09:守りたい人は、

 国王との謁見が終わった後、私は王宮内の庭園にある瀟洒な東屋で王子三人と円形テーブルを囲んでいた。


 空は青く晴れ渡り、降り注ぐ陽光は眩しい。


 東屋の周囲には色とりどりの花が咲き乱れ、鳥が春を謳歌するように鳴いている。

 まるでこの世の楽園のような光景である。


 私の右隣にルカ様、左隣にノクス様。

 向かいの椅子には王太子であるギムレット様が腰かけている。


 いずれも眩暈がするほどの超美形であり、彼らとお茶を飲む栄誉を与えられた私は国一番の幸せ者なのだろうが――あいにくとこの状況を心から楽しめるほどの胆力は備わっていない。


「海外から取り寄せた茶葉はどうだ? 口に合うか?」


 とにかく失礼のないように、粗相のないようにと自分に言い聞かせながら、ぎくしゃくとした動きでお茶を飲む私を見て、このお茶会の主催者であるギムレット様が微笑んだ。


 ギムレット・バル・アンベリス様。二十一歳。

 髪の色は三つ年下のノクス様と同じ金で、柔らかそうな髪質も良く似ている。

 金糸の長い睫毛に縁取られたその瞳はようやく芽吹いた春の若葉と同じ、瑞々しい緑色だった。


「はい、大変美味しいです」


 嘘です。味がしません。匂いもしません。

 極度の緊張で味覚も嗅覚も機能停止しています。


 ティーカップを持つ手が震えるんですけども!!


「そうか、良かった」

 ギムレット様は薔薇色の唇の端を軽く持ち上げた。


「この茶葉の独特な匂いと味は私には合わなかったが、女官の間では好評らしいので試しに出してみたのだ。何でも美容に良いらしいぞ。気に入ったなら後で部屋に届けさせよう」

「ありがとうございます……」

 大きな音を立てないよう、慎重にティーカップをソーサーを置いた私の右隣で、ルカ様は静かに座っている。


 ノクス様は優雅にお茶を飲んでいるけれど、ルカ様は口をつけようともしていない。


「菓子は嫌いか?」

 体調が悪いんですかとルカ様に尋ねようとしたそのとき、ギムレット様に声をかけられた。

 仕方なく質問を諦めてギムレット様に向き直る。


「いえ、好きです」

 三段になっている銀製の菓子器に乗せられた菓子は全てが芸術品のようであり、大変美味しそうだが、緊張しきっているいまの私に食欲などない。


「なら遠慮なく食べるといい」

「いただきます」

 王太子に勧められては拒否権などあるわけがなく、迷った末に、私はクルミが入ったクッキーを手に取った。


「美味しいです」

 味のしないクッキーを咀嚼して嚥下し、微笑みを作ると、ギムレット様は満足そうに笑って私と同じクッキーを食べた。


 それからしばらくは他愛ない話が続いた。

 ギムレット様は私が戦地で体験した話を興味深そうに聞き、お返しとばかりに王宮で起きた愉快な出来事や怪談の類も教えてくれた。


 ギムレット様の話術はとても巧みで、お話しされる内容はどれも興味深いものばかりだけれど……でも、そろそろじれったい。


 お菓子に一切手を付けず、貝のように黙って動かないルカ様のことも気になるし、いい加減話を切り上げないと。


「ギムレット様。それで、私にしたいお話とは何でしょうか?」

 話の区切りがついたタイミングで私は切り出した。


 東屋にいるのは私たち四人だけ。

 女官や護衛を下がらせた以上、まさか雑談するために私を呼んだわけじゃないはずだ。


「もう本題に入るのか? 私はステラともう少し会話を楽しみ、ステラを知りたいと思っていたのだが。なあルカ、ステラを私に譲ってくれないか? お前ばかり独占するのはずるいぞ」


「ステラは私の所有物ではありません。従って殿下に譲ることもできません」


 この日初めてギムレット様に話を振られたルカ様は淡々とそう答えた。

 ルカ様の前に置かれたお茶は既に冷え切っている。


「ほう。陛下はお前にステラの処遇を一任すると言っていたが、お前はステラを己の管理下に置く気はないのだな?」

「はい。私の傍に縛り付けるつもりはありません。全てステラの意思に任せます」


「言ったな」

 ギムレット様はその言葉を待っていたといわんばかりに口の端をつり上げ、改めて私に身体を向けた。


「ならば単刀直入に言おう。ステラ、私の守護聖女となって欲しい」


「守護聖女……とは、なんですか?」

 私は目をぱちくりさせた。


 聖女という単語は知っている。

 巫女姫を国の象徴とするエメルナ皇国では神力を持った女性を『巫女』というけれど、ベルニカにあるその他の三国では『聖女』と呼ぶ。


 慈愛の女神クラウディアが降り立ち、人々に加護と祝福を授けた聖地エメルナは世界中で最も巫女が生まれる確率が高く、巫女姫が張った不可視の結界によって守られているため魔物の被害は他国と比べて圧倒的に少ない。


 たまに大地から穢れた瘴気が噴き出すことがあっても、国にいる巫女たちで充分対応可能だ。


 しかし、他の国ではそう簡単に聖女は生まれず、常に魔物や瘴気に脅かされている。


 現在アンベリスで聖女と認定されている女性は十人ほど。


 彼女たちはそれぞれ東西南北と国のほぼ中央にある五つの神殿に属し、日々担当区域の浄化や負傷者の救助に勤しんでいるそうだ。


「王族と守護契約を交わした聖女のことだ。アンベリスの王族には聖女を自分の専属護衛にする権限がある。守護契約と言っても大げさな儀式を行うわけではない。契約の証として、王家の紋章が描かれた指輪を左手の薬指に嵌めてもらうだけだ」

 ギムレット様は情熱的な眼差しを私に注いだ。


「君にはエメルナ皇国の元・序列第二位の巫女を凌ぐほどの強い神力がある。どうか神殿にはいかず、私の守護聖女となり、その力を私のために役立ててほしい。私の守護聖女となってくれるのならば待遇は保証する。美しいドレスに宝石、望むもの全て与えよう。二度とカエルや雑草を口にせずに済むぞ」

 ギムレット様は冗談めかした口調でそう言って笑った――けれど、その笑みは私には響かなかった。


「……『王太子』ではなく『王族』が条件なら、ルカ様の守護聖女になることも可能なんですね」

 私はギムレット様に顔を向けながらも、無意識にぼそりと呟いていた。


「ステラは兄上ではなくルカの守護聖女になりたいのかな?」

 ノクス様に言われて、はっと我に返る。


 ――しまった、とんでもない失言だ!

 ギムレット様が私を見る目の温度が下がっていることに気づいてひやりとする。


 ああ、まずい、王太子の不興を買った!!


「――ルカ」

 急に名前を出されて驚いたような顔をしていたルカ様は、ギムレット様に冷たく名前を呼ばれてびくりと肩を震わせた。


「どうやらステラはお前の守護聖女になりたいようだが。お前の意見はどうだ?」

「……必要ありません」

 一瞬だけ、逡巡するような間を置いてから、ルカ様ははっきりそう言って私を見た。


「考え直せ。王宮で暮らしたいと言っていただろう。それなら、王宮での立場や将来のことを考えても、殿下の守護聖女となるべきだ。次期国王となる殿下をお守りすることは、この国を守ることにも繋がる。俺のことなど守る必要はない」


 その言葉を聞いた瞬間、私は雪を思い出した。

 ルカ様と出会った日、空から降っていた白。


 死んでも構わない、そう言い放ったあのときといまのルカ様は同じ目をしていた。


 ――どうしてそんなことを言うの。

 まるで、自分には何の価値もないと思っているかのような、悲しい台詞を。


「ルカも賛成している。これで文句はないな?」

 勝ち誇ったような顔でギムレット様が笑った。


「私の宮に至急部屋を用意させよう。そうだな、明日の昼には迎えを

 その言葉を聞いた瞬間、膨れ上がった感情が爆発した。


 ――ルカ様はそんなこと言わない。


 ルカ様は自ら迎えに来てくれた。

 傷だらけになって、必死に私を抱き上げてくれた。


 違う。

 私が守りたいのはこの人ではない――違う。


「――お待ちください」


 特に大声を出したつもりはなかったけれど、その声は凛と東屋に響き渡った。


 椅子を引いて立ち上がった私を、全員が気圧されたような顔で見ている。


「申し訳ございません。私は殿下の守護聖女にはなれません。私を救ってくれた人は、私の運命の人は。――私が心から守りたいと願う人は、ルカ様ただ一人なのです。せっかくのお話ですが、お断りさせてください」


 私は腰を曲げて深く頭を下げた。

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