東への旅(その4)

「心配では無いの?」

「心配は心配だとも。だが結婚も含めて、リアンの思うように任せると決めたのだ。姫殿下が亡くなって商売の事情も変わったことは理解するし、それに旅の事はあのイザークという男が詳しく、あの人数で無事に行って帰ってくる算段があるというのなら、任せるだけだ」

 ウェルデハッテから東を目指して三日も行けば王国の国境の関所があり、そこを出て一週間も行けば、やがて草原が見えてくる。道なき道とまでは言わずとも、決して楽な旅ではないはずだった。

 それから三ヶ月ほどが経ち、意気揚々と帰還を果たした隊商は再びウェルデハッテの地を訪れた。

 さぞや苦労に満ちた旅路で心細い思いをしただろう、とアンナマリアは心配していたが――メルセルは確かにやつれた印象だったが、当のリアンは出発時の不安混じりの表情はどこへやら、目を輝かせて、旅で巡り合った様々な風物についていつまでも語って止まらないのだった。母親に似て色白だった彼女もすっかり日に焼けて黒くなっていた。道中危険な目にもあったかも知れなかったが、懲りた様子など何もなかった。

 その隣にいるメルセルはと言えば、顎の先にちょこんと髭をはやしているのがまるで似合わない。一般的に草原や砂漠には豊かな髭こそが成人男子の証とされるため、かの地で侮られないために、髭を生やせとイザーク叔父に勧められたのだという。

 一方、王都からは不穏な報がもたらされていた。クラヴィス国王が病に伏せっているというのだ。

「おいくつになられるんでしたっけ?」

「御年四十三歳になられます。まだまだお若い」

 リアンの問いに答えたのは、この日たまたま村を訪れていた近衛騎士オーレンだった。

 離宮にはまだシャナン・ラナンが一人残って細々と建物の管理人のような仕事をしており、未だ離宮詰めの任にあるオーレンは言ってみればその使い走りのような雑用を粛々とこなす日々であった。近衛師団から見ればユーライカ存命の折より離宮勤務のオーレンはシャナンとも懇意であり、ユーライカが逮捕された折にシャナンの命であれこれ立ち働いていたのが上の者にしてみれば気に食わなかったようで、そのくらいの頃から露骨に煙たがられているのだという。だが職を追われるほどのへまがあったわけでもなし、むやみにくびにするわけにも行かず、近衛騎士の職にあってずっと冷や飯食らいという扱いなのだ、と本人は自嘲する。

「一時的に体調を崩されているということなのだと思いますが……思い起こせば、姉君であるユーライカ王姉殿下の逝去の時も唐突と言えば唐突でしたから、もしや国王陛下までもが、と憂慮する声も多くありまして。先走った不吉な話をしてはならぬと、王都では官憲が普段よりもにらみを聞かせている有様です」

 そのような形でユーライカの名が上がると、ギルダにせよリアンにせよそれぞれに複雑な表情になる。両者の反応を気遣いながら、オーレンは先を続ける。

「無論、姫殿下の場合は北の塔への収監がお体に良くなかったのであって、苛烈な尋問や拷問は無かったとされていますが、民はなかなかそのようには信じてはおらぬようで……獄中で無念の死を遂げた姫殿下の呪いではないか、と王都ではまことしやかにささやかれております。人のうわさに戸口は立てられぬと申しますが、ふざけて面白おかしく語る者どもが王都では片っ端から捕らえられているともっぱらの噂です」

「……であれば、このような時期に王都に向かうのはあまり好ましくはないのかもな」

 メルセルの隣でそんなオーレンの話に耳をそばだてていた叔父のイザーク・アルマルクは、自慢の髭をなでながら露骨に顔をしかめる。

「ギルダ殿、おれは兄クロードに今回の旅の成果を報告する必要があるので、いずれにせよこのまま王都へ向かうつもりだ。用事を済ませたらまたすぐにこの村に戻ってくるつもりだが、何であればその間リアンをこの村に置いていこうかと思う。……メルセルは兄貴に会わせる必要があるゆえ連れていくが、今聞いたような話であれば、あまり大人数で行かぬ方がいいだろう」

「私一人がここに残ればいい?」

「いや、おれとメルセルと、あと荷馬車を引くのに何人かおればそれでよい。王都へは取って返してくるだけになるゆえ、あとの者はこの村に残って、しばし休暇という事にしようかと思う。……とんぼ返りになるゆえ、どうしてもというものは付いてきてもよいが」

 これには隊商の者たちの反応はまちまちだった。何もないウェルデハッテで足止めとなってうんざりという者と、王都までの往復の日程でいうと最低でも一週間はのんびり出来ると気をよくするもので半々であっただろうか。無論、王都の我が家に帰るのを楽しみにしていた者もいただろうから、これは落胆するものもおれば、僅かでもよいから一度帰っておきたい、とイザークに同行を申し出るものもあった。

 そんな隊商一行のそれぞれの表情を横目に見やりつつ、ギルダが言う。

「……であればオーレンよ。済まぬが、念のためメルセル達についていってくれるか」

 急に名を呼ばれて、近衛騎士は一瞬、なんで自分が、という表情を見せたが、ギルダがじろりと睨みつける。

「民の安寧のために働くは騎士の務めであろう」

 ギルダにそのように釘を刺されたが、もとよりシャナンに言い渡されている彼の任務はユーライカ逝去後の世情の不安な折、亡き姫殿下の意向に従いギルダやウェルデハッテの一同の便宜を図るというものであり、王都までメルセルが赴くという話であればその護衛も広い意味では任務のうちと言えた。

 彼は居住まいを正し、咳ばらいを一つすると、分かりました、と答えた。

 それからオーレンはメルセルとイザーク叔父に随伴し王都へ向かう。残されたリアン達もただ羽根を伸ばすのではなく、長旅でくたびれた馬の替えを手配したり、人数分の水や糧食を整えたり、いつイザークらが戻ってきてもよいようにこちらはこちらで準備があるのだった。

 それから十日程が経過したのち、騎士オーレン以外の面々が再び村に戻ってきた。イザークの言では騎士オーレンはいったん離宮に戻り、また近いうちに訪問予定だという。

「では、われらは再び東に向かいます。今度はナルセルスタよりももう少し先へ、砂漠の入り口くらいまではゆく予定です」

 イザークはギルダ達にそのように言い残し、アルマルク商会の隊商は再び東を目指していったのだった。



(次話につづく)

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