で詰めているのが見える。先ほどの離宮のような呑気な雰囲気ではなく、物見遊山で気楽に近づくわけにもいかないだろう。いずれにせよ、最後にもらったあの手紙をユーライカがどのような思いであの塔の中でしたためたものか、それを考えるとギルダの思いも今更ながらに千々に乱れるのであった。

 そのような散策ののち、その翌日にはギルダは早々にウェルデハッテへの帰途についたのだった。馬車は丁重に断って、代わりに馬を借り受けてただ一人での復路であった。思い返せば村との往来には必ず馬車に揺られるかオーレンの随伴があるかだったから、一人きりというのも滅多に無いことではあった。

 村に帰り着いた翌朝、以前と同様に屋敷への診療に向かう時間に彼女は起床した。身支度を整えて宿舎から一歩外に出るが、もはやアルマルクの屋敷に往診に行く必要がないのは彼女にも分かっていることだった。それでもいったん屋敷への道のりを歩き、正門の前に立つ。リアンの葬儀のあった翌日から、それ以降王都へ行くのに村を空けていた間を除いてずっと続いている彼女の日課で、時折門の前で使用人と顔を合わせる事があれば無言で会釈し、中には入らずにそのまま立ち去っていく。そこからさらに歩いて、たどり着いたその先はリアンが埋葬された村の墓地であった。

 まだ真新しい墓石の前に立てば、在りし日のおのが娘の姿がさまざまに思い起こされた。人造人間の彼女が必要以上に感傷的に思い出に浸ったところで、それに何の意味があるのかは分からず、ただ戸惑いだけが内心に広がっていく。

 ……いや、本当に心のない人造人間であれば、そもそも墓参の必要すら感じなかったには違いない。この場に立って、その面影だけでも胸に去来するのであれば、それはギルダに心があるのだ、というクロモリの指摘が正しいという証左ではあっただろう。それでも彼女自身、その事実をどう受け止めてよいのか分からず、墓参はただ心をかき乱すばかりだった。

 それでも、診療のため屋敷に日参していたのを墓参に代えて、それからもリアンの元を訪れる日々を続けたギルダであった。

 そんな彼女はある日、墓地から診療院へと戻る道すがら、義足をつけた脚にふと違和感を覚えて立ち止まった。墓参で内心の平静を乱されているせいか、と思ったが、どうにも歩きづらくて、ついに道端で何もないのに転倒してしまったのだった。

 それが一度きりのことなら気の迷いだったかも知れないが、そんな事が一度ならず二度、三度とあったので、ギルダはある日義肢職人の元を訪れた。

「気が付けば、長い間酷使してしまった。随分とすり減ってしまっているのではなかろうか」

 そのように告げて調整を依頼したギルダだったが、職人の回答はギルダの予測とは違っていた。

「長さが合わないのは確かです。でも、ギルダ様。私の勘違いでなければ、今のこの義足を御足にあわせて調整いたしますと、義足のほうの長さを少し詰めないといけません」

「そんなはずがあるか。無くした脚が生えてくるわけでもあるまいに――」

 そう言いかけて、ふと言葉を切る。

 ギルダには思い当たることがあった。彼女に限った話をすれば、脚が生えてくる事は、ありうることなのだ。

 あわない義足で無理矢理に診療院に戻り、その日は普段通りに仕事をした。日が経つにつれて歩きづらさは増していく一方だったが、職人に依頼したところで新しい義足が仕上がってくるころには恐らくまた調整が必要になってくるだろう。そんなこんなでひと月ほどが経過する頃には、おおよそ数十年ぶりに、彼女は失ったはずのかかとを取り戻していたのだった。

 かつてそこにあったはずの数字の刻印は、どこにも見当たらなかった。そのかかとをこれも数十年ぶりに靴に通してみる。つま先がまだ申し訳程度にしかなく、立って歩くにはまだ不安があるが、それでもおのれ自身の両足で床を踏みしめて立つというのも久しく無かった事だった。

 そのまま二歩、三歩と歩いてみる。慣れない所作ではあったが、確かにおのれの足で歩く事が出来た。

 それが叶ったと分かって、ギルダの心にはある思いが去来するのだった。

「コレット。少しいいか」

「はい、何でしょう……?」

 コレット・ポーはこの診療院に出入りするようになってから二年ほどになるだろうか、ギルダのもとで下働きをしている少女だった。自身の手伝いをする彼女に、ギルダはある日思い切って声をかけたのだった。

「過日、私が結婚式のために王都に出向いた折に、この診療院をしばし空ける事になったが、その間変わったことはなかったか?」

「変わったことですか。……いえ、とくに何もなかったと思いますけど?」

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