第6章 旅立ち

別れのとき(その1)

 思い返せば、おのが息子の手で収監に至ったカタリナ王妃の生涯もまた、見方によっては不遇と言えたかも知れない。

 若くして将来の王太子の許嫁に選ばれたのはよいとして、その許嫁たるアルヴィンは結局は弟クラヴィスにその地位を追われ、オルレイン家も名門貴族でありながら長く不遇を囲う事となった。その原因となった憎きクラヴィスの妃に選ばれたことは、他人は幸運と見ただろうが、その当時の王宮内の政治的な駆け引きの中で持ち上がった人選であり、もう一方の当事者であるクラヴィス王の意向すら満足に顧みられる事のなかった、まごうことなき政略結婚であった。

 それでもオルレイン家の娘として、王妃という与えられた役割には充分に応えてきたつもりだった。王妃がクラヴィス王を教唆したのだとファンデルワース伯爵は一方的に断じたが、王自身がおのが姉に猜疑の目を向け、王妃もそれを諫める事なく彼女の立場からもユーライカを追い落とさんと積極的にあれこれ手回しをしたのも確かであった。

 自分がお腹を痛めて産んだ子の将来の王位継承を脅かす、最有力の対立候補であるユーライカを排除する事は彼女の利益にも適った事ではあったが、さすがに獄中で病没することとなったのは誤算であった。そればかりか、そののちにかつての許嫁の遺児なる女が出現したことは、彼女にとって悪夢そのものであっただろう。

 そもそもクラヴィス王のその病にしてからが、王妃自身やオルレイン家が王権を意のままにするため、王妃手ずから自分の夫に毒を盛るなどしたのではないか、と市中ではまことしやかに噂されていたのだった。

 人の噂はさまざまに言い立てたが、息子であるエーミッシュ王はその真偽を敢えて追及する事はなかった。教唆の罪と一口に言うが、獄中で無念の最後を遂げたユーライカ姫のその死について当然ながら大きく責任があり、その上夫殺しの下手人ともなれば終身の収監ではもはや済まないのは明白であった。クラヴィス王が晩年猜疑の心境に至ったのも、盛られた毒のもたらした作用ではないか、という話が出てくるに至って、若き王は父母の間にあった確執にはそれ以上目を向けぬ事に決めたのだった。告発など、おのが母に対して無情な行いに見えて、その実は事の真相をすべて知った上で敢えてそのようにして母親の命をかばった、ということなのかも知れなかった。

 結局カタリナ妃はそれ以上の重い罪科を問われる事もなく、残りの生涯を北の塔の一角で過ごすこととなった。奇しくも彼女もまた、その塔に収監されたまま没した貴人の一人に名を連ねる事となったのだった。


     *     *     *


 一連の騒動以前に王国を遠く離れていったリアンとメルセル夫妻のその後については、二人を伴ったアルマルク商会の隊商は、草原の交通の要衝であるナルセルスタを過ぎ、巡礼の都を過ぎて東方交易の入り口となるイゼルリアトへと、苦労に満ちた長い旅路を辿っていったという。その成果として東国の絹の他、貴重な品々を王国にもたらし、やがてはひとかどの財を築くに至ったのだった。新王の御代、平和の戻った王都でアルマルク商会は立派な大店を構え商いを広げた一方で、そののちに夫妻はウェルデハッテの郊外に新たに屋敷を建て、その地にて穏やかに老後を過ごしたのだった。もちろん山間にある寒村のウェルデハッテに余剰の土地が潤沢にあるわけでもなく、わざわざ山林を切り開き用地を確保したのであるからその当時のアルマルク商会がいかに裕福であったかが分かるというものだった。

 夫妻にはその邸宅に同居を勧められたが、ギルダは診療院から遠いという理由でこれを断り、結局は僧院のほど近くにある自身の宿舎に一人で暮らす生活を変える事はなかった。老いて看護婦を退いたアンナマリアが晩年寝たきりになれば診療のため日参し、彼女が死去してのち老域に差し掛かったおのが娘のためにも、遠いと断った屋敷に往診のため日々通い詰めるのだった。

 人造人間ゆえに、普通の人間のようには老いる事を知らないギルダである。杖をつき足を引きずるのはあくまで脚が不自由な故で、その足取りに衰えを見いだせる所はなかった。そんな小娘が立派な邸宅のあるじである老婦人の母親として屋敷に出入りする光景は事情を知らぬものからは奇異に見えただろうが、屋敷の使用人達もすっかり心得たもので、常から丁重に招き入れられるのであった。

「今朝もようこそおいで下さいました」

「リアンの具合はどうか」

「本日は幾分調子がよろしいようで。朝食も残さずお召し上がりになりました」

「そうか。それはよかった」

 顔見知りの使用人とそのように手短に言葉を交わしながら、ギルダはリアンの待つ寝室に向かう。屋敷は正面の構えこそアルマルク商会の威勢を示すかのように豪奢な作りであったが、夫妻ともに本来は華美を好まず、奥まった居室は飾り気に乏しい簡素な造りであった。それでも床の敷板一つとっても職人が丁寧に仕上げた寄木細工で、広々とした室内は使用人によって塵一つ見せぬように日々丁寧に掃きあげられていた。

 診察に来るギルダのために、寝台の脇には椅子が置かれていた。室内を見回せばこれも来訪客のためのものであろう、丁寧に刺しゅうの入った豪奢な布張りの椅子も壁際に無造作に置かれてはいたが、座ると深く沈み込むのが気にくわない、と一言もらしたギルダのために今置かれているのは背もたれも布張りもない木組みの腰かけだった。これとても脚の部分に精緻な彫り細工が施されていて、これはこれで職人の手になる一級の品である事が窺い知れる。そのようなものが、ギルダが一言座り心地に不平を漏らしただけですぐさま用立てられるほどに、当時のアルマルク商会はそこまでに成功した大店であった。

「リアン」

「ああ、お母さん」

 寝台に身を横たえた老婦人が、ギルダを見るなり表情を崩した。

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