第4話


「会場にお越しの皆様にお知らせいたします。本日は10時に開会式を予定しております。お手荷物の盗難紛失等に関しましては責任を持ちかねますので、開会までに席を離れられる際は、必ずお手荷物をお忘れないようにお願い致します」


オープンキャンパスの翌日。

大会が行われる体育館で、開会式の一時間前に注意喚起のアナウンスが流れる。

会場では最終の確認とセッティング。

客席には保護者や出場者の友人達。

体育館の外縁にぐるりと設けられた廊下には拓海を含めた出場者達が、学校毎にぐんをなして手荷物の確認や作戦の組み立てをしていた。


「荷物の確認終わりました」

「よし。では今から最後の確認をするぞ」

「「「はい!!」」」


京堂館剣道部で今日の大会に出場するのは、男子二人と女子一人。

男子は拓海と渋谷洋平。

女子は城ヶ崎佳乃。

拓海以外の二人はどちらも二年生で、どちらも全国大会初出場。

二人は、慣れた手付きで用意をして集中力を高める拓海と違い、どこか浮ついた様子でそわそわしていた。


「今回当たるであろう対戦相手達のデータは以前ざっと伝えた通りだ。細かいデータは当たる相手が決まり次第各々に私か長谷川先生から伝える」

「城ヶ崎さんの対戦相手を主に見る予定だから、男子は薮本先生に聞いてもらったほうが早いと思う」

「「はい!」」


拓海の分の相手の分析は葵にも頼んである。と薮本先生が付け足した。

流石に、一人で二人分の相手を分析して伝えてのタスクを熟すのは難しいと判断したのだろう。

自分がつくべきは全国の舞台になれている拓海ではなく渋谷のほうだと判断し、予め会場に来ていた葵に依頼をしていた。

葵であれば拓海の得手不得手も理解していると考えての人選だ。


「洋平に城ヶ崎。お前達はいつも通りの実力を出せれば間違いなく勝ち上がる事が出来る。剣道を始めたのは高校からだろうが、もっと前から始めた他校の学生達にも引けを取らないと思っている。これから何度も来るだろう全国の舞台だが、初めては今回だけだ。全力で人生で一度の初全国を堪能してこい」

「「はい!」」

「そして、拓海」


拓海を正面に見据えて、薮本先生が少し柔和な表情へと変わる。

その変化に、拓海の緊張も合わせるように少し緩んだ。


「お前はいつも通りでいい。自分のイメージ通りに、勝ち進んでいけ。上手く行けば決勝で当たる洋平を前に言いにくいが、、」


気遣う様子で渋谷を見た薮本先生に、渋谷は大丈夫です。分かってますから。と答えて首肯した。


「今回も優勝してこい。少なくとも、洋平以外には負けるな」

「はい!」


真面目に返事をする拓海を他所に、渋谷は自分では絶対に勝てないと自信満々な想いを胸中に浮かべた。

そんなネガティブ方面に自信満々な渋谷だったが、圧倒的な実力とセンスを持つ拓海と週に何度も打ち合っているせいか、拓海以外に負ける未来は少しも思い描いていなかった。

毎度あっさりと練習で打ち負かされているとはいえ、無敗の男と自分は何度も打ち合っているんだ。

そんなあまり頼りがいのない自信が、初の全国大会への緊張を和らげていた。


「長谷川先生からは何かありますか?」

「私からは特に。あ、でも怪我は極力しないようにね」

「「「はい!!!」」」


顧問の二人からの激励が終わり、その後は三々五々、開会式の15分前までは自由時間となった。

トイレに行く渋谷、他校の友人に会いに行く城ヶ崎。

拓海はその場に残り、荷物番をしながら軽くお腹を満たして瞑想の体勢に入った。

イメージトレーニングは散々したが、重ねてしておいて損はない。


「拓海ー!」


瞑想をしようと体勢を整えたその時、瞼が閉じきる前に遥の声が届いた。

駆けてくる遥の少し後ろには葵の姿もあった。


「応援しに来たぞ!」

「ありがとう遥。葵もありがとう。対戦相手の分析も引き受けてくれたんだよね?」

「成り行きでね。ちょっとでも拓海が楽に勝てるように手え尽くすわ」


勝つ確率が上がるように、とは言わなかった。

葵や遥だけでなく、顧問や他の生徒達も、誰も拓海の勝利を疑っていない。

負けることなどないだろうと、まるでフラグのような信頼を寄せていた。


「ありがとう。葵が助けてくれたら安心だね」


だが、葵に全幅の信頼を置く拓海にはフラグなど関係なく、ただただ次の相手のことを気にせず目の前の相手に集中出来るという安心感が胸中を満たした。


「聞いてくれよ拓海〜。さっき葵が────」

「遥、席取らなあかんしはよ行こ」

「腕引っ張るなよ!そんな急ぐ事ないだろ!」

「さっき瞑想しようとしよったやろ?集中させてあげんと」

「あっ、、。悪い拓海」

「ううん!全然。ありがとう気遣ってくれて」


何か言いたげな、申し訳なさそうな表情を浮かべた遥が、葵に腕を引かれて引き摺られていく。

(やっぱり優しいなあ…)

自分よりも自分の事を気付いて気遣ってくれる葵に、拓海は恋慕の情には収まらない感情を抱いた。

そして、そんな葵の優しい気遣いが自分に向けられている事が何よりも嬉しかった。


(でも…)


それとは別に葵に手を引かれる遥に対する嫉妬心も浮かんでいた。

優しさは嬉しいけど手を引いてる姿を見るのは辛い。

相反する感情を同居させながら2人の背中が見えなくなるまで見送って、瞑想へと戻った。

複雑な感情で乱れた心を落ち着かせるように。

葵が好きだと言ってくれた剣道で勝つ姿を見せられるように。




「これにて、開会式を終了します」


10時を少し過ぎた。

開会式が終わり、係員の先導に従って選手達はそれぞれの戦地へと赴く。

一回戦から戦うのは、京堂館からは拓海以外の二人。

拓海は一時間弱の待ち時間となる。

その時間で次の対戦相手が決まる試合を見に行こうかと考えた拓海だったが、ここは葵に任せて初めて見る選手達の情報を集めようと、渋谷の試合までの間、一人で観察をし続けた。

やるならとことん拘って、イレギュラーで焦る必要もないくらいに圧倒する。

試合を一つ見る度に、新たな選手の情報が入る度に、拓海の集中はどんどんと深くなっていった。

余計な感情など、入る余地もない程に。



「よくやった」


一回戦の最終試合。

トーナメント表、拓海と反対側の山にいた渋谷が、同じく全国大会初出場の相手を難なく倒し、一回戦を突破した。

薮本先生の激励に、興奮した様子の渋谷が感情が溢れすぎないように気を付けながら礼をした。


「拓海先輩と普段から打ち合ってなかったらやばかったかもしれないっす」


最初から最後まで自分のペースで試合を進められていたのに、何がやばかったのだろう。

続けて言われた渋谷の感謝には返さず、拓海は純粋な疑問をぶつけた。


「正直緊張し過ぎて頭真っ白だったっすけど、拓海先輩の打ち込む隙も無いような素早い剣筋をいつも見てるからあんまり早くないように感じて、あ、これ大丈夫だって落ち着けたっす。拓海先輩レベルがごろごろいると思ってたんで大分安心したっす」


勝ったからといって相手を下げるような発言は極力控えろ。と注意したあと、拓海レベルの高校生がゴロゴロいてたまるか、と薮本先生は少し嬉しそうに続けた。

話題の中心である拓海はみんな実力のあるいい選手ばかりだと心から思っていて、薮本先生の言葉をあまり素直に受け入れられていなかったのだが、その心境が何よりの皮肉になっている事を本人は気付いていないのだった。


「拓海の相手は足高に決まったな。葵から情報は聞いて来たか?」

「はい」

「勝てそう、、、いや、勝つイメージは作れているか?」

「前回戦った時と戦法が変わっている感じはしなかったので、多分大丈夫だとは思います」


自信満々とは言えない拓海の返答だったが、満足のいく答えだったのか薮本先生は満足し、それ以上は何も言わず送り出した。

元々、拓海は自分に自信がなく、イメージトレーニングの中で一度でも負けると勝率を50%と予想してしまう。

その拓海が〝多分大丈夫〟と言った。

それは、受け取る側にとってはほぼ確実に拓海の勝利が約束されていると捉えても差し支えないものだった。



「分かってると思うけど、力かなり強いタイプやから、出来る限り受け止めんようにね」

「うん。ありがと───」

「萩織くーん!!がんばってー!!!!」


試合開始直前。

防具を着けながら葵と作戦の最終調整をしていた拓海の耳に、聞き覚えのある声で声援が届いた。

驚き、声がした正面二階の観客席を見ると、そこには前日のオープンキャンパスで案内係をしてくれた白石と漫研の下垣内がいた。

白石は、背後に隠れた下垣内を更に隠すかのように大きく、全力で拓海に手を振っている。


(白石さん!?)


着け終わった面の中で驚愕の表情を浮かべる拓海。

脳裏には、昨日のオープンキャンパスの帰り際に見た白石の逢瀬が浮かんだ。

集中力の深さなど知ったものかというように、鮮烈だったあの光景が脳内を侵食する。


「拓海。早く位置につけ」

「は、はい!」

(どうしようどうしようどうしよう、、!)


もう間もなく試合が始まる。

位置について、礼をすれば開始だ。

時間にして10秒も無いだろう。

だというのに、せっかく時間をかけて深めていた集中はゼロどころかマイナスになっていた。

勝たないといけない。

集中しないといけない。

なのに、昨日の光景が頭の一番大きなスペースを陣取って離れてくれない。



「試合開始!!」

「ィヤーーーー!!!」



拓海の心情など露知らず、無情にも試合は始まり、足高がその体躯に似つかない高く鋭い声を上げた。

いつもなら平静を保ち微動だにしない拓海だったが、全く集中出来ていない事から来る焦りから、ほんの僅かにバランスを崩してしまった。


「メーン!!!!!!」


足高は、その僅かな隙を見逃さなかった。

元々拓海より高い背丈。

その更に上、大上段で構えられた竹刀が、バランスを崩した拓海の頭上に振り下ろされる。


(いっつ、、!)


辛うじて一本を取られる事は避けた拓海だったが、あれだけ懸念していた足高のパワーを、正面から受け止めてしまった。

一瞬で無くなりはしたが、正面から受けた事でほぼ治っていたはずの手首が痛んだ。

焦り、手首に意識がいった拓海の隙を見逃さず、足高は何度も自慢のパワーを遺憾なく乗せた連撃を放ってくる。

一撃目の二の舞にならないようにと何とか往なす拓海だったが、一向に攻めに転じる事が出来ず、審判の冷えた視線に襲われた。


(このまま往なし続けるだけなら何とかなりそうだけど、、)


その場合、判定で間違いなく負けてしまう事は拓海が一番よく理解していた。

すぐにでも集中力を持ち直して対策を立てるなり攻めに転じるなりしなくてはならない。

だが、集中力を急激に建て直す為の劇的な材料が無い。

どうすればいい、、どうすれば、、、。

足高の激しい連撃を芸術とも言える反応速度と剣筋で往なし続けながら、拓海は必死で頭を回し続けた。


(葵、、薮本先生、、、)


往なし続けた先。

体の向きが変わった事で、正面に葵と薮本先生の姿が見えた。

すぐに足高の巨躯に隠されてしまったが、確かに見えた。

心配する葵と、不安そうな薮本先生が。


(あの二人をがっかりさせたくない)


葵には良いところを見せたいから。

薮本先生には自分の為に模擬戦を提案してくれた恩返しを。

試合開始から2分。

拓海は漸く邪念を払いのけ、面の奥にある足高の瞳を捉えた。

激しい動きかつ面を被っているのではっきりと見えたわけではなかったが、確かに捉えた。

このままいけば仕留め切れると油断する足高の思惑を。


「ッキーーーーー!!!!」

───バッ!!


会場に割れんばかりの拍手が届く。

拓海と足高の周りにいる審判員が上げる旗の色は全て赤。

面を打とうと振り下ろしてきた足高の懐に踏み込んで移動線上に竹刀を置いた拓海の突きが、見事に決まった。


「ふぅー、、、」


一本を取った事でスタート位置に戻り足高と向き直った拓海が、イメージに沿った勝利を得られた安心を、心情に馴染ませる。

手首に痛みはない。

集中力も今の一本を取った事で深まった。剣筋も充分に見た。

もう、何もさせない。

静かに立ち上がる拓海の目には、ゆらゆらと燃える闘志が宿っていた。





「拓海!!何かあったのか!?」


一本目以降は危なげなく勝った拓海に、廊下で遥が駆け寄ってくる。

予想通りの相手が勝ち上がってきたにも拘らず苦戦をした事実は、拓海をよく知る遥にとってはかなりの異常事態だった。


「昨日行った大学の人が居てびっくりしちゃって。もう持ち直したから大丈夫だよ」

「あー、あの綺麗な人か」


綺麗だからって試合前に見惚れるのはやめとけよ?と遥が付け足した。

気持ちは分かるけどなという遥の表情には、どこか焦りのようなものが見えた。


「そういうんじゃないよ!まさか来るとは思ってなかったから、、」

「下垣内さんは来そうな気しとったけどね」

「それは確かにそうかも」


葵に誤解されたくないと思い否定の語気が強くなった拓海だったが、特に二人に触れられる事はなかった。

それはそれで、何も気にされていない感じがして少し複雑な気持ちになったのだが。


「萩織くーん!」

「ちょちょちょ!!ダメだって!!!」


次戦の相手の試合を見て分析している薮本先生を待つ間、談笑していた3人の下に白石と白石に引き摺られた下河内がやってきた。

言葉では止めているのに全身を使って抵抗しない下河内には、あわよくば推しに取材出来るかもしれないという下心が透けて見えた。


「さっきの試合凄かったね!!一瞬でぱんぱーんってさ!早過ぎてあんまり見えなかったけど」

「あ、ありがとうございます。その、応援?に来てくださって」

「なんで疑問系なの、笑 昨日話して萩織君が剣道してるとこ見たくなったから下河内に連れてきてもらっちゃった」

「ごめん萩織君…瞑想の邪魔だよねごめん…」


以前、拓海はテレビの単独取材を受けていた。

今後ほぼ確実に活躍するだろうという中高生を取材する番組の剣道特集で、放送時間のほぼ半分を使って拓海のサクセスストーリーや取材に応える様子が流れた。

その中で拓海は「試合前のルーティーンはなんですか?」という質問に、瞑想とイメージトレーニングです、と答えた。

その番組から拓海の熱狂的なファンになった下河内は拓海の発言を覚えていて項垂れた状態で謝罪を零したが、拓海に見えない表情には、下心が浮かんでいた。

推しを目の前にしたオタクに下心を隠せというのは、土台無理な話というものだろう。

直接口をつかないだけ、まだ分別が出来ていると言えるほうかもしれない。


「大丈夫ですよ。先生が戻ってくるまでは休憩しようと思ってたので」

「ああ、推しの優しさが沁みる…」

「下河内。初対面の子もいるのに最初から全開にするのやめときなよ」

「初対面…?」


ここにいるのは拓海と葵と白石。

誰も初対面じゃない。

そのはず。

嫌な予感がした下河内は、ぎぎぎぎと音がしそうな動きで、白石の背中で死角になっていた方面へ顔を向けた。


「初めまして。あーっと、、、」

「あっ、下河内ですっ。すみません…」


全面に出ていたオタクは、白石の後ろに隠れると同時に仕舞われた。

170センチある下垣内は、女性の平均身長である白石には隠れられないのだが。


「そういえば萩織君。さっきはごめんね…」

「さっきですか?」

「うん。試合前に大声出して集中乱しちゃったかなと思って…」

「え!?そうだったの!?」


本当によく見てるんだな…と、純粋に凄いと思う気持ちと、少しの恐怖が拓海を襲った。

まさか、外部の人にバレるなんて微塵も思ってなかったから。

改めて、下手な戦いは見せられないなと拓海は兜の緒を締めた。


「ごめんね萩織君!!!そんなつもりはなくて、テンション上がっちゃって…ごめん!!」

「いえいえ!!そんな!全然大丈夫ですよ!お二人が来てくださった事にビックリしただけ───」

「申し訳ございません」


前屈か謝罪か分からないほどの角度で頭を下げる下河内を見て、拓海は自分のフォローが止めになっていることに気が付いた。

その後も何度かフォローを入れたが、結局状況は改善せず、白石と下河内はそそくさと応援席に戻って行ってしまった。


「あ〜…せっかく応援しに来てくれたのに…また謝らないと…」

「あの人は拓海のファン?なのか?」

「一応…下河内さんはそうみたい。白石さんは付き添いとか興味本位だろうね」

「案外拓海の事が気になってたり?モテるもんなー拓海は」

「あー…」


白石に、おそらく彼氏であろう人がいる事は何となく言わなかった。

拓海も葵も。

あの相手が彼氏という確信は無いし、もしそうだった場合、それにしても綺麗な人だったな!と言う遥から見た株を下げてしまう事になるから。



「待たせたな」

「いえ、ありがとうございます」


数分後、次戦の相手を見てきた薮本先生が3人の元へやってきた。

手には、びっしりと殴り書きされた紙を挟んだバインダーを持っている。


「次の相手は埼玉代表の姫野だ」

「そうなんですか!?」

「ああ。去年よりかなり実力をつけて、戦法も変えてきていた」


姫野は拓海と同じ3年生。

全国大会は2度目で、前回は一回戦で拓海に敗れている。

その姫野が打ち倒した相手は、前回大会で拓海と決勝戦で当たった猛者だ。

大方の予想を裏切って、2本先取して姫野が上がってた結果に、拓海は驚きを隠せないでいた。

こんな事なら自分も試合を見ておけば良かった。

そんな感情を孕んで。


「前回までの戦法は覚えてるか?」

「はい。先に打ち込んでくるタイプで、そこまで力も強くなかったのでいなしやすかった記憶があります」

「その通りだ。だが…。おそらくあれは拓海に影響を受けてるな」

「僕ですか?」

「ああ。カウンタータイプに変わっていた。それも、かなりの練度だ。前回大会からの期間を全て費やさなければ到達出来ない程のところまできている」


カウンターの戦法に変えた選手は、姫野だけではなかった。

男子だけでなく女子も。

同年代で圧倒的に優れている拓海を真似する選手達が、ここ一年程で急増した。

それにはおそらく、前回大会で全ての試合を時間の半分も使わずに終わらせた事が大きな原因としてあるだろう。


「だがまあ…まだ荒削りだ。おそらく前までの戦法も合わせてくるだろう。どちらも警戒しておいたほうがいい」

「はい」

「葵からは何かあるか?」

「大体先生と同じです。先生との模擬戦でやった先手は温存しといたほうがいいって事くらいですね」

「そうだな。あれは警戒されてしまうと使いづらい」


所在なさげにしている遥を他所に、3人で意見交換をしながら対策を立てていく。

ただ、細かな戦法は立てない。

実地でなければ分からないことのほうが圧倒的に多いから。

それに、葵と薮本先生は拓海のイメージトレーニングの精度の凄さを理解しているから。

拓海を勝たせる方法は、余計な口を挟まないことと、誰もが分かっていた。


「他に聞きたい事はあるか?」

「いえ。あとはイメージを作れば何とかなりそうです」

「分かった。私は今から渋谷の次の対戦相手を見てくる。ここは任せたぞ葵」


返事をした後、拓海はいけるやろうけど、渋谷君は勝ち進めるかなあと葵が零した。

渋谷は男子剣道部で4〜5番目くらいの実力だ。

予選大会のくじ運も重なってここまで来ることが出来たというのが、渋谷本人も含めた周りの意見だった。


「そう?洋平なら勝つと思うけど…相性も悪くないし」

「拓海がそう言うなら大丈夫だろ」

「確かにそうやね。決勝で当たりそう?」

「そこはちょっと微妙かも…。秋田の本多君がいるから、あっちのブロック」

「あ〜…」


剣速だけで言えば拓海を超えていると言われる本多は同じく3年で、高校の新人戦決勝で拓海に敗れている。

その時の試合を思い出し、葵と遥はうんうんと拓海の意見に同調した。


「でも僕も確実に勝ち上がれるわけじゃないし、今は自分の事に集中するよ」

「そうやね。一旦観客席行っとるよ」

「またな!拓海!」


廊下の隅。

静かに手を振った拓海は、二人の姿が見えなくなったことを確認してから目を閉じ、その場に座り込んだ。

頭の中では、前回戦った姫野の動きにさっき貰った情報を足した新姫野というべき相手との対戦を繰り広げている。

後の先でくるのであれば、煽った後に打ち込ませてその隙を突く。

最近増えてきた自分と同じ戦法をする相手によくする対処法。

拓海は、そんな慣れ親しんだ対処法を頭の中で反芻し、相も変わらず脳内とはいえ100%の勝率を納めた。


(大丈夫。集中力も上がってきてる)


乱された集中は、とっくに元に戻っていた。

もう、何も出来ず打ち込まれるなんて事はない。

そう確信して、拓海は廊下の隅で自分の出番を待った。






「お疲れ様。ええ調子やね」


京堂館の生徒が集まる客席の一角。

準決勝を終えて会場整備の間に休憩しに来た拓海に葵が声をかける。

あの後、結局拓海は無傷の連勝を重ね、準決勝とは思えない内容で決勝へと駒を進めた。


「何とかね───っつ!」

「どうかした?」

「ううん!!なんでもない!遥は?」

「あっちで白石さんらと話しとるよ」


反対側の客席を見やると、そこには手を振る白石と遥がいた。

下河内は、必死に何かをノートに書き込んでいた。

何となく想像のつく拓海と葵だったが、懸命にも二人はそれに触れなかった。


「葵なんかあった?元気ないように見えるけど…」


いつもなら勝ち上がった時自分の事のように喜んでくれるのに。

いつも通りやったつもりだけど勝ち方が好きじなかったとかかな…と言う不安を孕んだ心配の言葉をかけた。


「なんか。拓海はやっぱり凄いなあと思って」

「僕?」

「うん。ほんまは、、、あー、この先話してしまうと前にLINEで言った相談の内容になるんよね、、」

「場所変える?」

「ふふっ。そういう問題じゃないんよ。拓海は相変わらずやなあ」


何のことか分からなかったが、葵が笑ってくれてるからいいかと、拓海は考える事をやめた。


「ここでいいから、ちょっと聞いてもらってもいい?」

「う、うん」


ごくり、と拓海は生唾を飲み込んだ。

LINEで聞いた内容ということは、今から聞かされるのは葵の恋愛事情。

それは、おそらく自分が聞きたくない内容。

そう理解しても尚、好きな人に頼られたら応えたくなってしまう。

今の自分が大切な局面にいる事などただのしがらみでしかない。

拓海は、一時この後の全てを忘れ、葵の言葉に耳を傾けた。


「ほんまはさ、この大会で優勝して遥に告白しようと思っとったんよね」

「そっ、、うなんだ、、」


(落ち着け…まだ葵の話は終わってない…力になるって決めただろ)

拓海の鼓動が速くなる。

もう、知ってしまった。

葵とのハッピーエンドがない事実を。

次の言葉によってはまだ可能性があったが、長く一緒に居続けた事が仇となって、葵の表情から全てを悟れてしまった。

動揺が漏れてないだろうか、悲しみが溢れてないだろうか。

向こう側にいる遥を見る余裕は、無かった。


「隠しよってごめんね?全国大会出られんくなったから、タイミングとか諸々、何も覚悟決まらんくて…」

「それがえっと、、報告、、?」

「うん。なんか隠れてこそこそやるの悪いなあと思って言っときたかってん」


大事な2人がくっついてくれたら嬉しいよ。と、拓海は精一杯の虚勢を張った。

それを聞いた葵のホッとした表情で胸がずきりと痛む。

僕が好きなのは葵だよと堂々と言える勇気があれば、、と拓海はぎりぎり切れない程度に下唇を思い切り噛んだ。

葵の力になりたい。でも、、、

相反する感情が、左右から拓海の胸を締め付けた。


「、、告白はどうするの?」


聞きたくない聞きたくない聞きたくない。

でも、拓海の口は感情と相反して動いていた。


ドッドッドッ───


まるでエンジンのような心音が拓海の耳に届く。

煩すぎて、自分の身体から発されているものとは到底思えないくらいだった。


「したいとは思うんやけど勇気が出んくて、、」

「珍しいね葵が臆病になるの」

「うーん、、。今の三人の関係が好きやからね。告白したら多少なりともこの関係が崩れてしまう気がして、全国優勝とかのおっきいきっかけが無いと中々する勇気が出んのよ」

「ふーん。関係が変わるよりも告白する事のほうが大事なんだ」


無意識に口をついた言葉に、拓海はハッとさせられた。

言うつもりなんてなかったのに、動揺を悟られないようにといつも通りを繕う事に必死になりすぎて、言わずにおこうと思っていた事が口を吐くのを止められなかった。

(どうしよう、、嫌われるかな、、。なんでこんな事言っちゃうんだ、、。でも、さっきの葵の発言は、、)




まるで自分より遥を取ったみたいだ。



そう、拓海は思った。

告白の返事がどうこうではない。

葵が自分より遥を選ぶ事が何よりも嫌だった。

拓海と遥の中は決して悪いわけではない。

むしろ、純粋な友情という観点でいけばお互いにとって一番仲がいい相手かもしれない。

それでも、そんな相手でも葵が取られるのだけは嫌だった。

いやいやと必死に心の中で頭を振る拓海は、自分がされて嫌だと感じる、二人を天秤にかける行為を同じようにしてしまっている事に気が付かない。

今は、方法など何も持たずにただ現状を受け入れるのを拒む事しか出来なかった。


「なんよそれ。拗ねてるん?拓海」

「わっ!!ちょっ!!葵!!汗かいてるから!」


いたずらな笑顔を浮かべて、葵は拓海の頭と顎をわしゃわしゃと撫でる。

たったそれだけで、拓海の心には幸せが滲んだ。


「告白は勇気が出次第しようと思っとるよ。遅くとも、卒業式にはね。拓海さえ良かったら、告白の結果関係なくこれからも仲良くしてくれたら嬉しい」


葵の言葉には、拓海の事を好きになる未来がない事が明示されていた。

それと同時に、自分がどれだけ現状の受け入れを拒もうとも、告白の成功確率が低くなろうとも葵は告白をしてしまうんだろうなと悟った。


(もう、出来る事は何もないんだ、、、)


勿論ずっと友達だよ、と応えながら、拓海は失恋してしまった事を心の深くで理解した。

もう、取返しのつかないところまで来ていた。

葵と同じように、告白の勇気を蓄えている内に。

もしかしたらもっと早くから葵は遥に好意を寄せていたのかもしれない。

だが、拓海にとってはそんな事は重要ではなかった。

あるのは、今自分がはっきりと失恋したという事実だけ。

悲しさのような、虚しさのような、よく分からない感情が拓海の胸中を満たした。



「、、、葵。竹刀持ってきてる?」

「持って来とるよ。どうしたん?」

「貸して」



表情にクエスチョンマークを張り付けながらも、拓海に自分の竹刀を渡す葵。


「ありがとう」

「何に使う───」

「これ使って決勝勝ってくる。だから、僕が勝ったら、、」

「勝ったら?」

「葵は遥に告白して。葵の勇気、僕が代わりに取ってくる」


拓海の表情は真剣そのものだった。

少しヤケになっていたかもしれないが、どうせ振られたならとことん振られてやろうと、体が勝手に動いたと後から振り返って理解した。

拓海、、。と呟いた後葵は固まってしまったが、その表情には馬鹿にする様子やマイナスな感情は浮かんでいない。


「拓海。葵。そろそろ準備しに行くぞ」

「「はい」」


そのまま何のやり取りもないまま、決勝の場へと赴いた。

先程までぐるぐると感情が渦巻いていたはずなのに、拓海の胸中は今、空っぽの虚無になっていて、確実に優勝をもぎ取るという決意だけが辛うじて体を動かしていた。

だが、拓海は不思議と負ける気がしていなかった。

相手は決して弱い相手ではない。

決勝に上がってくるまで、二本しか取られていない。

それでも、今の自分なら決勝戦の相手、本多にも、薮本先生にも負けないだろうという確信があった。


(速攻で勝負をつける)


いつもの倍近い速度で移動しながらイメージトレーニングを行う。

イメージするのは後の先ではない、先の先。

相手に何もさせずにねじ伏せる。


(───っつ!)


先程篭手を外した時に気付いた手首の痛みが、篭手を着ける事でまた襲ってきた。

竹刀を痛んでいない左手で持っている今は大丈夫だが、おそらく試合が始まれば痛みが増してくるだろうなと拓海は確信していた。

力が入らなくなるような事があれば、負けは必須となってくる。

何としても、悪化する前に勝ちをもぎ取らないと。

過去類を見ない程、拓海は勝ちに執着していた。





「男子決勝戦。赤、京堂館高等学校、萩織拓海───」


体育館に、アナウンスが響く。

いよいよ決勝戦が始まる。

これに勝ってしまえば、葵の告白を止める事はもう叶わない。

むしろ、後押しをしてしまう。

だがそれでも、拓海は勝つ気しかなく、勝つイメージしか持っていなかった。


「葵。勝つから見てて」


手に持った葵の竹刀にそう声を掛け、立ち上がり礼をする。

元から、願いは叶わないと理解していた。

それが、明確に形になっただけ。

それならせめて、最後は自分で自分に引導を渡そう。

華々しく散って、この恋にピリオドを打とう。


「ふぅー、、」


面の下で息を一つ。

溢れそうになる涙を押さえつけて、拓海は線の内側へと足を踏み入れた。

戦いに、ケリをつけに行く為に。

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