第8話



ドンッ──ドドンッ──ドッ──

ドンドンカッ──


祭囃子が耳朶を打つ。

全国大会から二週間。

10月初旬のとある日に、拓海は一人で秋祭りが行われている神社近くに来ていた。

行き交うのは家族やカップルばかり。

父親に肩車されて楽しそうにする女の子を見て、楽しそうだなあと頬を緩めた。


「早く着きすぎたかな、、」


拓海は、一人で秋祭りに来たわけではない。

待ち合わせ場所に早く着きすぎただけで、今日も今日とて仲良し三人組での行動だ。


「あれって、、、」


待ちぼうけをする拓海の視線の先には、クラスメイトの津島の姿があった。

楽しそうに話す津島。

その横には、、

(相原さん、、?)

学校とは違う二人の距離感に、拓海は戸惑いを隠せない。

手を繋ぎ、肩が触れ合う近さを保ったまま歩いて、時折目を見合わせて笑い合っていた。

二人が付き合っているという噂は聞いた事がないし、学校でそんな素振りを見せた事もない。

だが、二人の親密な雰囲気には付き合いたて特有のぎこちなさなど微塵もなく、交わし慣れたやりとりから交際期間の長さが醸し出されていた。


ズキッ───


(、、、あれ?)

何故か、仲睦まじく人混みに消えていった二人を見て拓海の胸が痛んだ。

想いを寄せていたわけではない相手の逢瀬など、胸を痛める材料になるはずがないのに。

自分で気付いていなかっただけかもしれない。

失恋して少しヤケになっている拓海はそんなありもしない考えを巡らせてみたが、やはり該当する気持ちは心のどこにも存在しなかった。

それどころか、自分の心情に寄り添ったばかりに葵への未練がありありと心に残っている事を改めて知ってしまった。

原形がない程崩れてしまって、身体に害しか及ぼさない、そんな未練が。


「断ったほうがよかったかな、、」


こんな心境で、二人と一緒に楽しむ事が出来るだろうか。

不安が、拓海の胸中を満たす。

せっかくの秋祭り。

開催されるのは一年に二日間だけで、夜中に行ける範囲では最大級の祭り。

三人が一年間楽しみにしていたものを、自分の勝手で邪魔なんて出来ない。

そう考えてしまうと、今から帰る事が妙案であるかのように、一人で人混みにさらされ続けた拓海には思えてしまった。

ここに居ない二人は、拓海抜きで祭りを楽しもうなどという考えを持ち合わせていないのだが、一人でセンチメンタルな気分に浸る拓海には、そんな事など知る由もないのだった。



「拓海ー!なんでこんな隅っこにいるんだよ、、」

「遥よう見つけたね」

「拓海の性格は知ってるからな」


騒がしい祭り会場で唯一静かだった拓海の周りが、二人の登場で一気に賑やかになった。

浮かれる周囲とは全く違った心情を持っていた拓海は、待ち合わせ場所の広場の隅で街路樹と同化していたのだが、集合時間ぴったりに遥に見つかってしまい、一人で帰るという悪手を実行せずに終わった。


「しんどそうやけど大丈夫?」

「大丈夫。ちょっと人酔いしてただけだから」

「あ、大丈夫かそれ。あっちの公園人少なかったし休むか?」

「ありがとう、大丈夫だよ。もう充分休めたから」


凭れ掛かっていた街路樹から体を起こし、心配する二人に、拓海は無理に作った笑顔を見せた。

幸い、ここには灯りが少ない。

繕い切れてないだろうなと思いつつ、暗闇が自分の顔を隠してくれている事を信じて、拓海は深く沈む心を甘んじて受け入れた。


「あ、ちょっと待った」

「?どうしたの?」


暗闇だけでは安心出来ず、心情を深堀されないように先頭を切って祭り会場へ向かおうとする拓海を、遥が止める。

その手には、靴屋のロゴが入った紙袋があった。

サイズ、内容共に、祭りに持ってくるには明らかに不自然で必要のないものだ。

繕う事に必死で遥の手元など見る余裕のなかった拓海は、紙袋を差し出されて初めて気が付いたが。


「なんで先渡すんよ、、。邪魔なるやんこの後」

「仕方ないだろ。元気無さそうな感じしたし」


受け取ろうとしたのにまるで焦らすように渡してもらえず、拓海に背を向けた二人が作戦会議のようにぼそぼそと言い合いをする。

小声ですら、話す内容は言い合いな事に可笑しくなり、拓海の表情には少し笑みが戻った。


「まあもう見せてしまったし仕方ない。拓海。これ二人からの全国大会三連覇のお祝い」

「、、、え?」


いいとこ取るなよ!と吠える遥は放置して、拓海が受け取った紙袋と葵の顔を交互に見て、信じられないといった表情を浮かべる。

今まで全国優勝する度に何かしらのプレゼントを貰っていたし、二人の優しさと二人との仲の良さを考えればなんら不思議な事ではない。

だが、先程までまるでこれから一人で生きていかなくてはいけないかのように悲壮感たっぷりの哀愁に身を沈めていた拓海には、あまりに急で、容易には受け入れきれないサプライズだった。

受け取った時に伸ばした両腕も、曲がる事を忘れて固まっている。


「、、嬉しくなかった?」

「え?あ、ううん!!!凄い嬉しい!ビックリしちゃって!」


紙袋を片手で抱え、もう片方の手を忙しなく振って葵の心配を晴れさせる。

青天の霹靂も斯くやという落差に固まっていた思考が、徐々に喜びで満たされていく。

(こんなにも優しくて、自分の事を想ってくれている相手を置いて、自分勝手に帰ろうとしてたのか、、)

嬉しさと罪悪感が混ざった感情が滲む。

自然、紙袋を持つ手の力も強まった。


「サプライズ作戦大成功だな」

「分かりやすく手に持っとったのに、サプライズになるんかなあ」

「拓海が驚いてるしなるだろ。なあ拓海」

「うん、、。嬉しい。ほんとに、、、」


両腕で紙袋をぎゅっと抱き締め、目には涙を浮かべる拓海。

そこには喜び以外の感情も多分に含まれるのだが、サプライズを喜んでくれたとほっとする二人には、嬉しさと驚きの感情以外は湧いてこなかった。


(やっぱり。二人とも大好きだなあ、、、)


恋愛的に好きな葵だけでない。

遥も好きだという事に、拓海は改めて気付かされた。

遥と葵、どっちと二人でいる時も楽しくて幸せで、三人でいるともっと幸せ。

この二人が居たから、自分は高校生活をここまで楽しむ事が出来た。そう、心の底から思った。


(遥だったら、、)


大好きな葵がどこの誰か分からない人に取られるくらいなら、遥に取られたほうがいい。

気を抜けばすぐに表面化してしまいそうになる程の嫉妬を抱えながら、拓海はそう考えた。

だが、それと同時に。

葵が全国大会決勝前に言っていた事が思い出され、すぐに消化出来ずに心の隅に引っ掛かった。


〝告白したら多少なりともこの関係が崩れてしまう気がして〟


実際、そうなるだろうと拓海はあの時思った。

二人が付き合えば、応援する気持ちと嫉妬心の狭間で揺られ続け、心の底から笑えるようになるまで長い時間を要するだろう。

告白が失敗すれば、遥と葵は気まずくなるだろう。

主に、葵の失恋のショックによる反動で。

遥の心情にも影響はあるだろうが、成功した時は自分、失敗した時は葵がこのグループに居辛くなるのだろうなと思った。

葵か自分のどちらかが傷付くなら、、


自分が傷付くほうを選ぶ。


拓海は、然して迷う事もなく、自分が傷付く選択肢を選んだ。

きっと、遥と天秤に掛けても、その選択肢を取っただろうなと考えながら。

だが、葵を傷付けたくないという気持ちと同等かそれ以上で、三人の関係が崩れるのを恐れていた。

告白の結果がどちらに転ぶにせよ、今まで通りではいられない。

もしかすると、三人が二人になるかもしれない。

それならいっそ、告白をさせなければ、、、


(ああ、、最悪だ、、)


自分で背中を押したのに、告白させないのが一番良いと考えてしまうなんて。

考えも気持ちも安定しない。

不自然さを自分で把握出来てしまう程、正反対の解答の間で拓海はブレてしまっていた。


(もう、、決断しないと、、)


祭り会場に向かいながらいつものように楽し気な言い合いをする二人の背を見て、ブレが収まらない思考を無理矢理押さえつけて、拓海は一つの答えを出した。

どのみち、どれだけ止めようとしても葵が告白する未来は変えられないと思う。

それなら、いっそ。

ずっともじもじ悩んで苦しむ時間が長くなるならいっそ。

早く告白の結果を知って、絶望なりなんなり、自分の感情を一つに定めよう。

全国大会の決勝前、ヤケになって固めた決意を、拓海は改めて心の中心に据えた。

幸い、今日は祭りの最後に花火が上がる。

発破を掛ければ葵も良い雰囲気に釣られて告白する事が出来るだろう。

そう、考えて。





「スーパーボール掬いあった!行こうぜ!」


拓海と葵の二人は、遥に手を引かれて人混みを進んでいく。

あまりの人の多さで、一歩進む度に何人もの人にぶつかりながら。


「ちょ、待ってよ遥!あっ!すみませんすみません」

「スーパーボール掬い好きすぎへん?遥」


何人もにぶつかり、焦り、頭を下げ続ける拓海。

腕を引かれながらも途中でバランスを取って紙一重で群衆を避ける葵。

拓海も集中すれば同じ事が出来るのだが、あまりの唐突さに対応し切れず、結局スーパーボール掬いの屋台に着くまでの間、冷ややかな視線を受けながら体当たりをし続けた。


「急にやめてよ遥、、凄い睨まれたよ、、」

「悪い!夏祭りで行ったとこスーパーボール掬いなかったし興奮して!」

「子供やなあ」

「うるせえ!勝負するぞ!!」

「勝ったら?」

「、、焼きそば奢ってやる」

「乗った。拓海は?」

「一個も取れないから見てようかな」

「拓海こういう系苦手だよな」


腕まくりをする二人から手荷物を受け取り、拓海は後ろで観戦を始めた。

近い場所にあるものから考え無しに素早く手を出す遥と、ポイに負荷が掛かりにくそうな形状のものを吟味して、少しずつ取っていく葵。

圧倒的な速度で最初に大差をつけた遥が圧勝するかに思われたが、結果は葵の勝利。

それも、10個の差をつけての大勝だった。


「焼きそばの屋台まだ見えへんかなあ。なあ遥」

「くっそ、、。次やったら絶対勝つ」


勝敗が喫したすぐ後の遥の再戦の申し込みは素気無く断られ、屋台通りを進みながら葵は楽しそうにきょろきょろと辺りを見回して、焼きそばの屋台を探した。

本当に探しているというよりかは、どちらかといえばわざとらしく探すフリをして遥を煽りたいだけのように見えた。

もしかしたら、煽るだけ煽って満足して、実際に奢られる気はないのかもしれない。


「戦いに勝って手に入れた焼きそばは美味しいなあ。そっちの味はどうなん?遥」


そんなハッピーエンドはなかった。

煽りつつもしっかりと焼きそば屋台を探していた葵は、見つけるなり誰にもぶつからずに人混みをすり抜け、追いかけて来る遥を更に煽った。

たかだかスーパーボール掬いでこれだけ煽れるのだから、葵の才能は良くない方面でかなり秀でているかもしれない。


「あーあー。負けてヤケになって食う焼きそばも美味しいなー!!」


そう言った後、口に大量の焼きそばを含んで葵を睨み付ける遥が可笑しくて、拓海と葵はタイミングを合わせたかのように笑い合った。

笑われる事が目的だったのか、遥から苦情が上がる事はなく、ただハムスターのように口をもぐもぐさせていた。


「でも良かったの?僕何も勝負してないけど」

「拓海はいいんだよ。優勝したし、荷物持っててくれたし」

「優勝祝いはもう貰ったのに、、」

「遥だけずるいなあ。拓海、あとでなんか奢るね」

「なんで!?」


今度は、拓海の反応に遥と葵が目を合わせて笑い合った。

二人は今日拓海に、優勝祝い兼反応を楽しむ為にお金を使わせないでおこうと画策しているのだが、そんな事、拓海は知る由もないのだった。

理解不能でクエスチョンマークを浮かべる反応は、まさに狙い通りと言えた。


「ご馳走さまでした。ありがとう遥。美味しかった」

「ならよかった。というか拓海。いつまで鞄持ってくれてるんだ?」

「僕今日財布と携帯だけだし、遥荷物二つもあるから、これくらい持つよ」

「いやでも靴もあるし」

「大丈夫大丈夫!ほら行こ!あっちに射的あったよ!」

「射的やったら拓海入れて対戦出来そうやなあ」

「、、自慢じゃないけど負けるよ?」

「待てって!」


明らかに拓海が持っている荷物の量が多いのに強引に話を切り上げられた事に違和感を覚えた遥だったが、二人に置いて行かれそうになり、思考を放棄して焼きそばが入っていた容器をゴミ箱に投げ捨てて追いかけた。


───パンッ

「葵すげえ、、」

「なんでそんな簡単に取れるの、、」


やってきた射的の屋台。

射的が得意だという葵対拓海と遥チームの対戦だったが、結果は葵の圧勝。

拓海も遥も、一つの景品も取る事が出来なかった。

いや、参加賞の飴は貰う事が出来たから、二人合わせて二つ取ったと言ってもいいかもしれない。

葵は三発とも当てて景品をゲットしたので、どのみち二人の勝利は無いのだが。


「照準合わせて引き金引いたら取れへん?」

「煽ってんのか天然なのか分かりにくいのやめろよ。キレにくいだろ」

「なんでキレたそうにしてるの遥」

「お決まりの流れ?みたいなの出来てるだろ。なんかやらないと違和感出てきた。重傷だわ」

「着々と関西に染まってきてるなあ遥」

「誰のせいだと、、」

「拓海?」

「なんでだよ!!」


結局。

射的の屋台にも遥のツッコミは響き渡った。

もはや漫才かのような二人のやりとりに、自然、拓海の頬も緩んだ。

紙袋を握り締める力は、何故か強まったが。


「あっ。危ないよ遥」

「わ、悪い。助かった」


賭けの景品に葵が選んだたこせんを買いに行く為に、時間を追うごとに密度を増して来る人混みを抜ける。

葵、遥、拓海の順番で、はぐれないようにそれぞれが前の人の服の裾を持ってするすると進んでいく。

その道中、葵の音もなく人を避ける動きに付いて行けずによろめいた遥を、拓海が咄嗟の判断で抱き寄せた。

こける程ではなかったので遥は自分で持ちこたえられたのだが、遥が踏ん張るよりも拓海が動く速度のほうが早かったのだ。

醜態を見られた恥ずかしさを隠す遥と気遣う拓海の二人から、薄っすらと桃色の周波を感じ取っている業の深い人達が何人かいたが、二人はそんな事に気付かず、するすると人混みを抜けて行ってしまった葵を急いで追いかけた。


「なんかあった?遥」

「葵の動きに付いて行こうと思ったらコケそうになって恥かいた。責任取って苺あめ奢れ」

「なんよそれ、笑  勿論嫌やけど?」

「、、知ってる」


葵の煽りは、拗ねるように顔を逸らす遥によって不発に終わった。

いつもと違う雰囲気に違和感を覚えつつ、三人の順番が来たところで意識はたこせんへと移った。


「うっま!!」


先程の雰囲気などどこ吹く風。

いつもの調子に戻った遥が、たこせんを一口食べて大きな感想を漏らした。

拓海と葵も、一口二口と無言で食べ進める事で、遥の意見に同調する。


「遥、口の横ついてるよ」

「んん!ひふんでひるっへじぶんでできるって!!」


まるで母親のように、遥の口の横についたソースを拓海がティッシュで拭う。

葵が横にいる事などお構いなしに、二人はまたしても桃色の周波を撒き散らした。

それを偶然、先程の現場を見ていた業の深い人達の内の一人に見られ、その後暫く遠くからつけられる事になるのだが、遠くから眺めるだけで三人に害は及ばなかった。


「遥?おーい。ごめんって。もう拭かないから」

「、、次したら怒るぞ」

「なんか拗ねてる小さい子みたいやなあ」

「うるさい!!」

「もう葵!せっかく遥がこっち向いてくれたのに」


子供のように扱われるのが嫌だったのか、口を拭かれる行為を良しとしなかったのか、機嫌を悪くした遥が二人に背中を向けてたこせんを食べ進めた。

慌てて食べた事によってマヨネーズが少し地面に落ちてしまったが、たこせんに夢中になっている遥がそれに気付く事はなかった。

勿論、先程拭いてもらったほうと反対側にソースがついている事も気付いていない。


「、、拓海。ティッシュ一枚くれ」

「はい。鏡いる?」

「携帯で見るから大丈夫」


拭かれるのを嫌がったのに結局口の端を汚してしまった事に恥じらいを感じながら、振り向いた遥がティッシュを求めた。

危うく過ちを繰り返してしまいそうになった拓海だったが、差し出された手にティッシュを置く事で何とか回避出来たのだった。


「たこせんって食べるの難しいね、、」

「そうやなあ」


食べ慣れているのか、唯一口の周りを汚さずに食べ切った葵が同調する。

同じように食べようとした拓海は、食べ終わった後の自分の惨状を鏡で見て絶望した。

なんで、同じように食べたのにこうも差が出るのだろう。

関西人はたこと名の付く食べ物には強い特性でもあるんだろうか。

そんな、益体もない会議を頭の中でしながら。


「もうちょっとで花火じゃない?」

「あと15分くらいだな」

「そんな遠くないけど、人混み移動するって考えたらもう行っといたほうがいいかもね」


食後のデザートにたこせんの屋台の横で買っておいた苺あめをかじりつつ、三人はだらだらと花火がよく見えるスポットへと向かった。

祭りの主催側が公表しているシートを敷いてもいいスポット。ではなく。

小学生の頃からこの祭りに来ている拓海が知っている穴場スポット。


「こっちやったっけ?」

「うん!暗いから気を付けてね」


石畳の道を横に逸れ、道なき道を進む。

剥き出しの土とたまにある大き目の石に悪戦苦闘しながら、三人は穴場スポットに向かう為に歩みを進めた。


「遥、大丈夫?」

「おう」


完全に機嫌が直っていないのか、遥の返事には張りがなかった。

初めて触れられるわけではないので、拓海が遥の手を引いている事は声の張りに関係はしていないだろう。

多分、さっきの事をまだちょっと怒ってるんだろうなと拓海は中りをつけて、振り返っていた視線を前に戻した。


「うわあ、、。結構人居るね」


メインの会場に比べれば人口密度は雲泥の差だが、それでも穴場スポットと呼ぶに相応しくない程度には目的地は人が密集していた。

辛うじて、三人がいつも花火を見る時に立っている大き目の岩には誰にもいなかったので、花火を待ち望む人々の背中を横目に、ずんずんと目的の場所へと進んでいった。


「拓海」


その途中。

徐々に葵に距離を離されている事に焦った拓海がスピードを上げようとしたが、遥に手を引かれて立ち止まり、振り返った。

遥の表情は悲しそうな辛そうな。

とても複雑なものになっていて、少なくとも祭りを楽しんでいる様相ではなかった。


「今日なんか変だぞ」

───ドクン


遥の指摘に、拓海の心臓が一つ鳴った。

心地良く体を冷ます夜風に似つかわしくない汗が、じわりと滲んだ。


「そう、、、かな?」

「うん」


明確な心当たりは拓海にはない。

だが、遥の指摘が的を射ていて、自分に非がある事は何故か理解出来た。


───ドクン

(落ち着け落ち着け、、)


また一つ、心音が重なる。

じわじわと、汗も更に滲んできた。


「どう変、、?」


聞きたくなかった拓海だったが、時間をかけて二人がいない事に気付いた葵が戻ってきて会話を聞かれる事を避けて、一瞬の逡巡の後に質問を口にした。

煩くなる心音に、声を裏返されないように気を付けながら。


「自分のほうが大きいの持ってるのに荷物持つし」


確かに。

二つ持ってるとは言っても、遥の荷物は拓海の持つ紙袋の半分以下のサイズのものだけだった。


「人混みでちょっとよろけただけで抱き寄せるし」


いつもなら、手を貸したとしてもそっと背中を支えるだけだっただろうなと拓海は思った。


「自分で拭けるって言ってるのに口拭いてくるし」


あんな事、初めてした。

遥の独白に似た呟きに、拓海の心は少しずつ締め付けられた。


「ここに来る時も、話してる今でさえ手を離さない」


言われて、拓海はずっと遥の手を握っている事に気が付いた。

中学生の頃から毎年遥とここに来ているのに、こんな事をしたのは初めてだった。


「なんか、、変だぞ」

ドッドッドッ───


改めて言われた〝変〟という言葉に、拓海の鼓動は激しさを増した。

言葉が出ない、心が落ち着かない。

悲しそうに自分を見つめる遥の目を、真っすぐに見る事が出来なかった。





「なに話しとるん?振り返ったら二人おらんくてびっくりしたわ」





グリンッと音がしそうな勢いで拓海が振り返る。

いつの間にか、場所取りを済ませた葵が戻ってきていた。

(もうそんなに、、!?)

葵が戻ってきた事で、拓海は自分が何も言えずに逡巡している時間の長さを知った。


「何もねーよ。荷物受け取ってただけだ」

「ああ。もう花火終わったら屋台も空いてへんしね」


拓海の動揺など知らず、おそらく遥の雰囲気の違いだけ感じ取った葵が、空気を読んで深く掘り下げずに話題を変える。

二人は既に目的の岩に向かっていたが、拓海だけはそれに追従せず、その場で立ち尽くしていた。


「拓海?」

「ちょっとトイレ行ってくる!」

「ちょっ!拓海!!もう始まるぞ!」

「大丈夫!すぐ戻ってくるから!!」


遥と葵の制止の声を振り切り、その場から逃げ出す様に拓海は全力疾走で来た道を戻った。

携帯のライトをつけない。

振り返る事もしない。

ただただその場から逃げ出したくて、必死に足を交互に前に出した。


山道、石畳、人混み、山道。


拓海はがむしゃらに足を動かし続ける。

紙袋を大事に抱えている両腕は振れない。

ただただ、足だけを動かし続けた。

とにかく、二人の姿が見えないところまで、、、。




「はあ、、、はあ、、はあ、、、、」




どこまで来たのだろうか。

祭り会場である神社がある山の中腹辺り。

街灯りを見下ろしながら、拓海はその場にあった地面から飛び出した岩に座り、山肌に背を預けて空を見上げた。

じっとりと汗を掻いて濡れた背中に触れる落ち葉や土の感触が気持ち悪い。

それでも、拓海はその場から動こうとしなかった。

息は切れていてもまだ動く体力はある。

だが、拓海は空を仰いだまま、体重を一層山肌に預けて、右腕で目元を覆った。



「最悪、、、」



自分に対する悪態が、空を切る。

誰にも届かない。誰にも届かせる気がない。そんな悪態が。



────ポンッ



流れ出そうな涙を堪えながら、携帯を開いて届いたLINEを確認する。


〖拓海大丈夫?もう始まるよ?〗


表示されたのは、葵からのLINEだった。

とにかくあの場から離れたくて、誰もいないところに行きたくて、二人の心配など考えずに飛び出してきた。

深く深く沈みかけていた思考を呼び覚まし、わなわなと震える手で何とか返信を紡いだ。


〖二人にするから、ちゃんとチャンス使ってね。上手くいったらジュース一本ね、笑〗

〖遥には親に呼び出されたから先帰るって伝えといて〗

〖あと、優勝祝いほんとにありがとね!!遥にも伝えてて〗


携帯をマナーモードにして、ポケットに仕舞った。

拓海の口からは、深く長い溜息が漏れる。

溜め息をつけば幸せが逃げると言われるが、拓海の口から漏れたそれは、既に不幸が含まれているような雰囲気を持っていた。


「あんな事するなんて、、最悪だ、、」


拓海は、自分が遥にした行動を悔いた。

わざとやったわけではない。計算高く狙って作戦を組み立てていたわけではない。

それでも、実際体は動いていて、遥は傷付いた表情をしていた。

ああいう行動をされるのを、嫌だという事を知っているはずなのに。

遥と葵がくっついてしまう事を恐れて考えがまとまらずについ行動してしまった。

あんな事をして、何が変わるわけでもないのに。


くそっ──くそっ───くそっ!!!


いつもの拓海の口からは出る事のない分かりやすく汚い言葉が漏れ出る。

言葉と同時に握った拳で殴りつけた右足がじんじんと痛みを訴えてくるが、そんな些末な事には意識がいかなかった。

なんでなんでなんで───!!!

尚も拓海は、自分の行動を責めて右足を殴り続けた。

足よりも、心のほうがもっと痛い。

足の痛みが増せば、心の痛みが少しは減ってくれるんじゃないか。

そんな打算的な考えが、無意識の底で揺蕩たゆたう。



ヒュ~───ドッ───ッパン!



山の向こうから、花火の音が聞こえてくる。

近くのがやがやしさや祭囃子を突き抜けて、自分を責め続ける拓海を追い立てるように、慰めるように。



ドンドンッ───パァンッ──



拓海の心情など知らず、次々に花火は打ち上げられた。

東京の街の明るさにも負けない、大きく強い明るさを持って。



「何してんだろ」



ぼそりと呟かれた拓海の言葉は、圧倒的な質量を持った花火の音に掻き消された。

掻き消した後も、続け様に音は鳴り、必要以上に言葉を攫う。

つーっと流れた涙と共に漏れた鼻をすする音すらも花火は許してくれず、食い気味に攫っていった。

まるで、祭りという場に相応しくない拓海の存在を許さないかのように。


スン──

ガサガサ───


止められた自傷行為を投げ捨てて、身体を起こした拓海は不意に紙袋の中身を取り出した。

中には、某有名スポーツブランドのロゴが描かれた箱が入っていた。



「これ、、、」



その中には、数か月前に遥と二人で出掛けた時に欲しいと言っていた靴が入っていた。

欲しいと言ったとはいってもほんの一瞬。

こうして現物を手にするまで、思い出す事もなかったくらいの一瞬。

本人も覚えてないような事を遥は、、、


「遥、、。ごめん、、ごめんなさい、、、」


せき止めていた涙は、限界を超えて溢れ出した。

宝物のように靴を抱き締めながら漏らした、嗚咽と共に。



ヒュ~───ドンドンッ───パァンッ!

ドッ───パアンッ!!



謝罪と涙を流し続ける拓海に気など使わずに、花火は尚も、空と人々の心を彩り続けていた。

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