05:夜の会話
「この国にいる以上、お前はただの平民だ。わかったな?」
炎の照り返しを受けて、ルカ様の艶やかな黒髪が赤く染まっている。
彼が何が言いたいのかわかって、胸の奥が温かくなった。
やっぱりルカ様は優しい方だ。
「……わかりました。もう下民と自分を卑下するのは止めます」
「ああ」
それでいい、というように、ルカ様は頷いた。
「部屋に入ってくるなり跪かれて話をする暇もなかったが、改めて聞きたい。一体なんでお前は死にかけてたんだ? 崖から落ちたのか? そもそなんで夜の山に行ったんだ。ウィアネの花目当てか?」
ウィアネの花はある一定の時期、それも満月の夜にだけ咲く不思議な花だ。
五枚の白い花弁の中心に黄金の光を灯して咲くその姿はえも言われぬほど美しく、春の夜には花見の宴が催されたりする。
「はい。その通りです」
ローザに崖から突き落とされたことを正直に言うか、それとも隠すか、私は迷った。
ルカ様はアンベリスの王子だ。
エメルナの下民が自国でどんな目に遭ったところで何ら関わりのない人だ。
余計なことを言って、心労をかけたくないしなあ……。
「花見に出かけて、足を滑らせました。私の不注意です」
「本当に?」
ルビーのように赤い瞳が私を射抜く。
真剣に私を見つめるその瞳に嘘はつけず、私は逡巡した後、言った。
「……嘘です。本当は、突き落とされました」
包み隠さず真実を伝えると、ルカ様は苦い薬でも飲んだような顔をした。
「皇太子妃、引いては将来皇后となる女がそんな悪女でいいのか?」
「もちろん良くはないでしょうが……私がエメルナに戻り、事実を訴えたところでもみ消されるだけでしょう。下手をすれば私は嘘つき女と非難され、最悪、処刑されてしまいます。重傷を負われていた皇太子様自身に意識はありませんでしたから、私が皇太子様のお怪我を治したことはローザ様以外、誰も知りません。同じように、夜の山に行ったのも私とローザ様二人だけ。事件の目撃者は誰もいないのです。きっと今頃、ローザ様は『足を滑らせて崖に落ちてしまった間抜けな巫女見習い』を泣きながら探し回っているはずです」
目に浮かぶようだ。
ローザは夜の山に行ったのも私に誘われたからということにし、大々的に捜索隊を組んで私を探しているだろう。
私を案じて泣くその姿を見て、周りの人間は「下民に心を砕くとは、なんと慈悲深いお方なのだ」と感激し、自ら進んでローザの味方になる。
もっとも、私も醜い本性を知るまではローザに心酔していたクチなので、騙されている人に対して何も言えない。
ローザって、巫女より女優のほうが向いてるんじゃないだろうか。
「私の死体が見つからなかったら魔物に食べられたということにするかもしれませんね。もしかしたら、私が崖から落ちたのも魔物のせいにしているかも」
「それ以上言うな。胸が悪くなる」
本当に嫌そうな顔でそう言って、ルカ様は沈黙した。
「一つ聞きたいんだが」
「なんでしょう?」
背筋を伸ばし、かしこまって問う。
「お前はエメルナに戻りたいか?」
「いえ、全然。あの国に戻りたいなど、ちっとも思ってません。叶うことならこのまま
言いながら、自分の格好を見下ろす。
女官たちに着せてもらったのは春を迎えたいまの時期にぴったりの、胸元に花をあしらった可愛らしいピンク色のドレスだ。
客人としてもてなされ、ドレスに袖を通すなど、生まれて初めての経験だった。
「二人も侍女をつけていただき、まるでお姫様にでもなったような気分を味わわせていただきました。王宮の食事はいままで食べたことがないくらい美味しかったです。本当に、夢のような経験をさせていただきました。全てルカ様のおかげです。感謝しています」
身体の前方に銀髪を垂らして頭を下げる。
今日は頭を下げてばかりの一日だけれど、感謝を示すには何度下げても足りない。
「でも、夢はいつか終わるものです。私はエメルナの民。戻りたくなくとも、私にはあそこしか居場所はありませんから――」
「誰がそう決めた?」
「え?」
私はきょとんとしてルカ様を見つめた。
「俺は三日前、兄上やモニカと一緒に王宮を抜け出し、服を血で汚したお前を連れ帰った」
その話はモニカさんに聞いている。
三日前、指輪を通して私の危機を知ったルカ様は優れた魔導士であるノクス王子と癒しの力を持つモニカさんを連れて『瞬きの扉』を使い、現場に駆けつけてくれた。
ノクス王子とモニカさんが到着したとき、私は既に気絶してしまっていたからルカ様以外にも助けに来てくれた人がいたなんて知らなかった。
「いま王宮はお前の噂で持ち切りだ。俺は明日、陛下の御前で事情を説明するよう言われている。お前を連れてな」
「ええええええ!!? わ、私、国王陛下に拝謁するんですか!?」
自分を指差して素っ頓狂な声を上げる。
「ああ。そこでお前は自分の身に起きたことを正直に話せ。ローザに崖から突き落とされたことも、一年前、俺の命を助けたことも言えばいい。もちろん俺もお前がいなかったら死んでいたことを強調する。仮にも王子の命を助けたんだ。無理を承知で褒美をねだってみろ。試す価値はあるだろう?」
ルカ様は不敵に笑った。
「褒美……え、まさか?」
「そう。戸籍だ」
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