最終話 去り行く人(その4)※完結※

「……コレット・ポー。お前の企みだな?」

「たくらみだなんてとんでもない」

 年若い彼女は早朝から唇を尖らせるようにして、不平不満を吐き出すようにギルダに食って掛かった。

「むしろたくらみ事は私たちじゃなくてギルダ様の方にあるはずです。……その恰好、森に薬草を摘みに行くわけじゃないですよね? すっかり旅支度をなさって、馬まで勝手に連れ出して、黙ってどこかへ出かけていこうだなんて、ひどいじゃないですか!」

「それは――」

「その恰好で、誰かが起きてくるのをここらあたりで辛抱強く待っているつもりだったわけじゃないんでしょう? 誰にも見られないようにして、行先も告げず、私にも内緒でどこか遠くへ行ってしまうおつもりだったんでしょう? そっちの方がよっぽどずるいです!」

 そのようにまくしたてられて、ギルダはどう言い返してよいものか、途方に暮れた。

 血気にはやるコレットから視線をそらし、周囲を取り囲む他の村人たちを見やる。見るからに向かっ腹を立てているのはコレット・ポー一人だけのようだったが、その他の皆も一様に心許ない面持ちで、ギルダとコレット・ポーのやり取りを不安げに見守っていたのだった。

「私は――」

 ギルダはひとたびは呆気に取られながらも、彼女をぐるり取り囲む村人たちをもう一度見渡して、改めて口を開いた。

「私は、かつて戦場で魔女と恐れられた人造人間だ。誰しもが私に怯え、幾度となく罵られたりもした。その人造人間が黙って村を出ていくのだ。厄介払いが出来たと安心してはくれないのか」

「何を言うのです、ギルダ様!」

「そうです。どうしてそのような物言いをなさるのですか!」

「お戯れが過ぎます。我らにどのような落ち度があったというのですか!?」

 ギルダ様、ギルダ様……堰を切ったように群衆から口々に声が上がるのを、ギルダは面食らったようにただ黙って聞いているより他に無かった。

 彼女を取り囲む面々が落ち着きを取り戻すまで、ギルダは無言で立ち尽くすばかりだった。コレットの後ろから、今現在のところ診療院を預かる若いヴィクトル医師がおずおずと進み出てくる。

「ギルダ様、せめてどちらに行かれるのか我らに教えては下さいませんか。何か所用で王都にでも行かれるのですか?」

「いいや、今回は王都へはゆかぬ」

 きっぱりと言い放ったギルダの言葉に、人々はお互いの顔を見合わせる。

「では、どちらに?」

「東へ、行こうと思う」

「……東へ?」

 この言葉に、集まった群衆がざわざわとどよめくのだった。

「東へ向かって、何とされますか」

 誰かが決定的な質問を放った。さすがのギルダもすぐには応答せずに、彼女を取り囲む村人たちをもうひとたびぐるりと見渡した上で、言葉を選ぶように語った。

「かつてわが娘リアンは、夫メルセルとともに、アルマルクの隊商に伴われこの村から東へと旅立って行った。……そうだ、丁度この街道をずっと東へと目指していったものだ。出立の日を昨日の事のように覚えている。遥か草原へ、ナルセルスタを超えて、そしていずれは砂漠へと」

「ギルダ様……」

 語るギルダの、遠くを見据えた面差しを、コレット・ポーはじっと見入りながら心配そうに呼びかける。ギルダの言葉はだれかの質問に答えるというよりは、何事かをおのれ自身に言い聞かせているかのようであった。

「国境に、草原に、砂漠……それらはいずれも、この私がまだ見た事のない土地だ。それを見たいと思った。だから今日、私はここを出ていく。……それではいけないか?」

 胸中を吐き出したギルダに、村人たちはどう返してよいか分からずに、皆押し黙るのだった。

 彼女は人造人間だ。普通の人間のように歳をとる事もない。彼女がそんな常ならぬ存在である事を彼らも承知していたつもりだが、何ヶ月か前までは存在しなかった自らの両足で、今こうやって地面を踏みしめている彼女が、おそらくはこれまで語ったことのないようなおのれ自身の願望を口にした事実を、彼らもどう受け止めてよいのか分からずに、戸惑うより他になかったのだった。

 一つだけ言えるのは……出立を決めたギルダの、その意志がすでに固く決定づけられている、という事だった。

 誰かの返事を待ったりはしない。誰も声高に咎め立てる者がいない事を知って、ギルダはゆっくりと前に歩き出す。

「ギルダ様、ではお戻りはいつになるんです?」

 誰かが放った問いに……ふとギルダは足を止めた。

「いつ、だと……?」

「そうです、ギルダ様」

「分からない。……いや、私は戻ってきてもいいのか、ここに」

「何をおっしゃいます。もちろんでございますとも。ここはギルダ様の村ではないですか」

「私の、村」

 いつ帰れるのか分からぬ旅に出るつもりだった。というよりも、帰らないつもりですらあった。

 だが人々は問う。いつ帰ってくるのか、と。

「いつ帰って来られるかは、分からぬ。東へ行くとは決めたが、行き先すら定まってはいないのだからな」

「ギルダ様……」

「だが、見たい景色を見る事が出来、無事にこの王国の地を再び踏む事があるとするならば、その時は必ずこの村に帰って来よう。何時いつと確たる約束は出来ぬが、それでもよいか?」

 その言葉に一同は皆不安げな表情を見せるばかりだったが、コレット・ポーがあらためて一人ギルダの前に進み出てきて、満面の笑顔でこのように告げるのだった。

「分かりました。では、私たち皆でギルダ様のお戻りをお待ちしております」

「……では、行ってくる」

 少女が無理につくった笑顔が、どこか寂しげではあった。

 そんな彼女に向かってこくりと頷き、村人たちに向かって軽く手を振ると、ギルダは踵を返し、それから二度と振り返る事は無かった。

 それでも歩き出した彼女の、その表情は晴れやかであった。長い年月を過ごした村を離れ、颯爽と馬にまたがり、東へ向かう街道を一路駆けていく。その道のりはやがて国境へ、草原へ、もしかしたら砂漠へと。

 心づもりは村人たちの前で語った通りではあったが、その行く末に何があるのかは分からなかった。ただ一人きりでおのれの気持ちの赴くまま、見果てぬ彼方を目指していく……そんなギルダの長い旅が、今ここから始まろうとしているのだった。




(「ギルダ、あるいは百年の空白」おわり)

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ギルダ、あるいは百年の空白 芦田直人 @asdn4231

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