第二話 幼馴染の本気が凄かった


「き、今日はよろしくね」


 2023年12月24日18時30分、渋谷駅前。


 やけに綺麗な恰好をした茉莉花が若干噛みながら開口一番にそう言って来た。

 いつも会う時はダボっとしたトレーナーしか着て来なかったのに、今日は黒ニットの上に大きいサイズのジャケットを羽織り、お洒落なバッグを掛けている。

 背中まで伸びたセミロングの黒髪には珍しくウェーブがかかっていた。


 いつもしていた丸眼鏡も今日は無く、コンタクトをしているようだった。

 唇も赤く塗られており、目の下には黒い線が引かれている。


 なんと言うか本気を感じられる服装をして茉莉花はやって来た。


 ただでさえ大きくて目のやり場に困っていた胸は、ニットで更に存在感が増されている上にショルダーバッグの紐を間に挟まれている。

 もはや、強調され過ぎて一種の凶器に見える。


 あろうことか茉莉花は、そこから更にトドメとも言わんばかりに、両手を胸の前に持って来て鞄の紐を強く握り食い込みを深くした。


 ニットを着ているはずなのに、深い谷間がそこには出来上がった。


「俺を殺す気か?」

「……何言ってんの?」


 性的な目でしか見られなくなるからほんとに止めて欲しい。

 大事な友達だし、茉莉花には嫌われたくない。


 そう思って茉莉花と友達してきたのに、思わずそういう目で見てしまいそうになる。


 童貞を捨てる為に茉莉花を酔わせてお持ち帰りしようなんて考えていたが、本人を目の前にした俺はそう揺らいでいた。


 茉莉花とは掃き溜め時代よりも前から友達だ。

 保育園で出会い、同じ小学校へ。家が近かったので中学も同じになった。

 高校を何処にしようか悩んでいた俺へ「決まってないなら私と同じ所にしなよ」と茉莉花が言い、「まあいっか」で高校も同じになった。


 そして大学も。

 ヤリチンになりたかった俺に「大学デビューしたいなら情報系のこことかどうかな? 頭良く見られるし、可愛い子が沢山居るって聞いたよ。ちなみに私もここだったりするんだよね」とアドバイスをくれた事で「それならそこにするか」と決められた。


 茉莉花はこんな、友達の事をエロい目でしか見れない俺とずっと友達で居てくれただけでなく、人生の岐路に立つ度に俺の為になるようなアドバイスを惜しみなくしてくれた。


 色々と親身になってくれる茉莉花は俺の事を友達として信じてくれているはずだ。

 そんな茉莉花をエロい目で見るなんて……と思っていたが、性欲に負けて飲みに誘ってしまった。


 結局誘ってしまったし、飲みの後はやる事をやろうとしている。

 しかし、大切な茉莉花の事は、手を出すギリギリまではそんな目で見ないようにもしたい。


 そう決めた俺は、どう足掻いたって胸に吸い寄せられる視線を鋼の精神で上に持っていき、茉莉花の少し茶色い綺麗な目にセットする。


「いやなに、ほら、今日ってクリスマスだろ? だからサンタさんが俺に素晴らしい贈り物でも送ってくれたのかなって思ったんだ」

「……ありがと」


 胸を見ていた事を隠す為に適当な嘘を吐いてその場を流した。

 茉莉花はそんな俺の言葉に照れたのか、顔を赤くしながらありがとうと言ってくれた。


 俺の邪な気持ちなんてちっとも分かっていないだろう瞳で、茉莉花は俺の性欲に塗れた汚い目を見つめる。


 ……すまん、茉莉花!


 茉莉花を酔わせてお持ち帰りするなんて思ってしまってすまん!

 やっぱり俺が間違っていた!

 大切な友達には手なんか出せん!


「ん!」

「ん? ああ」


 茉莉花は小さく言葉を発して、煩悩に打ち勝った俺に白い手を伸ばしてきた。


 茉莉花は重度の方向音痴だ。

 茉莉花自身がそう言っていた。


 手を繋いでいないと何処かに行ってしまうから、二人で出掛ける時は手を繋いで行動するようにするわよ。との事らしい。

 なるほど、確かにはぐれたら困るな。と思った俺はその案を採用する事にした。


 茉莉花が差し出してきた手を握る。

 冬の夜という事もあり、茉莉花の白い手は冷えていた。


 繋いだ茉莉花の俺より小さくて白い手は、ポケットに入れて温まっていた俺の手の熱を奪い、徐々に俺の手と同じ温度になっていく。

 ……と思ったら、茉莉花の手が俺の体温を超えていった。


 不思議に思った俺は茉莉花の方を見るが、茉莉花は明後日の方を向いている。

 赤く染まった横顔だけが見えた。


「……今日やるつもりなのよね?」

「……」


 ……一体何をやるつもりなのだろうか?

 俺は飲みに行こうとしか言っていなかったが、まさか俺の魂胆がバレているとでも言うのか?


 確かに俺は茉莉花の事をお持ち帰りしようと思った。

 だが、その事は本人に言っていない。

 言っていないから茉莉花にはバレているはずも無い。


 俺は12月24日に飲みに行こうと言っただけだ。

 この情報のみで俺が何しようとしていたか分かるのはエスパーくらいだ。


 飲みに行く日って今日で合ってるわよね?

 大方そんな確認をしただけだろう。


「ああ、今日だぞ」


 飲みに行く約束をした日は。


「……嬉しい。やっと覚悟を決めてくれたのね」

「……?」


 何か勘違いでもしていたのだろうか。

 別日だと思っていたとかそんなところだろうか。


 聞きたくなったが、茉莉花が物凄く上機嫌そうに俺の手ごと振って歩き出したので止めた。

 楽しそうにしている人に水を差すのは野暮という物だろう。


「予約した時間にはまだ早いからゆっくり歩いて行くか」

「うん!」


 茉莉花がはにかみながら返事をする。

 本気の恰好をした茉莉花の笑顔を見た俺は、普段のずぼらさとのギャップで胸やけを起こしそうになる。


 思わず胸がときめいてしまいそうだ。


 ……こんな可愛い茉莉花をお持ち帰りしようなんて、やっぱ間違えていたな。

 性欲にやられてまともな判断が出来なくなっていたが、茉莉花には嫌われたくない。


 茉莉花は俺の大事な友達。


 今日は普通に楽しい飲み会をしよう。



—————



「……お持ち帰りする方法を真剣に考えていたのが一人だけだと思ったら大間違いなんだよねぇ」

なひかなにかいっやはいったか?」


 個室居酒屋の向かい側の席に座った茉莉花が俺の顔を見ながら何かを呟く。

 何かを言っていたのだろうが、頭がクラクラして聞き取れなかったので聞き返す。


「ううん、何も言って無いよ! それよりグラスが空いているから次のお酒頼んどくね! すみませーん!」


 数十分前から茉莉花の言っている事が聞き取りにくい。

 飲み過ぎて呂律が回らなくなってしまったのだろうか。


「レモンサワー二つお願いします。あ、一つは濃い目で、もう一つはすっごく薄いのでお願いします」

「……あの、お連れさん大丈夫ですか?」

「あ、大丈夫ですよ! こいつの許容量は把握しているので!」

「本当ですか……?」


 急にやって来た店員さんに茉莉花が何かを答える。

 やはり呂律が回っていなかったのか、茉莉花が店員さんに何かを心配されている。

 もう飲むのは止めておいた方が良いのではないだろうか?


「吐かないようにだけお願いしますね」


 最後に店員さんは何かを言って去って行った。

 なんだったのだろうか。


「さてと、そろそろそっち行こうかなーっと」

「……?」


 向かい側に座っていた茉莉花が席を移動してこっちにやって来た。

 隣に座った茉莉花は俺にグイグイと近づいて来て、俺を端へ追いやってもまだ止まらず、身体を密着させる。

 足を絡め、胸をくっつけ、腕を握る。


 柔らかい感触が全身を支配してきた。


 酔っぱらった茉莉花の最終形態だ。

 こいつは抱き着き癖でもあるのか酔うと毎回こうして俺にくっついて来る。


「こんあこと、俺以外のやふにやっは駄目だぞ? 絶対勘違いして襲われう」

「こんな事は仁にしかやらないわよ。それと、早く勘違いしろ?」

「……?」

「なんでこの距離で聞こえて無いのよ」


 茉莉花が俺の耳元に口を近づけ囁いて来たが、上手く聞き取れなかった。


「……ちょっと癪だし何処まで近づけば聞こえるのか試してみるか」


 急に赤い唇が耳にくっつきそうな程、茉莉花が近づいて来た。

 耳に息が当たるくらい顔を近づけ、ヒソヒソと囁く。


「……早く襲ってよ、馬鹿」


 耳に熱い吐息が吐かれたのは分かったのだが、もにょもにょしていて聞き取れなかった。


「緊張してしまったわね……」


 茉莉花が耳から顔を離す。

 頬が染まっているのが見えた。

 腕にくっつけられた茉莉花の胸から激しい鼓動を感じる。


「よっへいるのか?」

「私はお酒に強いんだけどね。仁に当てられちゃったわ」


 やはり茉莉花は酔っているようだ。


「お待たせ致しましたー。濃いめのレモンサワーと薄いレモンサワーです」

「あ、はい。濃い方は私のです」


 茉莉花がお酒を二つ受け取る。

 店員さんは空になったお皿を持って戻って行った。


「……」


 色の濃いお酒と、水のような色をしたお酒。

 茉莉花は今酔っている。


 それなのに、茉莉花は濃い方のお酒を手に取り水を飲むかのようにグビグビ飲んでいた。

 明らかに酔い過ぎてまともな判断が出来なくなっている。


「あ、ちょっと……」


 茉莉花からグラスを奪い、一気に飲んでやった。


「おさへはほとほどにな。……あへ?」


 お酒は酔っている時に無理して飲む物では無い。


 そう言いたかったのに、視界がグラついて言えなかった。

 このお酒、度数が高すぎないか?


「あっ」


 倒れそうになったが、隣にあった柔らかい物に包まれ難を逃れた。


「作戦とは違うけど、まぁいっか」


 柔らかい物が何かを呟いたのが聞こえたのを最後に、意識が暗転した。


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