別れのとき(その5)
「番号ではなく、名前を付けたはずだ。自分の名前などすっかり忘れてしまったというのかね、シルヴァよ」
声が、礼拝堂の屋内にうすらぼんやりと響き渡る。目の前の人物が喋っているようでもあり、音が天井から降ってくるようでもあった。
「その名前を耳にするのも久しい。今はその名前で私を呼ぶものは誰もいないのだ」
「では、お前の事は何と呼べばいい?」
「ギルダ、と」
「ギルダ。その名前は自分でつけたのかね?」
「いいや、この名前はかつてユーライカ姫殿下より賜ったのだ」
「なるほど。では私もお前の事はギルダと呼ばせてもらおう。……それで構わないかね?」
「私が何と呼ばれているかはさておき、クロモリ、あなたは一体今の今までどこで何をしていたのだ。あなたがいない間にこの王国では本当に色々な事があった。あなたが手掛けた人造人間のうち、完成にまで至ったのはわずかに五体だったが、そのうち私以外は誰も生き延びる事はなかった。コッパーグロウはゆえあってお互い命のやりとりをして、私が殺してしまった。……いや、最期に彼女にとどめを刺したのはロシェだが、私が殺したようなものだ。あとの三人もいくさの中で命を落としてしまったと伝え聞いた」
「お前たちが戦場に出ると知って、いずれそうなるのではないかと諦めはついていた。そもそもが兵士を造ってくれと、オライオス王には頼まれていたのだからな。……むしろ久しぶりにこの地に戻ってきて、お前がまだ生きていると知って本当に驚いたものだ」
「私がコッパーグロウを殺してしまった事は責めないのか」
「お前たちは戦場で大勢を殺してきたのではないか。コッパーグロウ一人を悼むのは不公平だ。むしろお前がおのが身を守って生き延びた事を、私はうれしく思う」
「生き延びたところで何もいいことなどは無い。同じ人造人間とは仲違いするしかなかった。ユーライカ姫殿下の御身も、剣となり盾となり命に代えて守ると誓ったのに、結局それが適うことはなかった。娘に満足な人生を送らせてやれたかどうか、それも自信が無い。……何故だ、クロモリ。私は何十年と生きてきて、どうしてこのように得心の行かぬ事ばかりなのだ。偉大な魔法使いであるあなたにつくられたというのに、どうして私はこんなにも完璧に程遠いのだ。どうして……どうしてあなたは、こんな私のような不完全なものなどを造ってしまったのだ」
ギルダの切々とした訴えに、クロモリは笑った。その豪放な笑い声が、長く礼拝堂に響き渡った。
「オライオス王が望んだのはあくまでも戦場で戦うための兵士だった。無心に戦うものに、それこそ心などは要らぬのであろう。だが心無きものに迂闊に過分な力を与えるわけにはいかぬ、という考え方もまたあろうとは思う。……だから、私はお前たちにも心が必要だと考えた」
「……」
「しかし心を与えてしまえば、力をどのように使うべきと考えるのかはその心次第だ。オライオス王に依頼されたのは戦場で言われたことに黙って従う兵士だから、時として心など邪魔になることもあろう。そう思って、王国にお前たちを引き渡すにあたって、お前たちには呪をかけて心を封じてあったのだ」
「封じてあった、と……?」
「覚えているかな? 私はお前たちが自分で自分を番号で呼ぶのを好まないが、いずれにせよ番号は必要であった。シルヴァ……もとい、ギルダよ。お前は何号であったかな?」
「十七号」
「その番号を、身体のどこかに刻印してあったはずだが、覚えているかね?」
「……右足の、かかとの内側に」
「その刻印、今はどうなっている?」
ギルダは、恐る恐るといった様子でおのが右脚に視線を落とした。無論そこにあったのは義足だ。
「だがクロモリ、それはあまりに短慮というもの。戦場に出れば手足を落とす事などいくらでもありうる。足を失ったから私は心を手に入れたというのか? コッパーグロウは五体満足であったから、心など無かったと?」
「そうではない。そうではないのだよギルダ。事実、お前は右腕も失ったが、それは生えてきたであろう?」
「確かに」
「その右足も本来は同じように元通り生えてくるはずだったのだ。そうならなかったのは、呪の影響だ。……話があべこべで、呪があるにも関わらずお前に心が芽生えたからこそ、呪が心ではなく誤ってお前の身体を抑え込んでいるのだ」
「そんな……」
「お前のいうとおり、その処置は確かに短慮であったかも知れぬ。それにもう、その呪はお前には必要なかろう」
クロモリはそう言って、何もない虚空に向かって……強いて言えば少し距離を置いて床にうずくまるギルダに向かって、手をゆっくりとかざしたのだった。
「いずれにしても、今のお前を見て誤ったものを造ったわけではないと知って、私は得心がいった。ギルダよ、長く生きておれば迷う事もあろう。だがそれでよい。それでよいのだ……それが、人間というものだ。それこそが、私が作りたかったものだ」
そのように言い残したかと思うと、その姿は闇に溶け込んでいくかのように、次第にぼんやりと輪郭が薄れていくのだった。
「ま、まて! 待ってくれ、クロモリ!」
ギルダはその名を呼んで慌てて立ち上がろうとしたが、慌ててつんのめってしまい、そのまま足をもつれさせて転んでしまう。
「クロモリ、待ってくれ……あなたが今更のように現れたのは、私に最期を告げるためではないのか。私は本当はただの塵のような何かで、その私を人に象らせる魔法をあなたがかけていたのではないか。それを、今更のように解きにきたのではないのか……?」
ギルダのその問いかけには、ただ暗がりの向こうから、戯言とあざ笑うかのごときうっそりとした声が響いてくるのだった。釈然としない表情の彼女に向かって、一言だけはっきりと、否、という声が響いた。
「だとしたら――だとしたらクロモリよ、あなたにはまだまだ聞きたい事があるのだ。どうか行かないでくれ!」
そんな彼女の声だけが、ただ礼拝堂に響く。その残響がギルダ自身の耳にこだまするが、その時にはすでにクロモリの姿はすっかりかき消えていた。それ以上誰の気配も察知する事は出来ず、一人取り残されたギルダは、一体何事があったのかと一人呆然とするより他に無かったのだった。
(次話につづく)
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