第3話
ブーッ───ブーッ───
「んぅ、、」
朝。
携帯のバイブレーションとカーテンの隙間から差し込む陽光で拓海は目を覚ました。
枕元には携帯と遅くまで予習していたノート。
携帯で時間を確認して、寝惚け眼でノートをパラパラと捲って目的のページでにやける。
結局二時間程しか寝られなかったにも拘らず、襲ってくる睡魔よりも予定に対するわくわくが上回っていて、取り切れていない身体の疲れを感じなくさせていた。
(何着ていこうかな、、)
歯を磨いて顔を洗い、朝食を食べ終えるまで、浮かれすぎている拓海は昨日確認した制服で行かなくてはならないというルールを忘れて、思考をぐるぐると巡らせた。
ラフな格好で行くか、少し暑くてもちょっと大人っぽい服装でいくか。
周りは大学生の大人な人達ばっかりだから、子供っぽくなり過ぎないほうがいいかな、、。
そんな事を考えて。
間違えて私服で行かないようにと昨晩の内にクローゼットの扉に掛けていた制服を見て、拓海は漸く自分が浮かれすぎている事に気が付いた。
ただ、起きる時間が30分遅かった事に気付いたのは、集合時間から5分経過してからだった。
「はあ、、はあ、、、。ご、ごめん。遅れて、、」
「早めの集合時間にしよったし大丈夫やよ」
ころころと笑って、葵は上機嫌そうに汗だくの拓海に答えた。
時刻は9時。
集合時間より15分遅れで拓海は到着した。
起床時間が30分遅かった事を加味すれば充分努力したほうではあるのだが、葵に少しでも悪い印象を与えたくない拓海にとっては致命的なミスだった。
笑ってくれてるけど本当は怒ってないかな。
汗だくなの嫌がられてないかな。
反省や不安が拓海の胸中を満たす。
「拓海が遅れるの初めてやない?なんかあったん?」
そんな拓海の不安など気にもかけない様子で、葵が問い掛けた。
二人が出会って二年半。
拓海が遅刻した事は一度も無い。
むしろ、15分前には必ず集合場所に来ていた。
そんな拓海が遅刻したという事は何かあったんじゃないだろうか。昨日の悔しさが尾を引いていて寝られなかったんじゃないだろうか。
拓海とはまた違う不安が、葵を襲っていた。
寝られなかった事自体は当たっているのだが、その原因は全くの見当違いだった。
「えっと、、。今日の予習?」
「ふふっ。なんよそれ。真面目やね相変わらず」
優しく笑う葵の表情に拓海の胸は締め付けられた。
(やっぱり好きだなあ葵の事、、)
寝不足でハイになっているからか、普段心の中でも言わないようにしているそんな言葉が自然と生まれた。
その事に驚いて口をついて出ていないかと焦る拓海だったが、例え出ていたとしても目の前を通り過ぎた特急の音で掻き消されていただろうなと考えて心臓を落ち着かせた。
「オープンキャンパス参加者の方はこちらにお願いしまーす」
電車と徒歩で45分。
受付締め切りの15分前に二人は目的の大学に着いた。
大富豪の豪邸のような門構え。
少し年上なだけとは思えない大学生達。
どこまでも続くかのように見える塀。
全てに圧倒された二人は、まるでお上りさんのように正面上部にある大きな時計を見上げ、感動の声を漏らした。
「そこの二人。オープンキャンパス参加する子達?」
「え!?あ、はい!そうです!!えっと、、」
「そろそろ受付終わっちゃうから早く行ったほうがいいよ。付いて行こうか?」
「あ、えっと、だ、大丈夫です!!葵行こ!、、葵?」
話し掛けられた時も、拓海に声を掛けられた時も、葵は呆然と門を潜る人達を眺めるだけで何の反応もしなかった。
というより、声を掛けられている事に全く気付いていなかった。
それほど、初めて見る自身の第一志望の学校に圧倒され、思考の放棄を余儀なくされていた。
「何してるの葵!早く行くよ!」
「え?ああ、ごめん。ぼーっとしよった」
「珍しいね葵がそんな風になるの」
「なんか高校と全然違うんやなあって思って。自分で想像しよった大学の何倍も凄いわ、、」
いつも冷静沈着な葵の度肝も魂も抜かれたような表情に、拓海はニヤけが止まらなかった。
みんなが知らない表情を自分だけが知っている優越感。
いつもの表情とのギャップ。
そんなあれこれが重なったニヤけは、受付を済ませても尚ぼーっと辺りを見回してしまう葵ではなく通りすがりの大学生を引かせてしまう事になるのだが、二人がそれに気付く事はなかった。
「お待たせしました!今日Iグループの案内を担当する白石です!緊張しまくってるけどよろしくね!」
「よろしくお願いしま──」
「え!?ミスキャンパスの!?」
葵と拓海を含めた8人で編成されたIグループ。
元気よく名乗りを上げた白石穂乃果を見て、二人以外がざわざわと騒ぎ始めた。
「なんで知ってるの、、?」
「ホームページで見ました!!憧れです!!やばい本物綺麗過ぎるやばいやばい」
「わかる!実物のほうが綺麗なのやば過ぎない!?加工越えてきてる」
「ああ、、。出なきゃよかった、、。恥ずかし過ぎる、、」
ざわつく女子高生。
興味なさそうに見せてちらちらと白石を見る男子高校生。
何も知らずに置き去りにされる拓海と葵の二人。
まだ案内が始まってすらいないのに、Iグループは阿鼻叫喚の様相を見せていた。
「いい加減なれろよ穂乃果姫ー!」
「違うだろ。確か、、なんだっけ、、、。ああ!白雪───」
「あーーー!!!うるさい!!!あっちいけ!!!」
他のグループの案内役からの揶揄いに白石が反応し、場はどんどん混沌と化していく。
そして、拓海と葵の二人はどんどんと置いていかれる。
(だ、大学って凄いな、、)
斯くして、拓海は不必要な場面で大学への間違った感想を抱くのだった。
「ここがインフォメーション。あとの自由時間で行きたい所あったらここで聞いたらすぐ分かるから場所覚えてて。次行くのがあっち」
数分後。
漸く場の雰囲気が収まり、各グループがインフォメーションの説明を終えた後、散り散りになっていった。
他のグループと場所が被って大人数で固まらないように少し遠回りのルートで行くとの説明を受け、きょろきょろと辺りを見回す8人が白石の後に付いて行く。
先程騒いでいた女生徒達も興味が白石から大学に移り、騒ぐ事なく案内は進んでいった。
「ここが経済学部のエリアです。祝日だけど講義してるから静かにね」
(経済学部のエリア、、?)
正門から真っすぐ進み、正面の建物を抜けた先。
そこにあった複数の建物の内の一つに入る。
そこだけで通っている高校の校舎全部と同じくらいの規模だというのに、たった一つの学部の為のエリアだという事に、初めてオープンキャンパスに来た二人は驚きを隠せなかった。
通ってきた門に連なる塀の中ですら大学の全てではなく、少し離れた場所にもう一つキャンパスがある事を、予習をし切れていない拓海は知らなかった。
「通路挟んだ向こう側の四席も合わせてここ一列Tグループの席だから奥から詰めて座っていって」
経済学部のエリアを一通り見た後、別の学部も見学し、オープンキャンパスの参加生達は全員体育館に集められた。
白石のおススメさぼりスポット巡りをした事で多少の遅れはあったが、何とか早歩きで大学説明の時間一分前には体育館に辿り着く事が出来た。
「あ、あー。テステス」
ボンボンボン───
首から名札を下げた男性教員が、後ろに男子生徒を1人率いて壇上中央に置かれたマイクのチェックを行う。
マイクを叩いて響いた音を確認して頷き、男子生徒を1人残して壇上を去った。
「皆さん初めまして。本日はオープンキャンパスにお越しいただきありがとうございます。生徒代表で挨拶をさせていただきます。一年生の山根純也です」
───パチパチパチパチ
体育館両サイドに立っていた教員や引率の生徒達に遅れて、2人も拍手をする。
緊張はしているようだったが物怖じせず堂々と話す山根に、まるで何歳も離れているかのような錯覚を拓実は覚えた。
「ここにいる皆さんは、様々な理由で本日のオープンキャンパスに来ていただいたと思います。もう入学を決めているから、興味があるから、友人の付き添い。僕は最初来た時、友人の付き添いでした。それでもオープンキャンパスに来て入学を決意し、約半年経った今、あの時の自分の決断が正しいものだったと感じています」
原稿も持たず、山根は堂々と拓海達の顔を見てそう言った。
「この学校には色々な人がいて、色々な事柄があります。僕は今、歴史の観点から人類の進化について研究と勉強をしています。これは昔からやりたかったことではなく、オープンキャンパスで来た時に歴史サークルの展示を見てやりたいと思った事です。僕以外にも、この大学でやりたい事を見つけて突き進んでいる人がいます。何をしたいか迷っている方は是非入学し、自分の可能性を広げてもらえたらと思います。勿論、この大学でやりたい事が既に決まっている人も是非入学をしてください。約半年後、皆さんと共にキャンパスライフを送る事を、楽しみにしています」
パチパチパチパチ──
今度は遅れず、全員が同じタイミングで拍手をする。
予定された茶番などではなく、純粋に称賛の意味を込めた拍手。
だからこそ、リハーサルに参加していない高校生達からも同じタイミングで拍手が巻き起こった。
「凄かったね…」
「そやね…。一年後にあんな話せるようになるとは思われへん」
確かに、と拓海は首肯した。
剣道部部長として見知った仲の人達相手に話すのですら緊張して前日はあまり寝れないのに、こんな初対面の人もいて大人も沢山いる中で話すなんて…。
拓海は一年後に自分が壇上で話している姿を想像して体を強張らせた。
まだ入学する事も決めていないのに、称賛と不安が拓海の思考を鈍らせていた。
「続きまして。理事長からのご挨拶です」
体育館の一角にいた教員の紹介で、同じ一角にいた1人の壮年の男性が壇上に上がる。
「皆さん初めまして。ご紹介に預かりました、理事長の日倉真です」
パチパチパチパチ───
先程の経験をなぞるように拍手が起こる。
教員達の拍手が先程の倍程大きい。
(あの人が理事長、、?)
理事長といえば60歳よりは上だろうという固定概念があった拓海は、日倉の若さに驚いた。
見たところ30代後半から40代前半くらいの年齢だ。
だが、纏う空気はもっと年齢の高い教員達がいる中でも一人異質で、挨拶をした瞬間に拓海を含めた高校生達は、友人達の間に持っていたざわつきを放棄した。
「皆さんは、大学という場所が何故あると思いますか?」
教員がマイクを持って来て、何人かの高校生が当てられる。
答えた内容は「勉強」「社会に出る前の練習期間」「将来を見つける場所」
拓海と葵が当てられる事はなかったが、そのどれもが共感出来る無難な答えで、静かに首肯して耳を傾けた。
「ありがとうございます。聞かれてすぐに答えられる程明確なイメージを持ってここに来ていただいている事、感謝します。勿論、聞かれたら答えられなかっただろうなと考えている皆さんにも、感謝しています」
「さて、皆さんには様々な解答をいただきましたが、、。実はどれも正解なんです。小学校は集団行動を学ぶ場だと言われ、中学校は部活動が必須でより高度な学問を学ぶ、高校は義務教育ではないが卒業資格を有しているか有していないかで社会での待遇が大きく変わる事がある。では大学は?昔はいい大学を出れば将来が確約されると言われていましたし実際そういった風潮がありました。ですが、今は違います」
「高校の卒表資格さえあれば就職出来ない企業はほんの一握りになっています。そんな中で本校であればコースによりますが4年。人生の内の貴重な時間をかけてお金を払って通い続けるメリットはあるのかどうか。無いと思った方は就職をし、あると思った方は大学へ通います。メリットがあるのかどうかの判断基準が各々にあるのに、学校側が大学とは斯くあるべきと定めるのは馬鹿馬鹿しいと私は思っています。改めて問い掛けます。心の中で構いませんので、皆さんがお金を払って4年間通うメリットを考えてみてください」
(大学へ入るメリット、、)
日倉が作った間で、各々が思考を巡らせる。
予習はしたし大学案内もしっかり見て、感情も動かされた。
ただ、元々おっとり刀で来ていた拓海にはそんな明確な思想は無く、心の中で言葉を詰まらせた。
「そんなに不安そうな顔をしないでください。先程のように皆さんを当てる事はありませんから。ねえ、山根君」
「え!?」
安心する高校生達を他所に、山根は必死に行程表を見てアドリブである事を確認し冷や汗を溢れさせた。
視線は、理事長、天井、高校生達。
様々なところを飛び回る。
あんなに堂々としていた人でもここまで狼狽するんだなと高校生達は親近感を覚えて空気が少し柔らかくなった。
「えーと、、そうですね。僕は先程も言った通り、歴史について学びたいと思ってこの大学に来ました。勿論、仕事をしながら個人的に勉強する事も考えましたが、社会人のコミュニティの中では中々同じような考えの人が集まって一つのテーマについて趣味で研究するといった機会は得られないと思います。あー、えっと、、。何言おうとしたんだっけ、、。あ、だからこそ、僕は高校を卒業したら大学に入るというメジャーなレールに逆らう事なく、入学を決意しました」
「ありがとうございます。大学は何歳でも入れますが、何故高校卒業してすぐに?」
「許されやすいから、、ですかね」
「なるほど。素晴らしい答えをありがとうございます」
パチパチパチ───
───パチパチパチ
日倉が促して散発的な拍手が起こる。
今度は、案内役の大学生達の拍手が一番大きかった。
きっと、同じ大学生という立場の彼らにとっても、今の解答は素晴らしいものだったのだろう。
一部、冷やかしのような視線を持った生徒もいるが。
「今言ったように、そして言ってくれたように、大学は18歳以上であれば一定のルールを除いていつでも入学する事が出来ます。先程皆さんに考えていただいた4年を消費するメリットの基準にこれを追加して、半年後に4年先まで大学で過ごすメリットを考えてみてください。ああ、別に今すぐというわけではありません」
考える為に視線を別の方向に投げていた高校生達を、日倉が落ち着いた様子で制する。
「高卒に対する偏見は減ってきましたが、学校を中退するという事へ対する偏見はまだ社会では減っていません。それは、比較的自由意思の下に入退学が出来るはずの大学ですら同じです。これからの4年。長い期間です。その期間を本当に費やす程のメリットを感じないのであれば、私は本校だけでなく大学への入学をおススメしません」
きっぱりと、日倉はそう言った。
その言葉に教員達からは会話が聞き取れない程度のざわつきが上がるが、話が終わっていない事に気付き、すぐに静寂を取り戻した。
「ただ、メリットを感じたのであれば、4年だったり2年だったり6年だったり。その期間を大学で過ごす事をおススメします。本校のアピールポイントとしては、どこよりも自由かつ、皆さんのやりたいをサポートする環境や人材が揃っている事です。本校でやりたい事がある方は勿論、やりたい事はあるが他の大学では出来ない事がある方、やりたい事が見つかっていないがまだ社会に出るのは不安な方。そんな方々には是非本校をおススメさせていただければと思います」
「長くなりましたが、私からの挨拶は以上になります。この後の構内探索も是非有意義な時間にしてください。お昼は食堂の日替わり定食がおススメです。それでは、ありがとうございました」
少しの笑いと盛大な拍手と共に日倉の話が終わり、先程日倉を紹介していた教員からこの後の流れの説明がされた。
一旦食堂にてグループ毎の昼休憩を挟み、そこからは終了時間までサークル見学に時間を費やす事。
講義を行っている場所には案内係がいれば一緒に行けるので行きたい学生は食堂で待機している案内係の誰かに声を掛けて連れて行ってもらう事。
大まかにその二点が説明され、案内係に連れられた高校生達は1時間も居なかった体育館を後にして食堂へ向かった。
「みんなこの後どこ行くの?」
「白石さんのおススメのところ一緒に行きたいです!」
「おススメはこの後体育館でやる軽音サークルのライブだけど、私が行ったら怒られるんだよね、、、」
食堂でグループ毎に別れて長テーブルを囲んで、食事をしながらこの後の予定について語り合う。
野球サークルの練習を見に行くという人、歴史サークルの展示に行って山根に話を聞きたいという人、別の講義の様子を見に行きたいという人。
右向け右の日本人らしからぬバラバラ加減だった。
「そこ二人は友達同士だよね?行くとこ決まってるの?」
「特には、、」
「剣道サークルはないですか?」
言い淀む拓海にの横で、葵が訛りのある敬語で尋ねた。
「剣道サークルはなかったと思う、、。剣道好きなの?」
「二人共剣道やってるんです」
「そうなんだー、、、って剣道部?その制服って確か京堂館だよね?」
「知ってはるんですか?」
「友達からよく京堂館の萩織拓海君?って子が凄いんだって聞かされててさ」
突然自分の名前が出た事に驚いた拓海は一度体をビクつかせ、何となく名乗るのが恥ずかしくて口を噤んだ。
同じ県とはいえ、京堂館からはそれなりに距離があるのに、こんなところで自分の名前を知ってる人がいるとは思わなかった、、。
そんな、やましい事のある悪い意味での有名人のような気分を味わいながら。
「萩織拓海本人です」
「え!?そうなの!?偶然過ぎない!?あと見た目意外だわ、、まさか可愛い系だとは、、」
話題が変わってくれる事を願っていた拓海を、葵が少し嬉しそうな表情で紹介する。
いたずらなその笑顔に拓海は抗議の声を上げたくなったが、机に身を乗り出して近付いて来た白石に圧倒されて「あ、えと、あの、本人、、です、、」と狼狽しながら短く肯定するだけに留まった。
「二人共特に行くとこ決まってないなら、漫研に行って下垣内って人探してみて。面白い物見れるから」
ニヒルな笑みに不安を覚えた拓海だったが、特に行きたいところが決まっていなかったので、葵と二人で漫研に行く事にした。
「ここ、、で合ってるかな、、?」
食堂から10分。
漫研の展示スペースへやってきた。
開けっ放しの入口から見える中には本屋で見るような漫画ではなく原稿のままのものだったり、大きな紙に描かれたカラーイラストが飾っていて、そこまで漫画を見る事がない二人も自然と心が踊らされた。
「初めまして。オープンキャンパスに来た子達、、だよね?」
「はい。白石さんに紹介されて下垣内さん?に会いに来ました」
年上のお姉さんに話し掛けられてあわあわしている拓海の代わりに、葵が緊張など微塵も無い様子で淡々と答える。
その頼もしい姿に、拓海は自分が情けないなと思いつつ、改めて葵の事を惚れ直した。
「初めまして。私が下垣内で、、、、、え!?萩織君!?」
呼ばれてすぐに来た下垣内は、後ろに居た拓海に先に気付き、その後に葵の存在にも気が付いて二段階で驚きの声を上げた。
そこに先程声を掛けてくれた女性のお姉さん然とした姿はなく、芸能人に会ったファンのような、そんな様相を浮かべていた。
「は、初めまして。萩織拓海です、、。白石さんにここに来たら面白いものが見れるって聞いて来ました」
「白石、、、ナイス、、。今度奢らないと、、」
「下垣内さん?」
「え!?あ、ああ!ごめんね!汚いとこだけど入って入って」
「一番散らかすのお前だろ下垣内!」
「違いますー!二番目ですー!」
散らかすのは否定せんのやねと言う葵と、拓海は目を合わせて笑い合った。
そのおかげもあって、不安感や緊張感を除いて漫研の作品に集中する事が出来た。
だが、肝心の案内している下垣内は───
「あーと、、これで全部、、かな?漫研はこんな感じ───」
「下垣内。何自分の作品紹介せずに終わろうとしてるんだよ」
ギギギギと音が鳴りそうな程ゆっくりの速度で下垣内が振り向くと、そこには漫研部長の姿があった。
そのまま、肩を組まれた下垣内が、自身の作品が展示されているスペースにドナドナのように連行されていく。
いやだあああ、いっそ殺してくれえええ。と言いながら引き摺られていくその姿に二人は若干引き気味になりつつも、優しく手招きする部長に誘われて案内中に不自然に避けられたスペースへ向かった。
「ぐすん。こちらでございます萩織様」
「え、えっと、、。大丈夫、、ですか?」
「大丈夫ではありませんが幸せでもあります、、」
項垂れた情けない表情で下垣内が差し出す冊子を、拓海は不安で胸中を見たしながらも受け取った。
萩織様という発言、自分の存在を知っていた事、渡された冊子の表紙が剣道の絵である事。
それらの事実が、既に満たされたはずの胸中の不安を更に溢れさせた。
「これって、、、」
二人で一つの冊子をパラパラと捲っていく。
その途中、初めの5ページ程で葵が何かに気付いた。
「これってもしかして主人公拓海ですか?」
「はい、、。すみません勝手に描いて、、」
借りてきた猫のように縮こまり更には項垂れる下垣内が、穴があったら入って蓋をしたいといった様相で小さく答える。
下を向いていて表情は二人にはよく見えていないが、おそらくこの時間が早く終わってくれと願っているであろう事は周囲の誰もが察していた。
「ど、どうだった、、かな、、」
「凄かったです。自分が物語の主人公になるなんて、、」
「気持ち悪かったよね!ごめんね!すぐ燃やしま───え?今なんて?」
「とても凄かったです。ちょっと恥ずかしいですけど、でも自分が主人公の漫画を読む事があるなんて思わなかったから、凄く嬉しいです。ありがとうございます」
拓海の発言を聞いて、下垣内は呆然として固まってしまった。
ぶつぶつと言葉にならない声を漏らして表情をころころと変えているが、その様子を目に毒だと考えた部長が壁となって防ぎ、漫研の印象が悪くならないようにと場の雰囲気を切り替えた。
「中々に良い作品だろう?こいつは所謂萩織君のファンでな。大会がある度に会場に足を運んでは漫画にしている。まあ、心情の背景や試合展開に多少の妄想が盛り込まれているが、、、その辺は創作物ゆえだ。許してやってくれ」
「部長うぅぅ」
情けない声で部長の背中に縋り付く下垣内の姿は二人には見えなかった。
「これって同じのもう一冊ありますか?」
読み終えて下垣内や部長と会話をする拓海を置いてもう一度読み返していた葵が、顔を上げて部長に問い掛けた。
一種の混沌とした場の雰囲気など微塵も気に留めていない。
「コピーで良ければ二冊あるよ。気に入ってくれたかい?」
「はい。凄く。下垣内さんと同じく拓海のファンなので」
「そうなの!?」
「前に言わんかったっけ?」
「冗談だと思ってた、、」
「推しが友達と話してる、、良い、、」
「お前はちょっと静かにしてろ」
下垣内と部長。拓海と葵。
狭い部屋の同じ空間にも拘らず、たった四人は2グループに分かれて雰囲気を作っていた。
下垣内が書いた漫画の内容は、主人公の見た目や名前、無敗である事などは実際の拓海と同じ。
試合内容や心情の描写などが脚色されていた。
所謂某少年漫画のような熱い気持ちを持つ拓海が、並み居る敵を倒し、明日に控えた全国大会を優勝するという胸が熱くなる展開。
拓海では考えないような心情の描写があったり言わないような言葉があったりするなとは思った葵だったが、それでも公言した通り拓海のファンであり、勝ち上がっていくストーリーには好印象しか抱かなかったので、わざわざ声を掛けてまで貰って帰るまでに至った。
拓海は恥ずかしいからと断ったが、こっそりと二冊貰った葵は、内緒で遥に渡そうと画策するのだった。
「また読んでるの?」
「細かいところまで拘ってるから、読む度に面白いんよ」
「横で読まれると恥ずかしいから家で読んで、、」
「振り?」
「違う!」
漫研の後も色んなサークルを巡り、敷地内をぐるりと歩いて回った二人は、最後の集合場所である食堂へと向かっていた。
「でもほら。このシーンとか、拓海が使う決め手、よう研究してはらへん?」
「うっ、、。それはそうだけど、、」
「漫画読んで改めて、拓海の剣道が好きで拓海が剣道で勝ってるとこ好きやなあって思ったよ」
「葵ってよくそういうのすぐ言えるよね本人の前で、、」
「思ってる事は伝えんとね」
その言葉に、褒められて嬉しくなっていた拓海の心は、ずきりと一つ痛んだ。
想ってる事を口に出せない自分は、葵の好みの範疇には入れていないのだろうか。
そんな風に考えて。
「拓海。ちょっとストップ」
「、、え?」
とぼとぼと先を歩く拓海が校舎の角を曲がったタイミングで、葵が突然焦った様子で腕を引く。
「どうしたの?あそこに白石さん───え?」
拓海の視線の先には、白石と、明らかに近過ぎる位置にいる高身長のイケメンの姿があった。
その二人の雰囲気は、悪い事をしているわけではないというのにすぐに声を掛けるのを憚られるものだった。
「───え!?」
「拓海。気付かれるから静かに」
コクコクコク───
葵の忠告に、彼氏らしき人物と口付けを交わす白石の姿を見て驚きの声を上げた拓海が、口を両手で押さえてこくこくと頷く。
(学校で、キ、キス!?なんで!?!?)
気を抜いたらすぐにでも驚愕が口をついて出そうな拓海。
その様子と白石の逢瀬を交互に見ては楽しそうな笑顔を貼り付ける葵。
二人は、今日三度目の混沌に見舞われるのだった。
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