31:神様、どうか

 意識のないノクス様の手を握って神力を放出する。


 私の身体から解き放たれた金色の光はノクス様を包み込み――そして今回もそれで終わりだった。


 金色の光はノクス様の身体から少し離れた場所を漂っているだけで、身体の内部には全く浸透してくれない。


 水が油を弾くように、ノクス様の身体は私の神力を弾いてしまう。


 ――何をしても無駄よ。呪術のせいでノクスの身体は変質してしまっている。例えるなら生卵がゆで卵になってしまったようなもの。いくらあんたに神力があろうと関係ないわ。人間がゆで卵を生卵に戻すことなんてできるわけがない。それはもはや神の領域だもの。


「――――」

 プリムの台詞を思い出して歯噛みする。


 ノクス様は血の気の失せた顔で身じろぎ一つせずに眠っている。

 呪術の影響なのか、その身体は驚くほどに冷たく、氷のようだ。


 このままではノクス様は本当に死んでしまう。

 わかっているのに打つ手がない。


 王宮の医師も薬師も匙を投げた。

 私の神力も効かない――となれば、後は一体どうすればいい?


 どうか、頼む。泣き出しそうなルカ様の声を思い出す。


 あのときルカ様の手は震えていた。誰よりも大切な兄を失うことに怯えていた。


 幼いルカ様は他の家族に見向きもされず、離宮に長く閉じ込められ、意地悪な貴族連中に虐げられる地獄の日々を送っていた。


 それを救ったのがノクス様だ。

 ノクス様は王宮から『瞬きの扉』を使って足繁く離宮に通い、凍ったルカ様の心を溶かし、愛を教えた。


 もしもノクス様が命を落とせばルカ様の心には大きな穴が空いてしまう。

 

 ――無理だ。

 たとえ効果がなくても、ノクス様の治癒を諦めることなんてできるわけがない。


 歯を食いしばってもう一度神力を放出しようとしたら、酷い眩暈に襲われて視界が傾いだ。


「ステラ様、もうお止めください。それ以上は貴女の身が持ちません!」


 私に椅子を譲ったせいで隣に立っているモニカさんが私の肩を掴み、寝台に倒れ込むのを防いでくれた。


「ありがとう、モニカさん……大丈夫です」

 私の肩を掴んでいるモニカさんの手に自分の震えるそれを重ねる。


 私はよほど酷い顔色をしているらしく、モニカさんは泣きそうな顔になった。


 酷い顔をしているのはモニカさんも一緒なんだけどな。


 ノクス様が心配でもう何日も寝てないらしく、モニカさんは青ざめているし、目の下には濃いクマができている。


「もういいです! もう止めてください! ステラ様は十分に力を尽くしてくださいました! ステラ様に万一のことがあれば、私はルカ様に顔向けできません!」


「……あと一回だけ試させて」

 もはや敬語を使う余裕もなく、荒い呼吸を無理やり鎮めながら言う。


「……本当に最後ですよ? それで無理でしたら諦めてください。私も覚悟を決めます」

 その言葉には返事ができないまま、私は目を閉じた。


 己に残された体力と精神力を振り絞ってノクス様に神力を注ぐ。


 それでも、やはりノクス様の様子に変化はなかった。


「ノクス様。どうか目を覚ましてください」

 もう祈ることしかできず、私はノクス様の手を握る手に力を込めた。


「ご存知ですか? ルカ様にお話をねだると九割がノクス様のお話なんですよ。ノクス様のことを語るルカ様の横顔は嬉しそうで、楽しそうで――思わず嫉妬してしまうほどなんです。ルカ様はノクス様のことが大好きなんですよ。私にノクス様の代わりは務まりません。ルカ様にとってノクス様は太陽なんです。ノクス様がいなくなってしまったら、きっとルカ様は耐えられません。どうか戻ってきてください。ドラセナ様のところには行かないで。お願いです。戻ってきて……」

 泣くつもりなんてないのに、閉じた瞼から涙が零れる。


 二人でお茶会をしたとき、去り際にノクス様はふと思いついたような口調でこう言った。


 ――ステラはルカの守護聖女になったのだから、もし私に何かあったらルカのことを頼んだよ。


 私は縁起でもないと怒ったけれど、呪術による頭痛に苛まれていたノクス様はこうなる未来を予想していたのだろう。


 どれだけ薬を飲んでも、モニカさんの治癒を受けても効果がないから、私をお茶会に呼んだのだ。


 私と雑談したかったわけでも、ローザの情報を教えるためでもない。


 いまならわかる。

 全ては私にルカ様を託すためだった。


「女神様、お願いします。どうかノクス様を助けてください。ルカ様の泣き顔など見たくないのです――」


 エメルナの丘で女神に祈った神話の乙女エレストのように、ノクス様の手を握ってただひたすら祈っていると――


「――そうだな。私も泣き顔より笑顔のほうが好きだ。付け加えて言うならば、物語の結末は悲劇よりも大団円が良い」


 私のすぐ隣、斜め上から声が聞こえた。


 口調ががらりと変わっているけれど、それはモニカさんの声だった。

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