最終話 去り行く人(その1)

 一体何故、クロモリが今更のように姿を見せる気になったのか、その理由をギルダが一人考えたところで分かるはずもなかった。

 そもそもギルダが人造人間で老いを知らぬとして、魔法使いであるクロモリもまた老いや死を知っているのか知らないのか、それもギルダには何とも言えない。礼拝堂で遭遇したクロモリはギルダの記憶にあったそのままの姿だったが、必ずしも本人が直接その場にいたわけではなく虚像を遠隔で投影したのに過ぎなかったのかも知れない。いずれにせよあの時短い間言葉を交わした相手は間違いなくクロモリ当人だとギルダは確信していたが、本当にそうだったかと仮に余人に問われれば、確たる証し立てなどは何もなかった。

 もちろん、彼女が自分で勝手に夢想したように、それからすぐに彼女が塵になって消えてしまうような事も何も起こらなかった。いずれにせよそれ以来ギルダや他の誰かがウェルデハッテでクロモリと思しき者の姿を見かける事はなく――ギルダ以外にクロモリだと見て分かる者もいなかっただろうが――またクロモリが姿を見せたその日、ギルダ以外にその場に居合わせた者もいなかったので、それこそ夢か幻でも見たようなものだった。

 リアンの喪が明けるのを待って、ひ孫のフレーベルと正騎士アントンの結婚式がいよいよ行われる運びとなり、王都からギルダの元にも招待状が届けられた。よくない事が起こる、と冗談では言ったがリアンが最後まで気にかけていたことでもあったので、彼女の代わりと思い招待に応じたギルダだった。

 王都への往復は商会が寄越した迎えの馬車があったので、黙って世話になることにした。フレーベルからはしばらく王都に滞在するようにも勧められたが、彼女がいたところで夫である騎士アントンも、孫のトビアスも迷惑であろうし、シャナン・ラナン亡きあとにもはや離宮に知り人が残っているわけでもない。それでも式に参列した翌日、思う所あって離宮がある丘陵地へと足を運んだギルダであった。

 ユーライカ亡きあと私塾の存続に奔走したハイネマンだが、一時期は私財を投じてこれを支え、エーミッシュ王の治世になってからはあらためて王宮の支援が再開された他、店の経営が上向きとなったアルマルク商会からも援助を得て、後々まで立ち行く事が出来た。ハイネマンが亡くなったのちも私塾の運営は弟子たちに受け継がれ、今も庶民を対象とした学校として存続しているという。いずれにせよ古い修道院だった建物を格安で買い求めたもので、老朽化と手狭であることを理由に今は他の場所に移転してしまい、元の建物は今は無人だった。

 その残された古い無人の修道院の前を通り過ぎ、離宮へ向かう坂道を一人歩いていく。

 離宮は一時期、王位を退いたエーミッシュ前王の隠棲先として候補に上がった事があり、その際に経年の建物の傷みに対し大々的な修繕が行われたという。しかし最終的に王宮と行き来が不便な事、警護の都合、前王が妃と二人で住まうには結局は手狭、などなどという話から現在に至るまであるじのいないままに放置されていた。

 実際に足を運んでみれば、正門前には退屈そうな顔で若い番兵が一人立っているだけだった。

「……何か用か。ここは下々が勝手に立ち入る事は許されておらぬ」

 物言いは尊大かつ横柄に聞こえたが、よくよく見やればそこに立っていたのはそのような口調のいかにも似つかわしくない、朴訥とした年若い兵士だった。

「久しぶりに王都を訪ねたが、今この離宮にはどなたがおわすのだ?」

「いいや、今は誰もいないよ」

 若い兵士は先ほどとは異なり気安い口調でそう言って、首を横に振る。ギルダは一歩後ろに退くと、柵で閉ざされた正門の前から、向こう側に見える離宮の威容をまじまじと見やった。

 ギルダがあまりに長い時間、身じろぎもしないままに無言で立ち尽くしていたので、さすがに兵士も心配になったのか、恐る恐る声をかけてくるのだった。

「なんか、用ですかね……? 庶民が物見遊山で立ち入っていいような場所じゃないんですけどね」

 もっとも、そんな人も滅多に来ませんけど、と兵士は笑う。最初の横柄な物言いはあくまで仕事口調で、本当は気のいい若者のようであった。

「昔の話だ。ここで人に会う約束をしていた」

「その人には、会えたんですかね?」

 ここから罪人として曳かれていくユーライカに、自重せよ、と声をかけられたのが、彼女とじかに顔を合わせた最後であった事を思い出した。苦い思い出をそっと胸にしまい、ギルダは目の前の兵士に答えた。

「会えはしなかったが、後で手紙をもらった」

 ギルダの言葉に、若い衛兵は、そりゃよかったですね、と気安く返事を返したのだった。

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