北の塔(その5)

「否。私には……そのシルヴァとやらには、ユーライカ姫殿下より賜ったギルダという名前がある」

「ギルダ」

 伯爵はその名前をかみしめるように呟いた。

「姫殿下より賜った、とな」

「いかにも。私は内戦の折、戦場に出る以前はユーライカ姫殿下の警護の任に当たっていたため、姫殿下とは面識があったが、クラヴィス現国王陛下はそのころにはすでに王都をはなれており、アルヴィン殿下も姫殿下の離宮を訪問されたことは無かったので、両名共に一度もじかにお会いしたことがない。あなたがたが身柄を抑えたがっている我が娘リアンは、その父親はフレデリクという飲んだくれの農夫だった男だ。王太子殿下のご落胤などであるものか」

「なるほど。……そなた自身がリアン・アルマルクではない、という私の指摘については、まったく否定する気はないのだな」

「伯爵は獄吏ではなかろう。それとも、今の拷問吏を寄越したのが貴殿だ、というなら話は別だが」

 このファンデルワース伯爵なる人物がリアンの正体というこの場での秘密を託してよい相手かどうかは、現時点では何とも言えなかったが、ギルダ自身の正体が明らかになったからにはそう説明せざるを得なかった。

「知られたところで、私の事などこの場でどうにでも出来るとお考えかな……?」

 伯爵は油断のない目でギルダをじっと見やった。

「しかし、そなたがリアン殿ではないとなると、それはそれで困った話ではある」

「困る、と?」

「我らが必要としているのはまさに、アルヴィン王太子殿下の忘れ形見としてのリアン嬢なのだからな」

 果たして伯爵は何を言わんとしているのか……いずれにせよ彼がここにやってきた狙いが分からないうちは、ギルダとしてもどうにも手の出しようがなかった。

「では、ギルダ殿……今この場ではそのように呼ばせていただくが、そなたはなぜおのが娘と身分を偽ってここに収監されているのかね?」

「今説明した通りだ。リアンは無実だ」

「だから身代わりになったと?」

「いかにも。そもそも仮に私の娘が真にアルヴィン殿下のご落胤だったとして、その事実にどのような罪咎があるというのか。……リアンに始まったことではなかろう。ユーライカ姫殿下も投獄され、獄中で病没された。まさにこの房において、だ。名のあるものも無いものも、多くのものが何かしら嫌疑をかけられて牢に送られているという。この国の王は、いったい何を恐れているというのか」

「何を……そうだな、ギルダよ。そなたもなかなかの慧眼を持っているようだ。陛下はおのが兄から簒奪した王座を、自らもまた誰かに奪われるのではないかと怯えておいでなのだ。アルヴィン殿下が今いずこにおわすかは知らねども、その忘れ形見が王国内にいるという話に、心穏やかではいられぬという事なのだ」

「陛下を脅かすのは私の娘などではなく、伯爵のように野心あるお方なのではないのか」

 ギルダの言葉に、伯爵は思わず声をあげて笑った。

「まさか、私自身が身丈に合わぬ大それたことを望むわけではない。だが王権を預かるともなれば、その御方には相応の度量が求められよう。大儀さえ立つのであればよりふさわしき御方に、と望むのは臣民としてさほど大それた望みというわけではなかろう。……しかるに、今の陛下が民を導くその責務をきちんと果たしておいでと言えるかどうか」

「そのような物言いこそを野心というのではないのか。ご自身の望みを、臣民、と言い換えているだけにも聞こえる。……そもそもがそのような言説、公の場でしたならば、たとえ伯爵であっても隣の牢に投獄されるような憂き目にあうのではないか」

「いかにも、そなたの申す通りであろうな。ゆえに、我らには今しばらく忍従の時が必要だ。国王陛下が今現在、病に伏せっておられるのはそなたも聞き及んでおろう」

 その報はいつだったか騎士オーレンから聞いた事があった。その時点では病がそこまで重篤という話ではなかったように思うが、時が何かを解決するというのであれば、それだけクラヴィス王の病状はあまり思わしくない、という事なのだろうか。

「巷では、王姉殿下のご無念が弟君を呪っているのだ、と言われているとかいないとか」

「誰かしらがあやかしい呪詛を御身に施している恐れもあるのではと、真剣に議論する向きもあるがな。ともあれ、王者として覇気を失えど、ひとたび主君と仰いだ御方であるからには快方に向かっていただきたいとは思う。だがどうも、そのようにはゆかぬようだ」

「除きたいという話であれば、願ったりであろう」

 にべもなく言い放ったギルダの言葉に、さすがに伯爵も渋い表情を見せた。

「そのような物言いは、なるべく避けたい所ではあるがな」

「かつてアルヴィン王太子殿下も、だれかがふさわしくないと声を上げたから排斥された。その時の話と同じではないか」

「その時は今の陛下こそがよりふさわしい、望ましいと考えるものが、私以外にも何人もいたからこそ声を上げたのだ」

 決して個人の野心ではない、と伯爵は念を押す。かつてそのアルヴィン王子排斥に連座した伯爵にしてみれば、ギルダの指摘は少々耳の痛い話だったかも知れず、わずかに語気を荒げてそのように反駁した。

「……田舎住まいの私が事情に精通するのは難しいが、確かクラヴィス王には子があったはずだ。順当に行けばその王子がお世継ぎという事になるだろうが、それでは伯爵は不服か?」

「エーミッシュ王子は聡明であられるが、まだお若い。しかし王子殿下の素養について問題にしたいのではない。我らが案じているのは、王妃陛下の存在だ」

「王妃……カタリナ王妃のことか」

「そもそも姉君であるユーライカ殿下が投獄に至ったのは、王妃陛下の進言があればこそだ。あの毒婦にそそのかされて、国王陛下はお人が変わってしまったのだ」

「……」

 それまで努めて冷静を装ってきたファンデルワース伯爵だったが、王妃の名を口にした途端、その語調が荒々しく怒気を孕んだものに転じた。

「ギルダよ、そなたを……つまりはアルヴィン王子の忘れ形見を、王家転覆を狙う謀反人として罪人に仕立て上げようと画策しているのは、つまるところカタリナ王妃陛下その人なのだよ。エーミッシュ王子殿下がお世継ぎとなるにあたって、誰かが対立候補として祭り上げられるのを恐れての事なのだ」

 エーミッシュ王子には他に兄弟はいない。それ故に、世論のありよう次第ではそれに次ぐ王位継承権者であったユーライカの存在は確かに無視出来なかったし、王兄アルヴィンの長子なるものも、その真偽に関わらずそもそも候補として数えずに済むに越した事はなかっただろう。

「……話が見えてきた。カタリナ王妃がそのような理由で私を――リアンを真偽など関係なく処刑するなり何なりしてしまおうというのであれば、いっそアルヴィン王子の忘れ形見なる娘が本物であった方が、伯爵のように王妃を望ましく思わない人々には都合がよいという事だ。あらたに旗頭として担ぐもよし、処刑されたらされたで、殉教者に仕立て上げるもよし」

「人造人間のくせに察しがよいな、そなたは」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る