アレを探す

そうざ

We Look for Hidden Things

 俺は塾の夏期講習が終ると同時に教室を飛び出し、猛スピードで自転車を走らせた。

 今日は数学の講習だった。多分、二次方程式を勉強したんだと思う。ほとんど頭に入っていない。イノラーとの約束が気になってそれどころではなかった。

 イノラーというのは、親友の猪之良いのらの事。

 あいつは塾に通っていないから、基本的に放課後は暇だ。高校に進学しないで稼業の青果屋を継ぐらしい。正しい選択だと思う。あいつは馬鹿だ。塾に通ってもどうせ無駄な事は、あいつ自身がよく解っている。

 でも、あいつはアレを探すのが上手い。天才的かも知れない。


              ◇


 俺達がアレに興味を持つようになったのは、元はと言えばあいつが偶然アレを見付けたのがきっかけだった。いつだったか、あいつは興奮した様子で電話をして来た。

「大変大変大変っ」

「何だよ、どうしたんだよ」

「スゲェもんを見付けちゃったっ」

「何を見付けたんだよ」

「電話じゃとても言えねぇよ」

 何だか分からないが、とにかくスゲェらしい事はがんがん伝わって来た。俺はあまり興味がなさそうな振りをしながら駆け付けた。


 そこは、町外れの資材置き場だった。

 こんな場所があったのか、と思った。鉄パイプとかブロックとかが適当に積んであって、何だか古代文明の廃墟みたいだった。

「こんな所にどんなスゲェもんがあんだよ」

 俺達の他に誰も居ないのに、イノラーはわざわざ俺に耳打ちをした。

「……アレだよ、アレ」

「アレって?」

「アレって言ったらアレしかないだろっ」

 イノラーはニヤッとして俺の肩を叩いた。


 アレ――アレと言ったらアレ――。


 俺の頭にアレのイメージが浮かんで来た。浮かんだけれど、ぼやけていた。想像でしかないから仕方がない。イメージ力の限界だ。それなのに、いつの間にか俺もニヤけていた。


 俺は、ブロックの谷間に入って行くイノラーの後に続いた。奥の方に入ると、何日か前の雨水が泥濘ぬかるみを作っていて、それを避けながら進むのはちょっと楽しかったが、古い靴を履いて来れば良かったと思った。

「……うわっ、なくなってる! 消えたっ!」

 イノラーが悲鳴のような声を上げた。変だな、おかしいな、と言ってブロックに開いた穴を必死に覗き込んでいる。

「その穴に間違いないのか? 別の穴と勘違いしてんじゃないのか?」

「絶対これ! これ絶対!」

 そう言いながら、イノラーは直ぐ隣の穴や周囲のブロックの穴を片っ端から覗き始めた。それは百パーセント嘘とは思えない必死さだった。アレを発見したのは確からしい。

 俺は何気ない感じで質問をした。

「で……お前、触ってみたの?」

「お前に知らせるのが先だと思ったから、指一本触れてないよ」

 俺はがっかりしながら何となくホッとした。


              ◇


 あの日から俺はアレ探しに没頭した。先に触るのは俺だ。俺よりも馬鹿なイノラーに先を越されたくない。

 闇雲に探し続けた。学校の行き帰り、塾の行き帰り、日曜日も近所中を探し回った。

 でも、見付からない。見付からなければ見付からない程、アレの事が気になって仕方がない。

 俺だって見た事くらいはある。見るだけならインターネットで何とかなるが、やっぱり実際に触ってみなくては駄目だと思う。


 触ってみたい――。


 クラスの女子を見る俺の眼は、あからさまにおかしくなっていた。

 変に意識してしまうと言うか、俺が変な意識で見ている事が女子達にばれてしまったらどうしようみたいな感じになり、結局まともに女子を見られなくなってしまった。

 女子はアレに興味がない。だからいつだって余裕で生きている。腹いっぱいの時に食い物の事を考えないのと同じだ。

 違うのか。


              ◇


 交差点を曲がった所にあるコンビニの前で、小便を我慢しているように激しく足踏みをしながら両手を振る人影が見えた。

 あの馬鹿っぽい動きはイノラーに間違いない。

「遅っせぇ、遅っせぇ、遅っせぇよ」

「ちょっと休ませてくれ」

 全速力で来た俺は喉がからからだった。

「早くしないとまた消えちゃうってぇ」

 イノラーは、俺の腕を引っ張ってコンビニの脇の小道をずんずん進んで行った。夏と言ってももう七時を過ぎていて薄暗かった。


 そこは古い民家が窮屈に建ち並んでいる、俺は全くノーチェックの地域だった。普段から時間を持て余しているイノラーは、こんな所まで探し回っていたのだ。

 イノラーは、迷路のような路地を迷わずに歩いて行く。俺は追い掛けるのが精一杯で、自分が何処をどう進んでいるのか、全く分からなかった。民家の窓から時々電灯の光が漏れるくらいで、ほとんど真っ暗なのだ。

「おい、どこまで行くんだぁ?」

「しぃ~っ、もう直ぐ」

 馬鹿な筈のイノラーが何だか頼もしく見える。


 いつの間にか道は更に細くなり、人が一人やっと通れるくらいになっていた。地面は土が露出している。もしかしたら他人の家の敷地なのかも知れない。

「これって不法侵入じゃん」

「だから、しぃ~って言ってんの。住人に気付かれたらヤバい」

 そう言いながら、イノラーは生垣の陰にしゃがんだ。俺も釣られてしゃがんだ。昼間の熱気が残っていて、汗が一気に吹き出した。

 生垣の隙間から汚れた網戸が見える。そこから喋り声と歓声が聞こえて来る。この家の住人がナイターを見ているらしい。耳の直ぐ近くでは蚊が鳴き始めている。

「あそこ」

 イノラーが生垣の隙間を指差した。今時珍しい木製の電柱が古い民家の敷地内に立っている。上の方に裸電球の街灯が付いていて、羽虫みたいな物がちらちらと集まっている。

「……電柱がどうしたんだよ」

「街灯のちょっと下……」

 段々眼が闇に慣れて来ると、イノラーが指差した所がちょっと黒ずんでいるのが判った。

「あれが……アレ?」

「アレだよ」

「……汚れか何かじゃないの?」

「違う違う。日が沈む前に見付けたんだから確かだ。もう夜だから余計に黒っぽく見えるんだ」

 イノラーは蚊を払いながら真剣な顔で言った。

 それにしても、あんな高い位置ではとても触れない。しかも、他人の家の敷地内だ。住人に事情を話した上で梯子でも使わなければ無理だ。その場合、どう頼めば良いのだろう。

 アレを触らせて下さい――そんな事はとても言えない。

 何か適当な口実を作れないだろうか。全く思い浮かばない。耳元で蚊が鳴き捲くって考えが纏まらない。

 イノラーが鼻息を荒くしながら呟いた。

「どっちが先、行く?」

 言葉の意味が解からなかった。

「……何?」

「触りに行くんだよ。決まってんじゃん」

「この家の人に見付かるだろ」

「黙って触るんだよ。も~っ、決まってんじゃん」

 イノラーは少し苛立っていた。いつの間にか主導権が握られているみたいだった。

「まさか忍び込むのかよ」

 恐る恐る訊くと、イノラーはニヤッと笑った。唯の馬鹿だと思っていたが、結構なワルだ。

 家宅侵入だぞ、と言い掛けた時にはもうイノラーは生垣の隙間に上半身を潜り込ませていた。どちらが先に行くかと訊いておきながら勝手な奴だ。

 相変わらず網戸からはナイター中継が漏れて来る。そのお蔭で少しくらいの物音は掻き消されるようだった。

 早くもイノラーは生垣の内側に入り込み、四つん這いのまま電柱の側に近寄って居た。見ているこちらの心臓が高鳴る。

 汗がむうっと臭った。無意識に搔き毟っていた脹脛ふくらはぎは、もうボコボコでヒリヒリだった。

 何とか電柱の下に着いたイノラーは、俺の方を振り返った。得意気な顔だ。奴の大胆さに思わず溜め息が出た。先を越される悔しさなんて吹き飛んでしまった。あいつが無事に成功すれば、きっと俺にも出来ると自分を勇気付けた。

 電柱は、点検の際に捉まったり足を掛けたりする為の鉄の杭が突き出ている。イノラーは背伸びをして杭を掴むと、ぶら下がったまま振り上げた足を上の杭に掛けた。下から支えてやった方が良いかと思った時にはもうグイッと足を踏ん張って一気に高い所まで身体を持ち上げていた。

 問題はその先だった。上の方には杭がないらしく、イノラーは両手で電柱を抱え、両足は杭に掛けた体勢で止まってしまった。その位置で背伸びをしても、あいつの背丈ではアレに手が届かないようだった。

 俺は、汗でヌメヌメになった掌を固く握り締めた。頑張れ、と思いながら、もう諦めて交代しろ、とも思い始めていた。

 それでもイノラーは止めない。

 歯を食い縛り、顔を真っ赤にして爪先立ちになり、気合いで腕を伸ばし続けた。何だかバレリーナみたいな格好だった。頭の中で『白鳥の湖』が流れ始めた。

 イノラーが最後の手段に出た。何とその場でジャンプをしたのだ。

 触った――俺にはそう見えた。遂に奴はアレに触れた。あの摩訶不思議なものにタッチした。

「あっ」

「あっ」

 俺とイノラーがほぼ同時に声を上げた。

 イノラーが足を掛けていた杭が根元から折れたのだ。古い電柱なので多分腐っていたのだろう。

 そのまま地面まで落下、かと思ったら、左足の膝裏が別の杭に引っ掛かり、辛うじてそれを免れた。イノラーは左足を杭に引っ掛けたまま必死に電柱にしがみ付いた。それでも、いつ落ちてもおかしくない。

 地面までは二メートルくらいだ。落ちたら死ぬか、死ななくてもきっと怪我をする。絶対、住人に気付かれる。怒鳴られる。警察に通報される。怒られる。親に連絡が行く。叱られる。全校集会で見せしめにされる。末代までの恥になる。

 頼む、落ちるな――俺の祈りも虚しく、歪んだイノラーの顔が一瞬、緩んだ。諦めの境地だ。

 イノラーは電柱を滑り落ちた。

 正確に言うと、その悲惨な瞬間を俺は目を叛けて見なかった。何故か耳まで塞いでしまった。

 直ぐ様、網戸が全開して黒い人影が窓から身を乗り出した。人影はぼてっとした身体によれよれのランニングシャツを着ていた。顔を見る余裕はなかった。

 俺は反射的に走り出していた。

 背中で怒鳴り声を聞いた。おっさんの野太い声だった。自分でも何処をどう進んでいるのかが判らなかった。兎に角、細く暗い路地を闇雲に走った。こんなに鼓動は早くなるものなのか。それでも走り続けた。


              ◇


「遅かったじゃない。チィちゃん、寝ないであんたの帰りを待ってたのよぉ」

 母親がそう言っている間に、従妹のチィちゃんはドタドタと走って来て俺に抱き付いた。叔母さん母子が泊り掛けで遊びに来る事をすっかり忘れていた。

 チィちゃんはやけに俺に懐いている。幼稚園児なんかに好かれても鬱陶しいだけだ。チィちゃんは自慢気にお風呂用の玩具を俺に見せびらかした。

「チィちゃんはね、あんたとお風呂で遊びたいんだって」

「それまで寝ないって言うのよ。悪いけどお願い出来る?」

 母親も叔母さんも面倒事を俺に押し付けたいという魂胆が見え見えだ。

 俺はチィちゃんのワンピースを脱がしてやりながら、明日イノラーにどんな顔をすれば良いのかと考えていた。

 チィちゃんがパンツを穿いたまま洗い場に行き掛けたので、慌てて引き留めて背後からパンツを脱がせた。ぷくっとした尻が顕わになって満面の笑みが俺を振り返った。

 俺は自然と視線を下ろした。そこにアレを見た気がした。

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