第9話
「拓海から返信来た?」
「親に呼び出されたから先帰るやって。優勝祝いありがとうって言いよったよ」
返信をして携帯を暗くした葵が、遥に向き直る。
拓海からのLINEの内容に焦り、少し早口になってしまった葵だったが、いつもの話す速度がゆっくりな事と、「、、そうか」と零す遥が上の空だったという事もあり、特に何も言われず気付かれずに済んだ。
(でもなんであんなに急いでたんやろ、、)
本当にLINEの内容通りの理由で気を利かせて二人にしてくれただけなのであれば、あんなに急いで走り去っていく必要はなかった。
もっと手前。
例えば、山道に入る前にトイレに行ってそのまま帰って来ないという手も取れたはず。
それに、葵は遥と拓海の二人で話していた内容が気になっていた。
あの時振り返った拓海の表情は、間違いなく何かを隠しているものだった。
遥の表情にしてもそう。
いつも溌剌とした笑顔を浮かべる遥が、今は時折笑顔を作りながらも真面目な顔をしている。
(そんな顔されたら、いつもみたいにいじられへん)
考えを巡らせながら遥の横顔を見た葵が、心の中でそう独り言ちた。
拓海に貰った勇気だけでは、今の遥に告白するには少し心許ない気がした。
ヒュ~~~───。
──ドッ───ッパァン!
「上がった、、」
花火に照らされた遥が、三つある岩の内、唯一空いてる岩を見て考え込むように呟いた。
明らかに拓海と二人で話している時に何かがあった。
それが分かっているのに何も出来ないもどかしさが、葵をキツく締め付ける。
この後に控えた告白、絶え間なく響き続ける花火、憂いを見せる遥。
色んな方向から纏わりついて締め付けてくるそれらを、まるで可視化出来るものかのように鮮明に感じ取っていた。
「拓海、帰り道で見てると思うか?」
「駅までの道で見えへん場所なかったと思うし、多分見えてるやろね」
「そうか」
それ以降。
花火が終わるまで遥も葵も、どちらも何も喋らず、動かず、ただただ爆音と閃光を浴び続けた。
同じ方向、同じものを見ているはずなのに、まるで全く違うものを見ているかのような二人の背中には、どちらにも拓海の存在が見え隠れしていた。
葵の背中には、拓海だけではなく遥も存在していたが。
「帰るか」
「そうやね」
穴場スポットに居た人達の内、半分程が帰路に着いた頃。
少しの間祭囃子に耳を傾けて余韻に浸っていた二人は、遥の合図で元の道に戻り、石階段を下って帰路に着いた。
(どうしよかな、、)
花火は既に終わってる。
最寄り駅までもあと10分程度。
その間に告白出来そうな場所は、ロマンチックとは言えないかもしれないが、大した
ロマンチックではなくともベンチがあるし、人通りも少ないから告白するチャンスはあるだろう。
葵は、公園までの残り時間を計算しながら、そんな打算的な考えを巡らせた。
「遥。ちょっとだけ時間ある?」
「大丈夫だけど、どうした?」
「公園寄っていかん?」
突然の誘いに身構える遥だったが、1秒にも満たない逡巡の後、諾と答えた。
(タイミング間違えた気いするなあ…)
公園のベンチに向かうまでの間、一言も喋らない遥を見て、葵はそう思った。
まだ何を話すとも言ってないし、今ならまだ他愛もない話をして帰る事が出来るのではないか。
そんな弱腰で、ベンチに座るまでの間、何度も何度も、告白のシュミレーションと代替案を交互に頭の中心に据えた。
自分の判断基準だけでは、確実に別日に告白をするモチベーションになっていたのだが、拓海から貰った勇気が、あるはずの退路をぼやかしていた。
逃げていいはずなのに、逃げられるはずなのに、逃げようと思わない。
ベンチに着いた後も葛藤を続ける葵だったが、まるで砂漠にいるかのように水を欲した喉からは、告白へ繋げようとする意思しか生まれなかった。
「さっき拓海となんかあったん?」
「荷物受け取ってただけだって」
「ほんまに?元気なかったように見えたけど…」
「大丈夫だから。心配するな」
無理に作った笑顔で、遥が会話を切り上げる。
明らかに何かがあった。
聞いておきたいし、聞かないと前に進めない気がする。
でも、告白を前にして心象を悪くする事は避けたい葵は、遥の強い意思に従うしかなかった。
「覚えよる?初めて遥と一駅歩いて帰った時の事」
少しの沈黙の後、葵は捻り出した会話の切り口を紡いだ。
拓海が話題に上がると、おそらく遥の表情は曇る。
それなら、拓海の介在しない記憶で少しでも遥の心象を良くしよう。
突然始まった二年前の回想は、何があったか分からない中での、最善の策を探った結果だった。
「あー、一年の時の全国予選の時期だったっけ。うろ覚えだわ」
「そう?結構覚えよるけどなあ」
「なんで急にそんな前の事、、」
「なんか今の状況と似てると思わん?」
帰り道、公園に二人。
類似点はその二つだけ。
場所も、時間も、時期も違う。
そんな違いには目を伏せて、葵は強引に遥の疑問に返した。
「まあ確かに。というか、あれから何回も一緒に帰ってるだろ」
何も突っ込まれなかった事に、葵はほっと胸を撫で下ろす。
途切れれば、もう一度告白へ繋がる会話を出来る自信が無い。
この会話の切れ目が、そのまま進行方向への途絶を意味しているかのように思えた。
「公園で話したのは最初の一回だけやない?」
「あ~、、そうだっけ。言われてみれば確かに」
よく覚えてるなそんな事、と遥が続けた。
(、、よし)
完全に戻ったわけではない。
笑顔が自然になったわけではない。
それでも、遥の表情から拓海の陰が薄れた事を、葵は感じ取った。
ドクン───ドクン───
(落ち着け落ち着け、、)
作戦が上手くいっている事に対する喜びと、このまま上手くいけば告白するタイミングがやってくる緊張が、同時に襲い掛かってくる。
自分の呼吸音が耳に届く。
意識してしまうと遥にも聞こえてしまっている気がしてきて、少しずつ少しずつ、真綿で締め付けられるように苦しくなっていって、葵は息が荒くなっていった。
幸い、まだ遥には気付かれていない。
それでも、自分の耳に届く範囲では相当鼻息が荒くなってしまっているように感じる葵は、遥の反応など見る余裕がなく、変に思われていないだろうかと気が気ではなかった。
「あの時実はめっちゃ緊張しよったんよ?拓海の事は一方的にやけど結構知りよったから二人でも話せたけど、遥はほぼ知らん状態で友達になったし」
「いや、多分俺のほうが緊張してたぞ」
「そうなん?」
荒くなっていた鼻息が、予想外の言葉でピタリと止まった。
あの時、遥はなんの緊張もないように見えた。
それはもしかして、今の自分のように、緊張がピークに達していて顔を見る余裕がなかったからかもしれない。
葵はそう思って、心なしか落ち着いた心音を持って、遥の顔を改めて見た。
(やっぱ好きやなあ、、)
湧き上がる感想を頭をぶんぶんと振るイメージを作って外に追いやる。
今は、遥への好きを溢れさせている場合ではない。
少しでも心情を汲み取って、告白の成功率を上げるべきだ。
湧き立つ感情を抑えながら、気持ち程度残った冷静さで葵が脳内での会議を済ませる。
(緊張、、、はしてない、、かなあ?)
遥の表情から、得られるだけの情報を探った。
だが、告白の後押しをしてくれるような、笑顔や楽しさ、ポジティブな感情は欠片も見つける事が出来なかった。
ネガティブな感情に塗れているかと言われればそうではない。
ただ単に、地面の一点を見つめる遥の表情からは、隣にいる葵の存在が微塵も感じられなかっただけだ。
それこそが、今一番自分の事を見てほしい葵にとっての致命的な欠陥になるのだが。
「今は緊張しよる?」
「今?なんで?」
何で公園に連れて来られたかも分かっていない遥が感情に何の波風も立てていないのは至極当然の事なのだが、自分ばかり緊張してじっとりと手汗を掻いている事に、葵は理不尽な怒りを沸かした。
(不公平や)
そんな不平不満を心で漏らした葵は、先程までの逡巡はどこへやら、気持ちを伝える決意を固めた。
最後に背中を押したのは打算的な考えではなく拓海から貰った勇気でもなく、ことあるごとに張り合って来た遥に対する不平等の訴えだった。
いつも通り。
何かあれば突っかかり、最後は遥が慌てふためいて終わる。
今回もそうだ。
今は自分ばかり緊張させられているが、告白をすればきっと遥は予想外の展開に狼狽するだろう。
そうなればきっと、、この不平等に対する溜飲を下げられる。
変にテンションの上がってしまった葵は、あらぬ方向にモチベーションの舵を切った。
「遥。ちょっと真面目な話するから聞いてほしい」
居住まいを正して向き直った葵を見て、遥も丸めていた姿勢を正した。
まだ、表情は変わらない。
体は葵を向いているのに、思考はどこか彼方へ飛んでいた。
こんな状態で本当に遥の心に告白が届くんだろうか。
次の言葉までの数瞬の間。
葵はそんな不安で胸中を満たした。
「中学生の時、一回見かけた事あるって言いよったん覚えとる?」
「言ってたな」
(どうしようどうしようどうしよう、、!)
次の言葉は決まっているのに、遥の意識が少しずつここじゃないどこかから戻ってきてるのに、葵の緊張は一言口を吐く度に増していった。
感情のメーターがあるのなら、葵の数値は遥と向き合った時点で振り切れているだろう。
それくらい、葵の心臓は花火よりも大きく響いて、手の平は夜風では到底冷やせない程の熱を持っていた。
ドクンドクンドクン───
鼓動が増していく。
心音の間隔がどんどんと短くなり、二つの音が重なるように耳に届いた。
もう、一つの音なのか二つの音なのか、その区別すらも付かない。
喉が乾き、息は荒くなる。
意識ははっきりとしているのに、オーバーヒートを起こしたように脳が焼き切れているような錯覚を覚えた。
体の様々な箇所が、葵に外側から自分の緊張を伝えてきて、目を逸らして言葉を紡ぐ事を妨げた。
「あッ、、」
言葉が詰まり、葵の顔が見る見る内に羞恥に染まる。
漸く、葵がいつもの冷静沈着な感じではない事に気付いた遥は、遠出させていた意識を完全に戻した。
「悪い。ちゃんと聞く」
「うん」
遥の真剣な眼差しと言葉に、葵の、容量を越えていた分の緊張が、不思議な程綺麗さっぱり消え去った。
それでもまだ緊張は逃げ出したくなるくらいには残っていたが、何も分からなくなってしまう焦りを伴わなくなった分、格段に葵の負荷は減っていた。
「あの時、遥に一目惚れしたんよ」
予想外の言葉だったのか、遥が声も出せずに固まる。
表情が真剣なままで、目だけが泳いでいた。
そんな遥の動揺など露知らず、今にも溢れ出しそうな緊張を必死で堰き止めながら、葵は想いを綴った。
「そしたら、父親の転勤で付いてきて通う事になった高校に遥と拓海が居てて、正直最初は一瞬、遥が変わり過ぎてて分からんかったけど、それでもそんな事がどうでも良くなるくらい嬉しくて、変わった後の遥もどうしようもなく好きやった」
故意に、進学先を全国大会の場で聞いた事は隠した。
途切れ途切れにしか紡げない程余裕のない中でも、引かれる可能性を避ける判断力は失われていなかった。
「でもやっぱり。三年前の記憶やのに、あの時一目見た遥の姿が頭から離れへんのよ。今の遥も好きやけど、自分が一番好きなのはあの時の遥なんやなって、、」
「それに、最近は前よりは慣れてきてると思うけど、どうしても遥が無理してその性格を保ってる気がする。もし好きになってくれるなら、ありのままの遥を好きでいるし、もう無理はさせへんって約束する。だから───」
矢継ぎ早に言葉を紡いで、一番伝いたい言葉の前で切れた酸素を補給する。
短い言葉の分だけでない。
今までに溜め込んだ想いも全部吐き出すような、全てを包み込む空気を。
「付き合ってください」
時が、止まった。
泳いでいた遥の目が葵に定まる。
緊張で涙目になっている葵の心音が一瞬、静まる。
まるで世界に二人しかいないような、そんな錯覚を覚えてしまう程、明らかに時間が止まったような感覚が二人を襲った。
芯のある震え声で紡がれた葵の想いが、短い静止を経て、ゆっくりと二人に馴染んでいく。
ドクン───ドクン───
動き出した時間はそれでも緩やかで、遥の瞬き一つ、口の動き一つが、葵にはスローモーションに見えた。
鼓動も、生命維持に支障が出るくらい遅くなっているように感じる。
「遥…?」
緩慢な時間の流れは、遥の頬を伝った一条の涙によって一気に加速した。
鼓動も、胸が張り裂けそうなほどに強く主張している。
「ごめん、、。そんな事想ってくれてるなんて知らなかったからビックリして、、」
紛らわしい謝罪の言葉を、続く言葉で掻き消して安堵を作る。
止まらない遥の涙を拭うでもなく、葵は涙の奥に見え隠れする過去の遥の姿に胸を締め付けられた。
表情、言葉遣い、動き。
望んでいた、馴染んでいた遥のメッキが、涙で剥がされていくのを感じる。
(ああやっぱり、、。戻ってほしかったんやなあ、、)
今の遥も好きと堂々と宣言したにも拘らず、葵の好意の矛先は昔の遥にだけ向かっていた。
もっと、見たい。話したい。一緒にいたい。
もう会う事はないかもしれないと思っていた最愛の相手と出会えた事が、葵の恋情をより一層燃え上がらせた。
涙を流す姿を見ても、どうにかしてあげたいという想いよりもどうすればこの遥のままで居てくれるのかと考えを巡らせてしまう程に。
「どう、、、やろ」
逸る気持ちと溢れる恋情を抑えきれず、葵が催促の言葉を吐いてしまう。
涙を拭う遥が顔を隠すように下を向いてから、まだ2分も経っていない。
それでも、三年越しに本当に好きな人に会えた喜びは、時間の感覚をどうしようもない程に狂わせてしまっていた。
「ごめん。葵の気持ちには答えられない」
溢れる涙を堪えるように。
二年半の辛さを噛み締めるように。
遥は、下唇を噛んで潤む瞳で葵を捉えた。
一つ所に定まらずにぶれる黒目だったが、その芯は間違いなく葵を捉えている。
だからこそ、葵も三年越しの恋が実らなかった事実を、ありありと全身で感じ取った。
「そっ、、かあ、、、」
断られる事は想定の範囲内だった。
むしろ、今日告白するべきではないとすら思っていた。
そのはずなのに、齎された事実は葵の心を打ち砕くのに充分過ぎるものだった。
構えていたつもりなのに、構えられていなかった。
結果が出てからしか理解出来なかったそれに。
能天気に寄せていた期待に。
登ってくる感情を堰き止めた頬は、次の言葉を紡げない程の震えを持った。
「でも、、」
なけなしの期待を持って、選ぶように言葉を並べる遥の次を待つ。
とても辛く、あらゆるものを我慢した末に作り上げられたような表情からは、到底希望など持てる気はしなかったが。
「それは、高校からの無理して作ってた自分からの返事」
意味が理解し切れず、葵はただ呆然とした。
希望を途絶させるような、絶望的な発言ではない事までは理解出来た。
ただ、期待を持っていいのかは分からない。
「さっき葵が言ってくれたみたいに、正直かなり無理してた。後悔はしてないし、性格を作ってたからこそ楽しかった事もあった。それでも、やっぱりずっとしんどくて、、、。高校卒業までは続けようと思ってたけど、それもなんか、疲れちゃって、、、」
疲れ切った遥の表情には、幾つもの絶望が綯い交ぜになっていた。
楽しかった事もあったというなけなしの優良点が、とってつけたようなお飾りに思えてしまう程に。
「だから、もうやめにしようと思う。このまま続けてても振り向いてくれる気配はないし、意地になってるだけで本当は好きじゃなくなってるんじゃないかって思い始めてたし、、」
まだ半年。まだ一年。
後一年。後半年。
遥は、日々増えていく辛さを、そんな言葉で紛らわせていた。
だが、いつの間にか好きな人を振り向かせる為の手段だったそれを保つ事が、主な目的にすげ変わってしまっていた。
気付いたのは、高校三年になってから。
作り物の性格が馴染み始めてきた事に、喜びを覚えた時だった。
「明日からは本当の自分で過ごそうと思う。長くし過ぎて自分の本当の性格忘れてしまってるから、急には無理だけど、、。ちょっとずつちょっとずつ。やりたい事をやりたいように、やってみようと思う。だから、自分の性格が戻った時に、改めて葵への気持ちを確かめてみるね。その時に好きだなって、付き合いたいなって思ったら、こっちから告白する。時間は掛かるかもしれないけど、告白する時は少なくとも卒業式までには頑張る」
その間に他に好きな人出来たり、元の性格がやっぱり違うかなって思ったら、勿論断ってくれていいからね。と、遥が続けた。
遥が告白してくる事は、確定事項ではない。
だが、充分過ぎる程希望が持てる内容に、葵は確率などどうでも良いと言わんばかりに舞い上がった。
一度は可能性が0の状態を味わったんだ。
なら、それが1であっても100であっても、希望である事に変わりはない。
「それに、、、、。あーやっぱりなんでもない」
「なんよ。気になるから教えて?」
「絶対嫌。自分がされて嫌だなって思う事しそうになった今。最悪、、」
「優しいなあ遥は」
「近付くなばか」
喜色を浮かべて近付く葵を、遥が手で制する。
遥の性格は、元通りというにはほど遠い状態だった。
だが、だからこそ葵との距離の近さを保つ事が出来ていた。
今以上の距離を求めるが、接した事のない状態の遥を欲する。
それがどれだけの強欲なのか、葵は大した考えも持たずに自分が望む全てを欲するのだった。
未知の可能性を含んだ、望み通りの未来を願って。
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