北の塔(その4)

「……教えてくれて、礼を言おう」

 そうつぶやいたきり、彼女は椅子に身を沈めたまま一切動かなくなったのだった。

 そうやって座ったまま身動きもしないギルダを横目に、痩せた拷問吏はどうにかして相棒の巨体を房の扉まで運んだ。そのまま戸口から引っ張り出そうと、重い扉に手をかけたその時だった。

 がちゃり、と向こう側から誰かが鍵を開ける音がして、その扉がゆっくりと開かれたのだった。拷問吏が唖然としてみていると、ゆっくりとした足取りでこちら側に入ってくる人影があった。

 年の頃は五十過ぎと言ったところか。立ち姿の凛とした、すらりとした長身の男だった。白いものの混ざった長い髪を後ろで束ね、あごの先にも手入れの行き届いた髭が蓄えられている。床に這いつくばる拷問吏どもを軽蔑の混じった眼差しでちらりと一瞥したかと思うと、彼らが傷を負ってのたうち回る痛々しいさまにも特に感慨もなさげに、椅子に座したままのギルダの側へとつかつかと歩み寄ってくるのだった。

 その所作も柔らかく、足取りも静かであった。黒い外套で身を覆い、薄暗がりの中で顔もよく見えなかったが、その立ち姿をみれば獄吏や拷問吏のような下々の者ではない、ひとかどならぬ高貴な身分の御仁であるように見受けられた。

 ギルダはろくに振り返りもせずに、抑揚のない口調で問いかける。

「……先ほどからずっと気になっていた。こちらの様子がそれほどに気にかかるのであれば、遠慮などせずに部屋に入って見物しておればよかったのに」

「拷問吏に尋問させるというので、止めて差し上げるべきかと思い様子を見に来た。金でも渡して一、二日なりと先述べてもらえはしないかと案じていたが、杞憂だったようだ」

「止めに入ってきていただければ、そこの大男も無駄に苦しまずに済んだ」

「お優しいのだな」

 そういって、男は薄く笑みを浮かべ、椅子に座ったままのギルダを推し量るような目でじろりと見やるのだった。

 その視線に気づいて、ギルダも椅子から半身を起こし相手をちらりと窺うが、興味なさげにすぐにあさっての方に向き直る。

「杖も義足もなく、立ち上がるのは難儀ゆえ座ったままで失礼させてもらう。貴殿の名前をうかがってもよいか。……いや、それともこういう場では私から名乗るのが礼儀であろうか」

 ギルダはそのように尋ねたが、椅子の背もたれに身を預け、相手の方に向き直ろうともしないその態度からは決して身分の上位の者に敬意を払おうという意思は見て取れなかった。その不遜ともいえる身構えを見て、男は静かに笑う。

「あなたが何者なのかはすでに聞き及んでいる。収監に至ったあなたのご身分が正しければ、先んじて名乗りを強いるような態度が私には許されぬでしょうな」

「では、私が先に貴殿のお名前を拝聴してもよろしいか」

「私はこの王国で伯爵位を下賜され、南部のファンデルワースにささやかな荘園を拝領している身」

 さすがのギルダも、この説明でおや、と目線を上げてふたたび声の主を振り仰いだ。

 ささやかと当人はいうが、ファンデルワースと言えば王国の南に広大な穀倉地を抱える所領の名であった。その地を治めるのはかつてクラヴィス王の擁立にも連座していた大領主であり、王国でも指折りの有力者のはずだった。

「もの知らずの私でもそのくらいの知識はある。ファンデルワースがささやかとは、謙遜に過ぎる」

「リアン・アルマルク。アルマルク商会の当主クロードの息子、メルセルの妻。……そしてアルヴィン王兄殿下の忘れ形見、ということでよろしいか?」

「それは間違いだと従前より主張している。だから拷問吏がやってくる。私のことはただのリアンで充分。貴殿の事は、ファンデルワース伯爵、とお呼びすればよろしいか?」

「そもそも、本当にリアン殿ご自身なのかな?」

 その男――ファンデルワース伯爵は、そのように言いながら床にだらしなく転がる負傷した拷問吏をちらりと一瞥する。

「この傷跡。魔導のしわざか」

「……」

「そなたが前王太子殿下のご落胤にせよただの田舎娘にせよ、このような魔導の技を一体どこでどのように習得したのかは強く興味を惹かれるところではある」

 いったいこの人物は何を言わんとしているのか。ギルダは注意深く伯爵を観察する。その伯爵がその場で小さく手を叩いて合図をすると、戸口の向こうからおそらく伯爵の警護の者だろう、帯剣した屈強な偉丈夫がこちら側にずかずかと足を踏み入れてきた。

 伯爵が目配せすると、偉丈夫は戸口の前でだらしなく這いつくばる拷問吏たちに、さっさと出て行けと横柄な口調で告げる。負傷した大柄な方の足を掴んで強引に引きずり出したかと思うと、痩せた相棒がそれに慌てて追いすがる。両名がわたわたと階下へと降りていくのを見届けてから、その偉丈夫もまた外の通路に戻って、そのまままるで壁そのものという体で黙したまま立ち尽くすのだった。ギルダが見る限り、通路には他に第三者の姿は無いようだった。

 余人を交えぬようになったのを見計らって、伯爵がやおら口を開く。

「魔導と言えば……かつての内戦のおり戦場に放たれ、魔女と呼ばれた人造人間たちのその後の行方をかの剣士ロシェ・グラウルが追ったが、五体いたとされるうちのその四体目の消息を伝えたのを最後に彼もまたいずこかへと行方をくらませてしまい、最後の一体はついに行方が分からずじまいに終わったという」

「その一体は先の内戦の折にロシェの命を狙い、ロシェに斬られたという話になっていたとも聞き及んだが」

「どちらの話が正しいのかな」

「その人造人間とやらであれば、今さっきここで見せたような魔導の技も持ち合わせているであろう、とおっしゃりたいのか」

「いかにも。……いや、まったく驚きだ。この場でそなたのようなものに相まみえることになろうとは思ってもみなかった。そなたがその最後の一体、人造人間シルヴァなのだな?」

 伯爵はそのように断定し、一人得心したように薄く笑みを浮かべた。彼女がリアンだという話はどうせすぐに嘘だとばれるだろうと思っていたが、まさか人造人間としての出自までもを暴かれようとは、少し予想外ではあった。

「……その名前が知る者がまだいたというのも驚きではある」

「そなたの事をシルヴァと呼んで差し支えないか?」

「否。私には……そのシルヴァとやらには、ユーライカ姫殿下より賜ったギルダという名前がある」

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