別れのとき(その2)

「リアン」

「ああ、お母さん」

 寝台に身を横たえた老婦人が、ギルダを見るなり表情を崩した。

 ギルダは軽く相槌を打つと、椅子に座るなり寝台に横たわるリアンの手をとって脈を測るのだった。

「……顔色もよさそうだ。持ち越したようで、安心した」

「昨日王都から手紙が来たのよ。フレーベルの縁談がどうにかまとまりそうなの」

「そうか」

 かすれた声で忙しなくまくし立てるリアンに、ギルダは短く相槌を打つ。フレーベルはリアンとメルセルの一番上の息子トビアスの上の娘で、ギルダから見ればひ孫にあたる。妹のシャルロッテの方は早々にトビアスのもとで働く奉公人の若者を婿養子に迎えることになり、姉フレーベルの方も近々サロンで出会ったという王国軍の正騎士の元に嫁ぐ事になりそうだった。そういえばリアンは息子たちの縁談話の時もこうやっていちいち気を揉んでいたものだ。

「本当は結婚式にも出たいのだけれど」

「フレーベルとその騎士殿とやらをこっちに呼んで、村で結婚式をすればいい」

「そういうわけにもいかないでしょう。お相手は名のある騎士様なのだし」

「ご婦人のお望みを聞き入れるのが騎士というものだ」

「だといいけど。……でもフレーベルだって、わざわざこんな寂れた村で結婚式を挙げたいわけではないでしょう。何なら、私の代わりに母さんに行ってもらおうかしら」

「私が王都へ行くとたいていはよくない事が起こる。そんな私を結婚式に参列させようなどと考える者の気が知れぬ」

「それは、そうかもね」

 ふふ、と笑った拍子にリアンが身体をくの字に曲げて大きくせき込む。ギルダは立ち上がって手を伸ばし、その背中をそっとさするのだった。

「……お前ももしかしたら、私のように老いる事を知らぬのかと思っていた事もあったが」

「母さんはずっとそういう心配を抱えてたわね」

「お前が私のように普通とは違う人間で、それを理由にどこかで石を投げられるような事がないかと、それが常に気がかりだった」

「メルセルと一緒に砂漠では随分危ない目にもあったから、母さんのような腕っ節があればと思う事も無かったわけではないけれど」

 遠い目をして述懐する目の前のリアンは、どう見ても普通の人間の老婆だった。

 人造人間から生まれてくる子供が常ならぬ怪物であったらどうすべきか、そのような不安は常にギルダの頭の片隅にあったが、結局リアンはどこまでも普通の人間であった。魔導や武術の才覚など何もないのみならず、ギルダのように老いを知らぬ身体というわけでもなかった。そのリアンがメルセルとの間に設けた三人の息子たち、そしてそんな彼らがそれぞれに所帯を持ち生み育てた子供たちの中に、ギルダのような魔女と呼べるような者は結局今のところ誰一人としていなかったのである。

「私も、母さんのようなすごい能力があればよかったと思っていた事もあった。……でも今にして思えば悪い人生ではなかったわね」

 遠くを振り返るように言葉をもらしたリアンに、ギルダがぽつりと言葉を漏らした。

「おまえに死なれるのは、つらい」

 唐突な物言いに、リアンははっとした。

 切り出されたその言葉があまりに直截的だったのもあるが、おのれの母が率直に、つらい、などと心情を吐露する直接的な言葉を吐いた事が今まであっただろうか。

 ぽかんとしたまますぐに返事を返せなかったリアンに、ギルダが言う。

「人造人間の私がこんなことを言うのはおかしいかもしれない。だが、お前には死んでほしくない」

「母さん……」

「死ぬな」

 あまりにまっすぐなギルダの言葉に、リアンは寂しそうに笑みを浮かべた。

「……私もそうしたいけど、そういうわけにはいかないわ」

 リアンはそういうと、さっきまで自分の脈を診ていたギルダの手を、皺だらけのおのれの手でそっと握り返した。

「お店の事や、子供たちや孫たちの事……心配な事は多いけど、私が一番心配なのは母さんの事かしらね」

「何故だろう。私が人造人間で、普通ではない存在であるなら、お前をそのように産み落としてやれればよかったのに。どうして、そう出来なかったのだろう。満足に母親らしい母親でもなかったのだから、せめてそのくらいの事はしてやりたかったのに」

 ギルダの述懐に、リアンは黙って首を横に振った。

「かつて姫殿下が私におっしゃった。姫殿下にとって母さんはとても誇らしい友人で、それを悪く言うものがあれば決して許さないけど、娘の私には、そんな親でなければよかったと嘆く権利くらいはあるのだ、と。でもそのように言われて、私はあらためて思った。母さんの娘であること、私はそのことを決して恥ずかしく思ったことはなかったし、むしろ誇らしいくらいだ、と。……今だって、私は母さんの子供でよかったと思ってる。商売の事も、メルセルの事も、子供たちや孫たちの事も、全部なるようになったのだから、私のことも、何も心配しないでいいのよ」

「……」

「母さん……いえ、衛士ギルダ。私の事であなたが悔やむべきことなんて何一つない。母さんの命がどこまで続くのかは私にはわからないけど、母さんが私や姫殿下に示してくれた親愛の心をいつまでも忘れないで。名もなき善き人びとのために、同じく善きように尽くそうという志をいつまでも忘れないで。……ギルダ、あなたは今まで生きてきた中で、それだけ立派な事を成し遂げたし、これからもやっていけると、私は思う」

 そんなリアンに対し、ギルダはそれ以上語るべき言葉を持たなかった。

 リアンが息を引き取ったのはそれから三日後の事だった。

 何かしら感じる所があったのだろうか、いつもより早い時間に目を覚ましたギルダは、ふだんよりも早くに屋敷に向かった。

 訪れてみると、屋敷の様子がやけに慌ただしいのが分かった。

 その朝、使用人がリアンが息を引き取っているのに気づいて、今にもギルダを呼びに人をやろうと馬を用意している所だったのだ。

 リアン・アルマルク死去の報はすぐに王都に届けられ、現在のアルマルク商会の当主である長男トビアスが娘婿と数名の供をつれて自ら早馬を飛ばして駆け付けた。

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