北の塔(その3)

(いや――)

 そこまで思案して、ギルダの脳裏にはウェルデハッテに置いてきたユーライカからの最後の手紙の事が思い浮かんだ。

(姫殿下は、そのようなことはお望みではなかった――)

 その文面は今この手元に無くとも、人造人間である彼女の脳裏には一言一句が記憶されている。そもそもあの手紙は内容を検閲されていたはずだし、行間ににじませたような言外の内心に至るまで、ギルダに細やかな機敏を理解するのは難しかった。それでもそこに綴られていた、彼女に命を粗末にして欲しくないというユーライカの思いはやはり本心だったのではないか。ユーライカがそれを望まなかったのであれば、やはりそうしなかったのが正しかったのだ、と思うより他なかった。

 そんな自問自答が、いつまでもギルダの脳裏をぐるぐると駆け巡るのだった。

 満足な食事とまともにシーツのある寝台は、ともすれば下々の者が利用する極貧の木賃宿などよりもよほど恵まれた環境と言えたかも知れない。それでも一夜明けた朝の冷え込みは確かに厳しく、日が昇っても室内は依然としてひんやりとしたままであった。昼なお暗い牢獄は、確かにユーライカにはさぞ堪えたことだろう。

 そしてあくる日の昼、さっそくギルダの独房を訪れるものがあった。

 二人組の拷問吏だった。一人はやせた男で、もう一人大柄の男が後ろから付き従っていた。一人は何かしら道具の入った鞄を肩から下げ、背もたれのついた椅子を両手で抱えてやってきた。もう一人は何に使うのか、脚の折りたためる机のようなものを抱えていた。

 牢にやってくるなり彼らは椅子をその場に置き、机の脚を拡げ、その上に何に使うのか想像もつかぬ拷問の道具を、無言のまま一つ一つ鞄から取り出し念入りに並べ始める。痩せた男がその作業をしている間、もう一人の大柄な男はギルダに椅子に座るように促す。

「座るのはよいが、手を貸してくれるか」

「何故だ」

「義足を没収したのはそなたら獄吏であろう。それなしに杖もないのに立って歩くのは少々難儀なのでな」

「そのような事を言っていられるのも今のうちだぞ」

 大男がギルダに手を貸して……というよりは彼女の細腕を強引に掴んで無理やり立たせると、椅子に向かって放り投げるかのような勢いで乱暴に座らせる。腰を落とした彼女の両手を後ろから無理矢理に掴んで、鎖でつながった鉄輪でその手首を戒めるのだった。その上で、彼女の両腕が背もたれの後ろ側に回された状態のまま、縄をぐるぐるとかけて彼女の身体を椅子の上にしっかりときつく縛りつけようとしていた。

 そうやって黙々と縄をかける大男に、ギルダが声をかける。

「獄吏よ、おまえに家族はいるか。親兄弟は。妻や子供は」

 その問いには目の前の大柄な男ではなく、脇の痩せた男がひひっと品のない笑いをこぼしつつ、応えた。

「泣き落としにかかっても無駄だよ。わしらはこれが仕事なんだからね」

「では、牢獄のこの場で誰が泣いて叫ぼうが、何の痛痒も覚えぬということか。この男も、おまえも」

「そうさね」

「そうか、なら分かった」

 ギルダがそう言ったかと思うと、彼女を椅子に縛り付けていた縄がはらりと床に落ちる。後ろ手に鉄鎖で戒められていたはずの彼女の右手が無造作に伸びて、大男の首元を片手で力任せにねじ上げるのだった。

 そのまま、跳ね起きるようにして片足で椅子から立ち上がる。その勢いに任せるように大男の身体を押しやって、もつれあうようにしながらもその巨躯を牢の石壁に叩きつけた。

 それだけでは終わらなかった。首を締め上げる右腕が徐々に赤い光を放ったかと思うと、焚火に差し入れた鉄火箸のように真っ赤に熱を帯びていく。その手首には先ほど大男が彼女の細い手首にはめた鉄輪がそのままになっており、手首と一緒にその鉄片もまた真っ赤に熱せられたかと思うと、男の首筋にじかに押し当てられる格好となり、大男は途端に苦悶の叫びを張り上げた。

 大男とて、なるように任せるばかりではなく、彼女の腕を引き剥がそうと太い両腕で必死に掴みかかるが、彼女の腕自体が鉄輪も含めて焼けた鉄のかたまりのごとくで、それに真っ向から掴みかかる苦行を強いられた挙句、渾身の力をこめてもその細腕はびくともしないのだった。

 当の大男がなすすべもないものだから、傍目で見ている痩せた男の方でも何か助力出来るわけでもなく、ただ相棒が苦悶にのたうち回るのをおろおろと傍観するしかなかった。首と両手首、手指に痛々しい深い火傷のあとを残して、ようやく大男は開放されたのだった。

「死にはしないだろう。……はやく手当をしてやるのだな」

 そういって、石畳の床の上にだらしなく崩れ落ちた大男を冷ややかに見下ろしながら、ギルダは自分を縛っていた残りの縄を身体からていねいに払い落とし、熱で半ば溶け落ちて千切れてしまった鉄鎖を無造作に投げ捨てると、そのまま後ずさって元の椅子に身を預けるのだった。

 痩せた男が、狼狽しながら尋ねる。

「……に、逃げないのか?」

「何故逃げる。私は囚人だからここにいる。明日は別の拷問吏をよこすといい。誰を寄越しても構わない。何をしゃべらせたいのかは知らぬが、私の口をどうにか割らせようというのなら是非ともやってみるがいい。次に来た者をこれと同じ目にあわせる。もちろん、お前が代わりでも構わない」

 その冷徹な口調は聞いた者を心胆寒からしめるに充分だった。やせた拷問吏は負傷して床に倒れ伏した相棒の大きな図体を、腕を引いてどうにか外に引っぱり出そうとする。

「……そういえば、一つ聞きたい事がある。教えてはくれぬか」

「なんだというのだ!」

 倒れ伏した相棒の巨躯を前に右往左往する痩せた男に対し、ギルダはあさっての方を向いたまま、力のない声で虚空に向かってうっそりと問いを放った。

「かつてこの房に収監されていたというユーライカ姫殿下は、本当に拷問など受けてはおられなかったのか」

 何故今それを聞く、と拷問吏は思わず声をあげそうになったが、相棒の重い身体をどうにか引きずりながら、吐き捨てるように答えた。

「お顔などに一切傷をつけぬように責め苦を味わわせるとしたら、一番の手練れは誰かとひとたびお声がかりはあったが、結局仲間の誰も呼ばれはしなかった。少なくとも、わしらはなんもしとらんよ」

「そうか」

 ギルダは椅子に座ったまま、力なく返事をした。

「……教えてくれて、礼を言おう」

 そうつぶやいたきり、彼女は椅子に身を沈めたまま一切動かなくなったのだった。

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