06:なるほど天使だ
良く晴れた翌日の昼下がり。
『柘榴の宮』にある一室では五人の女官たちが私を取り囲み、顔面の改造に励んでいた。
「うーん、素晴らしい! まさに完璧ですわ!」
「ええ、ええ! 殿方の心臓を鷲掴みすること間違いなしです!」
「ふふ、ルカ様もきっと驚かれますわね!」
額に浮かんだ汗を拭い、女官たちは頷き合っている。
どうやら体感で一時間にも及ぶ格闘は終わったようだ。
臣下に傅かれる女王のように、部屋のほぼ中央にでんと置かれた椅子に座っている私は、周りではしゃぐ女官たちの様子を黙って見ているしかない。
「さあさあ、ステラ様、お待たせいたしました! 生まれ変わったご自身のお姿、しかとその目でご覧ください!」
そう言って、私の女官となってくれた赤髪緑目のミア・ウルフェニーは赤い布がかけられた姿見に向かって膝を曲げ、右手を伸ばし、大げさなポーズを取った。
ミアの動きに合わせて姿見にかけられた布を外し、無表情で両手に持ったのは黒髪を三つ編みにし、青い目に眼鏡をかけたロゼッタ・オベサ。
ロゼッタもまた私付きの女官だが、彼女は感情豊かなミアとは対照的に、いつだって冷静沈着だ。
アンベリス国王との拝謁を控えたこの日、彼女たちは女官仲間と朝から張り切って私の支度を整えてくれた。
「……これが私……お化粧とドレスの力って凄いですね。三百パーセントくらい美化されて見えるような気がします」
自分の頬に触ろうとし、白粉が落ちることを心配して指を引っ込める。
苦しくない程度にコルセットを締め、整えた身体に纏うのは淡い水色のドレスだ。
繊細な刺繍が施され、細かなダイヤモンドが雪のように散りばめられた美しいドレス。
スカート部分に重ねられたレースの模様といったら、まさにアンベリスの職人芸。
白銀の髪は両側を丁寧に編み込んで後ろに流し、後頭部には大粒のサファイアの髪飾りがつけられている。
首や耳にも髪飾りと同じサファイアが飾られていた。
試しに首を少し動かすと、耳元の涙型のサファイアが動きに追随して揺れ、キラキラと輝く。
「綺麗……」
うっとりと呟いてから、私は女官たちの顔を順番に眺めた。
「皆さん、素晴らしいお仕事をありがとうございました。おかげさまで、多少は自信を持って陛下に拝謁することができそうです!」
ぐっと拳を握る。
「お力になれましたなら何よりです。それでは、行ってらっしゃいませ。ルカ様がお待ちです」
「はい、行ってきます」
ロゼッタに促された私は椅子から立ち上がった。
化粧台の上に置かれたままの赤い魔石がついた指輪を一瞥し、戻ったらまたすぐ首にかけるからねと約束して、ミアが開けた扉をくぐる。
飾りをつけた頭やドレスがずっしりと重い。
慣れないヒールは歩きにくく、気を抜けばうっかり転んでしまいそうである。
国王陛下への拝謁が決まってからというもの、本物の貴族令嬢であるミアたちに一通りの礼儀作法と『淑女らしい歩き方』を教わったが、実践するのはなかなかに難しい。
表向きは平気な顔を装い、控えの間を通って廊下に出る。
廊下の壁際には濃紺の衣装に身を包んだルカ様がいた。
手持ち無沙汰らしく、ぼんやりとした眼差しで窓の外を見ていたルカ様は私に気づいてこちらを向き、何故か目を見開いて固まった。
それきり、石像のように動かない。
「ルカ様? どうされましたか?」
戸惑いながらルカ様の前に立つ。
「――なるほど『天使』か……」
「天使? 何のお話ですか?」
尋ねると、ルカ様ははっとしたような顔をして首を振った。
「いや、何でもない。身支度は終わったようだな。行こう」
「はい」
歩き出したルカ様の背中を追って足を踏み出す。
重いドレスと慣れないヒールのせいで私の歩みは遅いけれど、何も言わずともルカ様は私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれている。
『柘榴の宮』を出て回廊を進み、やがて王が住まう区画に入ると、多くの女官や騎士とすれ違った。
ルカ様とすれ違う人々は全員、礼節を持って敬礼している。
やはりルカ様はこの国の王子なのだ。
なんで私、王子様と一緒に王宮を歩いているんだろう。
つくづく、人生って何があるかわからない。
ドレスを品よく摘まみ、金の手すりがついた大きな階段を上がっていく。
階段の半分まで到達したところで、摘まみ上げる高さが足りなかったらしく、靴がドレスの裾を踏んだ。
くん、とスカートが引っ張られ、身体のバランスが崩れる。
「!!」
落ちる!!
衝撃を覚悟したけれど、ルカ様が素早く手を伸ばして私の腰を支えてくれたおかげで宙に浮き、行き場を失いかけていた足は無事階段へと戻った。
両足で階段を踏みしめ、そこでようやく息を吐く。
「大丈夫か?」
ルカ様の手が腰から離れた。
「はい、ありがとうございます……」
ドレスの下でまだ心臓が跳ねている。
ルカ様がいなかったら私は無様に転げ落ち、王宮の笑い物になっていた。
「すみません。裾の長いドレスを着て階段を上ったことなどなくて……」
ああ、恥ずかしくて目を合わせられない。
いまルカ様はどんな顔をしているんだろう。
呆れられていそうで怖い。
「気にすることはない。もう少しゆっくり、慎重に進もう。それでも落ちそうになったら俺が支えるから大丈夫だ」
嘲るでもなく、ルカ様は至極真面目な調子でそう言った。
「え………」
恐る恐る顔を上げる。
「慣れないドレスと靴で大変だろうが、転ぶことを恐れているならそれは絶対にありえない。俺がいるからな」
ルカ様は微笑んだ。
優しい微笑みに胸がギュッとなり、ふと視線に気づいて階段下を見る。
階段下にいた女官や警備中の騎士は心配そうに私を見上げていた。
誰一人私の失態を笑ってなんかいない。
そうか、ここはエメルナとは違うんだ。
「……ありがとうございます。頼りにしています」
微笑み返して、私は再びルカ様と一緒に階段を上った。
焦らず、ゆっくり。一歩一歩。慎重に。
無事階段を上り切って廊下を歩き、とうとう私は両開きの重厚な扉の前に辿り着いた。
扉の両脇には金属製の甲冑に身を包み、槍を持った兵士が立っている。
この扉の向こうにアンベリスの王がいると思うと、握った手のひらにじっとりと汗が滲む。
「緊張しているか?」
ルカ様がこちらを見た。
「……はい」
「俺もだ。陛下にお会いするときはいつも緊張する」
意外だ。ルカ様も緊張するのか。
彼にとっては父親だけど、相手が国王ともなればやはり普通の親子のようにはいかないのだろう。
無責任な励ましではなく、正直な胸の内を打ち明けられたことで、不思議と足の震えが止まった。
「行けるか?」
「――はい」
大丈夫。必要な話し合いは昨日のうちに済ませた。
だから大丈夫。ルカ様がいるならきっとうまくいく――いいえ、たとえどんな結果になったって後悔しない。
怯えも迷いも捨て去り、背中をしゃんと伸ばす。
「良い
ルカ様が扉を守る兵士たちに向かって小さく頷くと、兵士たちは左右対称の動きで扉を押し開けた。
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