第2章 ユーライカ

コッパーグロウ(その1)

 いくさが終わってすぐは傷病兵や難民であふれかえっていたウェルデハッテだが、彼らもやがては故郷を目指すなり、落ち着き先を見つけるなどして村を去っていった。そのうちに村の元の住人も幾らかは戻ってきて、次第に以前の姿に立ち返っていくものと思われたが、物事はなかなかにうまくは進まないのだった。

 この村に限った話ではなかったが、彼ら農民が田畑を耕す元の暮らしに戻ろうにも、軍靴に踏み荒らされた耕作地がただちに元通りになるというわけにも行かない。故郷に帰った彼らがすぐさまに生活を立ち行かせるのは、言うほどに簡単な事ではなかった。

 もちろん、いくさで命を落として二度と帰ってこなかった者も少なくはないし、中には村人が離散したままついに誰も戻ってこなかったような村もある。故郷の惨状を風の便りに聞かされて、今更家に帰ったところでどうなるあてもない哀れな者たちも、王国のそこかしこに取り残されていたのだった。

 そのように考えれば、元の村人が戻ってみたところにいつの間にか診療院が開かれており、そこに人々が集う形で元々よりも人の増えたウェルデハッテは珍しい事例ではあった。新旧の住人で例えば田畑を巡って大きな悶着があるかとも心配されたが、それも思ったほどの深刻な諍いとはならなかった。

 その一方で、いくさの終わった王国はあちこちで国土の荒廃が目に余った。田畑が踏みにじられた事はもちろんのこと、例えば相手方の進軍を妨げる目的で、橋が落とされたり土塁が突き崩されたりという行為が横行し、道が荒らされたりそもそも無くなってしまったりという事があちこちに見受けられたのだった。まずはそういういきさつで荒れ果ててしまった街道の整備が急務であり、王国は取り急ぎ整備事業に着手したのだった。

 それには多分にも、耕す畑を失い帰るあてのない農民たちに仕事を与える目的もあった。そうやって王国のあちこちで工事が始まると、ウェルデハッテもまた主街道が荒れて使えなくなっている間に旧街道として重宝された事情から、そちらの整備も併せて行われる事となり、工事人足の働き口を求める元農民兵たちが多く集まってくるようになるのだった。そうやって人の往来が増えれば、今度はそれに目を付けた目ざとい行商人らが村にやってきて商いをするようになる。そうこうしているうちにウェルデハッテはかつて以上の活況を見せるようになっていったのだった。

 立派な僧院を住まいにしていた僧侶は結局は戻っては来なかった。建物が診療所として使われているという話をどこかで聞いてきたのか、僧会からの使者だという者が現状をざっと確認しにやってきただけで、そのまま去っていった。話を聞けばあのロシェ・グラウルから王宮にこの村の現状について訴えがあったのだという。後年になって別に僧侶が村に派遣されてきたが、元の僧院の建屋はそのまま診療院のために供出される形となり、逆に僧侶の側が礼拝の時にだけ礼拝堂を借りるという形に落ち着いたのだった。

 結局ギルダは依然として僧院の診療所で働いていた。さすがに元僧院長の部屋はハイネマンの診察室として譲り渡し、自身は村外れに建てられた仮造りの宿舎をねぐらとした。アンナマリアが義足を作れる職人をどこかで見つけてきて、ちゃんとした義足が用意されると、杖こそ手放せなかったが村の中くらいであれば一人で自由に歩き回れるようになった。時にはフレデリクをこき使いながらも、村の周りに自生する薬草を採取し、軟膏や煎薬に仕上げていく作業を担っていたのだ。

 その日もギルダは、一日の仕事を終え、日も傾いて涼しくなってきた村をそぞろ歩いていた。

 広場の目抜き通り沿いに露店を広げ売り物を並べていた行商人たちも、そろそろ店じまいの支度を始めようかという頃合いだった。それを横目に自身の宿舎への道を歩くギルダだったが、その商人たちの中に知った顔を見つけて、思わず足を止めてしまった。

 相手もちらりとギルダを見ただけだったが、ほんのわずかに顔を見合わせただけで、お互いに相手が何者なのかを察知したようだった。ギルダが足を止めてもう一度振り返ったところで、向こうはまるで逃げるように足早にその場から去っていこうとするのだった。

 何故にそのような態度を取るのかは分からなかったが、ギルダは周囲を見回すと、とにかく去った相手のあとを追う事にした。古い街道筋にあるとはいえ元々大きな宿場というわけでもなかったウェルデハッテだが、今は街道工事の人足たちが寝泊まりするのに応急づくりで建てられた木賃宿が数件あり、行商人たちもそういった宿を利用するのが常だった。だが相手は宿の方には向かわずに、そのまま村を出ていくように思われた。だが近隣の宿場を目指すにしても、少々遅い刻限ではなかったか。

 村はずれまで行けば、あとは森林地帯のうっそうとした森を抜けていく一本道が丘の向こうまで続き、そこから先はつづら折りの下り道が待っている。だがそんな路上にも、人影は見いだせなかった。

 不意に人の気配を察知して、ギルダは振り返る。道の脇の茂みの中から、そこに身を潜めていた一人の女が進み出てきて、ギルダに呼びかけてきたのだった。

「シルヴァ。お前はシルヴァだな?」

「……コッパーグロウか」

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