御前裁判(その6)

「だ、だれか! その者を捕らえよ!」

 叫んだのは審問官だった。ギルダとの距離はどれほどもない。ギルダはその審問官の前に立つと、負傷していない左手で胸を軽く小突く。男はそれだけでその場にだらしなく倒れ込み、それ以上彼女を呼び止める者も、言われた通りに取り押さえようという者もいなかった。彼女はそのまま元来た扉をくぐって、裁判の間を後にした。

 自分で扉を押し開いたその向こう側に、年若い衛兵が立っていた。連れてこられた時には見かけなかった顔だ。

 出口はどっちだ、とギルダが尋ねると、その衛兵はにやりと笑みを浮かべた。

「扉越しですが、今のやりとりは聞こえてましたよ。あの場のお歴々を向こうに回してやり込めるなんて、あなたはすごいお人だね」

 案内しますよ、と衛兵は安請け合いしてギルダの前に立って歩く。罪人が出入りする通路は来た時と同じように薄暗く人の姿は無かったが、衛兵は途中からギルダの知らない狭苦しい通路へと彼女を促す。

「警備のための通用口ですよ。こちらへどうぞ」

 案内されるがままに黙々と歩く。衛兵は、時折立ち止まってはギルダがついてくるのを振り返って確かめるが、基本的にはおおむね足早で、杖もなく義足でついていくのは心許なかったが、痛む腕を抱えつつ彼女は無言で先を急いだ。

「こっちですよ」

 案内されて彼女が一歩外へ踏み出したのは王宮の真正面にある、正門のすぐ脇の通用口だった。

「何もこんな真正面を案内してくれなくてもよかったのに」

「こっちの方が誰かに呼び止められたりしなくて済むと思いましてね」

 裏に回った方が、あれこれ誰何されて色々面倒ですよ……衛兵がそのように言うのであれば、案内を頼んだギルダの立場からは反論も出来なかった。

 彼女が顔をのぞかせたその通用口の側にも、別に仁王立ちの軍服姿の衛兵が一人立っていた。その兵士は交代の刻限でもないのに同僚が姿を見せたばかりか、同行者を連れていたので、驚きの表情を見せた。

「アルノー、その女性は何者だ」

「例の裁判の被告さ」

「……だれの命令でここに連れてきたんだ」

「命令じゃない。このお人がご自分の意志でここから出ていこうとしているのさ」

 あとは頼んだ、とここまで案内してくれた兵士は同僚に一声かけると、そこから手を振ってギルダを送り出した。

 彼も実際に釈放の命令を受けて彼女を案内してきたわけではなかったから、あまり贅沢も言えない。それに彼がギルダをここに案内した理由が、一歩外に出てみて少しわかった気がした。

 王宮前には広場がひろがっていて、そこには詰めかけた大勢の群衆の姿があったのだ。

 人々は寄り集まったまま、事の成り行きを固唾をのんで見守っていた。そう、「アルヴィン王子の遺児」をめぐる裁判の行方を、その場で見守ろうと集まってきた人々だった。

 彼らに応える必要がある、というその衛兵なりの判断だったのだろう。ギルダがたった一人その群衆の前に進み出てくると、一斉に歓声が沸き起こる。名状しがたい大きなさざめきに、広場はすっかり包まれてしまったのだった。

 裁判の委細が布告されていたわけでもなし、彼女が何者なのかについては何かしら出回った噂話でしか知らないだろうし、それがどのような噂であるかは収監されていたギルダの知るところではない。だがいずれにせよ、今日の裁判の行方は王都に住む下々の民衆にとっても関心の高い出来事であったことが窺い知れるのだった。

 ひとたび歓声を上げた群衆が、次の瞬間には静まり返る。その状況の変化にギルダは思わず警戒して半歩後ろに下がる。何事かと周囲を見回してみるが、どうやら人々は、ギルダが何か演説でもするのではと、それを期待して一瞬静まり返ったという事のようだった。

 だが、そこで語るべき言葉を、彼女が何か持ち合わせているわけでもない。どうしたものかと思ったが、結局は何も言わぬままにこの場から引き下がるより他になさそうだった。

 腕の負傷を抱えたままゆらゆらと歩くギルダに、どこかから声が飛んだ。

「ギルダ!」

 さざめく群衆の中に耳ざとくその呼びかけを聞きつけたギルダは、そちらに向かってたどたどしく歩み寄っていく。民草が王宮に殺到しないように正門の番兵とは別に警護の衛兵が広場を囲んでにらみを利かせていたが、その監視をかいくぐるようにしてギルダに駆け寄ってきたのは、アンナマリアだった。

「アンナマリア、わざわざ王都にまで来ていたのか」

「あなたが何か無茶をするんじゃないかと思って、気が気ではなかったわ。……誰も殺したりしてないでしょうね?」

「たぶん、誰も死んではいないはずだ」

 うそぶいたギルダの血だらけの右腕に、アンナマリアは視線を落とす。

「何事も無かったわけではなさそうね。……こっちへいらっしゃい、手当てするから」

 人垣に紛れ込んでいくかのように、ギルダはアンナマリアにともなわれその場を引き下がっていく。その傍らには騎士オーレンが付き従っていた。ギルダが捕縛されたのちアンナマリアから伝言を託されて国境までアルマルクの隊商を追い、そののち急ぎ王都に取って返して、ギルダを案じて一人村を出てきたアンナマリアに随伴して今この場に立っているのだった。警備の輪をくぐって駆け寄った彼女を兵士たちが強く咎め立てなかったのは、近衛騎士装束の彼がその場にいたのが大きかったのかも知れない。

 群衆は、無言で立ち去ろうとするギルダをやはり何も言わずに見送るより他に無かった。人の波をかき分けるようにして進む一行の元に衆人の注目は集まっていたが、それでも彼らが広場を抜けて路地へと姿を消していってしまえば、誰があとを追いかけてくるわけでもなかった。

 その足でアンナマリアはギルダを伴って広場を離れ、二人はハイネマン医師の私塾の診療所に身を寄せたのだった。右手の負傷は過日ユーライカを守ってコッパーグロウと対峙した時の傷と同じだった。右の下腕の裂傷が内側から焼けているかのような、普段は見る事のないような複雑な傷だったが、これも包帯で固め数日もすればすっかり癒えてしまった。

 その間、王都は御前裁判での騒動の話題で持ち切りだった。そこにいたのが人造人間だったことは不思議と漏れ聞こえてくる事はなかったが、被告人たる王兄アルヴィンの遺児なる人物が裁判の席から逃げ出してひと悶着あったという事実自体は噂話としてあっという間に王都じゅうに広まり、その話題がひとしきり落ち着くまでは、ギルダ達は人目を避けて潜伏している必要があった。広場を去った彼女たちがこの診療所に身を寄せた事は目撃している者もいくらかあったかも知れないが、官憲がギルダを捕らえるべくそこに踏み込んでくるような事はなかった。一度どのようにして行方を突き止めたものかファンデルワース伯爵家の家令を名乗る者が様子を伺いにきたのと、裁判の当日アンナマリアに帯同していた騎士オーレンが、数日置いて再び顔を見せたのだった。

「何しに来たのだ。貴公とて近衛騎士としての日頃の務めがあろうに」

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